成瀬健男・元日経連常任理事の「雇用ポートフォリオ提言とこれからの雇用問題」(『連合総研レポート』2014年7・8月号掲載)からの抜粋です。
「日経連では、この報告書(1995年『新時代の日本的経営』)を出してから毎年フォローアップ調査をやっていましたが、調査のたびに雇用柔軟型の比率が増えていくのに困惑したというのが実態です。振り返ってみれば、矢張り円高によるデフレへの認識の甘さがあったのでしょう。」
「プラザ合意とリーマンショックによる過度な円高を主要な原因として、日本経済、日本企業はほぼ20年に亘り多大な犠牲を強いられることになりました。結果を端的に言えば、企業は低収益と研究開発費、教育訓練費の削減を強いられ、働く人間のサイドでは、20パーセント弱だった非正規雇用の比率が37パーセントにまで上がり、常用労働者の現金給与総額も1995年→2012年の間に・・・9.2パーセントの下落(毎勤ベース)ということになりました。そして、こうした雇用・賃金の劣化は日本社会に大きな影響を与えました。ピークで5。4パーセントという未曽有の失業率、職場ではメンタルヘルス問題の深刻化、教育訓練の不足による事故の多発、社会的には犯罪を含む社会不安の増です。」
日本共産党97周年記念講演で志位和夫委員長は、成瀬氏は、「もし、いま日経連があるなら、今度は非正規の正規化を提言しているだろう」(「朝日:、2017年11月5日付)とも発言していることを紹介しています。
その上で、志位委員長は、「安倍政権は、財界の当事者が『間違っていた』という道を、『間違っている』という自覚なしに暴走している。このような勢力に日本経済のかじ取りをまかせるわけには、もはやいかない」と指摘しました。
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、8日、現在のペースで地球温暖化が進めば、2030~52年の間に世界の平均気温が産業革命前と比べて1.5度上昇する可能性が高いとの特別報告書をまとめました。
報告書は、現在の気温は産業革命前から既に1度前後上がり、今のペースなら今後も10年で0.2度ずつ上昇すると指摘しています。
今朝の毎日新聞は、この問題に関して、次のように書きました。
「パリ協定に基づき、日本が自主的に定めた2030年度の温室効果が図の排出削減目標は13年度比26%削減。環境省は『達成可能な数字だ』と自信を見せるが、このまま各国の目標を積み上げても2度上昇を超える可能性があり、今回の特別報告書に照らしせば見直しを迫られるのは必至だ。日本は来年6月、中国やインドなどの新興国を含む主要20カ国・地域(G20)首脳会議で議長国を務める。世界自然保護基金(WWF)ジャパンの小西雅子・自然保護室次長は『(1.5度)の達成は困難だが、まだ不可能だと決めつけるべきではない。日本も報告書の内容を真剣に受け止め、G20でも論議をリードする姿勢を打ち出してほしい」
上記報告書は、東アジアや北米などで豪雨や熱帯性低気圧のリスクが高まると強調しています。
今年も、日本を豪雨と台風が何度も襲いましたが、気温上昇は、そのリスクが高まる原因の一つだと言えます。
不破哲三社会科学研究所所長は、「資本主義が利潤第一主義で『高度成長』のあくなき追求、生産と消費の急膨張という道を進んできたことが、ついに、人類の生命維持装置である地球大気の構成を壊すほどの危機をひきおこしてしまった」と指摘しています。
不破哲三さんは、「資本主義は、自分が21世紀に生き残る資格があるかどうかを試される最大の危機に直面しているのだ」とも指摘しています。
「ルールある経済社会」をめざし、人間を大切にした、持続可能な社会の実現が今こそ求められているということを実感する昨今です。
非正規労働と地球温暖化の拡大を皆さんはどうお考えですか。
昨日、浄土真宗本願寺山口別院で、念仏者9条の会を含む4団体が主催する「天皇代替わり問題を考える集い@やまぐち」が行われ50名を超える県民が参加しました。
宗教関係者を始め多くの県民が集いました。
九州大学名誉教授の横田耕一さんによる「天皇代替わりに象徴天皇制を考える」と題する講演が行われました。
講演を行う横田耕一九州大学名誉教授
講演の後、「天皇代替わり問題を考える@やまぐち」の結成が提起され承認されました。
私も会員に登録しました。
