文部科学省は、6月、人材需要などを理由に、人文科学・教員養成系の学部・大学院について「廃止や社会的要請の高い分野への転換」を求める通知を出しました。
山口大学など地方の17国立大学でつくる人文系学部長会議は、26日、人文社会科学系や教員養成系学部・大学院の廃止を求める文部科学省の通知に対して「強く抗議する」との共同声明を馳浩文科相あてに提出しました。文系廃止問題で国立大学が抗議するのは初めてです。
共同声明は「人文社会科学の学問は社会の基礎形成に寄与するものであり、教育研究における人文社会科学の軽視は、人的基盤を根底からゆるがしかねない」と指摘。「全国的な高等教育の機会均等の観点からも、地方国立大学の存在意義は大きい」とのべ、「一律に人文科学系学部・大学院の改革を迫るのではなく、それぞれの大学の特性に応じて柔軟に支援していくことを強く要望する」と求めています。
文科省が国立大学の人文科学系学部・大学院の廃止や転換を求める通知を出していることをどうお考えですか。お教え下さい。
愛媛県にある四国電力伊方原発3号機が再稼働の動きを強めています。
原子力規制委員会の審査で「適合」と認められ、地元の愛媛県や伊方町の同意が進んでいるといいますが、拝啓にあるのは安倍政権が電力業界いいなりに再稼働を推進していることです。
東京電力福島第一原発の事故を受け、今年夏まで2年近く全国で『稼働ゼロ』となっていたのに、九州電力川内原発1、2号機に続き伊方原発が再稼働すれば、原発の運転が一気に進むことになります。
原発事故も収束しないのに再稼働を推進する「ドミノ」が、被災者はもちろん国民の意思に反します。
今朝の朝刊は一斉に、「愛媛県の中村知事が昨日、伊方原発再稼働に同意した」と報じました。
政府は、四国電力と愛媛県と伊方町の同意が得られれば再稼働に踏み切るとしていますが、伊方町以外の周辺自治体や住民・県民からも再稼働への懸念が相次いでおり、強行は安倍政権の再稼働推進政策を背景にして異常な暴走そのものです。
愛媛県の西の端、佐田岬半藤の付け根付近に位置する伊方原発は、すぐ近くを日本有数の活断層である中央構造線断層帯が走り、巨大地震の震源となる南海トラフも近く、日本での地震の危険が高い原発の一つです。
また、伊方原発再稼働の大問題は、万一事故が起きた場合の避難体制が確立していないことです。
狭い半島から多くの住民が避難するのは困難なうえに、万が一原発が放射能漏れなどの事故を起こせば、半島の先に暮らす人たちは退路が断たれます。愛媛県などの計画では、半島部の住民は海路で大岸の大分県に避難することになっていますが、津波などが起きた場合それが可能か、避難体制をめぐり問題は山積しています。
山口県にとっても課題は山積しています。
伊方原発の30キロ圏には山口県上関町の離島・八島があります。
町の計画では、島に常駐している町職員らの誘導のもと、町営定期船で避難することになっています。
台風など天候不良で船が出せない場合は、自衛隊に支援を要請し、ヘリコプターなどを使うことにしています。
今朝の読売新聞には、「高齢者が多く避難誘導がスムーズにいくのか」「原発に近い愛媛県側の避難が優先されると、本当に山口県側にヘリが来るのか」などの県民の不安の声があることを報じています。
私は、過去の議会で、八島の避難体制の問題点を議会で指摘しました。
避難体制が不十分なままの再稼働は県民の命を守るために認める訳にはいきません。
昨日、愛媛県の中村知事が伊方原発再稼働に同意してことに対して、村岡山口県知事は、「愛媛県の考えを尊重したい」と再稼働容認のコメントを明らかにしました。
中村知事の姿勢も、村岡知事の姿勢も、福島での原発事故を忘れ、再び安全神話に立ったものと言わなけれなりません。
