昨日、宇部市人権教育課が主催する「人権を考えるつどい」に参加しました。
講師は、ことの葉クローバー代表・松本久美子さん。演題は「福ことば・毒ことば・置きことば~言葉は心の食材~」でした。
福ことばとは、人にエネルギーを与えることば。毒ことばとは、人を傷つけることば。
置き言葉とは、心許に置くことば。
相手は、今は受け止めてくれないかも知れないが、相手に伝えたい言葉を残しておく言葉だと受け止めました。
思春期の子どもを抱えている親として「置き言葉」の意味がよく分かりました。
上手く会話が繋がらないけれども、相手への想いを伝えておくことは大切だと思いました。
伝わらないから感情的になり、結論を押し付けるのではなく、そっと、自分の想いを込めた言葉を置いておくことは必要だと思いました。
次男は、大学に合格し、今は、ある検定試験1級合格に向けて頑張っています。
早速、昨夜「よく頑張っているね。」と言葉を置いておきました。
三男が所属するサッカー部が、全国高校サッカー選手権大会山口県予選のベスト4に残っています。
これから準決勝戦に望みます。
早速、昨夜「よく頑張っているね。」と言葉を置いておきました。
中学校の長女は、バスケットに夢中。私が帰るとウトウトしていました。
「早く寝なさい。風邪をひくよ」と言葉を置いておきました。
松本さんは、「心は言葉で出来ている」と話します。
私は、おしゃべりが過ぎて反省することもありますが、これからも「ことば」を意識して、心を磨いていきたいと思います。
松本さん、素晴らしい話をありがとうございました。
吉野源三郎原作の「君たちはどう生きるか」は、大学生の時に出会い、読みました。
この度、羽賀翔一さん作画で漫画「君たちはどう生きるか」が出版され、20万部の大ヒットとなっています。
書店で購入し読んでいます。
中学生の「コペル」君と叔父さんとの往復書簡の部分は、本文がそのまま掲載されています。
叔父さんから「コペル」君と名付られる部分や豆腐屋の浦川君とコペル君の交流部分など漫画だからこそ強く伝わり、この作品のすばらしさを再認識させられました。
「コペル」君への叔父さんの手紙は、50代の私が読んでも「どう生きるか」を問い直してくれました。
「世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う。だから、コペル君、くりかえしていうけれど、君自身が心から感じたことや、しみじみと心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。それを忘れないようにして、その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。」
「貧しい境遇に育ち、小学校を終えただけで、あとはただからだをからだを働かせて生きてきたという人たちには、大人になっても、君だけの知識をもっていない人が多い。」「こういう点からだけ見てゆけば、君は、自分の方があの人々より上等な人間だと考えるのも無理はない。しかし、見方を変えて見ると、あの人々こそ、この世の中を、がっしりとその肩にかついでいる人たちなんだ。君なんかとは比べものにならない立派な人たちなんだ。」「考えてみたまえ。世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物でないものはないじゃあないか。」
漫画「君たちはどう生きるか」を読んで、本作の「君たちはどう生きるか」をじっくりこの秋読みたいと思いました。
宮崎駿監督が映画「君たちはどう生きるか」の制作に入ることを発表したことも嬉しいニュースです。
しばらく「君たちはどう生きるか」から目が離せません。
この作品が発表されて80年経過しますが、「格差と貧困」は未解決のままです。
今だからこそ、「君たちはどう生きるか」なんだと思います。
次男は、来春から大学生。関西に旅立ちます。造形を勉強する次男に、漫画「君たちはどう生きるか」を送りたいと思っています。
「君たちはどう生きるか」の感想をお教え下さい。
昨日から、12日投票で、阿武町議選が始まりました。
日本共産党は、よねつ高明さんを立てて、阿武町で初めての議席獲得をめざします。
昨日の「よねつ高明出発式」には、大平よしのぶ前衆議院議員と地元奈古出身の中原ひとみ広島市議らが激励のあいさつを行いました。
よねつ候補は、「介護保険料・利用料の負担を軽くし、国民健康保険料を一人1万円引き下げます。買物や通院・通学に便利な公共交通の実現にがんばります。すべての議会で一般質問をおこない、議会や町政の様子を「町づくり新聞・あぶ」でお知らせします。」などの公約を力強く訴えました。
