アニメやドラマにもなった雲田はるこさんのコミック「昭和元禄 落語心中」を読んでいます。
戦中・戦後を落語にかけた八雲と助六の姿が活写されているコミックです。
二巻「八雲と助六編」の中に、戦争中の落語界の様子が次のように書かれています。
「落語どころではない、という空気も満ちつつ、昭和16年には、不道徳・不謹慎であるとして落語界が自粛する形で、明鳥など花柳物と宮戸川など艶笑物、全53種の名作古典が禁演落語として葬られます。」
実際に、当時、「はなし塚」という石碑も作られたようです。
「表現の自由」は我々の不断の努力で守っていかなければならないことを、この出来事から感じます。
今日のしんぶん赤旗は菅官房長官が26日の記者会見で東京新聞・望月衣塑子記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と言い放ったことへの批判が広がっていると報じていました。
その理由は、27日の未明にはSNSのツイッターで使用頻度を示す「トレンドの1位と3位に「菅官房長官」「東京新聞の質問」がランクインしていることです。
菅氏は27日の会見で、前日の発言の意図を聞かれたなかで、記者会見は「(記者の質問での)意見とか要請に応える場ではない」、「政府の見解を申し上げ国民に理解して頂く場」と繰り返し、記者が政府の見解と異なる意見を述べたり、要請することを拒否しました。
武蔵野美術大学の志田陽子教授は、「民主主義には議会制民主主義という『フォーマルなルール』と、これを社会的土壌として支える『インフォーマルなルート』があります。後者は市民の表現活動による世論形成や、報道による情報共有、その前提としての取材により成り立ちます。これがないと、議会制民主主義は形骸化し、議決を正当化するための手続きにしかならなくなってしまいます。新聞記者の質問は、まさにここで市民に貢献することになるので、記者が『知る権利を持っている国民を代表している』という言い方をすることは正当です。この場面では憲法21条の『表現の自由』は最大限に尊重されなければなりません。記者がある事実に対する不正確さが含まれつつも、それを認識したいというのが本来の質問で、正しくはこうだと説明する責任が政府にあります。政府が『事実誤認』として、自らが認定する『事実』と違う質問をふふさいでしまうことは、表現の自由をふさいでしまうことになります。また望月記者のように質問の前提として、『こういう見方や疑念を持っている国民も少なくない』として質問するのは当たり前です。ここに意見が含まれていたとしても、記者会見は意見を言う場ではないとか、要請を受ける側ではないと拒否するのは、菅氏は『国民の知る権利』に答える立場であることを理解していないと言わざるを得ません。」とコメントしています。
「表現の自由」が最大限に尊重される社会を作っていきましょう。
歴史の逆行は許されません。
望月記者には、宇部講演会でお話しました。望月記者を応援したいと思います。
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