愛媛県民と山口県民の安全が守られない伊方原発の再稼働は断念すべきです。
横浜市の大型分譲マンションに傾きが見つかった問題で、県は、23日、県民からの相談窓口を開設しました。
問題のマンションの杭打ち工事を行った旭化成建材は、22日、過去10年の全国での施行実績を公表しました。
横浜のマンションで施工データを改ざんした社員が関わった工事は県内にはなかったものの、同社が杭打ちした物件が山口県内に、集合住宅13件、事務所1件、商業施設4件、工場・倉庫5件、医療・福祉施設5件、学校6件、公共施設2件、土木4件、その他4件の計44件ありました。
相談窓口の設置期間は、土日・祝日を除く8時30分から17時15分までです。
総合窓口が、山口県建築指導課指導班 083-933-3835
建設業法に関することは、監理課建設業班 083-933-3629
宅建業法、マンション管理法に関することは、住宅課民間住宅支援班 083-933-3883
県民の皆さん、この件での相談は、上記へご連絡下さい。
この件に対するご意見をお聞かせ下さい。
久々に書店に行き漫画コーナーを散策していると原泰久さんの「キングダム」が大きく紹介されていました。
思わず手に取り、今、読んでいます。この作品は、NHKよりアニメ化もされているので、アニメも同時に楽しんでいます。
単行本の累計発行部数が40巻時点で2000万部を超えた大ヒット漫画です。
漫画の舞台は、春秋戦国時代。大将軍を目指す少年・信と後の始皇帝となる秦王・政の活躍を描いた作品です。
中々、この時代の作品は、取っつき難いものですが、原さんの手により、分かり易くドラマチックに描かれています。
分かり易く描けるということは、いかに原作者の原さんがこの時代に詳しいかが伺えます。
力のある作家さんだと拝察しましす。だからこその大ヒットだと思います。
まさに信と政の成長を描いた大河ドラマ。じっくり付き合っていこうと思います。
近くアニメ第三期も放映されることだと思います。
中国の歴史を学び国や政についても考えていきたいと思います。
キングダムファンの皆さん、感想をお聞かせ下さい。
約1ケ月前でしょうか、NHKラジオの音楽紹介コーナーでフラワーカンパニーズが紹介されていました。
メンバー全員が1969年生まれ。愛知県で活動してきたバンドです。
私も大学が愛知県でしたが、5才下ですから、私が山口に帰った後に彼らは活動を開始したのです。
今まで、私の記憶に残らなったバンドがフラワーカンパニーズでした。
まず、フラワーカンパニーズ「消えぞこない」という本を読みました。
「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!のバンドが結成26年で日本武道館ワンマンライブにたどりつく話」と副題があります。
彼らは、メジャーデビューした後、インディーズ活動を開始し、最近、メジャー復活を果たしました。
彼らは、ワゴン車に機材を積み、メンバーが乗り、全国各地でコンサート活動を展開していきます。
このような活動が「深夜高速」などの名曲を生む舞台となります。
「生きててよかった そんな夜を探している」
このフレーズがラジオから流れ、一気にファンになりました。
本の副題の通り、この冬、結成26年で、武道館ワンマンライブに挑戦します。
武道館ライブについて、ボーカルの鈴木圭介さんがこう語っています。
「もし武道館で1000人しかお客さんがいなくても、屁でもない。むしろ、それを売りにできる。」「コケたらコケでそれを武器にできるっていうのは、得なバンドだよね。」
メンバーチェンジなし!活動休止なし!結成26年のフラワーカンパニーズだからこその言葉だと思いました。
最新ミニアルバム「夢のおかわり」を聴いています。
