NHKラジオ「すっぴん」のコーナー「春日太一の金曜映画劇場」で「ひとごろし」が紹介されていました。
大洲斉監督の映画「ひとごろし」をDVDで視聴し、山本周五郎の原作「ひとごろし」を読みました。
春日太一さんがこの映画を紹介する前のトークに聴き入りました。
春日さんは、小学校時代、教師によるいじめに会いました。
不登校になりかけた太一さん。お母さんが「逃げることも必要」と太一さんを転校させました。
新しい学校は春日さんにとって「パラダイスだった」と語ります。
このエピソード通りの映画「ひとごろし」でした。
1976年に公開された映画「ひとごろし」の主演・双子六兵衛を演じるのは、松田優作。
松田優作は、臆病者の六兵衛を好演しています。
福井藩随一の武芸指南である仁藤昂軒を演じるには、丹波哲郎。
丹波哲郎が血気盛んな剣豪役をこれまた好演しています。
ある日、昂軒が藩の有力者を殺してしまいます。
藩主は昂軒を「上意討ち」することを六兵衛に命じます。
六兵衛は藩きっての臆病者。武芸では勝てない六兵衛は心理戦で昂軒を追い詰めます。
どのような心理戦だったのかは、映画と原作で確認いただきたいと思います。
いよいよ追い込まれた昂軒は自ら腹を切るといいだし、後悔の言葉を吐きます。
「武芸というものは負けない修行だ、強い相手に勝ちぬくことだと、強く、強く、どんな相手をも打ち任すための修行であり、おれはそれをまなびほとんどその技を身につけた、(中略)けれどもこんどの事でおれは知った、強い者に勝つのが武芸者ではないということを」
「おれはこんどのことで初めて知ったのだが、強いということには限界があるし、強さというものにはそれを打ち砕く法が必ずある、おれに限らない、古来から兵法者、武芸者はみな強くなること、強い相手に打ち勝つことを目標にまなび、それが最高の修行だと信じている、しかしそれは間違いだ」
「強い者には勝つ法がある、名人上手とうわれる武芸者はみなそうだった、みやもとむさしなどという人物もそんなふうだったらしい、だが違う、強い者に勝つ法は必ずある、そういうくふうは幾らでもあるが、それは武芸の一面だけであって全部ではない、-それだけでは弱い者、臆病者に勝つことはできないんだ」
「どんな剣道の名人でもおまえのようなやりかたにかなう方、それを打ち砕くすべはないだろう、おれは諦めた、そうたくさんだ」
臆病者=庶民が、武芸者=権力者に勝つためにはどうしたらいいのか考えさせられる作品でした。
昂軒が言った「強いということには限界があるし、強さというものにはそれを打ち砕く法が必ずある」という言葉には今日的な意味があると思いました。
柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人招致に対し、中村愛媛県知事が反論する記者会見を開きました。
この記者会見は柳瀬氏の記憶を打ち砕くものです。
安倍政権の強さには限界がきている。
安倍政権の強さを打ち砕くものは、粘り強く真相を解明していく努力ではないかと思います。
今日、衆参予算委員会が開かれます。
安倍首相の記憶を打ち砕き、「森友・加計学園」への関与を解明していく質疑になることだと思います。
政治の主人公は私たち国民です。しっかり国会を監視していきましょう。
さて、山本周五郎はやっぱりいいですね。久しぶりに原作を読んで痛感しました。
私たち庶民の気持ちに寄り添い、庶民を励ます言葉が散りばめられた山本周五郎作品だと再認識しました。
あなたのお勧めの山本周五郎作品をお教え下さい。
アンチエイジング情報収集が趣味という私ではありますが、〇〇体操などが継続できていないではないかとお思いも方が多いと思います。
しかし、継続して取り組んでいるのが、毎朝のスロージョギングです。
私の手帳には、2013年3月21日にスロージョギングを始めたとあります。
丸5年継続し、6年目に突入したことになります。
スロージョギングは、福岡大学スポーツ科学部・田中宏暁教授が提唱したものです。
座右にある田中宏暁教授の「スロージョギング入門」に5大効果が書かれてあります。
5大効果とは次の点です。
①減量効果で体が軽くなる②基礎体力がアップする③生活習慣病を改善する④がんの予防に効果がある⑤脳が活性化して記憶力アップ
スロージョギングを始めた5年前と今は、体重が減ってはいませんが、現状維持できているのは、この運動の効果だと思っています。
