議員日誌

「歎異抄はじめました」読書ノート①

 浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗さんと弁護士の大平光代さんの対談集「歎異抄はじめました」を読んでいます。

 大平さんは、大阪市助役を辞職した頃、「歎異抄」の「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことにあることになきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」という一説が頭の中でこだましたと言います。

 大平さんは、「煩悩具足の凡夫というのは自分のことだという自覚がはじめてできたんです。」と言います。

 「歎異抄」13条に対する大平さんの言葉は圧巻でした。

 「歎異抄」13条にはこう書かれてあります。現代語訳を引用します。

 「またあるとき聖人が『唯円房はわたしおいうことを信じるか』と仰せになりました。そこで『はい、信じます』と申し上げると、『それでは、私がいうとおりに背かないか』と、重ねて仰せになったので、うつしんでお受けすることを申しあげました。すると聖人は、『まず、人を千人殺してくれないか。そうすれば往生はたしかなものになるだろう』と仰せになったのです。そのとき、『聖人の仰せではありますが、わたしのようなものには一人として殺すことなどできるとは思えません』と申しあげたところ、『それでは、どうしてこの親鸞のいうことに背かないなどといったのか』と仰せになりました。」

 大平さんは、13条について「自分が人を殺さないからといって、自分の行いが良いわけではないという・・・。『たまたま殺す機会がなかっただけだから、自分の善行だと思うな』ということですよね。」と釈さんに応じています。

 その上で、大平さんは、自らの体験と13条を重ねて次のように述べています。

 「私が十代の頃は、けんかで誰それが誰それを傷つけ、場合によっては殺害してしまったということは日常茶飯事でした。そういう環境にしばらく身を置いていたので、いつ自分がその立場になっても全然おかしくありませんでした。でも私がそうならなかったのは、私の意志ではないように思います。たまたまそういう状況に出会わなかった、あるいは私がその場を離れた後でそういう事態にあっていたということです。それを十代の頃に経験しているから、第13条を全く違和感なしに、『ああ、おっしゃるとおり、おっしゃるとおおり』だと思った。」

 大平さんは、中学生の時に自殺未遂を測り、その後、非行の道に走り、16歳のときに極道の妻となり、背中に刺青をいれた経験のある方です。

 大平さんは、「私のような余計な経験はしなくても(笑)、たとえば、もし外国に生まれてイスラム教徒として過酷な環境に生きていたら、自爆テロをしているかもしれない。そう思えることが人間としての自然な想像力だと思うのです。それを止めるブレーキがあるかどうか、それがどんなものかは人によって違いますが、『一歩まちがえたら自分だって』という意識があるかないかでぜんぜん違うのですよね。」とも語っています。

 私も高校生の頃、足を踏み外しそうになりそうだった時があります。

 大平さんの経験からすると数百分の一でしなかい経験ですが、ほんの少し大平さんの気持ちが分かります。

 釈さんは、「人間のもつ闇の自覚」「当事者性を手放さない」ことが13条の本質だと述べています。

 「歎異抄」は分かりかけると更に分からなくなる書物のようです。

 だから繰り返し、この本を読んで考えるのでしょう。

 「人間のもつ闇の自覚」は物事を見る上でとても大切だと感じます。

 「歎異抄」から、この本から引き続き学んでいこうと思います。

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