長生炭鉱の坑口が開いたことについて、27日付、しんぶん赤旗日曜版は次のように報じました。
「戦時中の落盤事故で183人が犠牲になった長生炭鉱(山口県宇部市)。水没した海底炭鉱の入り口=坑口は、坑内に犠牲者を残したまま閉ざされました。その坑口が82年ぶりに市民の力で開けられました。遺骨収集に向けて掘削した市民団体が8日、現地で報道陣に公開しました。『(坑口から)水があふれ出たとき、一緒に涙もあふれ出た。この水の向こうにご遺骨が待っている、と』坑口が開いた瞬間の安堵を語ったのは井上洋子さん(74)です。『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』の共同代表で、1991年の結成当初から会に参加。30年余にわたり、遺族と向き合ってきました。海底には朝鮮人136人と日本人47人が残されたままです。42年2月の事故直後、海水が陸に上がってこないよう坑口を松の板でふさぎました。坑口を深さ4㍍の地中から発見したのは9月25日でした。ショベルカーで掘り起こし、木の板を取り除いた瞬間、水が噴き出しました。この様子をとらえた映像を、翌26日に訪韓した井上さんが韓国の遺族らに見せました。事故で父親を亡くした当時小学校5年生の全錫虎(チョン・ソッコ)さんが『ケング(坑口)!ケング!」と声を上げたといいます。韓国の遺族は82年間、父やおじの遺骨を発掘して故郷に帰してほしいと願ってきました。しかし『半分以上はあきらめの気持ちをもっておられた。そこに希望を届けることができた』と井上さんは喜びを語ります。見つかった坑口は横2・2㍍、高さ1・6㍍。満潮時は天井まで浸水し、干潮時は水が引いて全体が見えます。水が入りこむのは水没事故の影響とみられます。取材時は満潮に近く、坑口は水につかっていました。掘り出した土を盛ってできた丘に登ると、坑口周辺と海に突き出る炭鉱のピーヤ(排気・排水筒)が一望できました。掘削を見守ってきた森法房さん(74)。坑口の全容が明らかになった30日、坑口の奥に向かって呼びかけました。『おーい、聞こえるか!坑口が開いたぞー!』森さんはいいます。『坑口を見たらジーンとしました。82年間、海の中に閉ざされて人の声も聞こえない。(待ってろよ。探しに行くからな)と感情が込み上げてきました』坑口のあたりからは、石炭を運んだトロッコのレールなどが出土しました。刻む会は26日に韓国から遺族を招いて集会を開催。29、30の両日には、ダイバーがピーヤと坑口から潜水調査を行う予定です。井上さんは『骨の一片でも見つかったら、日韓両政府に遺骨収集を力を合わせてやっていただきたいと訴えていく』と話します。山口県議会の9月定例会では、日本共産党と社民党の県議が長生炭鉱に関し一般質問しました。共産党の藤本一規議員(刻む会運営委員)は『県は宇部市とともに、国が犠牲者の遺骨収集に取り組むよう、厚生労働省に直接要請すべき』と質問(9月30日)。県担当者は『市と情報共有しながら適切な形で国に伝える』と前向きな姿勢を示しました。」
明日(26日)13:30~ 坑口ひろばで、「坑口あけたぞ!82年の闇に光を入れる集会」が行われます。
多くの皆さんの参加をお願いいたします。
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