しんぶん赤旗日刊紙に福岡大学スポーツ科学部の畑本陽一・古瀬裕次郎両先生による「始めようスロージョギング」という記事が掲載されています。
12日には、第二回が掲載されていました。
この中に、「これから始める方は、1日15分を目標に。距離は短くてもよいです。慣れてくれば30分に伸ばします。多忙で1日にまとめて30分も時間が取れない方は、例えば1回5分を6回行うなど、小分けしても大丈夫です。効果は同等か、むしろ近年では運動時間を分けて行う方が健康増進に有効である、という研究結果が散見されます。」とありました。
私が走るコースは2キロ程度です。ゆっくり走って10分から15分でしょうか。
毎朝1回しか走っていませんでしたが、昨日、夕方いつものコースを走ってみました。
今日は、今から仕事です。雨の予報ですが、今日も夕方走ろうかと思っています。
これからも、田中宏暁さんの本を座右に置いて毎日2キロコースを最低1回、できれば2回を目指して、スロージョギングを続けていきたいと思っています。
来年の選挙に向けて基礎体力を強化しながら頑張っていきたいと思っています。
皆さんの健康法をお教え下さい。
NHKラジオ「すっぴん」に音楽家の大友良英さんがゲストとして登場しました。
この中で、NHK土曜ドラマ「バカボンのパパよりバカなパパ」が6月から始まることを知りました。
大友さんは、このドラマの音楽を担当します。
早速、原作の赤塚りえ子著「バカボンのパパよりバカなパパ」を読み始めました。
赤塚りえ子さんは、赤塚不二夫さんの娘さんです。
私と同世代です。
文庫本の解説は大友良英さん。表題は「今の日本には赤塚不二夫が足りない!」です。
大友さんは、2011年4月、震災直後から故郷福島に入り「プロジェクトFUKUSHIMA」を立ち上げ活動を開始します。
大友さんは、この活動の中で「今の日本には赤塚不二夫が足りない!」と発言します。
この時の想いを大友さんは次のように書いています。
「震災から2か月、まだまだ余震は続いていたし、放射能の状況も本当のところがなかなか見えない。政府は隠そうとしているのは、福島は遺棄されてしまうのではという強い疑念の中、今思えば、まるで戦時下のような切羽詰まった状況下で、わたしは全身で怒っていました。人生でこんなに怒り狂ったことはないってくらい。でも誰に対して怒っているんだか全然わかりません。そんなエネルギーだけが空回りする中で、それでもなんとか、このもの言えない状況を打開していかなくては、自分たちで堂々と線量を測れるようにしなくてはと、パンクミュージシャンの遠藤ミチロウ、現代詩人の和合亮一ら多くの人たちと福島で立ち上げた、言ってみれば超真面目なプロジェクトの設立宣言の場で、なにか切実な思いとともに言ってしまったのが、この言葉だったんです。『笑いはエネルギーだ!』この意味、あの時期の福島にいて、震災を経験してはじめて実感として分かった言葉でした。とにかく生きるためには、なにかを食べて、ぐっすり寝て、でもって笑ってなくては。それがなければ立ち上がれない。そう思いました。そして次に気づいてのは、笑いこそ思想の原点なのではなかということでした。」
大友さんは、赤塚不二夫さんの思想についてこう書いています。
「大人になって、お父さんのギャグの根っこには、実は満州での過酷な戦時体験や、日本に戻ってからの貧困と差別体験があることを知りました。手塚治虫さんや、水木しげるさんの漫画に戦争体験や貧困体験があるのは、誰の目にもわかりますが、まるでそんなもんと関係がなさそうな赤塚不二夫漫画の背景にも、こうした強烈な体験があったことを知ったときは衝撃でした。『これでいいのだ』や『賛成の反対なのだ』は、実は強烈なラディカルなのだって思った記憶があります。思想が戦争や差別みたいなもんを生むのなら、そんなもんの香りのするものは徹底的に笑い飛ばしてやれ。意味を無化してやれ。笑いを説明するなんて野暮の骨頂だけど、でもそんなもんだったんじゃないかって・・・」
大友さんは更に書いています。
「笑いがなんで生きるエネルギーになるのかといえば、笑うってことは自分はどう生きるのかって宣言であり、笑わす、そるいは笑われるってのは他人とどう生きるのかってこととイコールなのだ・・・って、あの震災の福島で思ったんです。言葉でうまく説明はできないけど、とにかく『笑い』だって思った瞬間、目の前に現れたのが、りえ子さんのお父さんだったんです。」
