月別アーカイブ:2018年9月

チャップリン

 非暴力の人物伝シリーズの第二巻が手元に届きました。

 第二巻は、「表現の自由をまもった人びと」です。

 一人はチャップリン、一人はパブロ・ピカソです。

 今日は、チャップリンの章を取り上げたいと思います。

 チャップリンについては、何度も本ブログで取り上げてきましたが、改めて、本書からチャップリンの「独裁者」を取り上げたいと思います。

 チャップリンは、ヒトラーについて「この男のざんこくさに、みんなが気づかなくてはいけない。地球上で最悪の暴力にストップをかけなくてはいけない。」とヒトラーを批判する映画「独裁者」を作ります。

 チャップリンの家にはたいへんな数の脅迫状や制作中止をもとめる張り紙、なかには暗殺の通告が届きました。

 チャップリンは、「人びとの自由をうばい、世界を自分の思いどおりに動かそうなんて、こんなひどう暴力はない。わたしは自分の命をかけて、この男と最後までたたかうぞ」との思いで「独裁者」を制作します。

 独裁者のラストでの床屋チャーリーの演説はあまりにも有名です。

 「わたしたちはみな助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。わたしたちはみな、他人の不幸ではなく、おたがいの幸福とよりそって生きたいのだ。わたしたちは、にくみあったり、見下しあったりなどしたくないのだ」

 「人生は自由で楽しいはずだ。わたしの声は世界中にとどいて、政界をひとつにさせる力をもつ。兵隊よ、どれいになるな。民は機械ではない、人間だ。民の力を民主主義のために集めよう。民主主義の名のもとに、団結しよう」

 自民党の総裁選挙が行われています。

 安倍首相の対立候補・石破茂元幹事長陣営の斎藤健農林水産大臣は、14日、千葉市で開かれた石破陣営の会合で、「安倍応援団の一人に『石破さんを応援するんだったら(官僚の)辞表を書いてからやれ』と言われた」と語りました。

 自民党の総裁選挙管理委員会は報道機関に対して、内容、掲載面積などで各候補者を平等、後世に扱うなどとした「要請」文書を送付しました。

 露骨な編集権への介入で、専門家からは「政権批判を許さない姿勢に近い」(「朝日」4日付け)と厳しく批判しています。

 党所属議員には、「恫喝」。報道機関には「規制」。

 総裁選をめぐる安倍政権の強権主義に国民の批判が強まっています。

 表現の自由を抑圧する政治に未来がないことは、ヒトラー率いるナチス政権の結末が証明しています。

 私たちは、チャップリンの「独裁者」から自由と民主主義の大切さを学び直す時だと思います。

 私自身も引き続きチャップリンから学びたいと思いました。

 「非暴力の人物伝シリーズ」は一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。

 チャップリンに対する皆さんの思いをお教え下さい。

 

障害者権利条約で優生思想と対峙

 藤井克徳著「わたしで最後にして~ナチスの障害者虐殺と優生思想~」を読了しました。

 ナチスの障害者虐殺と日本を含む優生思想の現状を深く知ることが出来ました。

 同時に、本書は、優生思想を乗り越えるために、障害者権利条約の意義についても書かれていました。

 藤井さんは、障害者権利条約は、「優生思想には屈しない」とする強いメッセージがあるとして、次の点を上げています。

 ①第8条(意識の向上)

 「あらゆる活動分野における障害者に関する定型化された観念、偏見及び有害な慣行と戦うこと。」

 藤井さんはこの点を次のように解説しています。

 「国連や条件の、差別や偏見とは妥協しないとする強い意志がうかがえます。そこで大事になるのが、誰が戦うのかということです。文脈からみて、その先頭に立つのが、国であることは明白です。具体的には、総理大臣や国会議員、裁判官が率先すべきです。そのうえで自治体の首長や議員も、医師も教師も、そしてこの本の読者のみなさんも、みんな戦いましょうといっているのです。それだけでなく、自身の中にある『内なる差別』と戦うことを求めています。でもこの戦いは、誰かを傷つけるというのではなく、世の中を良くする戦いです。きっとすがすがしいものになるはずです。日本の法律で『戦う』を明記したものは、他にはないと思います。」

