本日、日本共産党県委員会(山本丈夫委員長)と日本共産党山口県議会議員団(水野純次団長)は、島田明議長と二井関成知事に、「防衛大臣就任祝賀会」の主催者を辞退するよう求める申し入れを行ないました。この申し入れは、知事、議長、市長会長、市議会議長会長、町村会長、町議会議長会会長、自民党支部連合会長が連名で主催者となり、林参議院議員の防衛大臣就任を祝う会を8月30日に行おうとすることに伴うものです。申し入れ書は、「米軍再編に伴う空母艦載機部隊の岩国移転を強行する責任者である防衛大臣の就任を祝賀することは、県知事選挙の結果でも明らかなように、依然として反対世論が強い県東部地域の住民感情を逆なでする行為」「国務大臣の就任を祝賀する行事に、(知事や議長が)主催者に名を連ね、議会事務局や秘書課の職員が準備をする行為は、県民感情からも、憲法・地方公務員法からも許されない行為」として、知事と議長は、祝賀会の主催者を辞退するよう求めました。
島田議長あての申し入れには、木村県議会事務局長が対応しました。申し入れに対し、木村事務局長は、「申し入れの主旨は、議長に伝える」「当日は、公務で議会事務局の職員が数名対応する予定だ」と答えました。
議員団は、「2月県議会の藤本議員の質問の答弁で、『その都度、他の団体や関係政党と協議してまいりたい』との県の姿勢が明らかにされたのに、議会としての意思を確認する協議が行われないまま、議長が主催者に名を連ねるのは問題だ」「少なくとも共産党県議団の3名は主催者になることに反対をしている。よって、議会の意思は一致していない」と議長が主催者を辞退するよう強く求めました。
木村事務局長は、「申し入れの内容を議長に伝え、その結果を報告する」と答えました。
二井知事あての申し入れには、岡田総合政策部長が対応しました。岡田部長は、「申し入れの主旨は、知事に伝える」「県内出身国会議員が、大臣に就任する場合は、これまでも祝意を表すために、地方6団体と一緒に、祝賀会を主催してきた。2月県議会で答弁したとおり、今回の林参議院議員の大臣就任祝賀会を開催するかどうか他団体と協議をした。その結果、開催することで一致した」「当日は、公務で、県職員が数名対応する予定だ」と答えました。
県議団は、「大臣就任祝賀会に、中国地方の他県が全て主催者になっていないことをどのように検討したのか」「特定の政党や特定の内閣を支持する目的で、職員が仕事をしてはいけないと地方公務員法に定められている。法律違反は明確」と質問を重ねました。これに、岡田部長は、「中国地方の状況も勘案した結果、祝賀会開催を決めた」「地方6団体が一緒に祝賀会を開催するものであり、法律違反にはあたらないと考えている」と答えました。
県議団は、更に、「当日、公務での職員派遣は、他県の状況や法律の観点から、行うべきではない」と重ねて質問しました。これに岡田部長は、「申し入れの内容は、知事に伝え、協議する」と答えました。
今回の申し入れでの県の対応は、山口県の固くなさを鮮明にするものでした。その固くなさとは、古い自民党の体質を守ろうとするものに他なりません。
祝賀会は、党主催にして、知事と議長が個人で堂々と参加すればいいのです。県や議会や地方団体を巻き込むことはいかなる党であっても許されません。
日本共産党の申し入れを受ける木村事務局長
日本共産党の申し入れを受ける岡田事務局長
日本共産党山口県委員会互助会で、20日、21日、大分県・熊本県を周遊しました。20日は、日田の簗場→九重の大吊り橋→菊池渓谷→山鹿温泉。21日は、八千代座など山鹿市内の散策→大山の木の花ガルテン→小石原焼→山口。というルートでした。
私が感動したのは、一日目の大吊り橋。二日目の木の花ガルデンでした。共通するのは、小さくても輝く地域づくりをすすめている点でした。
大吊り橋は、年間200万人以上が訪れるという九州の一大観光スポットになりました。大分県は、平成の大合併で、47あった町村が、わずか4になりまいたが、大吊り橋のある九重町は、「自律の町」を目指して合併していません。
互助会のしおりに、04年11月議会の九重町の坂本町長の所信表明文がありました。「私たちの町は合併しても地獄、しなくても地獄、同じ地獄なら合併しないで地獄を選ぼうと単独を決めたわけでございます。」(中略)「私たちの九重町は、半世紀の歴史の中で住民自治がはぐくんできた歴史がございます。消防団しかり、地域婦人会しかり、青年団しかり、県下でも一世を風靡したことは記憶に新しいところでございまして、いわば住民自身による自治の精神が養われてきている、それが他の町にはない潜在力と言ってもいいんではなかろうかと思っております。」
