議員日誌

祖父50回忌。父3回忌。

 昨日、祖父一人の50回忌と父善昭の3回忌の法事を実家で行いました。おつとめをしていただいた僧侶の方のお話によると、父の50回忌に出られる子どもは少ないということでした。父が短命か自分が長寿かでないと出席が叶わないということでした。私の祖父=父の父は、60歳で亡くなりました。我が家では、6人の父の兄弟の内、3人(父の姉と父の妹と弟)が父の50回忌に出席することができました。ということは出席率は高いと言えるのでしょうか。私が父の50回忌に出席しようとすると90歳まで長生きしなければなりません。その困難さがよく分かります。

 私の祖父一人は、昭和の合併前の吉部村役場の職員でした。楠町に合併される前は、吉部村の助役でした。合併後は、楠町吉部支所の初代支所長を務めました。退職後、吉部農協の組合長をしていた時、職場で倒れ、その数時間後に亡くなりました。

 先日、祖父一人の一番下の妹が90歳で亡くなりました。その葬儀で、父の従兄弟になる喪主が親族代表のあいさつをしました。その中で、「残された遺族は、家に与えられた役割を果たしたい。」と話しました。私は、自分の家に与えられた役割は何かと考えました。

 父は、小学校の教員生活の後、吉部公民館長を務め、楠町議会議員を務めました。

 祖父と父の経歴を受け継ぐ、我が家としては、「人のために尽くせ」が先祖が残してくれた我が家の役割ではないかと思い、その事を法事に参列された親族への挨拶として私は話ました。

 会食の場で、叔父や叔母たちが、「藤本の家は、人の世話を焼くのが仕事」と口々に言ってくれました。

 家訓とまではいきませんが、私は、そのような星の下に生まれたのだと痛感します。これからも誠実に、人の世話を焼かせていただきたいと思います。そして、我が家の子どもたちにも、人に誠実に接するように躾けたいと思います。

ベルヌ作品にフジモトは登場するのか

 ベネチア映画祭に出品されていた「崖の上のポニョ」はおしくも受賞は逃したようですが、映画そのものは大好評のようです。先日、ある小学生が「ポニョ ポニョ ポニョ 不思議な子」と歌っていたので、「君、映画観に行ったの?」と聞くと、「いや行ってないよ。」と言うので「おじさんは行ったよ。」と言うと不思議そうな顔で私を見つめていました。ポニョの歌も大ヒットのようです。

 さて、7月20日のブログで、「崖の上のポニョ」にポニョの父親「フジモト」が登場することを書きました。このブログを読んで、中島さんから「ベルヌの作品に本当にフジモトが登場するんですかね。」という問い合わせが来ました。

 映画のパンフレットによると、「フジモトは、ジュール・ブェルヌのSF小説『海底二万リーグ』に登場する潜水艦、ノーチラス号の唯一のアジア人。」となっています。私もベルヌの作品にフジモトが登場するのかどうか気になって、一冊ポプラ社版「海底二万マイル」を買い読みました。この本には、フジモトは登場しないようです。しかし、翻訳者の南本史さんの解説に「この本は、原書で600ページもある作品ですので、かぎられた枚数の都合で、おおはばに作品のかおりをそこなわないていどに省略してあります。」とありました。

 ベルヌの作品を全て通してみると「フジモト」は登場するのでしょうか。

 アジアの少年は登場するが、それからは、宮崎監督の想像なのでしょうか。そうなると「フジモト」も宮崎監督が命名したのでしょうか。

 中島さんの疑問は、私の疑問でもあります。ベルヌと宮崎作品に詳しい方、私たちの疑問を解いてください。

 

 

鶴彬生誕100年

 来年は、反戦の川柳作家鶴彬生誕100年です。今、全国で鶴彬を顕彰する取組みが行われています。

 鶴彬は、「第7連隊赤化事件」で大阪衛戍監獄に投獄されました。あれから75年、この大阪衛戍監獄跡地に鶴彬の句碑を建立しようと、鶴彬顕彰碑建立実行委員会は、募金活動を行ってきました。約1250人が賛同し、520万円の募金が集まりました。そして、今月14日に、句碑の除幕式と記念川柳大会が行われます。私のカンパも句碑の一部になりました。

