議員日誌

ひめゆり平和祈念資料館を見学

 23日から上の姉の次女の結婚式で沖縄に行っていました。

 24日の結婚式もとてもいい式でした。

 前後、不屈館、ひめゆり平和祈念資料館、首里城などを見学し、沖縄を満喫しました。

 25日に訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」は、4度目でしたが、今度も多くの事を学びました。

ひめゆり

 家族でひめゆり平和祈念資料館を訪ねました。

 改めて、ひめゆり学徒隊について触れてみたいと思います。

 ひめゆり学徒隊は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校からなります。

 生徒222人、教師18人が、沖縄陸軍病院に配属されました。

 沖縄戦終結までに、教師・学徒240人中136人が亡くなりました。

 ひめゆり平和祈念資料館で、戦後70年特別展「ひめゆり学徒隊の引率教師たち」の図録を購入し、移動中の車中で読みました。

 特別展は、表題の通り引率教師を追っています。

 引率教師18人の内、実に13人が亡くなりました。

 戦後生き残った教師は5人。その一人が仲宗根政善さんでした。

 図録に仲宗根先生が戦後残した言葉が書かれています。

 「あの場合はしかたがなかったと、いくらいいわけをしてみても、それはいいわけにはならない。自分を社会からひき離し、戦争からひき離して考えたときのいいわけで許されるべきことではない。日本国家全体が犯した罪が、具体的には自分を通じてあらわれたのである。」

 「あの時は、どうにもならなかったと、どうして言えるであろうか。戦争への歯車にはめこまれ、ひきずられて、戦争へと生徒を引率した教師の責任である。不明にして、さめた眼ももたず、戦争へ引きずられて行った罪である。その根は深くおそろしい。私は今もその重い負い目を負いつづけている」

 図録には、体験者の次の言葉が引用されています。

 「戦争は準備が始まってからでは止められない。だからその前に何とかしなければならない」

 図録の編集後記は次の言葉で締めくくられています。

 「『教師の責任』-時代がキナ臭くなりつつあると指摘される昨今、教師に限らず私たち一人ひとりにとっても、重い大切な言葉だと思います。」

 「戦争は準備が始まってからでは止められない」

 私は、ひめゆり平和祈念資料館に行って、憲法9条改憲阻止の決意を新たにしました。

 25日の沖縄タイムズに「沖縄子どもの貧困白書」の書評が掲載されていました。

 早速、那覇市の書店で購入して帰りの飛行機の中で半分読みました。

 この本の冒頭に沖縄子ども総合研究所顧問の加藤彰彦さんの「はじめに」に次の文章がありました。

 「戦争は、貧困を生み出す最大の原因のひとつです。生きる基盤を破壊し、支え合う人を奪い、生きる意欲すら失わせてしまうのです。第二次世界大戦による苦悩のなかで、日本は、日本国憲法を生み出しました。そして、沖縄は苦しみのなかから、一人ひとりのいのちを大切にする文化を守り続けてきました。しかし、戦後72年を迎える現在、地球上には貧困と格差が拡大されてきています。貧困化社会は人と人を対立させ、排除し、戦争へつながる構造さえ、もっているのです。子供という豊かな魂は、誰からも愛され、豊かな経験のなかで成長していくものです。」

 高校生たちを戦場に送ったあの戦争を繰り返してなりません。

 憲法9条を守り、格差と貧困をなくし、平和な日本をつくる決意を新たなにした沖縄家族旅行となりました。

 結婚した姪夫婦の幸せを願いつつ、姉夫婦に感謝する沖縄家族旅行でした。

 

 

トラックバック

コメントはまだありません

No comments yet.

コメント

コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。

メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。