議員日誌

親鸞とジェンダー

 源淳子著「仏教における女性差別を考える 親鸞とジェンダー」を読んでいます。

 私が50少し前の頃、浄土真宗本願寺派の末寺の総代長を務めた辺りから、仏教の本を読むようになりました。

 今まで読んだ仏教関係の本の中でも、極めて興味深い本でした。

 作者の源淳子さんは、島根県の浄土真宗本願寺派の寺に生まれ、龍谷大学や大谷大学で仏教を学んでこられました。

 現在は、フェミニズムの視点で仏教における女性差別を研究されています。

 まず、源さんは、仏教の「女人五障」を取り上げています。

 源さんは、「『五障』とは、女性は五つのものになれないという考えであり、梵天王、帝釈王、魔王、転輪聖王、仏に成れないことをいいます。」と解説しています。

 源さんは、「五障」を女性差別と断じた上で次のように書いています。

 「現在は、『五障』が女性差別と指摘するだけでは足りないと思っています。経典製作者が、なぜ、女性をこのように捉えなければならなかったかという思いがあります。男性と女性の違いから女性差別になぜ、進むのでしょうか。男性中心になる、男性が優位であるという考えが仏教のなかからも出てくることが指摘されなければならないと思います。つまり、仏教いう宗教のなかに女性差別が出てくることの罪深さを指摘したいのです。」

 次に、源さんは、仏教の「変成男子」を取り上げています。

 「変成男子」とは、「女性は一度男性に変身することによって成仏するという考え」と源さんは解説した上で、「わたしは、この思想も女性差別と捉えます。」と述べています。

 源さんは、「無量寿経」や親鸞の和讃に「変成男子」の記述があるとした上で次のように書いています。

 「わたしは、親鸞には限界があったことを素直に認め、それでもなお親鸞の教えは生きていると思っています。そして、わたしは、親鸞の思想によって生きると決めています。親鸞を擁護する書き方やいい方しかできない人が、そこまで『無量寿経』や親鸞を絶対視しなければならないのは、わが身を『無量寿経』や親鸞をたのみにしているからではないでしょう。『たのむ』信心は、親鸞にはなく、それは、蓮如の信心のあり方であり、間違っていると、わたしは恩師から聞きました。」

 源さんは、以上の点を指摘した上で、「宗教的自立」について次のように述べています。

 「宗教的自立とは、宗教のなかに存在する差別、それが経典であろうが、宗祖の言説であろうが、差別的な表現があれば、差別として認めることができることであるとも定義できます。」

 「経典や論釈や宗祖の言説に女性差別を求めるなら、素直にその限界を知り、絶対化しないことを宗教的自立と考えたいと思います。経典や宗祖の言説の根幹が揺さぶられることがないことを確認できるなら、わたしの選択に確信がもてると思います。それが、宗教的自立だと思います。」

 源さんは、親鸞の思想について次のように述べているところが私の心に残りました。

 「親鸞が生きた道は、生きる限り人間の煩悩性、罪障性に苦しみ、『いしかはらつぶてのごとくなるわれら』とともに歩んだからこそ、主著『検証度真実教行信証文類』を著し、親鸞の道を示したのではないでしょうか。」

 源さんが指摘する「宗教的自立」は、私にとって仏教と自分を考える上での指針となるものだと感じました。

 宗教的自立をしながら、少しづつ親鸞の思想を学んでいこうとむしろ想いが深まりました。

 源さん、素晴らしい指摘をありがとございました。

 源さんの指摘は、浄土真宗本願寺派山口教区会議員としての私にとっても、とても興味深いものでした。

 こらからの活動に生かしていきたいと思います。引き続き、源さんからしっかり学んでいきたいと思います。

トラックバック

コメントはまだありません

No comments yet.

コメント

コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。

メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。