5月1日、しんぶん赤旗日刊紙は、日本共産党の井上哲士議員が、トイレの男女比の改善を求める質問を行ったと、次のように報じました。
「日本共産党の井上哲士議員は4月15日、参院内閣委員会で、女性トイレでの長蛇の列に言及し、待ち時間の平等が必要だとして、政府がトイレの男女割合の目安となる明確な考え方を示して全国に広げるよう求めました。三原じゅん子男女共同参画相は『女性のほうが長い利用時間を必要とする事実や利用実態を適切に反映するなど、できる限り待ち時間の男女の均衡化が図られるよう自治体に周知していく』と答えました。政府は昨年12月、能登半島地震の教訓をふまえ避難所の運営指針を改訂した中で、これまで参考とされていた『スフィア基準』を満たすべき基準として、女性用と男性用トイレの輪入りは3対1を確保するよう明記しました。河合宏一内閣府官房審議官は『スフィア基準は人道支援の国債基準を示すもので、被災者が尊厳ある生活を営めるよう』にするために明記したと答弁。井上氏は、避難所で満たすべき基準は日常では当然に必要となるとして、公共施設などの新改築の機会やイベントの際にトイレの男女比を改善するyとう、国の取り組みの強化を求めました。」
内閣府が、昨年12月に改訂した「避難生活における良好な生活環境の確保に向けた取組指針」には、「トイレの確保・管理」の(5)として、「スフィア基準に沿って、発災後初期段階では50人に1基、中期段階では20人に1基とし、女性用と男性用の割合が3:1となるように想定避難者数に応じて対応すること。」とされてました。
今年3月18日、第4回山口県地震・津波防災対策検討委員会が開催され、避難所運営検討部会の設置が確認されました。検討部会では、①「避難所運営マニュアル策定のための基本指針」の見直し②「地域住民による自主的な避難所運営ガイドライン」の見直し③「広域避難調整マニュアル」の策定が行われることが明らかにされています。
今年の春頃に第一回検討部会が開催されるなどのスケジュール(案)も示されています。
上記の避難所各種計画が見直しや策定が行われる際に、内閣府の取組指針が参考にされることは明らかだと思います。
山口県の各種避難所の計画に、内閣府が示した、トイレのスフィア基準=女性用と男性用の割合が3:1という内容が包含されることを強く望みます。
更に、新年度に、県有施設便所改修工事が、5億3800万円の予算で、449基の和式トイレが洋式に変更されます。これら改修の中で、女子トイレを増やす検討も行うべきではないかと考えます。
以上の点を担当部局に照会したいと思います。
トイレの男女比の問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。
10日、しんぶん赤旗日刊紙は、沖縄県議会が、全会一致で、米兵女性暴行事件の抗議意見書を可決したと、次のように報じました。
「在沖米海兵隊員が3月に米軍基地内で日本人女性への性的暴行を加えたうえ、止めに入った別の女性にもけが負わせたとして、不同意性交などの容疑で起訴された事件を巡り、沖縄県議会は9日、臨時本会議を開き、日米両政府へ厳重に抗議する意見書と決議を全会一致で可決しました。意見書と決議は、昨年7月にも県議会が米兵による少女暴行事件(2023年12月)に抗議する意見書などを全会一致で可決したばかりだと言及。それにもかかわらず、再発防止に向け米側が打ち出した取り組みはいまだに不十分だとして、1月にも別の米兵による性的暴行が発生するなど、類似の事件が繰り返されていると批判しています。その上で▽米軍関係者への人権教育を再点検する▽被害者へのケア、謝罪、補償を日米両政府の責任で講じ、その取り組み状況を県民に明らかにするーことなどを強く求めています。同時に、米軍を特権的に扱う日米地位協定について、主権国家としての日本の立場を踏まえ、抜本的な海底を要求。特に、公務外の事件で日本側が原則として容疑者の身柄を起訴前に拘束できないとしている地位協定の身柄引き渡し条項については、日本側が身柄を速やかに確保できるよう早急な海底を迫っています。」