 2014年に障害者権利条約を日本が批准しました。国会議員は、国民に率先して条約を守らなければなりません。

 そして、藤井さんの解説に倣えば、国会議員が率先して、障害者に関する定型化された観念と戦わなければならない存在です。

 自民党の国会議員の一部は、条約の求める方向とは逆の障害者に関する定式化された観念を固定化するために戦っている状況です。

 この条項を読んで、改めて、自民党の杉田議員の「生産性がないものに税金を使うことに賛同が得られるのか」との発言の害悪性に怒りが沸き起こってきました。

 私は、前県議会議員として来春の県議会議員選挙を戦う候補者として、大学で障害者福祉を学んできた者として、傷害氏は権利条約第8条の立場で障害差に関する定型化された観念などと戦う決意を表明したいと思います。

 ②第10条 生命に対する権利

 「締約国は、全ての人間が生命に対する固有の権利を有することを再確認するものとし、障害者が他の者との平等を基礎としてその権利を効果的に享有することを確保するための全ての必要な措置をとる。」

 ③第17条(個人をそのままの状態で保護すること)

 「全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。」

 ④第23条(家庭及び家族の尊重)

 「障害者(児童を含む)が、他の者との平等を基礎として生殖能力を保持すること。」

 藤井さんは、障害者権利条約の「3つのすばらしさ」について書いています。

 一つは、障害者分野に関する初の世界ルールが打ち立てられたこと。

 二つ目は、社会全体として、障害分野の「北極星」ともいうべき共通の道しるべを持てたこと。

 三つ目は、権利条約全体が社会のイエローカード(警鐘を鳴らす役となっていること。

 三つ目について藤井さんは、こう解説しています。

 「生産性の高い人や強い人が偉いような雰囲気のいまの社会にあって、生きづらさを感じている人は少なくないはずです。権利条約は、障害者の立場から、社会の標準値をとらえ直すべきとしています。権利条約の具体化は、そのまま病気の人や高齢者、子ども、女性、マイノリティ(少数派)の人びとの生きやすさにつながるはずです。」

 藤井さんは、「障害者をしめだす社会は弱くもろい」とも書いています。

 障害者権利条約の精神を社会に広げ、障害者をはじめ、社会的弱者の方々を大切にする社会つくろうと決意を新たにしました。

 改めて「生産性がない人は生きる価値がない」との論調が後をたちませんが、皆さんは、この考えをどうお考えですか。

 

菅原文子さん講演会

 昨日、宇部市ヒストリア宇部交流ホールで憲法9条の会うべ主催の講演会が行われました。

 講師は、俳優の故・菅原文太さんの夫人である菅原文子さんです。

 約70名が菅原さんの話に耳を傾けました。

菅原文子学習会

宇部市で政治について講演を行う菅原文子さん

 菅原さんは、今の政治状況について、「いい話ばかりをして、駄目になった時に話をしない。これは、無責任というしかない。」と語ります。

 その背景には、鎌倉幕府から1000年以上続く軍事政権があると指摘します。

 戦後の日本は、アメリカの軍事体制下にあると菅原さん。

 さらに、菅原さんは、官僚体制の弊害が続く「明治維新レジューム」からの脱却が必要だと訴えます。

 菅原さんは、台風の襲来で関西国際空港が利用できなくなった事に触れ、「辺野古新基地建設に関しても、大浦湾には、マヨネーズ状の地盤がある。関空と同じ状態になることは明らか。一度決めたら変えられない。辺野古こそ無責任政治の典型だ」と指摘します。

 菅原さんは、相模原市の「やまゆり園」の事件や自民党の杉田議員のLGBTの方々に対する発言について「ナチズムの中に日本がいるからこのような状況が続くのではないか。」と指摘しました。菅原さんは、原発政策について「マイナスが大きい事はやめた方がいい」と語りました。