以下、日本共産党の天皇代替わり問題に対する見解を紹介します。
以下は、今年3月に、日本共産党中央委員会が政府に申し入れた内容です。
・・・
天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ
2018年3月22日 日本共産党中央委員会
天皇の「代替わり」にともなう2019年の一連の儀式について、政府の式典準備委員会が基本方針をまとめようとしています。
昨年、天皇退位特例法の制定を前に、衆参両院議長は、国会を構成する全ての政党会派の意見を聴取し、立法府としての対応を議論する機会をつくりました。これは、天皇退位の問題を党派的な争いにせず、できるかぎり各党の合意を得て対応をとりまとめようとする積極的なとりくみでした。
「代替わり」にともなう儀式についても、政府が閣議決定等で一方的に決定するのではなく、国会や各党の主張・見解にも耳を傾け、できるかぎり各党間の合意を得るとともに、国民が合意できる内容にする努力がはかられるべきと考えます。
日本共産党は、日本国憲法の全条項をまもる立場から、天皇の「代替わり」にともなう一連の儀式にあたっても、日本国憲法の原則――とくに国民主権と政教分離の原則を厳格にまもることが大切であると考え、以下の提案を行います。
わが党の提案は、天皇制反対の立場ではなく、憲法の原則にふさわしい行事にすべきという立場からのものです。
(1)
新たな天皇の即位にあたって、政府は1989年から90年にかけて行われた「平成の代替わり」の儀式を踏襲するとしています。ここには日本国憲法にてらして重大な問題があります。
それは前回の儀式が、明治憲法下の絶対主義的天皇制のもとで公布された旧皇室典範と登極令を踏襲したものであったということです。
旧皇室典範(1889年=明治22年制定)は、「践祚(せんそ)即位」の章で、「天皇崩ずるときは皇嗣(こうし)即ち践祚し、祖宗の神器を承(う)く」として、「践祚即位」と「三種の神器」の承継が一体のものとされました。
登極令(1909年=明治42年)は、明治天皇が死去する3年前に、明治政府が天皇の「代替わり」を想定して、天皇主権と国家神道にもとづいて「践祚」(皇位継承)、「改元」、「即位礼」、「大嘗祭」など儀式のあり方を定めたものでした。
いずれも、天皇神格化と国家神道を徹底する立場から、明治期につくられたものです。そして、いずれも、現行憲法のもとで廃止・失効しているものです。政府は、前回の「代替わり」の儀式について、「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したもの」と説明しましたが、実際に行われた儀式は、国民主権と政教分離という憲法の原則に反するものとなりました。またそれは、明治期につくられたものであり、「皇室の伝統」とも言えないものでした。
今回の天皇の「代替わり」にさいして、このような儀式を繰り返すべきではありません。儀式のあり方を、現行憲法の精神に即して、全体として見直すべきです。
(2)
とりわけ、前回の「代替わり」で行われた以下の国事行為や儀式は、明らかに日本国憲法の原則――国民主権と政教分離の原則に反するものであり、根本的な見直しが必要だと考えます。
〇「剣璽等承継の儀」(国事行為として行われた)は、登極令にあった「剣璽渡御(とぎょ)の儀」を、ほぼそのまま再現し、皇位のあかしとされる「三種の神器」を構成する剣・璽(勾玉)と、「国璽」・「御璽」を、新しい天皇に引き継ぐ儀式として行われました。「三種の神器」は、『古事記』や『日本書記』にのべられた神話で、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、地上を統治せよと命じて高天原から下ろしたさいに授けたとされるものです。
現行憲法は、天皇の地位について、「主権の存する国民の総意に基づく」としています。天皇の地位は、主権者国民の総意にもとづくものであり、「三種の神器」の「承継」をもって天皇の「代替わり」のあかしとする儀式を国事行為として行うことは、憲法の国民主権の原則と両立しません。また、きわめて宗教色の濃いこうした儀式を国事行為として行うことは、憲法の政教分離の原則とも相いれません。