 ドキュメンタリー映画「鶴彬」が来年3月公開予定で神山征二郎監督の手によって製作されています。神山作品は、「白い手」「月光の夏」「三たびの海峡」「草の乱」などを観ました。今年は、「ラストゲーム最後の早慶戦」が上映中です。この巨匠がついに「鶴彬」を手がけます。ドキュメンタリー映画「鶴彬」製作・普及を成功させる会では、映画製作のための募金を行っています。私のところにも先日、募金の振込用紙が届きました。わずかですが協力しようと思います。

 今、小林多喜二「蟹工船」が空前のブームです。そして、鶴彬にもこのように光が当たろうとしています。それは、多くの人々が歴史があの時代に逆戻りしているのではないかと危惧しているからだと思います。だからこそ、あの時代を知り、歴史を繰り返すまいと、多くの人の英知が、小林多喜二や鶴彬に光を当てているのだと思います。

 鶴の作品の中で私は、「暁を抱いて闇にゐる蕾」という句が一番好きです。「手と足をもいだ丸太にしてかえし」の時代に明日を信じて生きた鶴の願いの結晶が「暁」の句だと思います。

 「暁」の句を詠むと元気になります。

 ドキュメンタリー映画「鶴彬」が完成したら山口県で上映会をやりましょう。その時は、皆さんもご協力ください。

雨宮講演会まであと2週間

 9月20日、宇部市シルバーふれあいセンターで雨宮処凛講演会を午後2時から行います。山口県で雨宮さんの講演は初めてだと思います。今日は、雨宮さんは、「蟹工船」ブームの立役者だと言うことをお伝えしたいと思います。

 今年5月の産経新聞に「小林多喜二『蟹工船』突然のブーム ワーキングプアの連帯感」という記事が掲載されました。「蟹工船」の新潮社版は、例年5000部売れていたのが、今年はすでに30万部以上の売れ行きと言われています。

 産経新聞のコラムでは、ブームのきっかけになったのは、毎日新聞に今年1月に掲載された高橋源一郎さんと雨宮処凛さんの対談だったと書いています。雨宮さんが、「蟹工船を読んで、今のフリーターと状況が似ていると思いました」と発言。高橋さんが「偶然ですが、僕が教えている大学のゼミでも最近読みました。そして意外なことに、学生の感想は『よく分かる』だった」と答えています。

 さらに、雨宮さんはマガジン9条というブログで、「『蟹工船』を読み打ちのめされた。」「『蟹工船』の時代に逆戻りしていることをひしひし感じた。」と書いています。

 雨宮さんは、例えば、蟹工船の時代では、集団で貧しい人々が蟹工船に乗り働かされる。そこには「斡旋屋」が絡み、蟹工船に乗る時点で既に借金を抱えている。「労働者が北オホーツクの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役にはどうでもいい事だ」と小林多喜二も書いていると紹介しています。

 一方、現代の青年はどうか。「斡旋屋」ではなく、人材派遣会社は北海道や東北、沖縄などに多くの事業所を抱えている。そこで集められた労働者は、「月収30万円可能」と言われながら、給料から寮代や光熱費などが取られていくらも手元には残らない。人材派遣会社は、悪質な「斡旋屋」だと雨宮さんは指摘します。

 また、小林多喜二の表現を現代の青年に当てはめ雨宮さんは「労働者がネットカフェ難民になることなどは、六本木ヒルズにいる金持ちには、どうでもいい事だ」と書いています。

 新潮社に続いて角川書店が「蟹工船」を新刊として出版しましたが、この解説を書いたのが雨宮処凛さんです。

 厳しい労働条件に追いやられている青年の皆さん、そして、蟹工船を若い時に読んだという世代の皆さんも、ぜひ、9月20日の雨宮処凛講演会にお越し下さい。市内のプレイガイドで券を販売しています。

雇用促進住宅の一方的廃止は許さない

 本日、時田宇部市議と一緒に、2011年度までに廃止の対象となっている宇部市万倉にある楠雇用促進住宅を訪ね、自治会長さんと懇談しました。

 雇用促進住宅を管理する雇用・能力開発機構(以下機構)から団地住民に、今年6月、突如、「12月以降、契約更新は行わない」との通知が一方的に送られてきました。

 2年ごとに契約する方で11月に契約を更新した人の場合、再来年(2010年)の11月までは入居可能となります。このケースが最長になりますが、次々に退去が強いられます。