6月からのドラマが楽しみです。
私の世代は、生まれてすぐに、兄や姉たちみんなが「シェー」をやってるのを呆然と見ていた世代です。
「西から登ったおひさまが東へ沈む それでいいのだ それでいいのだ 天才バカボン バカボンボン」
とアニメ「天才バカボン」小学校に上がる前後から見たのが私たち世代です。
赤塚不二夫さんは、昭和10年生まれ。まさに私たちの親世代です。
大友さんは、自らを「赤塚不二夫のDNAを埋め込まれた僕ら」と言い、りえ子さんとは「イボ兄弟」と書いています。
大友さんは、私より少し上ですが、世代でいえば、私たちも赤塚不二夫のDNAを埋め込まれた、りえ子さんとは「イボ兄弟」なのです。
ドラマ開始を楽しみにしながら、まずは、赤塚りえ子著「バカボンのパパよりバカなパパ」を読み進めたいと思います。
赤塚不二夫のDNAを埋め込まれた40~60代の皆さん。赤塚不二夫漫画の魅力をお教え下さい。
学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡り、柳瀬唯夫元首相秘書官は、昨日、衆参両院の予算委員会に参考人として出席しました。
この様子を今朝の毎日新聞の朝刊の「余録」は、G・オーウェルの小説「1984年」から引用して書いていました。
「『過去を支配できるかどうかは、なによりも記憶の訓練にかかっている』。これは政府が過去を改ざんして人民を支配する未来社会を描くG・オーウェルの小説『1984年』の世界の記憶管理お説明である。『記憶を現在の正しさに一致させるのは単なる機械的作業だ。しかしその出来事が望まれる形で起こったことを記憶するのもまた必要だ。記憶に手を加えたり修正する必要があれば、その修正の作業を行ったのも忘れねばならない』幸いそんな全体主義体制の世界制覇をみずに1984年は過ぎ去った。だが記憶を現在の都合に一致させたり、修正したりする訓練は、21世紀日本の政府機関でもますますさかんに行われているらしい。そう思わざるをえない昨今だ。」「こと役人の記憶操作では練達の手ぎわを見せる安倍政権だが、国民の記憶まで管理できぬのが『1984年』とは違いところだ。人を小ばかにしたような記憶のつじつまあわせはほどほどにした方がいい。」
G・オーウェルが「1984年」で描いた全体主義的近未来では、〈ビック・ブラザー〉率いる党が支配しています。
ビック・ブラザーの3つのスローガンは、「戦争は平和なり 自由は隷従なり 無知は力なり」です。
私は、市民の方から「野党は、加計・森友問題の追及はほどほどにしたほうがいい」という意見をお聞きすることもあります。
しかし、私は、安倍政権が国民を愚弄するのはほどおどにした方がいいと考えます。
過去が修正されようとしているという民主主義が危機的状況にある時に、解明を止めれば、「無知は力なり」になってしまいます。
昨日の柳瀬氏の証言で、疑惑は一層深まりました。
平和で自由な日本を実現していくために、疑惑の一層の解明が求められていると思います。
昨日の柳瀬氏の参考人としての発言をどうお感じになりましたか。
皆さんのご意見をお聞かせください。
私の趣味となったアンチエイジング情報取集。
この連休、韓国・プチョン市と宇部市の中学生交流事業の運営スタッフをしていました。
足りない備品があり、宿泊地近くのコンビニへ。
そこで目にしたのが「ゴリラ・スクワット」。
この体操は、様々なスクワットに動物の名前が付いており、覚えやすい。
これまで学んできた小池義孝さんの姿勢を良くする理論や荒木秀夫さんのくねくね体操も取り入れながら、この1週間、ゴリラスクワットに取り組んでいます。
この体操の後半に鷹をイメージした肩甲骨の可動域を広げる体操もあります。
この数ケ月。様々な運動に取り組んだおかげで、昨年苦しんできた肩回りのコリや痛みは最近ほとんど感じなくなりました。
しっかりスクワット体操をした日は、夜ぐっすり眠れるようです。
また、早朝のスロージョギングでの体の動きもいいようです。
ごくごく最近の私の悩みは、体重が2キロ程度高止まりしていることです。
摂取カロリーを少し減らすか、少し運動量を増やすかが必要です。
この本には、筋肉量の低下を防ぎ、基礎代謝を上げることが、重要だと書かれています。