それは、日本国憲法のもとで制定された現在の皇室典範では、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」(第4条)とだけのべられ、旧典範にあった「三種の神器」を受け継ぐことを意味する「践祚」という言葉も、「神器」という用語も、ともに削除されたことにも示されています。
「三種の神器」を、天皇家が家宝として大切にあつかい、代々受け継いでいくことを否定するものではありませんが、それは天皇家の私的行為として行うべきであり、国事行為とすべきではありません。
前回の「剣璽等承継の儀」では、皇族の出席者は男性皇族だけとされ、新皇后を含めて、女性皇族は排除されました。こういう問題が生じたのは、登極令で「剣璽渡御の儀」の出席者を皇太子、皇太孫、親王などの皇位継承権を持つ男性皇族に限定し、それを踏襲したからにほかなりません。ここにも「剣璽等承継の儀」を国事行為とすることの矛盾、時代錯誤があらわれていることを、指摘しなければなりません。
〇「即位後朝見の儀」(国事行為として行われた)は、即位した新天皇が、即位後初めて公式に三権の長など国民を代表する人びとと会う儀式とされています。
しかし、「朝見」とは、臣下(家来)が宮中に参上して天子に拝謁することを意味します。実際の儀式のあり方も、天皇の「お言葉」に対して、首相が、「最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます」と「奉答文」を読み上げるなど、憲法の国民主権の原則にそぐわない内容となりました。
こうした儀式を国事行為として繰り返すべきではありません。
〇国事行為として行われた「即位の礼」の一連の儀式のなかでも、とくに「即位礼正殿の儀」は、大きな問題があります。
前回の「即位礼正殿の儀」は、即位を公に宣明するとともに内外の代表が即位を祝う儀式として行われました。「神話」にもとづいてつくられた、神によって天皇の地位が与えられたことを示す「高御座」(たかみくら)と呼ばれる玉座から天皇が言葉をのべ、その下から内閣総理大臣が祝いの言葉をのべて万歳三唱が行われました。
しかも、「即位の礼」は、徹頭徹尾、神道行事である「大嘗祭」と一体に行われました。昭和天皇の死去から1年10カ月も経ってから「即位の礼」と「大嘗祭」が続けて行われたことにも、これらが一体不可分であることが示されています。こうした時期に行われたことは、登極令で、「大嘗祭」は、秋冬の間に「即位の礼」に続けて行うという規定にのっとったものとしか説明がつきません。そのために、天皇の即位から「即位の礼」まで長い期間をあけるというきわめて不自然・不合理なものとなっているのです。
こうした儀式は、憲法の国民
主権、政教分離の原則とは両立せず、国事行為にふさわしくありません。
〇「大嘗祭」そのものについていえば、天皇が神と一体になり、そのことによって民を支配していく権威を身につける儀式として古来より位置づけられてきたものです。
前回は、宗教上の儀式と見られることなどから「国事行為として行うことは困難」(1989年12月21日、閣議口頭了解)とはされましたが、事実上の国家的行事として多額の公費(宮廷費)がつぎ込まれました。こうしたあり方は、国民主権の原則にも、政教分離の原則にも明らかに反しています。
天皇の「代替わり」にともなう儀式は、憲法にもとづく国民主権と政教分離の原則にかなった新しいやり方をつくりだすべきです。
(3)
天皇の「代替わり」にともなう儀式の問題は、国家機関である天皇の即位にかかわる重要な問題であり、「国権の最高機関」としての国会を構成する全ての政党会派による十分な議論の機会がもたれるべきです。
この点で、「平成の代替わり」と今回の「代替わり」は、条件が大きく異なっています。「平成の代替わり」の際には、昭和天皇の病状などを理由に、国会議員への説明や答弁が事実上拒否されました。その結果、国会をふくめ、「代替わり」をめぐる開かれた議論はいっさいおこなわれないまま、政府内での秘密裡の検討によって一連の儀式が決定されました。登極令にそった「剣璽等承継の儀」や「即位後朝見の儀」の内容が明らかになったのは、昭和天皇が死去した直後でした。
今回は前回とは事情が異なり、昨年成立した天皇退位特例法の施行としておこなわれるものであり、退位・即位までには1年以上の十分な時間があり、その間、現行憲法にふさわしい天皇即位のあり方を国民的に議論できる条件があります。