インパクトがあるのは本の表題と同じ「消えぞこない」という曲です。
「消えぞこないでも立っている」「一生花が咲かなくても 根っこを張って倒れるな 折れるな」
心に沁みる歌詞と曲です。
そして、今、15枚目のアルバム「Stayin‘Alive」を聴いています。
「星に見離された男」がいいです。
「ここ一番ダッシュの時に ガス欠で肘を突く夜さ」「何回死んでも行き返るよ しぶとさが売りだもの」
本の中で、取材した兵庫慎司さんがあとがきに書いています。
「いずれにせよ、生きていくこと、続いていくこと、終わらないこと、いやいつか必ず終わりが来るんだけど、それまでは終わらないし、終われないし、終わってはいけないこと―それを鈴木圭介は何度も歌にしてきた。」
フラワーカンパニーズとしての活動そのものが強いメッセージになっています。
「”消えぞこない”たちがどこまでしぶとく転がっていくのか、ぜひこの先も見守っていただければと思う。」の兵庫さんの言葉通り、私もフラワーカンパニーズとともにしぶとく転がっていきたいと思う今日この頃です。
フラカンファンの皆さん、お勧めの一曲をお教え下さい。
21日、美祢市秋芳町広谷の中島家に残されている木喰が書いた書軸を見学しました。
木喰が広谷の中島家に送った書軸
昭和56年7月に秋芳町有形文化財に指定されています。秋芳町史には、「『南無阿弥陀仏』の六文字をくずしたものと思われる図柄を地とし、その上に五万五千仏・仏師伝道・六万六千仏・八万八千仏・突風火水地遍照金剛・三界万霊無縁などの語句や梵字を配し、つぎの道歌が全体にち密に書かれてある。
なむあみみだみなすくわるるうをさかな
なまぐさいともおもハざりけり
むかしよりむりよくどふのしゃばにきて
むなしくなるをさとらざりけり
阿字をみてあじにみだるるわが心
あじが心か心があじか
みらひまでとどかぬとてもわが心
心にとへばなむあみだ仏
だま須のもだましだまされよくどふも
ただひのひぬとおもはざりけり
仏法もねこもしゃくしもなむあみだ
仏法僧のひかりなりけり
『寛政九巳年七月廿三日コレヲカク」とあり、「日本廻刻八宗一見、日州児湯郡府中五智山国分寺インキョ 中興開山天一自在法門 木食五行菩薩八十才花押』の自署がある。」とあります。
南無阿弥陀仏の「南」の字の中に和歌などがある
「山口県下の木喰仏」には、「この署名の中で五智山とあるのは、上人が九州を遍歴中に滞在し、住職をつとめた日向の国分寺で、のちこの寺を焼き、再建して、九州をあとにしている。」とあります。
「防長の微笑仏」には、「この幅は広谷に着いてわりと早く、書かれたことがわかる。木喰は中島某の倉を仕事場にして仏像を彫ったと伝えられるが、おそらくこの幅を所有する中島家の祖先が、木喰の御宿帳にみえる佐兵衛、中島佐兵衛であったと思われる。」とあります。
お会いした中島家の末裔の方は「中島家は、江戸時代初期から続く大きな農家だった。過去帳が残っているが、木喰の過去帳にある佐兵衛が中島家のものだったかどうかは定かではない。」「現在の稲荷神社の付近に花屋敷という建物があり、そこで木喰が彫刻をしていたという言い伝えは残っている。現在、木喰仏が安置されている毘沙門堂はその後出来たものだ。」と話されていました。
いずれにしても、木喰が広谷に滞在する上で中島家が深く援助したことは確かのようです。そのお礼として木喰が中島家に書軸を送ったことが推察されます。
実際に書軸を見ると木喰の文字のち密さに圧倒されます。
木喰の花押などははっきり読み取れます。
写真から朱印は読めないが、花押などは読める
また、3か所、それぞれ違う烙印があることが分かります。
200年を超える時を経てた木喰の文字は、仏像と同様に訴えかけるものがあります。
書幅を見せていただいた中島家末裔の方に感謝申し上げます。