沖縄県議会で可決した意見書は以下の通りです。
・・・
在沖米海兵隊員による性的暴行事件に関する意見書
令和7年3月、米軍基地内で成人女性に性的暴行を加え、さらに別の女性にけがを負わせたとして、4月7日に沖縄県警は在沖米海兵隊員を不同意性交と傷害の疑いで書類送検し、那覇地方検察庁は同月30日付で起訴した。
また、同年1月には別の米兵による性的暴行事件が発生していたことも、併せて明らかとなった。
本県議会は、事件・事故が発生するたびに綱紀粛正、再発防止策及び関係者への教育等を徹底するよう強く申し入れてきており、昨年7月には未成年者に対する同様の事件に対して全会一致で意見書等を可決し、厳重に抗議した上で早急な取組を求めたばかりである。しかしながら、日米両政府が着実な実施を図るとしたフォーラムの開催が遅れるなど、再発防止に係る様々な取組はいまだ不十分で、真摯な対応がなされているとは言い難い。
今回の事案をはじめ類似の事件が繰り返されており、女性の人権と尊厳、安心・安全な職場環境が脅かされている現状は、一刻も早く抜本的な改善を行う必要がある。そのためには、沖縄に駐留する軍人等のみならず訓練等で短期間居住する軍人等への人権教育を再度見直し、徹底するとともに、新たなフォーラムにおける問題解決に向けた協議など、具体的かつ実効性のある対策を県民の目に見える形で早急に実施することが強く求められる。
よって、本県議会は、県民の生命・財産を守る立場から、今回の事件に対し、厳重に抗議するとともに、以下の事項を強く要請する。
記
1 米軍関係者(長期駐留者・短期滞在者を含む)に対する人権教育を再点検し、効果的かつ継続的に実施すること。
2 米軍基地内外で起きる事件・事故の再発防止に係る具体的かつ実効性のある対策を実施すること。
3 在日米軍司令官が発表した新たなフォーラムについては、定期的に開催し、事件の公表の在り方、被害の未然防止及び再発防止に資する実効性のある協議を行い、公表すること。
4 被害者へのケア、謝罪及び補償を日米両政府が責任を持って講ずるとともに、その取組状況を県民に明らかにすること。
5 米軍構成員等を特権的に扱う日米地位協定については、主権国家としての立場を踏まえ、抜本的な改定を行うこと。特に、刑事事件に関する身柄引渡条項については、公務外の事件において日本側が容疑者の身柄を速やかに確保できるよう、早急に改定すること。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
令和7年5月9日
沖 縄 県 議 会
内 閣 総 理 大 臣
外 務 大 臣
防 衛 大 臣
内 閣 官 房 長 官
(沖縄基地負担軽減担当)
内 閣府特命担当大臣
(沖縄及び北方対策)
以上に宛て
・・・
更に、沖縄県議会は、同趣旨の内容を抗議決議として、駐日米国大使、在日米軍司令官、在日米軍沖縄地域調整官、第3海兵遠征軍司令官、在沖米国総領事に宛て送付しました。
5月8日、しんぶん赤旗日刊紙は、「2013~20米会計年度(12年10月~20年9月)の8年間に在日米軍で申告された性的暴行の件数が2070件に達することが、米国防総省が米国内外の基地ごとにまとめた統計報告書で明らかになりました。そのうち、約46%にあたる949件が在沖縄米軍で報告されています。」と報じました。基地ごとに見れば、横須賀基地が404件、嘉手納基地が227件、岩国基地が201件で、岩国基地が三番目に多い基地になっています。
軍種ごとでは海兵隊886件、海軍663件、空軍419件、陸軍102件で、海兵隊での発生率がきわめて高くなっています。
沖縄県議会で意見書が全会一致で可決されたことに学び、岩国基地でも性的暴行が頻発している中、山口県議会でも同様の意見書を採択すべきだと感じます。