憲法にのっとった儀式はどうあるべきなのかについて、国会の全ての政党会派の意見を反映し、国民的な議論により合意を形成する努力を行うことを強く求めます。
・・・
天皇代替わりに対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
今年結成20周年を迎えた「クレイジーケンバンド」。
NHKラジオすっぴんに横山剣さんが出演しておられ、改めて注目しています。
「タイガー&ドラゴン」などヒット曲は数曲聴いたことがありましたが、本格的に聴くのは初めてですが、驚きの連続です。
ある曲は、矢沢永吉のよう、ある曲は、和田アキ子のよう、ある曲は、米米クラブのよう、ある曲は吉幾三のよう、ある曲は、嘉門達夫のよう、ある曲は、湘南乃風のよう、ある曲は、東京スカパラダイスオーケストラのよう、・・・。
「クレージーケンバンド」がお好きの方は、それが「クレージーケンバンド」だと当然のようにおしゃるでしょうが、本格的に聴き始めた私には驚きの連続だったのです。
殆どの曲が、横山剣さんの作詞作曲です。横山さんの泉のように湧いてくるジャンルを超えた楽曲に目を奪われて続けています。
金管楽器が入っているので、聴いているだけで心がワクワクします。
横山さんの七色の声が素晴らしい。
歌詞もいいです。
2009年リリースのアルバム「Girls!Girls!Girls!」に収録されている「僕らの未来は遠い過去」に次のような歌詞があります。
「『未来』お言った瞬間に すべては過去だ 本当に だったら今を大切に そうしたら明日は明るい日」
「夢は未来だけじゃないさ 夢のような過去もあるんだ そのことに気づける今が 何より大切なんだ」
横山さんは、私より4つお兄さん。私にとって憧れの先輩となりました。
11月1日、防府市公会堂で「クレイジーケンバンド」のコンサートがあります。
妻と一緒にコンサートに行くことしています。
移動中の車中で「クレイジーケンバンド」を聴きながらご機嫌な毎日です。
「クレイジーケンバンド」ファンの皆さん、お勧めの曲をお教え下さい。
昨日は、実家の稲刈りをする予定でした。
台風襲来のため、作業は出来ず、レンタルビデオショップに立ち寄り、映画館で観たかった瀬々敬久監督の映画「友罪」レンタルし観ました。
今年観たビデオの中では一番印象に残る作品でした。
この映画は、薬丸岳さんの同名小説が原作です。
小説「友罪」文庫本の裏表紙から物語のレイアウトを見ていきます。
「あなたは、『その過去』を知っても友達でいられますが?埼玉の小さな町工場に就職した益田は、同日に入社した鈴木と出会う。無口で陰のある鈴木だったが、同い年の二人は次第に打ち解けてゆく。しかし、あるとき益田は、鈴木が14年前、連続児童殺傷で日本中を震え上がらせた『黒蛇神事件』の犯人ではないかと疑惑を抱くようになり―。」
小説「有罪」の文庫本の解説で瀧井朝世さんが次のように書いています。
「この物語は重大な事件を起こした人間が社会復帰後にどうなるかが主題ではない、ということだ。それようりも、友人が犯罪者だと気づいてしまった人々の内面に光を当てた物語なのである。」
映画「友罪」の公式ページに、多くの書店員の方々が映画の感想を述べています。
その中に、このような一言がありました。
「罪を犯した人間には幸せになる権利はないのか?」
この重いテーマに正面から向き合った作品でした。
映画の公式ホームページに久米宏さんはこう書いています。
「人の、罪の意識や絶望に想いを馳せる能力は、希望を理解する力と同じものかも知れない。人間の絶望や、あまりにも深い悲しみを理解するということは、自分の生きる価値を分かることに繋がるという希望を持ちたい。」
私は、この映画を観て、「歎異抄」を想起しました。
「善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや。」
この物語を通じて、人としての価値とは何かを考えさせられました。
山口県人権指針にの分野別課題に「罪は非行を犯した人の問題があります。
この中にこう書かれてあります。
「罪や非行を犯した人が真に更生し、社会の一員として円滑な生活を営むことができるよ うにするためには、本人の強い更生意欲とともに、家族、学校、職場、地域など周囲の人 たちの理解と協力が必要です。 このため、罪や非行を犯した人に対する偏見や差別意識を解消し、社会復帰に資するた め、関係機関と連携して啓発活動の推進に努めます。」
