議員日誌

告白~満蒙開拓団の女たち~

 NHKのETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」を観ました。

 この番組は、8月5日に放送され、10月7日に再放送されました。

 10月7日報道分を妻が録画しており、昨日、観ました。

 戦前、岐阜県の山間部から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。

 終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれました。

 実際に、黒川開拓団の両隣の開拓団も集団自決をしており、集団自決をした開拓団は48に及びました。

 黒川開拓団は、侵攻してきたソビエト兵に、現地住民の襲撃から彼らを守る護衛を頼みました。

 ソビエト兵は、見返りに女性を求め、黒川開拓団から15名の未婚女性が「接待」を行いました。

 接待を行った15名の女性の内、4名は現地で、病気で亡くなりました。

 ソビエト軍の撤退後、1946年8月、黒川開拓団は日本への引き上げを始めます。

 中国本土では国民軍と共産党軍の内戦が激しくなる中で、ある橋を渡る時に、再び「接待」を求められ、5名の女性が対応しました。

 黒川開拓団650名の内、450名が帰国できました。

 博多港には、中絶手術をする診療所がありました。「接待」を強要された女性は黒川開拓団だけではなかったことが想像できます。

 安江喜子さんは、亡くなる前に「接待」の歴史を公表しました。

 息子の泉さんは、黒川開拓団が入植した陶頼昭にも足を運び、「あった事をなかったことにしてはいけない。それは自分を否定することになる」と語りました。

 この番組でインタビューに応じた当時を知る男性は、「このような事は、我われ一代でたくさんだ」と語りました。

 私の祖母の妹、石川みち枝も満州からの引揚者です。石川は終戦直後の満州で出産し、生後100日で、子どもは亡くなりました。

 石川は歌人で、「おくり火に亡き夫を偲び大陸に埋め来し吾子の齢を数ふ」

 石川の子どもさんが生きていても72歳。

 「あった事をなかったことにせず」歴史を学び、繰り返さない努力を私たち世代が行うべきだと痛感しました。

 今、澤地久枝著「14歳(フォーティーン)満州開拓村からの帰還」を読んでいます。

 私の長女は、13才になりました。

 黒川開拓団で「接待」を強いられた15名の少女たちはどんなに辛かっただろうと、涙がとまりませんでした。

 すばらしいドキュメンタリーをありがとうございました。

 オンデマンドで皆さんも是非ご覧ください。

 観られた方は感想をお聞かせください。

 

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