新しい議会の正副議長が昨日選出されました。新しい議会で、是非、沖縄県同様の意見書を採択すべきだと思います。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
3月30日、信濃毎日新聞は、工藤真一論説委員の「考 ともに」で「長生炭鉱の遺骨」と題して、次の記事を掲載しました。
「瀬戸内海の周防灘に面する山口県宇部市の床波海岸。地元の人が『ピーヤ』と呼ぶコンクリートの太い円筒が2本、海面から突き出ている。かつて海底にあった長生炭鉱の排気・排水筒だ。太平洋戦争の開戦からおよそ2カ月を経た1942年2月3日、落盤による水没事故『水非常』が起きた。犠牲となった183人の大半、136人が朝鮮半島からの労働者だった。事故直後に坑口はふさがれ、80年余が過ぎる今も、遺骨は海底に埋まったままだ。先週末、現地でフィールドワークに同行した。遺骨の発掘に取り組む『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』の共同代表、井上洋子さん(74)が、九州や東京からの参加者に熱を込めて語る。『(見えない遺骨)は調査しないと政府が言うなら、私たちの手で、見えるようにする。骨の一片でも見つけて、政府を動かしたい』戦時下、日本が植民地支配した朝鮮半島から多くの労働者が国内各地の炭鉱や軍事施設の工事に動員された。日本と韓国は2004年の首脳会談を機に、日本政府が遺骨の返還に協力することを確認したが、調査したのは寺などにある『見える遺骨』だけだ。長生炭鉱では何もしていない。井上さんは天龍村で生まれ育った。戦時中、地元の平岡ダムの工事で朝鮮の人たちが過酷な労働を強いられたことを知ったのは、上京した大学時代。『朝鮮人強制連行の記録』(朴慶植著、1965年)を読み、衝撃を受けた。名古屋方面の軍需工場へ電力を送るため、国策として建設された水力発電用ダムだ。長野県内では松代大本営などに次いで多くの朝鮮人が動員された。本には『遺骨を風雨にさらしたままの平岡発電所工事場』と書かれていた。子どものころ遊んだあの山に骨があったかもしれないと、ずっと心に引っかかった。結婚して山口に住み、長生炭鉱の遺骨の発掘に取り組む今も、井上さんを駆り立てる力になっている。坑道が浅い危険な海底炭鉱として日本人の労働者から恐れられた長生炭鉱は、朝鮮人労働者が特に多かった。前年から漏水が起きていたが、安全を軽視したことが水非常につながる。その根に、植民地支配の差別と暴力があった。戦後長く事故は忘れ去られてきた。刻む会の発足は91年。犠牲者の名簿を頼りに韓国の遺族に手紙を送って関係を築き、20年余を費やして、追悼碑を海沿いの土地に建立する。朝鮮人と日本人の犠牲者全てをそこに刻んだ。遺骨の発掘を目標に掲げてはこなかったが、碑の除幕に立ち会った韓国の遺族の言葉に接し、方針を転じる。『遺骨を持ち帰るまで私たちは諦めない』。遺族の何よりの願いは遺骨の返還だった。政府はしかし、発掘調査の求めを突っぱね続けた。遺骨がどこにあるか特定できず、水没した坑道での調査は安全上の懸念があるとして『困難だ』と繰り返す。押し問答を重ねる間にも、遺族はさらに高齢になっていく。『政府が動くのを待っていては間に合わなくなる』。刻む会は昨年、自分たちで坑口を開けることを宣言した。クラウドファンディングで掘削の資金を集め、草やぶの地下5メートルに埋まっていた坑口を9月に掘り出す。水中探検家の伊左地佳孝さんが自ら協力を申し出て、潜水調査も試みた。水が濁り、崩れた構造物に阻まれて、事故現場の近くまでたどりつけていないが、あと一歩のところまで来ている。4月1日から4日間、再び潜水調査をする。韓国のダイバーも加わり、坑口とピーヤからも潜るという。政府が『できない』と決めてかかったことを、市民の力でここまで実際にやってきた。その熱意と行動は確実に政府を追い詰めている。国の戦争政策によって危険な労働現場に駆り立てられ、亡くなった人たちの遺骨を発掘し、返還するのは本来、政府が果たすべき責務だ。在日朝鮮・韓国人への差別はなお社会に根深く残り、排撃する言動がやまない。日本の植民地支配が朝鮮半島の人々の苦悩を強いた歴史に目を向けることは、この社会のあり方に向き合うことでもある。刻む会の取組は、そのことをこそ問うている。」
