木曜日、満身創痍の体を引きづり、昇級試験後初めて、次男と空手道場に行きました。師範から、「藤本さん2級(茶帯)に昇級しましたよ」と言われ正直驚きました。
何度も止めようと思いましたが続けてきてよかったです。ここ最近は、次男に励まされながら空手を続けることが出来ました。
とても茶帯を締めるような技術はありませんが、これらも息長く空手を続けていこうと思います。
30代半ばで空手をはじめました。きっかけは、出会いです。
実は、師範と私は20年前に一緒に宇部協立病院で働いていたのです。
市議会議員だった十数年前に師範から「道場を厚南地域で開きたのですが」と相談を受けました。最初に教室が開かれたのは私が住む「西ヶ丘自治会館」でした。その後、「西宇部ふれいあセンター」に移り、数年前に、ついに自前の道場が完成するに至りました。
今では、100人を超える選手が参加する大会を主催する道場に発展したことを私はとても嬉しく思います。
これらも師範と道場を支えながら、「大会役員」としての役割は果たしていきたいと思います。
そして、ここまで来たらもう黒帯を目指すしかありません。40代の内に、その夢が叶うよう精進を続けたいと思います。
本日、党県常任委員会の学習会で、私はテューターを務めました。テキストは、「議会と自治体」4月号に掲載された党文教委員会藤森責任者が執筆した「『子どもの貧困』にどうとりくむか」です。
この論文には、まず、日本がいかに「子ども貧困大国」であるかが書かれてあります。その国の平均的な所得額の2分の1が貧困ラインです。その貧困ライン以下の所得しかない人々の割合が、貧困率です。
OECD諸国の中で、日本はアメリカに次いで子どもの貧困率が高い国です。アメリカは、約2割。日本は、04年のデータで14・7%です。ちなみに、北欧は、2%~3%です。
国民総中流時代は、昔のことで、今は、格差が劇的に拡大したのが日本です。
そして、この論文には、資本主義体制の中で、格差は不可避的にうまれるが、貧困は「なくすべき対象」と書かれています。
この論文にも紹介されている岩波新書・阿部彩著「子どもの貧困―日本の不公平を考える」に、「貧困」の定義が書かれています。
「『貧困』は、格差が存在する中でも、社会の中でどのような人も、それ以下であるべきではない生活水準。そのことを社会として許すべきではない、という基準である」とあります。
更に、この論文に大変興味深いデータがあります。
OECDのデータで、子どものいる世帯の貧困率を所得再配分前と後でどうなったかというものです。フランスは、貧困率を25%から再配分後7%に下げています。
再配分とは、税を払い社会保障給付を受けることですから、当然、所得再配分すれば貧困率が下がるのは当然です。
しかし、OECD諸国の中で、日本は唯一所得の再配分後貧困率を上げているのです。
藤森氏は、「日本は、低所得層の税負担が重く、支給される給付が少なすぎる」と指摘しています。
ここに、日本が抱えた深刻な状況があるようです。
藤森氏は、「子どもの貧困」克服を位置づける次世代育成行動計画に注目しています。
この計画は、「次世代の社会を担う子どもが健やかに生まれ、かつ育成させる社会の形成」が目的です。
山口県も平成22年までの計画を策定しています。
この計画には、①子育てにやさしい風土づくり②親と子の健康の増進③子育て家庭への支援の充実④子どもがのびのび育つ学習環境の整備充実⑤子育てと就労との両立支援⑥地域による子育て支援の充実⑦子どもの安心・安全の確保に関して、合計60項目にわたり目標数値を示しています。
私は、これら数値の最新のデータの資料請求をしました。結果が明きらかになったら後日報告します。
私は、PTA活動の中で、「子どもの貧困」を実感する事案を知ることが増えています。
「どんな環境に生まれようとも、すべての子どもに当たり前の医療や教育を与える」ことが重要です。
日本共産党は、今度の総選挙政策ではじめて「子どもの貧困」の克服を入れました。
緊急に①国民保険証のとりあげ中止②就学援助の拡充③ひとり親家庭への支援強化④児童福祉施設の生活と進学保障の充実⑤児童手当の拡充⑥児童相談所への体制強化が必要と述べています。
私は、4人の子どもを持つ父親として、日本共産党の一員として、これからも「子どもの貧困」をなくすために力を尽くしたいと学習会のテューターをしながら決意を新たにしました。
