「漂砂のうたう」で第144回直木賞を受賞した木内昇さんの「新撰組幕末の青嵐」を読んでいます。
この小説は、一遍づつ、土方や沖田や近藤や斎藤や永倉など、一人の人物が主人公となって綴られている連作です。
これでいて、新撰組が結成される前、武州で、薬売りをしていた土方や、天然理心流の道場試衛館の後を継ぐことになった近藤の若かりし姿が活写されています。
彼らは武士にあこがれて、京都護衛の任を受けてやがて新撰組を結成します。
後半は、鳥羽伏見の戦いでの彼らの姿までが描かれているようです。(まだ読んでいませんが。)
連作でいて、一人一人人物を丁寧に追いながら、歴史の激動が端的に描かれ、心騒ぐ作品となっています。
列伝というか、新撰組の面々の群像が生き生きと描かれています。
文庫の解説で松田哲夫さんが、「土方が作者の憑依し」とか「沖田も木内さんに憑依して」などの表現がありますが、新撰組の一人一人の呼吸が聞こえてくるような文章です。
木内さんは、この作品を発表した7年後に直木賞を受賞した訳ですが、その片鱗がこの作品にも確かにあります。
激動の春ですが、新撰組の彼らの生きざまを読みながら、議会と選挙を乗り切っていこうと思います。
忙中閑有。この作品は一遍づつが短いので忙しい中でも読みやすいです。
読書は心を豊かにしてくれますね。
木内ファンの皆さん、あなたは、どの作品が好きですか。
一昨日、宇部市西ヶ丘にある県厚東川工業用水道事務所の周辺住民の方から、「事務所の西側の法面が一部崩落している」との指摘を受けました。
私は、昨日、その事実を事務所に伝え、職員の方と現地視察を行いました。
職員の方によると、「事務所周辺の法面を保護するために、今年度、ボーリング調査を行うなど工事を行うに向けて基本調査設計を行った」とのことでした。
新年度は、「工事のための詳細設計と一部事業着手を行いたい」とのことでした。また、工事は、H23・24年度で完了させたいとのことでした。
一部崩落している現場については、「今年度に行った調査を精査し、新年度以降、必要な対応を検討したい」ということでした。
一部崩落している現場の近くには、法面が崩落した時のためのセンサーが設置されていました。
厚東川工業用水道事務所では、昨年、北側の法面が大規模に崩落しました。周辺住民の方は、「西側法面も北側法面同様に大規模な崩落が起こるのではないか」と心配されています。
住民の方の不安が一日も早く払拭されるために、十分な法面保護工事が早急に行われるよう、今後とも、現地の動向を注視していきたいと思います。
皆さんの周りでの県政に関わる様々な要望をお聞かせ下さい。
厚東川工業用水道事務所西側の崖崩れの現場
事務所西側に置かれた崖崩れを察知するセンサー
「藤本一規さんを励ます会」に200人
何としても必勝を
藤本県議が参加者に公約訴える
二月十九日、宇部市総合福祉会館四階ホールで「藤本一規さんを励ますつどい」が行われ、満員の二百人が参加しました。呼びかけ人を代表して、藤本県議の地元の新谷西ヶ丘自治会長が、「会場あふれる盛況は親しみやすい藤本さんの人柄と抜群の活動のたまもの。絶大な応援が必要で、地元に帰ったら一票二票とぜひ広げてほしい」と挨拶しました。
水野県議団長は、「少人数学級や宇部市の児童相談所駐在の設置など、新年度予算には藤本さんが一貫して追求してきた県民要求が実っている。必ず県議会に押し上げてほしい」と述べました。
県議四期目に挑む藤本県議は、新議会でやりたい三つの抱負を強調。①小学校卒業まで医療費を無料に②私立高校の授業料無償化をさらに前進③県段階での住宅リフォーム助成制度を実現したいと訴えました。
私の励ます会で参加者に公約を訴える私
中央児童相談所宇部市駐在が4月スタート
新年度予算の概要が発表されました。県民要求が前進した主なものを報告します。
まず、、中央児童相談所宇部駐在が新設されることです。児童福祉司四名と安全確認職員一名を宇部総合庁舎内に四月から駐在されます。
次に、小中学校の35人学級化です。新年度小学校五年六年の三十五人学級化が導入され、小中学校の35人学級化が完全実施されます。
次に、県立学校の耐震化の促進です。学校耐震化のために、昨年度の総額の倍に当たる一〇〇億円が計上されています。
藤本県議が4日に一般質問で登壇
藤本県議の質問項目の概要は以下の通りです。傍聴希望者は、地区委員会(33-5577)までご連絡下さい。
1、新年度予算案と知事の政治姿勢
①公社問題 ②予算カット問題
③TPP問題④パワーハラスメント対策
2、国体問題について
①県体育協会会長としての責任 ②知事の責任
3、福祉に関わる諸問題について
①発達障がい児の相談支援体制 ②就労支援
4、住宅問題について
①県営住宅の継承問題②住宅の耐震化促進
5、安心安全の県土づくりについて
①子どもの通学路の安全確保対策 ②地すべり対策
一気
二井知事は、二月県議会冒頭の議案説明で、国体に関連して、「地元選手の活躍による総合優勝を目指していきたい」と述べました。▼私は、「あくまでも総合優勝を目指す」考えに疑問を持ちます。それは、開催県が総合優勝するという慣例が、国体に様々な歪みを生じさせていると思うからです。その上で、二月十七日に、昨年の千葉国体などに出場した山口県成年選手の参加資格に関して、日本体育協会が設置した第三者委員会が、選手三十五名に参加資格違反に該当するとした答申書を発表しました。二四日、日本体育協会国体委員会は、第三者委員会の答申通りの処分を決定しました。議案説明で、このことに二井知事は全く触れなかったことは疑問です▼又、答申書には、山口県体育協会を厳重注意にするとしました県体育協会会長は二井知事です。二井知事の責任は重大です。