 毎年更新する方の場合では、11月に説明会を開き、半年後(2009年5月頃)までに退去するよう求めてます。

 機構は、全国方針である2011年までに廃止の対象の団地住民へ、確実に、退去を迫っている実情がよく分かりました。

 会長さんは、機構に詳しい説明を行うよう求めました。7月頃に開催されるとの情報もありましたが、未だに開催されていません。

 私たちは、2011年廃止対象の団地で機構主催の説明会が至急開催されるよう関係機関に働きかけを行うことを会長さんに約束しました。

 現在、当該団地から地元の万倉小学校や楠中学校に計20名程度の子どもたちが通っています。会長さんは、「団地が存続できるかどうかは、地域の振興にとっても重要な課題だ。」と話されましたが、その通りです。今回、廃止の対象になっている団地は、過疎地域に設置されているものが多いようです。そような地域だからよけいに、もし、団地が廃止されれば地域に与える影響を甚大です。過疎地の地域振興のために雇用促進住宅を廃止させてはなりません。地元市町と県は真剣にという機構に団地存続を今、求めるべきだです。

 同時に、万が一の対応も必要です。廃止された場合、その団地を地元市町や県がどう維持していくのかを、至急検討する必要があります。時田市議の話では、機構は宇部市に対し、廃止の対象となっている団地だけではなく、全ての団地を譲渡すべく交渉を開始したい意向のようです。

 団地の譲渡交渉の相手は市町だけで、県は知らん顔ではいけません。今回廃止の対象になっている団地の戸数は、1047戸です。少なくとも数千人の県民の居住権が奪われようとしている一大事です。県も市町とともに譲渡交渉の全面に立つべきです。それこそが、「市町とともに歩む」県が取るべき道です。

 更に、「やむなく退去となった住民へは、市町営や県営住宅への優先入居を認めるなどの対応も必要だ」と自治会長さんから要望を受けました。

 「 日本共産党国会議員団は、8月26日に、舛添厚生労働大臣とこの問題で懇談しました。

 国会議員団は、①廃止決定を白紙に戻し、再契約拒絶通知を中止する②一方的な住宅廃止や退去を強行しないこと③退去が難しい場合は、入居継続を認めるなど居住権を保障する④売却を認める場合、自治体と協議し、入居者にとって最善の結果となるよにする⑤ワーキングプアなど住居を確保できない人への住宅対策として活用方策を検討することの5項目を提起しました。

 これに舛添厚労相は「入居者の声を聞き説明会をきちんと開き、一方的な形で入居者を退去させることはないよう大臣として指示したい。ご高齢だったり、身体障害があったり、困っている人の声を聞き、よく説明をし、手を差し伸べて対応するよう指示します」と語り、早急に改善策をまとめ文書で回答すると表明しました。

 私は、この交渉の概要を自治会さんにお伝えすると、「私たちには全く情報がないので詳しく知らせてほしい」と要望を受けました。今後、詳しい内容をお伝えすることを約束しました。

 団地住民の意向も聞かずに、一方的に契約更新拒否の通知をまず出す。これこそ、自公政治の行き詰まりを象徴する事例です。これこそ、住民の暮らしよりも、財政効率化を最優先「構造改革路線」の反国民的な表れを示す事例です。

 やはり、政治の中身を変える―国民の命と暮らしを守ることが中心になる政治に変える改革が今、強く求められていることを私は、痛感しました。今日聞いたことは早速、県政に反映していきたいと思います。

 

 

福田首相が辞任表明

 福田首相が昨夜、首相を辞任する意向を表明しました。自公政権としては、安倍晋三前首相に続いて二代続けての政権投げ出しです。自民党政治の末期的姿を象徴するものであることは確かなようです。

 辞任の原因の一つは、自衛隊のインド洋派兵継続に固執する新テロ特措法延長法案が成立の見通しが立たなくなったことがあるようです。国民の声に背を向ける政権に未来がないことがはっきりしました。しかし、自民党は、首相の首を挿げ替え旧態依然の政治を強行するのでは国民の信頼を得ることは出来ません。

 福田首相の元で6月に発表された骨太方針二〇〇八では、社会保障費2200億円削減と消費税増税が中心に座ったものです。アメリカと大企業に奉仕する自民党の基本路線ー「構造改革路線」の踏襲では国民の怒りを押えることが出来ません。

 私たちは、国民の命と暮らしを守るために、政治の中身を変える改革を強く訴えていきたいと考えています。

 9月県議会でのその改革を太く押し出していきたいと思っています。