地方自治を進めるため九重町は、自律の道を選びました。大吊り橋を渡りながら、町長の当時の決意を噛みしめました。
今日の昼に立ち寄ったのが、木の花ガルテンです。これは、大山町農協直営のアンテナショップです。農家のもてなし料理のバイキングには70種類以上が並び、遠出の客が多く行列が出来る程です。
実際に食してみて、これなら必ずリピーターが来ることを確信する味と品数でした。木の花ガルテンは、日田や福岡にもアンテナショップを出すなどの盛況ぶりです。店を経営する大山農協は、農協合併を行わず単独の組合を維持しています。「田舎に暮らしていても都会のような文化的生活を享受できるようになれば」と昔から梅作りなどに取り組んできました。これは、大分県の一村一品運動の草分けになりました。合言葉は「ウメクリつくってハワイに行こう」だったそうです。
市町村合併には組みしたが、農協合併には組みしない「自律の道」を選んだ大山農協の生き方に感動しました。
新自由主義経済の元、グローバル化、効率第一主義が闊歩している昨今ですが、私たち住民に、豊かさや自立できる道は展望できません。
むしろその道から外れてしまった方に、一人ひとりの住民が輝ける展望があったという皮肉を私たちは今一度、立ち止まって、しっかり認識する必要があると思いました。
菊池渓谷は自然がくれた天然のクーラー
八千代座に至る山鹿の町並みは情緒一杯
18日、中国新聞は、「米空母艦載機移転に必要な米軍住宅について、岩国市が国から、米海兵隊岩国基地での民間空港再開を進める見返りに、同市の愛宕山地域開発事業跡地での建設了承を打診されていた」「市の内部資料で分かった」と報道しました。明らかになった資料は、15日に行われた「愛宕山地域開発等に係る市長協議と15日にあった市、県、県住宅供給公社の事務レベル協議の各報告書で、市都市計画課が作成したものとあります。
この報道を見たときに、正直「やっぱりか」という気持ちと同時に怒りが込み上げてきました。
この報道を受けて、昨日、山口県平和委員会が、県に協議内容の公表を申し入れました。対応した小松岩国基地沖合移設対策室次長は、「愛宕山開発事業の赤字解消に向け国に買取りを要請している跡地の4分の3について、現時点で国から回答はなく、米軍住宅という具体的な跡地利用を特定した打診もない」と説明したと山口新聞に報道されています。
県内に、県公社が保有する塩漬け土地は、きらら浜や宇部新都市など多数残されています。これらの土地を一刻も早く処分すべきことは当然です。しかし、県公社が保有する土地を県民の福祉を後退させることが目的の場合には売却してはなりません。きらら浜や宇部新都市の土地を早く売却するために、「用途を拡大しなさい」と私は過去の議会で質問したことはありますが、県公社が保有する土地ですから、売却先が無制限であってはならないのは当然です。
話を住宅供給公社が保有する愛宕山に戻します。赤字をこれ以上膨らませてはならない、早期に売却しなければならないことは当然です。しかし、急げば、急ぐほど、米軍住宅に転用されるリスクは高まります。売却だけを目的にすれば、事を誤ります。周辺住民は、米軍住宅には、反対なのです。県は、愛宕山の処分については、米軍住宅以外の目的で転用することを鮮明にすべきです。
そして、意思形成過程の情報であろうと、内部資料の存在が明らかになったものは、県議会を通じて県民に公表するのが県の責務です。問題の文書は市が作成したものだから公表できないというのなら、その会議に参加した県としての報告書を県議会に公表すべきです。
今朝の赤旗日刊紙の「朝の風」に藤沢周平の未刊行エッセイ集の話題が掲載されていました。藤沢周平ファンを自称する私としては、いてもたっても居られません。書店に直行して購入しました。
「朝の風」では、この本の中の「雪のある風景」という項目が触れられています。「朝の風」には、藤沢周平さんが生涯の中で、唯一政治家の応援演説をした。のが、元共産党山形県議の小竹輝也氏だったと書かれてあります。「藤沢氏と小竹氏は、旧山形師範学校時代の同窓、帰省の折には四時間の車中をしばしば共にした。」とあります。
原作の「雪のある風景」では、並々ならない藤沢さんの決意が書かれています。「私は鶴岡に帰ったらO氏の方から電話があるかも知れない、と思い、話をしろと言われたらやるしかないと思っていた。」とあります。
藤沢氏は、なぜ、O氏=小竹さんの応援演説を行ったのか理由も書かれています。「O氏は、人間の政治に対するナイーブな願望を政治のうえに生かそうと懸命であるだけでなく、彼自身政治とはそうしたものでありたいと願っていると私には見える。それは、権謀術数の中で、多くの政治家が失ってしまった、政治に対する初心のことである。政治家を志したとき、彼が抱いたであろうその初心は、いまも変わることなく、営々と彼を人のためにつくさせるのである。彼がやるように、誰かが出来るかと問いたい。」と藤沢氏は書いています。