 菅原さんは、現在、山梨県北杜市で無農薬有機農業を行う「おひさまファーム竜土自然農園役員」を務めています。

 菅原さんは、農業について「バーチャルの世界ではなくリアルな世界。物事の本質が分かり、謙虚になれる。人間は、自然にはかなわない。人間のおごりがよくわかる。」と話しました。

 菅原さんは、最後に、「日本は永世中立国になるべき。人間を大切にする国にすべきだ。子どもたに本当の意味の賢さを伝え、真剣に生きることを伝えたい。」と話しました。

 参加者から多数の質問や意見が出され、菅原さんは、質問に丁寧に答えました。

 最後に、会場内で、沖縄県知事選挙でデニー候補を支援するカンパが訴えられました。

 菅原さんの潔い考え方に感銘を受けました。

 菅原文太さんや文子さんへの思いをお教え下さい。

「わたしで最後にして」読書ノート①

 きょうされん専務理事の藤井克徳さんの「わたしを最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想」を読んでいます。

 私にとって、この本は、今年読んだ本の中で一番印象に残った本と言いきれる本です。

 私は、日本福祉大学で障害者福祉を学び、当時全国に広がり始めた障害者共同作業所で実習を行いました。

 将来は、障害者共同作業所に関わる仕事がしたいという時期がありました。

 その頃から藤井克徳さんの名前は存じておりました。

 藤井さんの自著を読むのは初めてでしたが、出会えて本当よかったと思える本でした。

 私は今、西宇部校区人権教育推進委員協議会の会長を務めていますが、様々な人権問題を考えるベースに出来る本だとも思えました。

 この本の冒頭で藤井さんは優生思想と日本の現代ついてこう書いています。

 「遺伝の領域と結びつく優生思想ですが、その基本は『強い人だけが残り、劣る人や弱い人はいなくてもいい』という考え方です。この優生思想、けっして過去の話ではありません。私たちの日本社会にも深く潜み、いまもときどき頭をもたげるのです。たとえば『重度障害者は生きていても仕方がない。安楽死させたほうがいい』とした2016年7月の『やまゆり園事件』も、この優生思想と深く関係があります。また、被害者の勇気ある訴訟で一気に浮上した、日本の優生保護法の下での強制赴任手術の問題や、後を絶たない為政者による障害のある人やセクシャルマイノリティの人たちを傷つける発言も優生思想が生きている証拠です。大規模な自然災害や経済不況などで社会がバランスを崩したとき、決まって障害のある人に被害や影響が集中します。障害のある人とない人との暮らしぶりの格差は、いっこうに埋まりません。これからも優生思想と無縁ではなさそうです。障害のある人だけでなく、弱い立場にある人の大半が生きづらさを感じたり、目にあまる格差社会や不寛容社会が進行していること、聞くにたえないヘイトスピーチなども優生思想が影響しているのです。」

 私は、「やまゆり園事件」や為政者の人権侵害発言が後を絶たない問題の背景に優生思想があることを知り、優生思想とは何かを知るたかったのですが、そのことが叶う最良の書が本書だと言えます。

 その上で、ヒトラー政権下で行われた「T4作戦」は、凄まじいものです。

 藤井さんは、この作戦を「障害者の殺害作戦」「価値なき者の抹殺を容認する作戦」と書いています。

 障害者・病人専門の殺害施設がドイツ全土に6カ所ありました。

 藤井さんは、T4作戦の首謀者は、ヒトラー率いるナチスと精神科医のエルンスト・リューディンを頂点とする医療関係者だったと書き、次のようにまとめています。

 「T4作戦は、政治と科学の結託が生み出した最大級の悪事です。ここでの政治とは、ナチスの『戦争を推し進めるうえで、障害者は邪魔な存在』とする考え方で、科学とは、多数の障害のある人の殺害を通して大量の医学的な資料を得たいとする医療界の欲望です。そして、もう一つ見逃してはならないのは、両者の間には共通のベースがあったことです。それは、優生学に基づいた協力な優生思想です。」