私は、4月にドイツのデュッセルドルフにあるナチス犠牲者を追悼する施設を訪ねました。自治体が、ナチスで犠牲になった人々の歴史を後世に残し、追悼する施設を運営しているということは、政府にその姿勢が鮮明である証左だと感じました。
一方、日本に目を転じると、記事にある通り「日本の植民地支配が朝鮮半島の人々に苦難を敷いた歴史に目を向け」ていないように感じます。
政府は、長生炭鉱の歴史に向き合い、遺骨収集に責任を果たしていただきたいと思います。
宇部市も山口県も政府にそのことを求め、自らの責任をどう発揮するかも考え実行していただきたいと思います。
私は、「刻む会」の運営委員の一人として県議会議員として、遺骨が遺族に返還できるよう、引き続き、力を尽くしたいと考えています。
長生炭鉱に対する皆さんの声をお聞かせください。
教育に関する問題について報告します。
一つは、教員の修学旅行引率旅費の改善についてです。
先日、高教組の役員の方から、修学旅行引率旅費について改善があったとのお話をお聞きしました。
高校教育課が今年3月31日に各県立学校に示した事務連絡によると、修学旅行引率旅費に係る特別旅費の上限額の見直しが行われたということです。
高等学校は、現行8万9050円が、今年度から11万6680円に。
特別支援学校の高等部は、現行7万5750円が、今年度から9万2880円に。
特別支援学校の中等部は、現行4万480円が、今年度から5万3260円に。
特別支援学校の小学部は、現行2万7520円が、今年度から3万8580円になるということです。
県教委の担当者に確認をしたところ、2月県議会で、一般職の職員等の旅費に関する条例等の一部を改正する条例が可決されたことを受けて、修学旅行の引率旅費が改善されたとのことでした。
私は、義務制の先生方からも修学旅行の旅費が足りないとの意見を聞いたことがあります。
修学旅行の引率旅費がかの改正によって、問題が解決したのかどうか、関係者の皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。
次は、県立熊毛北高校のトイレについてです。
日本共産党の渡辺君枝周南市議が、熊毛北高校のトイレを視察し、「使用禁止になっている所などが多い。改善を県教委に求めてほしい。」という声が私に寄せられました。
私が、県教委に熊毛北高校のトイレの改善を求めたところ「県教委として、現地を視察した。現在、改善内容を検討している。」との回答を受けました。引き続き、動向を注視したいと思います。
県立学校のトイレについて改善の要望があれば藤本までお寄せください。
先日の沖縄出張した際、普天間基地に隣接した場所にある佐喜眞美術館を訪ね、「でいご娘」の歌と、元NHKディレクターの仲松昌次さんのお話をお聞きしました。
今日までに、「『艦砲ぬ喰ぇー残さー物語』『でいご娘』と父・比嘉恒敏が歩んだ沖縄」を読みました。
沖縄の戦後を代表する沖縄民謡に「艦砲ぬ喰ぇー残さー」があります。歌詞・作曲したのが比嘉請恒敏さん。恒敏さんの子どもたち4姉妹で結成されたのが「でいご娘」。私が沖縄でお聞きしたのは、三女の千津子さんと四女の慶子さんのデュエットでした。
恒敏さんと子どもたちが生まれ育った読谷村のユウバンタに「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑が建立されました。この歌碑にはこう書かれています。