基本的人権の尊重の意味をこの映画で知ることが出来ました。
映画での瑛太の演技は、まさに「怪演」でした。
映画では、佐藤浩市さんが犯罪者の父を演じていました。佐藤さんの葛藤も物語を深める役割を発揮しています。
この映画は、一人でも多くの方に観ていただきたいと思います。
先行レンタルが開始されています。
瀬々敬久監督の「64」に続く大作「友罪」に心奪われました。
瀬々監督にも注目していきたいと思います。
今、原作の薬丸岳さんの「友罪」を読んでいます。薬丸岳さんにも注目していきたいと思います。
心奪われる映画を観ることが出来て充実した休日となりました。
やっぱり映画はいいですね。
皆さんがご覧になった映画でお勧めの作品をお教え下さい。
ミサイル基地はいらん
県民大集会に280名が参加
陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」配備計画の候補地とされる陸上自衛隊むつみ演習場がある萩市に隣接する阿武町で、9月30日、「ミサイル基地をつくらせない県民大集会」が開かれ、280名が県下各地から参加しました。
主催者を代表して、事務局の広兼さんは、阿武町長がミサイル基地の配備反対を表明したことについて「阿武町民の皆さんの民主主義を国に届けよう」と挨拶しました。
記念講演を行った増山山大名誉教授は「佐世保基地では5月に市民の車の電子機器が一斉に止まるという出来事が起きた。イージス艦のレーダーの電波が影響していることは明らか。防衛省は、レーダーの電波の影響はないと説明しているが、影響はある。」と話しました。
白菜農家の白松さんは、「高校2年生の孫娘が『お爺ちゃん、イージス・アショアなんか絶対に作らせちゃいけんよ。』と言われたと語りました。
集会参加者一同で、「いらん!」と書かれた紙をかざし、ミサイル基地ストップの意思を示しました。
最後に、「私たちは、戦争をせず、戦力を持たず、平和外交によってふる里を守りたいのです。」「本日、ここに結集した私たちは、巨大ミサイル基地であるイージス・アショアの配備計画撤回に向けて、さらにこれから力を合わせ歩んでいくことを宣言します。」とする集会宣言を参加者一同で確認しました。
ミサイル基地をつくらせない県民大集会参加者
宇部駅にエレベーター設置
2015年2月26日、日本共産党宇部市議団と藤本前県議は、JR西日本宇部支社に宇部駅のバリアフリー化を要望しました。
JR西日本の担当者は「宇部駅にエレベーターの設置を予定しており、宇部市と協議している」と答えました。
JR西日本は、宇部駅の西側に、エレベーターを設置した新しい跨線橋を架けることを決め、この程、跨線橋新設工事がスタートしました。
エレベーター付きの新しい跨線橋の現時点での総事業費は約7億円です。国、JR、宇部市が3分の1づつ負担します。新しい跨線橋は、来年度中には完成する予定です。
エレベーター付き跨線橋の新設工事がスタート
日本共産党 前山口県議会議員
藤本かずのりさんを囲む集い
日時 10月27日(土)午前10時~
場所 西宇部町自治会館
宇部市西宇部南
(宇部駅開札口から厚東方面線路沿すぐ)
藤本かずのり前県議会議員
主催 日本共産党 藤本かずのり事務所
宇部市大小路3-1-46 ℡0836-39-6918
藤本かずのり 携帯 090-3747-2855
一気
9月30日、ミサイル基地をつくらせない県民大集会で私は、「今日は、9月30日、沖縄県知事選の投票日です。沖縄でデニー知事を誕生させ、山口からミサイル基地はいらないの声を安倍政権に届け、今日、9月30日を安倍政権の『終わりの始まり』の日にしようではありませんか。」と発言しました▼沖縄県県知事選挙で玉城デニー氏が勝利しました。志位和夫委員長は、「玉城デニー候補の勝利は、首相官邸が主導し、国家権力を総動員して沖縄県の民意を押しつぶそうとした安倍政権に対する痛烈な審判ともなりました。」との談話を発表しました▼県民大集会の「集会宣言」に「私達は、戦争せず、戦力を持たず、平和外交によるふる里を守りたいのです。殺し殺される事態ではなく、福祉・教育・医療の充実によって『平和のうちに生存する権利』を充たしたいのです。」とあります▼安倍政権は、強権政治をやめて、国民の「平和のうちに生存する権利」を尊重する政治を行う時です。
