山口県保険医協会報417号が送られてきました。
この中に、岩国市の大矢先生の「なんだか変だな、山口県 本当の住み良さ日本一」って?という文章が掲載されていました。
この文章にいちいち納得した私でした。感銘した文章を引用します。
「人間にとって大切なのは『生きること』です。いきることができて、初めて『文化、スポーツ、道路』などに意味が生まれてくるのです」
「2年後は絶対に天皇杯をと、関係者は必死です。競技によっては、山口県に縁もゆかりもない人たちを強化選手として山口県登録をして、莫大なお金をつぎ込んでいるようです。そして、県内のいたるところに、国体へ向けて募金箱が置いてあります。なんだか変だと思いませんか?財政難で県民の福祉関係費が削られていく反面、県民でない人にお金が流れている状況。所属だけは山口になった国体要員。練習は山口県内ではないそうです」
「県民が健やかに生活でき、心から『山口県は住み良さ日本一』と感じることの方が、天皇杯よりも大切なことだと思うのは私だけなのでしょうか」
実は、私もある陸上競技の指導者をされている方から「最近、県外選手が増えている。これも国体の影響か」という指摘を受けたことがあります。また、水泳でも県外選手が増えたとの指摘がありました。
私は、これら指摘を受けて、平成20年度の国体強化選手の内、県外出身者の状況を調査しました。
現在までに、陸上競技と水泳の状況が分かりました。尚、ここで言う県外出身者は、中・高校が県外だった選手です。
陸上競技では、11名の国体強化選手がいますが、その内3人が県外出身者です。
水泳は、二人の国体強化選手の二人とも県外出身者です。
全体では、平成20年に50数名の国体強化選手が選ばれていますが、その内、何人が県外出身者なのか現在、県教育委員会に調査をお願いしています。結果が分かれば報告していきます。
先ほど紹介した陸上のある指導員の方は、「一生懸命、県内選手を育成しても、県外選手が入選していく状況だ」とこぼしておられました。
国体の目的は、国民の体育力の向上です。山口国体を行う山口県での意義は、県民の体育力の向上にあるはずです。
天皇杯獲得を国体の目的に矮小化させれば、県内スポーツ界に新たな格差と矛盾を生む結果になります。
大矢先生の指摘は、その矛盾をズバリと突くものだと思います。
皆さん、山口国体が近づいてきましたが、皆さんの率直なご意見を私にお届け下さい。
26日、日本テレビ系の「誰も知らない泣ける歌最終回SP」の最後から2番目に、METISの「母賛歌」が紹介されました。
私とMETISとの出会いは、4月22日のブログに書いたとおりです。NHKラジオに登場したスケーターの鈴木明子さんが、テレビを見ていて感動した歌だと紹介されていたのを聞いたからです。
鈴木明子さんが、見たテレビとは、昨年11月25日の「誰も知らない泣ける歌」であり、そこで登場したMETISの事だったと思います。
26日の番組では、METISさんのお母さんが昨年の12月12日に、享年52才で亡くなられたことが紹介されていました。
昨年11月25日は、METISさんが初めてテレビに出演した日だそうです。お母さんは病院で、テレビを見ながら、看護師さんなどに「これが私の娘よ」と自慢されていたそうです。
その数日後にお母さんの意識がなくなり、翌月にお亡くなりになったようです。
番組では、葬儀で、「母賛歌」を歌うMETISさんの姿が映されていました。
5月の連休中に、移動中の車中で、「母賛歌」の入ったCDを繰り返し聞いていました。
テレビの中から流れる「母賛歌」の「母よ 母よ 感謝してます」というサビの部分を4才の娘が一緒に歌っている姿に驚きました。
「母賛歌」は何度聞いてもいい歌です。このエピソードを聞いて、この歌が、そしてMETISさんが大好きになりました。家族みんなで応援していきたいと思います。
METISさんこれからもいい曲を沢山作ってください。そして、そろそろ新しいアルバムを期待しています。
さて、この番組の最後に河島英五が最期に作られた「旧友再会」が紹介されました。
子どもさんたち3人が「旧友再会」を熱唱しました。
妻は、河島英五さんの大ファンです。急いで妻を呼びました。とても喜んでいました。
私も「酒と泪と男と女」や「野風増」などはカラオケでよく歌います。
妻は、何度か河島さんのコンサートに行ったことがあるそうです。いいなー。
私も近い将来、METISさんのコンサートに行きたいなー。と思う今日この頃です。
この番組が終わるのは残念ですが、いい歌にこれからも出会う人生にしたいと思いました。
昨日、知事は記者会見を行い、待ちに待った福祉医療費助成制度一部負担金導入に対するのセーフティーネット対策の中身を明らかにしました。
