読売新聞の「戦後70年あの夏」という特集記事に私の敬愛する作家の一人である五木寛之さんが登場しました。
五木さんは、朝鮮半島の平壌で終戦を迎えます。
母が終戦の年の9月に亡くなり、父も茫然自失状態。長男だった五木さんが大黒柱として家族を支えます。
五木さんは、引き揚げまでの詳細を「エッセーでちょっとふれたぐらい」と述べます。
「『善き者は逝く』。だから、僕は、帰って来た自分を『悪人』だと思っている。」と語ります。
五木さんは、最後に語ります。
「子どもの頃から戦意高揚の歌に熱狂し、『神州不滅』を信じていたように、戦前・戦中の教育などで、お上の言い分に盲従する習慣にどっぷりつかっていた。それが『情報難民』を生みました。戦前も戦争も一日にして成らず、それが昭和ヒトケタ派の実感です。」
「いつの時代も情報は隠されるものです。だからこそ自分たちが隠されたものを探り当てる熱気がないと、生きていけない。戦争の教訓はそれにつきます。」
今、戦争法案をめぐって、「平和と安全を守る法律だ」「憲法に合致している」「後方支援だから安全だ」などの情報が政府から流されています。その中で、とりわけ若者が「お上の言い分に盲従しない」と自分たちの頭で事実を確かめ、「戦争法案反対」に立ち上がっています。
今を戦前にしないために、戦後70年の今年、五木さんの言葉を国民みんなで噛みしめようではありませんか。
最近、五木さんの本を読み直しています。今は、「蓮如」を再読しています。
五木さんの言葉が、心に沁みる夏です。
みなさんはいかがお考えでしょうか。
厚木基地の周辺住民6900人余りが国に対し、米軍機・自衛隊機の夜間早朝の飛行差し止めと爆音被害の損害を求めた第四次厚木基地爆音訴訟の控訴審は7月30日、一審の横浜地裁に続き、自衛隊機の夜間・早朝の飛行を差し止める判決を出しました。
斎藤裁判長は、爆音による睡眠妨害が健康被害に直接結びつき得ると指摘。米海兵隊第五空母航空団が岩国基地に移駐(2017年ごろ)するまでは、高度の蓋然性をもってこれまでと同様の騒音被害が継続すると認定し、16年末までの期間、自衛隊機の午後10時~午前6時の飛行差し止めを認めました。損害賠償についても、過去の被害だけでなく、16年末までの将来の被害分12億円を含む94億円の支払いを命じました。
一方、毎日新聞のインタビューに対して岩国爆音訴訟原告団の津田団長は「判決は岩国基地への米空母艦載機移転を念頭にしている。ショックだ」「米軍機こそ騒音の発生源。厚木の分が来ることで岩国の騒音被害は更にひどくなる」と述べました。
山口県は、「普天間基地移設の見通しが立たないうちに、空母艦載機の移駐のみを切り離して進めることは認められない」とのスタンツを堅持しています。また、山口県は、夜間離着陸訓練の岩国基地での実施を認めていません。
今度の判決を政府は、空母艦載機部隊の岩国移駐を促進する理由にしないよう強く求めるものです。
厚木の住民の苦しみを岩国に押し付けることは認められません。
政府は、山口県や岩国市、とりわけ周辺住民の声に耳を傾け、空母艦載機部隊の岩国移駐の再検討を米政府と協議すべきです。
今度の判決は、自衛隊機の夜間飛行禁止を判断したことは前進面です。
米軍機について被害が大きいことを認めながら飛行差し止めを却下したことは、この判決の不十分な点だと指摘しなければなりません。
厚木でも岩国でも米軍基地周辺住民が争っている爆音訴訟裁判で、自衛隊機とともに米軍機の非行さhしとめに言及する判決を強く望みます。
厚木基地での自衛隊機の夜間飛行を禁止とする判決を東京高裁が下しました。
みなさんのご意見をお聞かせ下さい。
一昨日に照会した京都大学の教員でつくる「自由と平和のための京大有志の会」が発表した安全保障関連法案(戦争法案)に反対する声明を埼玉県在住の山岡信幸さんが子供向けに訳されたものが、話題になっています。
以下、子ども向けの訳「わたしの『やめて』」を紹介します。
・・・
わたしの『やめて』
くにと くにの けんかを せんそうと いいます
せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません
せんどうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎろ こころも ひきさきます
わたしの こころは わたしのもの
だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの
だれかの どうぐに なりたくない
うみが ひろいのは いとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない
げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい
がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない
じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ
だから
せんそうをはじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ
じゆうと へいわの ための きょうだい ゆうしの かい
・・・
子ども向け訳は、一層、私の胸に戦争法の廃案を誓わせます。
私の10代の4人の子どもを戦場に送らないために
私の子どもに通じる子ども達を戦場に送らないために
この夏、戦争法案を国会で成立させていいのかみんなで考えましょう。
昨日、時田宇部市議と一緒に宇部県土木建築事務所を訪ね、担当者から今年度の真締川の浚渫箇所をお聞きしました。
今年度は、土田橋から真締川上流の固定堰までの間を約450万円の予算で行うということです。
今年度、浚渫工事が行われる土田橋上流地点
真締川は、河床が堆積土でかなり高くなっており、近隣の住民から浚渫をしてほしいという要望が出されています。
私も再三、宇部土木建築事務所に要望を伝え、ここ数年は、毎年のように浚渫工事が行われています。
今後とも皆さんの身近な要望を関係機関に届けていきたいと思いますので、皆さんの要望を藤本にお寄せ下さい。
なお、京都大学有志の声明文の子ども向け訳は明日掲載したいと思います。
違憲の戦争法案を廃案にするために、学生と学者・教職員の共同が広がっています。
しんぶん赤旗の調査(7月20日現在)で、教職員有志で戦争法案に反対する声明を出した大学は18です。
私の母校、日本福祉大学や、地元の山口大学も戦争法案反対の声明を出しています。
中でも「京都大学有志の会」の声明文が大きな話題を生んでいます。
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「自由と平和のための京都大学有志の会」の声明文
戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に冨をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。
精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰からの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。
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この声明文に感銘した埼玉県在住の山岡信幸さんが、こども向けの訳「わたしの『やめて』」を作成し、今話題になっています。
明日は、子ども向けの訳を紹介したいと思います。
京都大学有志の会の声明文に対する感想をお聞かせ下さい。
梅原猛さんが、中学生に授業した内容を書籍にした「梅原猛の授業 仏教」を読みました。
生きる指針ともなる良書でした。
学ぶことの多い本著でしたが、いくつかの点について紹介したいと思います。
第一は、教育勅語についての梅原さんの認識です。
「教育勅語には終身教育の原理が盛り込まれていますが、これを見ると、そのなかに仏教の思想はほとんどありません。ずーっと長いあいだ日本人の心を養ってきた仏教がなくなった。そこにあるのは、儒教を変形した忠君愛国の思想です。それに神道の思想がちょとだけ加わっている。けれども教育勅語の本当の思想は儒教でも神道でもなく、実は西欧から取り入れた十九世紀の国家主義思想で、それを儒教と神道で少し色をつけたにすぎないのです。」
教育勅語の復活を叫ぶ声が多く聞かれますが、その方々にも知ってほしい視点です。
第二は、マルクスについての梅原さんの認識です。
「マルクスの資本主義批判は、私は当たっているところがあると思う。いまアメリカはマルクスの批判したような国になろうとしている。そういうときに今度の事件が起った。(同時多発テロ事件)事件の標的は世界貿易センタービル、まさに資本主義の中心です。それと国防省、これはアメリカの権力の象徴です。その二つが崩れた。これは私は、テロの計画者がねらった以上の効果があったと思いますね。」
現代の社会を考える上でマルクスの思想が欠かせないことを梅原さんが指摘しています。
第三は、多神論に対する梅原さんの認識です。
「多神論は正義より寛容の徳を大切にします。いま世界で求められるべき徳は正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳であると思います。この寛容の徳、慈悲の徳が仏教ではよく説かれています。私は今度の事件(同時多発テロ事件)で、前より以上に仏教が好きになりました。」
梅原さんが指摘する「正義より寛容」の思想が、日本の政治に今、強く求められていると思います。
これからも梅原さんの書籍を少しづつ勉強していこうと思います。
梅原猛さんの書籍の中でお勧めの本があったらお教え下さい。