「1945年(昭和20年)4月1日、アメリカ軍は比謝川河口を中心として南北10キロ余の海岸から上陸してきました。それは、明らかに北飛行場(読谷)と中飛行場(嘉手納)攻略を目指したものでした。アメリカ軍は1400~1500隻の艦船と183,000人の兵員で上陸を行い、ほとんど無抵抗のうちに上陸し、その日のうちに2つの飛行場は占領されてしまいました。アメリカ軍は海、空、陸から地形が変わるほど激しい艦砲射撃を行い、この戦闘が『鉄の暴風』と呼ばれ、緑豊かな島は焦土と化した。戦後68年が経過し沖縄戦の実相が時間の経過と共に風化していくことが危惧されている今日、改めて歴史の過ちを繰り返さないため沖縄戦体験の継承が課題となっている。『艦砲ぬ喰ぇー残さー』は1971年頃(故)比嘉恒敏氏が作詞・作曲した沖縄民謡で1975年、恒敏氏の四人娘、民謡グループ『でいご娘』がレコーディングして県内で大ヒットした。歌詞の中には、戦中、戦後の沖縄戦体験者の思いが綴られていて艦砲射撃によって犠牲になった人々への哀悼と共に、悲惨な沖縄戦を生き残った(うちなーんちゅ)の戦争を恨み平和を願う心情が綴られ『恨でぃん悔でぃん 飽きじゃらん 子孫末代 遺言さな』と結ばれている。悲惨な沖縄戦の実相を伝える象徴として、この地から全世界へ戦争の悲惨さと平和の尊さを発信するため『艦砲ぬ喰ぇー残さー』の歌碑を建立する。2013年6月23日」
恒敏さんは、戦争中は、大阪に出稼ぎに出ていました。当時、彼は、光子さんと結婚して次男と一緒に生活していました。長男は、沖縄の父母に託していました。
恒敏さんの父、母、長男が、対馬丸の事故で亡くなり、妻と次男は、大阪空襲で亡くなりました。
恒敏さんは、天涯孤独となり、沖縄で再婚したシゲさんとの間に生まれたのが、「でいご娘」の4女と間に3男の7名の子どもたちです。
恒敏さんは、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」が大ヒットする直前の1973年、交通事故で、妻のシゲさんとともに亡くなってしまいました。享年、恒敏さん56歳、シゲさん48歳でした。
三女の千津子さんの夫である朝比呂志さんが、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の訳詞をしています。
4番と5番を紹介します。
・・・
平和の世を迎え何年たっただろうか
子らも成長していくと
射ち損ばいの猪が
我が子案じるごとく
(苦い)潮の水は二度との想いで
夜っぴ眠れぬ日もあり・・・
我が親喰らったあの戦
我が島喰らったあの艦砲
生まれ変わったとて忘れるものか
誰があのざまを始めた
恨んで悔やんでまだ足りない
子孫末代遺言しよう
・・・
戦後80年、沖縄戦後80年、「誰があのざまを始めた」のか、「子孫末代遺言しよう」この言葉をかみしめます。
還暦を迎えた私たちの親世代が最後の戦争経験者です。その方々が80代後半から90代になっています。
子孫である私たちの世代が「平和の世を」継承していかなければなりません。
再び戦争の悲劇を繰り返さないためには、誰があの戦争を始めたのかを学ばなければならない。
このことを恒敏さんは、子孫の代の私たちに伝えてくれているのだと思います。
辺野古への新基地建設と南西諸島に自衛隊のミサイル基地建設が強行される沖縄を視察しました。
沖縄で、戦争を始める準備が進んでいることを実感しました。戦争を実際に始めてはいけない決意を恒敏さんの歌詞から学び深めました。
この本の作者である仲松さんには実際にお会いしてサインをいただきました。
仲松さん、これからも沖縄戦の歴史を未来につなぐ本を書き続けてください。
仲松さん、またお会いいたしましょう。素晴らしい本をありがとうございました。
さて、このブログを書いている最中、沖縄のひめゆり学徒隊の歴史を偽造する自民党議員の発言が、問題になり、ようやく議員側が発言を撤回しました。
沖縄に向き合うという自民党は、恣意的にしか沖縄に向き合おうとしてないと感じます。
私は、これからも沖縄と向き合い、山口県や日本全体の問題を考え続けていきたいと思います。
沖縄戦の歴史と沖縄の今について、皆さんのご意見をお聞かせください。