待ちに待った割には、極めて不十分なものと言わざるを得ません。
内容は、重度障害者の方が多数の医療機関を受診した場合、外来の1ヶ月当たりの負担を2千円を上限とし、それ以上は無料にするというものです。
私は、障害者の方々の願いの強さや厚生委員会での質疑内容からすれば、もっと大胆な対策が出てくるものと期待をしていました。私は、制度のフレーム自体の拡充が必要だと第一に考えます。
その上で、この制度は、独自に無料化を継続する市町に対しては措置を講じない方針だという点は、大問題です。
今度の福祉医療費助成制度の問題で、国によるペナルティーが大問題になりました。
国は、福祉医療費助成制度を医療機関の窓口で医療費の自己負担分を支払わずに受診できる、現物給付方式を採用している市町村に対して、国民健康保険の国庫負担金を減額する措置を講じています。国に対して、この措置の廃止を求める意見書が、2月県議会厚生委員会で全会一致で可決しました。
知事は、2月県議会厚生委員会の中で、「6億円のペナルティが国からつけられているということになる訳ですから、私はこの減額措置は廃止すべきであると考えておりますので、(中略)これからも、市町とも連携を深めて、引き続き、廃止をしてもらうように強く要望していきたいと思います」と述べました。
私は、知事が、今度のセーフティーネットは、一部負担金を導入するところにしか出さないというのは、国のペナルティーと同質のものだと思います。
国は、ペナルティーの理由を医療費の増嵩をもたらすからとしています。県が一部負担金を導入しない自治体に助成を行わない理由は何でしょうか。
まさか、無料化により医療費が増嵩するからが理由ではないでしょう。
県の政策に従わないから補助しないからというのなら、ますます、県のやり方は、国と同質です。
国のペナルティーには廃止を求めている県が、市町への補助には、出す出さないで差を付けることに私は納得できません。
県は、全20市町が一部負担金を導入した場合、こんどの制度の対象者は、400人台で、県の負担額は約300万円と説明しています。
しかし、現状で、一部負担金を導入しようとしているのは、宇部市だけなので、県が実際に助成をする額はわずかになると考えられます。
私は、県の助成制度のフレームを例えそのままにしたとしても、無料化を継続する多くの市町にも助成は行うべきだと考えます。全ての市町で同じ補助をすべきと考えます。
その上で、私は、福祉医療費助成制度無料化継続が15市町に広がっている状況を受けて、県はこれからでも全ての市町で無料化が継続できるように助成枠を拡大すべきと考えます。
この点での財源は、国からの補正予算に伴う基金などが活用できないか、まず、検討すべきだと考えます。
そして、無料化を継続すべき大きな理由は、新型インフルエンザ感染の広がりです。 収束に向かう都道府県がある一方で、新たな感染者が生まれた都道府県も広がっています。
子どもたちや障害者の方々、所得の低い方々が安心して医療を受けることのできる体制を維持していくことは、新型インフルエンザの感染を拡大しないためにも重要です。
知事は、7月からの一部負担金導入についてはこれらの点から再検討すべきだと私は考えます。
本日、実家の田で2回目の代かきをしました。
今日は、晴天で、むし暑いくらいでした。
今日は、カラスも燕もやって来ません。水中でかえるが泳いでいるだけでした。
2回目の代かきは、目印がなく、まっすぐに鋤くのは大変でしたが、なんとか一人でやりあげました。
午後になって、最後の家の前の田を鋤いて畦をトラクターで越える時が大変でした。
田に水を張っているので、畦が水を含んでやわらかくなっています。トラクターのタイヤはまっすぐに乗り越えようとせず、横にずれます。
ここで焦っては、昨年の失敗を繰り返すことになります。母が鐙を持ってきてくれて難なく畦を乗り越えることが出来ました。
些細なことで事故は起きます。今後も無理をせず、ゆっくり作業を行っていきたいと思います。
これで、田植え前のトラクター作業は終わりました。泥を落として作業小屋に納めました。
さて、先日、二俣瀬の後援会員さんのお宅を久し振りにお伺いしてびっくりしました。
あまりにも耕作放棄地が多いからです。その会員さんも80代の方です。
「高齢化と割に合わないことで、次々に近所の方が耕作をやめて行かれる」と残念そうに話をされていました。
別の70代の二俣瀬の会員の奥さんは、「1町以上耕作してきたが、無理は出来ないので、今年から5反ほど耕作面積を削った」と言っておられました。
本来は、嬉しい田植えのシーズンですが、今年も宇部市の中山間地域で耕作放棄地が確実に増えています。
