昨日、太極拳教室からの帰り道、車のラジオから「ケ・サラ」が流れてきました。
NHKラジオの「亀淵昭信のいくつになってもロケンロール」という番組からでした。
南米音楽の特集でしたので、歌った歌手は南米の方でしたが、彼のオリジナルではないということでした。
うたごえ喫茶「のび」さんのブログを見ると、原曲の作詞・作曲は、Jフォンタナさんなどとなっていました。
世界中で歌われた歌だということが分かりました。私より上の年代の方はどこかで聞かれたことがある歌だと思います。
私は、大学1年の冬以来「ケ・サラ」を聞くと体が熱くなります。「ケ・サラ」は私のソウルミュージックなのです。
それは、1985年2月17日に日本福祉大学が行った「犀川事故遭難者合同大学葬」でこの曲を皆で歌ったからです。
この事故は、体育の授業として取り組まれたスキーツアーのバス1台が長野県の犀川に転落して、22人の学生が亡くなったというものでした。
ツアーのバスは3台ありました。最後のバスが転落したのですが、私は、2台目のバスに乗っていました。
私の人生にターニングポイントがあったとすれば、この時抜きに考えられません。
「ケ・サラ」の日本語訳も複数あるようです。これも、うたごえ喫茶「のび」さんのブログによれば、私たちが歌っていたのは、「にしむらよしあき」さんの歌詞でした。
私の手元に「全国セツルメント連合会第41回大会歌集」があります。この歌集の「ケ・サラ」を見ると2番の歌詞が、うたごえ喫茶「のび」さんのものとは違いました。
私たちは、「泣きはらした夜 迎える朝のまぶしさ そんなことのくりかえしだけど 決して負けはしないさ」と歌っていました。
このフレーズを聞くと、私の体は、1985年2月17日の大学葬にタイムスリップするのです。
「ケ・サラ」の中で私にとって生きる糧となっているフレーズがあります。
それは、「僕たちの人生は、平和と自由求めて生きてゆけばいいのさ」です。
「ケ・サラ」を聴けば、22名の同級生の死を思い出します。そして、このフレーズが心を熱くするのです。
そして、心の中のもやもやが吹っ飛びます。やはり、「ケサラ」は私にとっても「ソウルソング」です。
今日、夕方から日本共産党創立87周年記念講演のCS放送を視聴しました。
志位委員長は、あるジャーナリストから言われた言葉だとして「日本共産党は、国民の『SOS』を受けとめる政党だ」と最後に述べました。
私は、この言葉を聞いて心が熱くなりました。
今日も県民からの多くの「SOS」に対応しました。明日もそのために力を尽くそうと決意を新たにしました。
そして、志位さんの言葉を聞きながら、昨日聞いた「ケ・サラ」を思い出し、二重に心が熱くなりました。
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私がよく歌っていたほうのは
シャンソン歌手の寺井一通さんの歌っていた歌詞でして・・。
でも、てっちゃん(きたがわてつ)の歌う歌詞もきらいではなかった。
by おりがみ — 2009年9月23日 22:07 PM
このバス事故は記憶にありました。
事故の一週間前に姪っ子が生まれています。
そのコの名前の字を
犠牲になられた女子学生さんから一字とったと言うようなことを
20年以上立って思い出しています。
そういう時の流れの中に生きてきたんですね・・。
by おりがみ — 2009年9月29日 12:37 PM
誠に勝手ですが、セツル歌集が欲しいです・・・。学生時代の思い出・セツルの資料も無くなってしまいました。全セツ連大会では語り合い、歌い、、、若かったなあ。山口さんもやっていたのですね。福島県郡山市より。
by 山田耕大 — 2010年8月3日 6:18 AM