議員日誌

戦争は福祉と支援を求める国民を圧殺する

 念仏者9条の会主催で纐纈厚山大名誉教授から「日本近代史」の講義を受けています。

 特に、戦争に突入していった1930年代の学習をしています。

 「戦争と福祉についてボクらの考えていること」にある社会福祉福祉研究者・桂木志保さんの「戦争は福祉を変節させる-命と暮らしを損なう『福祉』を再登場させないために」という論文は、1930年代の日本の福祉の状況が丁寧に描かれています。

 1933(昭和7)年に救護法が施行、1938(昭和13)年に社会事業法が制定され、民間の福祉施設(救護施設、養老院、児童施設など)が公的救済の担い手として位置づけらたり、民間社会事業・福祉事業に公的支援の光が当てられました。

 しかし、1938年、国家総動員法が制定されます。

 桂木さんは、この時代の社会福祉をめぐる状況を次のように記しています。

 「戦争国家た姿勢の推進は、坂を転がり落ちる勢いで進み、当時自主的活動として生活困窮者の支援をしていた東京帝国大学セツルメントが解散命令を受ける(1938年)など、歩き始めたばかりの社会事業をはじきとばしてゆきます。」

 セツルメントとは、「植民の意味で、貧困地域に大学生などの知識人が移住し、教育や地域活動を通じて貧民を強化する慈善活動として始まりましたが、やがて問題解決には社会改良が必要なことが打ち出されてゆきます。」とこの本で解説されています。

 本ブログでも幾度か書いてきましたが、私は、大学時代に「ヤジエセツルメント」というサークルに所属していました。

 名古屋市南区弥次ヱ町にある公営住宅でセツルメント活動を行っていました。

 この地域は、伊勢湾台風で甚大な被害を受けた所で、この当時から私たちの先輩がセツルメント活動を行っていました。

 その後、この地域に公営住宅が建設され、公営住宅に在住する住民を対象にセツルメント活動を私たちは行っていました。

 セツルメントのルーツはイギリスにあり、日本には片山潜が明治時代に移入したとの歴史が語り継がれています。

 私も参加していたセツルメントが、戦前、国家総動員法が成立する歴史の中で、解散命令を受けていた事実は衝撃でした。

 1940年には、国民優生法が制定されます。

 桂木さんは、この時代の福祉の状況を次のように総括しています。

 「戦争は福祉を押し潰すだけでなく、障害者をはじめとする福祉の対象となる人々を貶め、その存在をも否定するものです。文字通り福祉とその対象となる人々を圧殺するものであることをわが国の歴史の事実は語っています。」

 私は、福祉を学び、福祉の充実を求める政治家の一人として、福祉とその対象となる人々圧殺してきた戦争を繰り返してはならない決意をこの小論を読んで新たにしました。

 ティラーソン米国務長官がシリアへの軍事行動を引き合いに、北朝鮮に対して「国際規範や合意に違反し他国への脅威となるならば、対抗措置が取られるだろう」と発言しました。

 この発言に対して、日本共産党の小池晃書記局長は「軍事的な選択肢を強調する大変危険な発言だ。対北朝鮮の問題は外交的解決以外にはありえないということを強く求めていきたい」と記者会見で述べました。

 世界は、紛争を戦争にさせない努力に徹するときです。日本はそのために十分な役割を果たす時です。

 今日の世界情勢を皆さんはどうお考えですか。

 

トラックバック

コメントはまだありません

No comments yet.

コメント

コメント公開は承認制になっています。公開までに時間がかかることがあります。
内容によっては公開されないこともあります。

メールアドレスなどの個人情報は、お問い合せへの返信や、臨時のお知らせ・ご案内などにのみ使用いたします。また、ご意見・ご相談の内容は、HPや宣伝物において匿名でご紹介することがあります。あらかじめご了承ください。