我が家では、3反の田植えを31日に計画していますが、母が元気だからこそです。
綱渡りを強いられている農家をしっかり支える政策が急がれることを最近痛感します。
二回目の代かきを終え田植えを待つばかりです。
本が本格的に好きになったのは、大学時代からでしょうか。
大学生時代は、灰谷健次郎、斎藤茂男をよく読みました。
卒業して20代のころは、椎名誠、三浦綾子をよく読みました。
30代に入り、浅田次郎、重松清、山本周五郎、松本清張、五木寛之をよく読みました。
40代に入り、藤沢周平、角田光代、小川洋子、横山秀夫、佐々木譲をよく読みました。
そして、今月になってはまっているのが、そう、森絵都です。
「風に舞いあがるビニールシート」で森絵都と出会い、「カラフル」を読み、「いつかパラソルの下で」を読み、今、「つきのふね」を読んでいます。
読んでいる途中で、めんどくさくなると、別の本を読みたくなり、その内、別の作家のものを読んでいるというパターンが多かったのですが、
森絵都の本は、一冊一冊飽きずに最後まで読んでしまっています。こんな作家に出会ったのは私の読書経験の中でも初めてです。
森絵都の本はどれもテーマは重いのですが、タッチがとても軽いのが特徴で、一気に読めてしまいます。そして、読後に爽快感が心を満たすことも共通しています。
どの作品にも主人公の成長が描かれていて、読者も一緒に成長できる気持ちにさせてくれるものも彼女の作品のすばらしいところです。
この調子でいくと、今年中に、森絵都の全作品が読破できるのではないかと楽しみにしています。「つきのふね」の次は、彼女の作品群の中で一番の長編である「ダイブ」に入ろうと思います。
「いつかパラソルの下で」で私がどっきとした一文を紹介します。
「愛しても、愛しても、私自身はこの世界から愛されていないような、そんな気が心のどこかでいつもしていた。受けいれても受けいれても、私自身受けいれられない気がしていた。(略)
自分自身のせいですらなく、すべて生きるというのは元来、そういうことなのかもしれない」
ありのままの自分を受けいれることを森絵都流に書けばこうなるのでしょう。
昨日お聞きした芹沢俊介さんの講演の中にあった「受け入れる」子育てのことを思いだしました。
他人を受けいれることのできる人間になるためには、まず、自分を受けいれることのできる人間でなければなりません。
声高ではないが、森絵都の言葉に励まされている自分がいます。ここが、森絵都を読み続ける原動力でしょうか。
さあ、今から「つきのふね」の続きを読みます。主人公さくらの成長が楽しみですが、勝田君の存在がとても気になります。
いましばらく、森絵都の言葉に抱かれ日々を過ごしたいと思います。
本日、藤山個育ちの会主催で、芹沢俊介さんの講演会が、宇部フロンティア大学で行われました。
芹沢さんのお話をお聞きするのは初めてでしたが、大変感銘しました。訥々とした語り口で、心に沁み入るような講演でした。
演題は、「親子であること 親子になること」でした。
芹沢さんは、里親の方の経験談を最初に話されました。
里親の元に行った子どもたちは、まず、1週間はいい子を演じる(見せかけの時期)があるそうです。
その次に、里親が自分に本気なのか試す期間があるそうです。
そして、真実告知(血のつながりがないことを親が子どもに伝える)ことなどを経て、「親子になる」過程を経ると話されました。
里親の方々の経験と同じで、たとえ血がつながった親子関係の中でも「親子になる」過程があると芹沢さん。
それが、「原始的母子的没頭(原始的受け止め)」というと話されました。
これは、胎児期から出産後の数か月母親が赤ん坊のことだけに没頭することです。
この過程を経て母親になる。その母親をしっかり支える過程を経て父親になることが出来ると芹沢さんは語ります。
現在は、その過程を踏むことが難しい時代になったと芹沢さんは指摘します。
この国が本気で少子化を抜け出すためには、「母性的没頭」を社会が支える体制が必要だと話されました。
最後に芹沢さんは、「させる子育て」から「受け止める子育て」への転換の必要性を話されました。
芹沢さんは、子どもは根源的に受動性があり、最初の欲求は受け止められ欲求だからだ話されました。
私には、4人の子どもがいますが、ついつい「させる子育て」を行っていることに気づきます。
子どもをしっかり受け止めていくことの大切さを痛感しました。
大変、示唆に富んだ講演会でした。
帰りに芹沢さんの「若者はなぜ殺すのか―アキハバラ事件が語るもの―」という本を買いました。
この本を読みながら、先生の教育論に更に触れていきたいと思います。
宇部フロンティア大学で講演する芹沢俊介さん