30才になった頃、時実新子さんをラジオで知り、川柳と出会いました。そして、時実新子さんの本で、反戦川柳作家・鶴彬の存在を知りました。
そして、澤地久枝さんが復刻された「鶴彬全集」をはじめ鶴に関する本は、手に入れ読んでいました。
それでも、生きた鶴をこれまで感じることは出来ませんでした。
この程読んだ、吉橋通夫著「小説鶴彬・暁を抱いて」は、悩み苦しみ喜ぶ鶴彬の姿が生き生きと描かれいました。
これが、小説の力なのでしょうか。
赤旗日刊紙のこの本の書評で、あかつき川柳会の岩佐ダン吉幹事長は、「やっと『生の彬』に会えた」と書いていますが、全く同感です。
この小説には、これも私にとっては歴史上の人物でしかなかった萩市出身の井上剣花坊が登場します。剣花坊が豪快に笑い、生きているのです。
更に、この小説には、吉川英治も登場します。彼は若い時「雉子郎」の柳名で、井上剣花坊が和尚を務める「柳樽寺川柳会」の一員であったことは有名です。
剣花坊が亡くなり、妻の「井上信子を励ます会」であいさつをした吉川英治の姿が小説に登場するのです。
鶴は、評論にも長けた人物でした。
「川柳はすでに通俗的ユウモアの諷刺短詩ではなく、厳粛な現実批判の諷刺短詩である。その諷刺性は、わずか一呼吸の短い時間にうたい完了せねばならないといふ制約のために、もっとも短く鋭い、寸鉄殺人的諷刺であり得るであらう。何よりも印象的な簡潔さと発條(バネ)の如き圧搾的弾力をはらむ、手榴弾の詩であり、勤労大衆の胸に、おぼえられ易い言葉と音律をもってとび込んで行く寸劇詩であり得よう」
鶴は、このような文章を戦争に向かう時代に、わずか26才(1935年)で発表しました。このような文章を発表したが故に、特高警察にねらわれ、その時の拷問が影響して、鶴彬は、それから3年後の1938年29才で永眠します。
鶴彬の人生は、まさに川柳のように鋭く短いものでした。引用した鶴の評論も、ただ文章だけでは、十分な理解が出来ませんでしたが、小説の中で、生きた鶴が語る形で紹介されると、私の胸に彼の文章が撃ち込まれてきます。
私はこの小説を読んで「今一度、鶴が人生を賭けて励んだ川柳を私も大切にして生きていこう」と決意を新たにしました。
暁を抱いて闇にゐる蕾
この句は、鶴彬の句の中で私が一番好きな句です。
鶴彬生誕100年。没後70年。今を生きる私たちを励まし続ける鶴彬の句を一人でも多くの方に知っていただきたいと思います。
小説「鶴彬」一人でも多くの方に読んでいただきたい作品です。
小説「鶴彬」に続いて神山征二郎監督の映画「鶴彬」が完成しました。
今度は、映像で鶴彬に会えます。山口県で上映会をやりたいですね。
その時は、皆さんご参加ください。
今日は、山口県内では、全域で小学校の入学式が行われました。
我が西宇部小学校では、59人の新しい仲間が増えました。
私はPTA会長として、新入生に歓迎のあいさつを行いました。
西宇部小学校の教育目標の中に、4つのいっぱいがあります。
「元気いっぱい」「読書いっぱい」「花いっぱい」「やさしさいっぱい」
私は、やさしさいっぱいの話をするために、斎藤隆介作・滝平次郎絵の絵本「花咲き山」を引用しました。
「花咲き山」は、ベストセラー絵本ですので、多くの方がご承知だと思いますが、ざっとこんな話です。
「あや」という女の子が道に迷って山の奥に行くと、一面に花が咲いています。
そこに住むおばあさんが「あや」に、花はなぜ咲くのか教えます。
お祭りに行くための服が欲しいとあやの妹の「そよ」が母にねだります。「あや」はお母さんに、「自分はいいから、そよに買ってあげて」と言います。その「やさしさ」が「あや」の足元の赤い花になったとおばあさんは、説明します。
村の人間がやさしいことを一つすると一つ咲き、一面の花になったとおばあさんは、「あや」に話ます。
私は、新入生に、「西宇部小学校に花が多いのは、児童のみんながやさしいことを沢山したからかも知れません。
新入生のみなさんもやさしさいっぱいの学校にしていくために友だちにやさしく接してください。」
新入生は、私の話に少々緊張しながらも最後までじっくり聴いてくれました。
今日は、始業式もありました。新一年生とそれぞれ進級した子どもたちで西宇部小学校は新しい年を迎えました。
今年度もPTA会長として、楽しい学校づくりのお手伝いを精一杯していきたいと思います。
6年生に手を引かれて入場する西宇部小の新入生
今日、午前中は、年に1度の健診を受けました。健診は、先生の子どもさんと家の子が保育園で一緒だったYクリニックを数年前から受診しています。