 T4作戦は、1940年1月から1941年8月24日です。

 しかし、「T4作戦の野生化」と言われる状況が続きました。

 「T4作戦の野生化」とは、地方自治体が命令を出し、「闇の中のT4作戦」として広がりました。

 「T4作戦」による犠牲者が7万273人でした。1941年8月下旬以降、「野生化」した後の犠牲者は13万人以上と推計されています。

 第二次世界大戦中のドイツで虐殺された障害のある人の数は20万人以上となり、ドイツ占領下の欧州各国を含めると30マン人を下回らないと藤井さんは書いています。

 ドイツは、障害者の方々を殺害した施設を残しています。

 2010年11月26日ドイツ精神医学精神療法神経学会の年次総会で、フランク・シュナイダー会長は。「ナチス時代の精神医学-回想と責任」と題する特別講談話を発表しました。

 談話は「みなさん、われわれ精神科医は、ナチスの時代に人間を侮蔑し、自分たちに信頼を寄せてきた患者の信頼を裏切り、だまし、家族を誘導し、患者を強制断種し、死に至らせ、自らも殺しました。患者を用いて不当な研究を行いました。患者を傷つけ、それどころか死亡させるような研修でした。この事実に直面するのに、そしてわれわれの歴史のこの部分と率直に向き合うまでに、どうしてこんなに長い時間がかかったのでしょうか」で始まっています。

 ドイツは、「T4作戦」を含めた戦争の実情を後世に残す活動がこの10年行われるようになりました。

 これらの事実は、2015年にHNKで放送されたようですが、私は、この本で、ナチスの障害者大虐殺の事実の詳細を知りました。

 「生産性がない人は生きる価値がない」との言論が繰り返される日本で、今、この本が一人でも多くの方に読まれるべきだと思います。

 この本には、日本の優生保護法の問題や「やまゆり園事件」についても詳しく書かれてあります。

 また、優生思想に対峙する障害者権利条約についても詳しく書かれてあります。

 この本は学ぶところ満載です。「T4作戦」以外の問題については、明日以降のブログで取り上げていこうと思います。

 藤井さん、素晴らしい本をありがとうございました。最後までしっかり学びたいと思います。

 優生思想について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

陸上イージス配備候補地調査を入札

 陸上配備型ミサイルシステム「イージス・アショア」について、昨日、朝日新聞は次のように報じました。

 「陸上配備型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』配備に向け、防衛省が実施する現地調査の入札が12日あった。地質・測量調査は落札されたが一方、源波環境調査は落札されず、18日に再入札する。」

 「11日に開会した山口県阿武町議会。むつみ演習場に近い地元16の自治会長らが配備計画撤回を求める請願書を提出した。20日の審議で請願書が採択されれば、花田憲彦町長は、『態度をきちんと示す』という。」

 「穂積志・秋田市長は今月4日の市議会で、『調査着手前に適地がないか再調査すべきだ』と反発。地元の16町内会などでつくる新屋勝平地区振興会は配備計画撤回の要望書を知事と市長に提出した。」

 9月9日の山口民報は、萩市議会全員協議会における防衛省の答弁について次のように報じました。

 「宮内議員は、『配備の適地』判断のためとして地質や電波環境、水問題などの調査を行おうとしていることに関連し、『敵地かどうかの判断基準の中に住民が反対していることはふくまれるのか』と質しました。これに、五味賢至戦略企画課長は、『自衛隊の円滑な活動は住民の理解なしには出来ない』とのべた上で、『敵地か否か物理的に調査するが、住民が理解・支持しているかどうか、住民の反対も含めて判断の要素となる』とのべました。防衛省はこれまで、『丁寧に説明して地元住民の理解を得たい』とのべる一方、『(主として物理的)調査で不適地なら配備しないこともあり得る』としてきましたが、住民の賛否が敵地かどうかの判断要素に入ると一歩踏み込んで態度表明したのは今回が初めてです。8月29日、阿武町内での説明でも防衛省は、『われわれは物質的判断の調査をするが、住民意識がどうなのかなどはもっと上のレベルで判断されるのではないかと考える』と答弁しています。」