阿武町議候補 よねつ高明さんが出発式で訴える
私も、町内各所で街頭宣伝を行いました。
阿武町議選で日本共産党のよねつ高明候補へのご支援を心からお願いいたします。
小泉純一郎さんのお話を聴く会主催の「元内閣総理大臣 小泉純一郎氏講演会」が昨日、周南市文化会館大ホールで行われました。
全県から1700名を超える参加者が会場を埋め尽くしました。
宇部市・山陽小野田市から、バス2台、約100名の方が参加しました。私も直行バスで参加しました。
小泉氏は、「原発推進論の『安全で、安くて、CO2を排出しない』という大義名分は、福島原発事故で崩れた」と語ります。
小泉氏は、原発事故後、イギリスBBCが作成したドキュメンタリーを観て、核廃棄物を処理するのに10万年かかることに衝撃を受けたと話ます。
そして、世界で唯一の核廃棄物の処理施設=フィンランドのエンカロを訪ねます。
岩盤の島に地下400メートルの道を付けその下の空間に核廃棄物を貯蔵します。
その上、処理できる廃棄物は、約原発2基分でしかありません。
小泉氏は、「日本だったら、400メートルも掘れば、水や温泉が湧いてしまうだろう。日本で、核廃棄物処理施設を建設することは無理だと感じた。」と語ります。
小泉氏は、「産業廃棄物ならば、処分場がない事業所の許可を知事は出さない。政府は、処理施設のない、原発の建設をなぜ許可するのか」と質しました。
小泉氏は、日本の原発の安全基準は世界で一番厳しいというが、「アメリカの基準には、避難計画や自爆テロへの対策などが盛り込まれている。日本の原発の安全基準が世界で一番厳しいというのはうそだ。」と述べました。
小泉氏は、「現在、原発の依存度は数%。停電することもなかった。原発に使われている予算を自然エネルギーに転換すれば、30年で、自然エネルギーの依存度を30%にすることは可能だ。」と語り、「原発ゼロの日本は実現できる。多くの国民が脱原発を求めており、政府が原発ゼロを決めれば、与野党で合意は可能だ。」と述べました。
小泉氏は論語の「過ちは改むるに憚ることなかれ」を引いて、「総理時代は、原発推進だったが、福島事故後、議員も引退し、勉強する中で、『原発は安全じゃない。金まみれの、金食い虫の産業だ。クリーンエネルギーなんてとんでもない、環境汚染産業だ。』というのが分かってきた。今は、原発ゼロの道しかないと考える。」と訴えました。
小泉氏の原発ゼロの日本をとの主張は大いに励まされました。
やはり、上関原発の建設はすべきではないと感じました。
原発問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
引き続き、丹羽宇一郎著「戦争の大問題」について紹介したいと思います。
第2章「戦争勃発の真実 なぜ戦争は起きるのか」はとても教訓的でした。
丹羽さんは、この章の冒頭で「戦争の究極の目的は領土を守ることでも、いわんや愛国心を満足させることでもない。守るべきは、国民が安全かつ健全に暮らせる環境である。」と提起しています。
昭和16年の8月、陸海軍および各省、それに民間から選ばれた30代の若手エリートたちが日本の兵力、経済力、国際関係など、あらゆる観点から日米戦を分析しました。その結論は次のようなものでした。
「開戦初期には勝利が見込まれるものの、長期戦になることは必至であり、日本の国力では、資源不足と生産力不足によって戦力の低下は避けられない。戦局が決定的に悪化すれば、最終局面で必ずソ連は参戦し日本は敗れる」
丹羽さんは、この結論について「ほぼ実際の日米戦をトレースする精度の高いものだった。」と書いています。
しかし、時の政府は、「いくさというものは、計画どおりにいかない」と公言し戦争に突入します。
丹羽さんは、「いまの日本の政治・経済界は80年前より賢くなっているのか。たとえば『どんな国を目指すのか』『原発の決定と責任は、はっきりしているのか』『不合理な体制は、いまも政治、大企業やメディアを含め続いていないか』と、胸に手をあて考えながら振り返ってみよう。」と書いています。
1941年10月、陸軍軍務局長から内閣書記官長を通じ、陸軍軍務局長に対し、海軍から日本戦を欲しないと表明してくれという申し出があったことが書かれてあります。しかし、海軍幹部は「海軍はアメリカを仮想敵国として予算をいただいてきた。アメリカと戦わないとは言えません」と答えたと書かれてあります。