胃カメラでは、先生から、「胃が少しただれていますね。ストレスでしょうか。」と言われました。2月議会の激闘の影響が胃に残っているのかも知れません。
その他は、来週結果が分かるそうです。可能な範囲で、報告したいと思います。
その後は、実家に帰って、今年の田植えに備えて第一回目の田起こしです。トラクターを動かしていると、爪が降りません。草刈機の調子も悪かったので、農協の方に来ていただきました。
トラクターは、爪が降りないようにバルブが締めてあったそうです。農業ビギナーの私は、失敗の繰り返しです。農協のメンテナンスの方は、爪の音を聞いただけで、「爪が一本ゆるんでいますね。」と言われて帰られたそうです。さすがプロ。これからも度々お世話になりそうです。
それからは、順調に作業が進みました。水はけの悪い一つの田を残して、二つの田を鋤き終わることが出来ました。
田を起こすと、まずカラスがやってきます。起こした土から出てきたみみずなどを食べるためです。
それから、冬眠していたカエルを数百匹起こしたことでしょう。びっくりしたカエルが西に東に移動します。
私は、中学時代の一時期、農業高校に進学しようと考えていました。農業で飯が食えたらなーと思ってました。
そして、今は、大失業時代を迎えて農業が注目されています。
農業が、注目されることはいいことだけれど、今の農業所得の水準のままだと、一過性のもので終わってしまうと思います。
先日、NHKラジオで、農業問題の専門家が、日本の食糧自給率を増やすためには、農地が足りないと解説していました。そして、日本の農地を増やす方法として戦前のように「他国を侵略することは当然出来ないのだから」と訴えていたのが新鮮でした。
日本の大地から国民の食糧を提供するために、食糧自給率を向上させなければならないことは自立した国として当然です。ならば、日本農業の再生のために、生産物の価格補償は避けて通れない道です。
トラクターに乗りながら、春風にゆられながら、そんなことを考えていました。
私が今日耕した田です。正面奥は荒滝山です。
小野田市焼野海岸にある「きらら交流館」でシルバー人材センター(以下シルバー)から派遣されていた10名の方が、指定管理者への移行に伴い、3月末で解雇されたという事案が発生しました。
今日は、シルバーから派遣されていた二人の方と山田山陽小野田市議と一緒に山口労働局を訪れ、西島高齢者対策担当官と懇談しました。
今日、ご一緒したAさんは、きらら交流館で6年間、Bさんは、7年間働いておられます。この度、事前の解雇予告もなしに、職場を追われました。
市は、シルバーと請負契約を行い、Aさんらは働いていました。しかし、Aさんらは「市の職員から様々な業務を直接指示されたこともある」と言います。
ならば、偽装請負の疑いがあります。そうなると働き方は、派遣となります。そして、Aさんらは、同じ業務を3年以上続けているので、市は直接雇用する責任が生まれてくるはずです。
今日の山口労働局との懇談の中で、西村担当官は、「そもそもAさんらは、シルバーの会員であり、雇用関係がなく、労働者とはみなされないという解釈もできる。ゆえに、解雇予告などという概念が適応できないという解釈もできる」と述べました。
私は、ここに法の抜け穴があると感じました。シルバーの仕事は、臨時的・短期的なものを会員が相互に行うことが前提になっているようです。その限り、法律的には、労働者とみなされないようです。
しかし、Aさんらは、6勤8休(6日勤務して8日休み)の勤務体制ではありますが、3年以上も同一の業務を継続して行っています。
そもそもシルバーが請負うべき業務の域を超えています。ならば、Aさんらを労働者として認め、労働法制に基づく対応を山陽小野田市などは行うべきです。
それが行われないのなら、Aさんは、非正規労働者よりも低い地位を強いられて、働かされ続け、都合良く使い捨てされたということになります。
私は、今回の問題で、高齢者の過酷な労働実態の一面を見ました。高齢労働者の権利擁護に更なる対応が必要だと感じました。
問題は、山陽小野田市だけではありません。
県労働政策課の調査で、シルバー人材センターにおける県事業の請負・委託の平成20年度の実績が分かりました。請負は、110件約955万円。委託は、10件で約269万円。
県事業を行ったシルバーの会員の方々の働き方について私は引き続き調査していきたいと思います。
この問題に関して皆さんのご意見をお聞かせ下さい。