「人の消費エネルギーの60%以上を占める基礎代謝を上げた方が、ただ生活をしているだけでエネルギーを消費」すると書かれてあります。
摂取カロリーに目を配り、適度な運動を継続させ、基礎代謝を上げるエクササイズを継続させることが大切なのですね。
移り気な私ですが、当面は、この「ゴリラ・スクワット」を続け、少し体重を落としながら快適な生活を続けたいと思っています。
移り気でも、基礎代謝を上げる何らかの体操を継続させることが必要なのでしょう。
皆さんが継続しているエクササイズをお教え下さい。
「教誨師」を読んで堀川惠子さんの取材力に感服し、他の作品「死刑の基準」「永山則夫」などを読んでいます。
「死刑の基準」の冒頭にある「『死刑』と『ヒロシマ』」に堀川さんの並々ならぬ決意を感じました。
この辺りを「永山則夫」の文庫の解説で弁護士の木谷明さんが次のように書いています。
「著者は、広島で生まれ育ち、大学卒業後、民放に勤め司法記者などを担当したが、その当時、司法は遠い損7財であったという。ところが、その後、いわゆる光市母子殺人事件(当時18歳の少年が、23歳の母親と11か月のいたいけな幼児を殺害した事件。以下『光市事件』)の裁判経過などが、著者の心を揺り動かすことになる。この事件について、最初、広島高裁は、第一審の無期懲役判決を支持して検察官の控訴を棄却した。ところが、検察の上告を受けた最高裁は、これを破棄して広島高裁に差し戻したのである。そして、差し戻された広島高裁は、被告人である(元)少年に死刑を言い渡したが、著者は、この死刑判決がいいわ渡された際、高裁前に集まった被害者の遺族を支援する者の間から『拍手と歓声があがった』ことに戦慄を覚える。広島では、原爆の投下により、その年だけで15万人もの人命が失われた。その甚大な犠牲の上に命の重みを知ったはずの宿命的な町(ヒロシマ)で、一人の(元)少年の生命を抹殺する権力の決定(判決)に対し、拍手と歓声があがるのは一体なぜか。これを機に、著者は、死刑問題に正面から向き合うため、重い腰を上げる。著者の中で、『何の理由も脈絡もなく、しかし確かに一瞬にして、(死刑)と(ヒロシマ)が繋がった』のだという。」
堀川さんは、「死刑の基準」の中でこう書いています。
「何かが狂ってきている。一体、何がこうさせるのだろうか。行く先の見えない社会の漠然とした不安や不満が、誰かを攻撃することでガス抜きをされているのかもしてないと思ったりもした。」
木谷弁護士は、「永山則夫」の解説の最後にこう書いています。
「いずれにしても、死刑問題に重大な一石を投じた本書の文庫化は、この問題に関する国民一般の関心を格段を高めるものと期待される。時あたかも、日弁連(日本弁護士連合会)が2016年10月に開かれた福井大会で死刑制度廃止の狼煙を上げた直後でもあり、タイミングとしては絶妙である。」
日弁連は、2016年10月7日、第59回人権擁護大会において「死刑廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択した後、2017年12月19日、日本弁護士連合会中本和洋会長は「死刑執行に強く抗議し、改めて死刑執行を停止し、2020年までに死刑制度の廃止を目指すべきであることを求める会長声明」を発出しています。
会長声明は、次のように指摘しています。
「2016年12月末日現在、法律上死刑を廃止している国は104ヵ国、通常犯罪について死刑を廃止している国は7ヵ国、事実上死刑を廃止している国(10年以上死刑が執行されていない国含む。)は30か国であり、法律上及び事実上の死刑廃止国は合計141ヵ国に上り、政界の国々の3分の2以上を占めている。このように国際社会においては死刑廃止に向かう潮流が主流であり、死刑制度を残し、現実的に死刑を執行している国は、世界の中では少数に留まっている。国連の自由権規約委員会(1993年、1998年、2008年、2014年)、拷問禁止委員会(2007年、2013年)及び人権理事会(2008年、2012年)は、死刑の執行を繰り返している日本に対し、死刑執行を停止し、死刑廃止を前向きに検討するべきであるとの勧告を出し続けている。」
私は、堀川惠子さんの著作から日本の死刑制度の今後について真剣に考えいきたいと思います。
皆さんは日本の死刑制度についてどのようにお考えですか。