丹羽さんは、「対米非戦論を主張できない官僚的事情があったのだ。ご都合主義の結果、300万人を大きく超える犠牲者を生むことになる戦争へと突入していったのである。」と指摘しています。
その上で、「現代の日本人も、外国との対立には敏感だ。今日の『尖閣』を見れば、その傾向は変わっていないことはよくわかる。国民の投票によって選ばれる政治家が、国民の支持を何より重視し、国民感情に迎合する姿勢をとることも戦前と変わりない。戦前の日本政府がそうであったように、現在の日本でも中国(あるいは韓国、北朝鮮)に対し、強気な発言をする議員のほうが支持を得やすく、国際情勢、国際政治のわかっている政治家の多くが『沈黙の罠』に陥り、発言を抑制しているように見える。」と書いています。
日本共産党の志位和夫委員長は、11月2日、北朝鮮との対話をトランプ米大統領に提起するよう安倍首相に要請しました。
11月3日の読売新聞は、北朝鮮問題に関連し、国際社会が北朝鮮との対話と圧力のどちらを重視すべきかと聞いた世論調査の結果について、「対話重視」が48%で「圧力」の41%を上回ったと報じました。
圧力を強調する自民党が今度の選挙議席を大きく占めましたが、国民は北朝鮮問題「対話の重視」を求めています。
今日、日米首脳会議が行われますが、戦前・戦中の歴史を振り返り、国民の安全な生活を守るため、絶対に戦争を起こさない努力の発揮を日米両政府には強く求めたいと思います。
北朝鮮問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。
引き続き、「戦争の大問題」から学んでいきたいと思います。
選挙中、ゆっくり読めなかった本を今、じっくり読んでいます。
その中の一つが、丹羽宇一郎さんの「戦争の大問題」です。
丹羽さんは、この本の「はじめに」でこう書いています。
「戦争を知って、なお戦争も辞さずと主張するのなら、私とは相容れない意見ではあるが、それも一つの意見として聴こう。しかし、戦争を知らずに戦争して他国を懲らしめよという意見はまったく尊重に値しない」と書いています。
その上で、丹羽さんは、戦前戦中の日本政府について「国民の生命と財産を守るべき政府としての役割を果たさず、冷静に考えればあり得ない判断、あり得ない政策を実行している。」と述べて、「国を無謀な戦争へ突入させた国の経営者が、やめどきを見極められず徒に被害を大きくさせる。現代に日本であっても、こうしたとんでもないリスクは消滅していないのだ。ひとりの元経営者の最後の言葉として、心に刻んでいただければ幸いだ」と書いています。
戦争法を成立させ、今、北朝鮮に対して圧力ばかりを強めようとする安倍首相には、この本を読んでいただきたいと思います。
これまで、読んだ中で、特に印象に残ったのは「相手を見下す危険」の章です。
「差別や蔑視が戦争を引き起こす直接の要因になることはない。しかし、戦争に向かって背中を押す力、戦争を拡大させる要因にはなる。」「相手を下にみる、人として見ないという精神は、ただ差別というだけにとどまらない大きな危険をはらんでいる。人は同じ種である人を殺すことは本能的に強い抵抗がある。しかし、相手を人として下等に見る、人間扱いしないほど侮蔑することで殺人に対する抵抗感が薄くなるという。同胞相手には到底できないような残虐な行為、略奪、放火という犯罪行為でも、人ではないと見下している相手には強い抵抗なくできるようになる。ある国民を差別、侮蔑することは、戦争という殺し合いに対する安全装置を外すことにつながるのである。」
丹羽さんは、「グローバル化、ダイバーシティと言っていながら、中国や韓国のことはお互いの違いを認めず感情的な決め付けで臨むのでは、到底、国際社会でもやっていけないだろう。」と日本の方向性を厳しく批判しています。
私は、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の役員として韓国の遺族の方々との交流を続けています。
2013年に会が定めた追悼文は「私たちは、このような悲劇を生んだ日本の歴史を反省し、再び他民族を踏みつけにするような暴虐な権力の出現を許さないために、力の限り尽くすことを誓い、ここに犠牲者の名を刻みます。」と最後に書いています。
トランプ米大統領が訪日しますが、相手を見下し、圧力を強め、突発的な衝突は絶対に避けるべきだとこの本を読んで痛感しました。
さて、この本は、多くの戦争体験者の言葉が引用されています。
戦争の真実を探る努力がされています。引き続き、「戦争の大問題」を学びます。