藤沢氏は政治に対するナイーブな願望とは、「人間が人間らしいゆとりを持って生きられる時代がくるという期待」と書いています。
私は、小竹さんの後輩の日本共産党の地方議員として、藤沢氏が小竹氏に行った評価に私自身合致出来るように今後とも努力していきたいと思いました。
午後まであると思っていた党の会議が午前中で終わり、急遽、我が家の小学生3人と、県立博物館の「ロボット展」に行ってきました。親は、両方ともど文系なのですが、どの子も理科が大好きなようで、このような企画にはとても興味を示します。
今回のロボット展の中で圧巻は、「セグウェイ」の試乗でしょう。2輪にハンドルが付いたゼグウェイの姿は、テレビなどでご承知でしょう。対象は、小学校2年生以上で、1年生の3男は試乗できませんでしたが、長男・次男・そして私も試乗しました。これは、乗った人にしか分からない感覚でしょうが、とにかく快適でした。自分の意思がスムーズに車輪に伝わり、すべるように移動できる道具です。アメリカでは、ゴルフ場などで普及しているようですが、これは、近い将来、世界に大きく広がるのではないかと思いました。
そして、ステージの企画も大変興味をそそられるものでした。宇部高専の学生が作成したロボットバンドの演奏に続き、2時から行われた歩行ロボットの実演。3時半から行われたロゴ社のロボットの実演に子どもたちは興味津々でした。ロゴ社のロボットの実演では、我が家の子どもたち全員が直接参加しました。プログラミングした通りにロボットが動くことに子どもたちは感動していました。
県立博物館に企画には、昨年の昭和展から参加しています。来年の夏の企画展にも期待大です。
22日には、長男が宇部市少年少女発明クラブに加入している関係で、山口県少年少女発明クラブ交流会に次男も一緒に参加する予定です。その中では、「はこアニメ」の製作などが出来るようです。24日には、防府市青少年科学館(ソラール)の夏休み特別企画「おもしろサイエンス」に行ってこようと思います。その中で、ロボット工作教室に参加しようと思っています。
どの子も科学には興味を持っています。その興味を引き出す企画を子どもたちは待っているのだと思います。
簡単な練習を終え、セグウェイの試乗を始める次男
プログラミングしたロボットを動かす子どもたち
今日は、今から私の故郷、吉部地区の地区別ソフトボール大会に参加してきます。8時から開会式で、今日もハードな一日になりそうです。
さて、今日、夕方に妻と子どもたちが帰ってきます。明日から、我が家に平常が戻ります。ラジオ体操に、学童に、保育園に習い事に宿題にと賑やかになります。
盆の間は、三谷幸喜脚本・監督の映画をDVDで観ました。「ラヂオの時間」「みんなのいえ」「THE有頂天ホテル」は、脚本・監督映画です。観終わった爽快感は共通しています。私は、自分で、自分の家を建てた経験が重なり、「みんなのいえ」はとても面白く観ました。
もう少し時間があったので、三幸喜さんが脚本を担当し、星護さんが監督した「笑いの大学」を丁度、終戦記念日の8月15日に観ました。テーマが深いし、笑わせるし、泣けるし、最高でした。時代は、戦争に向かう昭和初期。検閲する役人と検閲を受ける喜劇の脚本家とのやりとりを描いたものです。検閲官は「お国のため」という言葉を入れろと注文を付けます。それを喜劇の脚本家は、「芸者さんのお国のために」としたり、お国をお肉にして「お肉のために」と脚色します。役人は当然「不謹慎」とやり直しを求めます。そのやり取りがとてもナンセンス。しかし、やりとりがよりナンセンスな程、時代背景の深刻さが際立ちます。
脚本のやり直しが繰り返される中で、検閲官と脚本家に何やら友情が芽生えます。最後に、脚本家に「赤紙」が届きます。「お国のため」と書けと強要していた検閲官が、脚本家に、「生きて帰って来い」と涙を流すのです。「生きて好きな脚本を書け」と言うのです。このラストが泣かせます。
当時の時代背景からすれば、「生きて帰ってこい」と言う検閲官はいなかったかも知れませんが、ここでも、冷酷な検閲官さえも、戦争に向かう時代に疑問を持っていたと思わざるを得ないという三谷幸喜さんの脚本に強いメッセージを感じました。
63回目の終戦記念日に「笑いの大学」を観る事が出来てとてもよかったと思います。「笑いの大学」は、戦争の深刻さを伝えるとてもいい映画です。ぜひ多くの人に観ていただきたい映画です。
他の三作品は当然ですが、「笑いの大学」もプロデューサーは、私の同級生「重岡由美子」さんでした。