私は、30歳の頃、ラジオから時実新子さんの川柳の本の朗読を聞き、「川柳」を始めました。
時実新子さんが主宰された「川柳大学」の同人として、関西で開かれる会合にも参加して、指導を受けてきました。
川柳を始めて20年以上となりました。
今は、医療生協健文会機関紙「健康のひろば」と山口民報の川柳欄の選者を務めています。
さて、今、田村義彦著「十七文字の戦争 -川柳誌から見た太平洋戦争と庶民の暮らし-」を読んでいます。
戦争と川柳を語れば、「手と足をもいだ丸太にしてかえし」を戦時中に発表した反戦川柳作家「鶴彬」が有名です。
私にとって「鶴彬」は、時実新子さんと並んで私が尊敬する川柳作家です。
太平洋戦争中に発行されてきた川柳誌にどのような句が掲載されてきたかを描いた著作は初めて読みました。
1942年7月に発行された川柳誌「番傘」に「作句道場」の選者・小田夢路はこう書いています。
「・・・大東亜戦争下の今日、思想関係とか、防諜関係から余程注意して作句せねばならないなつてゐるため、お互いがその安全を期するの余り、作句範囲をいよいよ狭く考えて、あれもいけない、これもいけないと恐れすぎてゐる傾向さえうかかがはれて、選者は益々むつかしく戦時下と云う広い意味の題詠の選をしてゐるやうなもので、自然厳選せざるを得ぬので困ってゐるのが本当のことである」
1942年7月に発行された川柳誌「川柳きやり」に「文学報国会の設立に寄す」という記事が掲載されています。
「新世界観を樹立せよ 大東亜戦争と文芸の使命 情報局次長 奥村喜和男・・・近代戦は、総力戦であるといわれる、大東亜戦争はその意味で、単に武力選のみならず、経済戦、宣伝戦、思想戦、文化戦の前面にわたる一大綜合戦だといわれてゐる、そこでその思想戦、文化戦に特に関係の深い文芸家の方々が、強力な一元的団体を組織され、その走力を結集されるということは、物的人的すべての力を、戦争目的に集中するという総力戦の立場からも必要な措置といふことができるのである(略)」
1942年、5月26日「日本文学報国会」が組織され、川柳を含む文学が丸ごと翼賛体制に取り込まれてしまいました。
1942年、「川柳けやり」5月号にはこのような句が掲載されています。
奉安殿ヨイコに成つたぼんのくぼ 埼玉 大塚劍狂兒
1941年生まれの田村さんは、この句にこのような解説を行っています。
「奉安殿=天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めた建物。この建物の前では神社に参拝するように、深々とおじぎをすると、ほんのくほが見えます。私にもおじぎした記憶があります。『どうして?』『ここではそうするの』とおふくろ。まだ戦前をひきずっていたのですね。敗戦後間もなく市役所の前。奉安殿が壊されたがれきの前でした。四歳の幼児にはがれきの山に見えました。」
第4次安倍改造内閣の柴山文科大臣が、教育勅語を現代的にアレンジすれば、教育で使うことを「検討に値する」と発言しました。
教育勅語の根本原理は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」です。
教育勅語は、戦前に果たした役割の反省から戦後、1948年に衆議院で「排除決議」が、参議院で「失効決議」が採択されています。戦後、両院は教育勅語を否定する決議を行っているのです。
庶民から自由に川柳を読む自由を奪い、「お国のために血をながせ」と教えた時代に逆行させる大臣の発言は許されません。
私の最近の川柳の句に次があります。
「トランプに会う度武器を買わされる」
このような句を書いたら鶴彬のように逮捕され投獄されるような世の中に戻してはなりません。
表現の自由が保障されるとはどういうことか、戦争に向かう翼賛体制とはどういうものだったのかを考えさせる良著です。
1942年5月の「番傘」に次の句があります。
「喜んで死ねる覚悟に育てられ 大牟田 しかを」
このような句ばかりが新聞の川柳欄に並ぶ時代を戻してはなりません。
これからも時実新子さんの指導を思い起こしながら自由に川柳を書き続けようと決意を新たにする良著でした。
田村義彦著「十七文字の戦争」から引き続き多くの事を学んでいきたいと思います。