我が家で9年飼っていた猫の「ちょろ」が先日亡くなりました。
ちょろとの出会いは、9年前の厚東川ダム事務所の近く。
車のドアを開けたら飛び込んできたのが「ちょろ」です。
今、中学校3年生の三男が、小学校1年生の頃でした。
「ちょろ」と名前と名前をつけたのは、次男。
理由は、「ちょろちょろ」動くから。
ちょろは病院には何度もお世話になりました。
飼い始めて数年経った頃、ちょろが帰ってきません。
隣のアパートとの間にじっとしているちょろを数日後に発見。
後ろ足が動きません。急いで病院へ。入院し、このまま車椅子生活かと思ったのですが、自宅に連れて帰って数日後に元通りに歩けるようになりました。
数年前から、カリカリのエサを食べる時に、首を振るようになりました。
病院に行くと、歯周病とのこと。柔らかいエサにして、少しやせ気味にはなりましたが、元気で過ごしていました。
数日前、ちょろが帰ってきません。
近くの児童公園の近くで発見。しかし、エサを食べません。
今、振り返れば、死力を尽くして、ちょろは、子どもたちがテレビを見ている場所に来て、甘えるしぐさをしていました。
土日を挟んで月曜日の朝、病院へ連れていきました。
病院で首が上がるようになりましたが、やはりエサを食べません。
院長先生から「多臓器不全」と言われ、退院させることにしました。
最期は、自宅で、看取ることが出来ました。
ちょろを実家の我が家の墓の近くにちょろの墓を作りました。
蓮如上人の御文章から「白骨章」を私が読んで送りました。
「朝には紅顔ありて・夕には白骨となれる身なり」
子どもたちもちょろを通して、有限である身である自分であることを学んだことでしょう。
家に帰って、玄関を開けた瞬間とか、鈴のような音が聞こえたようなときなど、「ちょろはいないんだ」ということを感じます。
ちょろは、どこで生まれたのか分かりません。どのように、厚東川ダム近くまでやってきたのか分かりません。
4人の子どもたちに囲まれて、ちょろの一生は幸せだったのではなかったかと思います。
長男は、今、大阪です。長男が受験勉強する横に、ちょこんと座っていたちょろの姿を思い起こします。
長男に、ちょろの死を教えなければ。
実家に帰った時に子どもたちと一緒にちょろの墓で手を合わせたいと思います。
ちょろいままでありがとう。
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