本日、議長代理として、県立宇部西高校の卒業式に出席しました。
148名の卒業生が参列していました。残念ながら数十名の卒業生の就職が決まっていないとのこと。
政治に参画する一人として責任を痛感しました。
門出の春が迎えられないような社会を改善するよう今後とも力を尽くしたいと思いました。
宇部西高校は、農業系の高校として90年以上の歴史を経ています。
共に参加した県の農業関係の職員の方と話していますと、この高校から県農業大学校に進学する生徒は数人とのこと。
職員の方は、農業が若者の夢となるようにしたいと話しておられました。私も全く同感でした。
基幹産業である農業が復興することを今日、私は切望しました。
卒業式では、答辞のF君の話しに涙しました。
彼はバスケットボール部。担当の先生は、バスケの経験がありません。しかし、ある時、先生の机の上に、バスケの本が山積みされていたのを見たと言います。
彼は、部活をするのではなく、部活をさせてもらっていることを感じたと言います。
多くの方々の支えがあって、自分は大好きなバスケが出来たことに感謝していると話しました。
高校3年間で大きく成長した彼の姿を見て、教職員の方々のご努力に心から敬意を感じました。
彼の答辞に目頭が熱くなった私でした。
県議になって毎年、県立高校の卒業式に参加させていただいていますが、毎年、その時代性を感じると同時に、自ら初心に戻る気持ちを痛感しています。
本日、卒業式を迎えられた生徒の皆さんと保護者の方々にお祝い申し上げます。
卒業式を迎えられたご感想、ご意見をお聞かせ下さい。
本日、島田県議会議長に対して、山口県の特別支援学校を充実させる会(相本寛子代表)が山口県の特別支援学校を充実させる請願書を提出しました。
請願署名は、27219筆集められました。私は、紹介議員の一人として参加しました。
請願項目は以下の通りです。
①県内どこに住んでいても通えるよう、特別支援学校の新設を積極的に計画して下さい。
②特別支援学校の寄宿舎は、通学保障はもとより生活自立等を保障する場としても、希望者がだれでも利用できるようにしてください。
③希望するすべての子どもが通学バスを利用できるようにし、添乗員は原則として複数としてください。
④特別支援学校の教職員を大幅に増やして下さい。とりわけ深刻な人手不足となっている小・中学部できめ細かく丁寧な教育が受けられるようにしてください。
どれも心から賛成できる内容です。
私は、大学時代に、養護学校教諭(現在の特別支援学校教諭)の資格取得のため、当時の宇部養護学校で教育実習をした経験もあります。
大学のゼミは「障がい者問題」でした。私は、ライフワークとして、障がい児者の権利擁護のために尽くしたいと常々思っています。
今回、このような形で、特別支援学校を充実させる請願の紹介議員になれたことを幸せに感じます。
議員になってからも、当時の宇部養護学校の通学バスに実際に乗車した経験もあります。
議会でもその実態をもとに質問し、それがきっけで、宇部市営の通学バスがノンステップバスに切り替えられたこともありました。
障がいのある児童生徒を抱えた保護者の方にだけ、過大な負担をかける社会は平等な社会とは言えません。
この請願が採択され、県内の特別支援学校の環境が向上することを願います。
特別支援学校に関して皆さんのご意見をお聞かせください。
紹介議員として署名提出集会に参加する私(左)
落語「昭和の名人・完結編」2、古今亭志ん朝を聴いています。
題目の「猫の皿」は、人間の業が描かれストンと落ちへとつながります。
「猫の皿」は、20年以上前に編集されたCD「NHK落語名人選」、五代目古今亭志ん生で初めて聴きました。
志ん生の「猫の皿」は、茶屋の主人の飄々とした姿が実によく描き出されています。
志ん生落語の真骨頂でしょう。
志ん朝は、粋な江戸っ子、佐平治が主人公の「居残り佐平次」の方がぴったり来るようです。
店の者からの勘定を、言葉巧みにかわす場面は、志ん朝の真骨頂でしょう。
志ん朝は志ん生の息子です。志ん朝の弟子の志ん橋が志ん朝から「いいかい、親父の噺で覚えるなよ、間違うぞ。あれは親父だから通用するんだよ」と言われたそうです。
昭和の大名人を親に持った志ん朝の苦労の一端が窺えます。
しかし、独自の落語を確立し、志ん生世代の次代を代表する落語家として名を残すとは、並々ならない努力があってのことでしょう。
志ん朝は、昭和13年生まれ、平成13年に享年63歳で亡くなりますが、今生きていれば、志ん生とは違う、飄々とした上手い落語を演じたことでしょう。
枝雀もそうですが、名人は早く亡くなるものですね。ライブで聴けないから、CDやDVDで名人の演技が求められるのでしょう。
枝雀には枝雀の良さが、志ん朝には志ん朝の良さがあり、落語は面白いですね。
2月議会とその後の選挙は、昭和の名人の落語をマイカーで聴きながら乗り切ることといたしましょう。
ただ聴くだけではありません。喋る勉強にもなり一石二鳥です。
皆さんのご贔屓の落語家さんをお教えください。