 山口民報は宮内議員の話として「イージス・アショア配備の適地かどうかの判断は、地質や電波環境など今から防衛省が調査しようとしている物理的な結果だけでなく、最終的には地元住民の反対意見が判断の基準要素になると防衛省が答弁した意味は大きい。住民運動が無駄どころか、決定的な意義をもってくるということで、党派をこえ、地元自治体や住民ぐるみの反対を一層広げ、絶対に阻止したい。」と報じました。

 適地調査が実施されることは、防衛省が陸上イージス配備に向けて駒を進めることになり、私は、住民のこれだけの反対を前に実施すべきではないと考えます。

 一方、宮内議員が防衛省から引き出した答弁を力に、住民運動をさらに高めて、陸上イージスの配備を撤回したいと思います。

 9月30日の「ミサイル基地をつくらせない県民大集会」(午後1時半から 阿武町福賀西台駐車場)を成功させましょう。

 陸上イージスの適地調査を行う業者が決まり、防衛省は調査を開始します。

 陸上イージスについて皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

二見伸明さんの言葉

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙に、「デニー候補に期待」として元公明党副委員長・元運輸大臣の二見伸明さんのインタビュー記事が掲載されていました。

 「沖縄の学会員にいいたい。創価学会の理念と自民党の候補を応援することに矛盾を感じないかと。自民党の候補を応援することは、沖縄を半永久的にアメリカの軍事基地にするということ。それでいいのかと。学会員に向けた私のツイッター(『平和な島沖縄に保守も革新もない』8月9日付け、『今の公明は立党の原点を放棄した』9月1日付など)には、予想以上のリツイートがありました。学会員は一生懸命応援すれば功徳があると思っているのだろうけど、選挙運動は仏教修行じゃない。ましてや、辺野古に半永久的な軍事基地を造ろうという候補者を応援してご利益があるはずないじゃないか。自分の頭でちゃんと判断してほしい。自由で平等で平和な沖縄をつくることこそ、仏法に合致するというものです。」

 私は、浄土真宗本願寺派山口教区会議員を務めています。

 武蔵野大学名誉教授の山崎龍明氏の「平和への道 憲法9条は仏の願い」の中にこのような文章があります。

 「あらゆる信仰、宗教の根源には『いのち』の問題がある。これらを問うことのできる教学理念の構築がはかられなければならない。教学理念は教団を映す鏡である。教団が社会的生命を失っているということは、その教学も枯渇しているということである。」

 真宗大谷派は、8月9日に、「すべての人々が共に尊重し合い、認め合うことができる社会の実現に向けた要望書」を安倍氏総理大臣に提出しました。内容は、自民党の杉田衆議院議員の発言に対するものです。要望書は、次のように書いています。

 「『生産性』という基準により人間に優劣をつけることは、基本的人権を否定することであり、優生思想とも無関係ではありません。そのため、『生産性』という一方的な視点で人間を価値づける今回の発言について、私たちは看過することはできません。以上、今回の発言が内包する問題性を真摯に受け止められ、すべての人びとが共に尊重し合い、認め合うことができる社会を実現すべく、誠実な取り組みが進められるますよう要望いたします。」

 同じ真宗の宗派が、このような要望書を安倍首相に提出したことを評価するものです。

 私は、同様の要望書を本願派が政府に出せなかった理由について14日に山口別院で行われる総局参加の「公聴会」で質問したいと思っています。

 私は、「仏説無量寿経」にある「兵戈無用」(兵隊も武器もない社会)を心に拠り所としています。

 二見さんがおしゃるように「自由で平等で平和な沖縄をつくることこそ、仏法に合致する」道だと思います。

 私は、一人の真宗門徒として玉城デニーさんを応援します。