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国境を越えたスクラム

 ワールドカップラグビー、日本が初めてベスト8に進出しました。

 ベスト4をかけて、今日、日本対南アフリカ戦が行われます。

 この夏、ドラマ「ノーサイドゲーム」を観るまでは、ラグビーのルールすら十分知らない私でした。

 ドラマに感動し、ラグビーワールドカップで、日本が勝利をおさめるに従い、ラグビーという競技そのものの魅力が少しづつ

わかってきました。 

 このような中、山川徹著「国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち」を数日前から読んでいます。

 ワールドカップと言えば、これまで、息子たちと一緒に、サッカーの日本チームを応援してきました。

 長男がバレーボールの観戦が好きだったこともあり、ワールドカップバレーでも日本チームを応援してきました。

 これら競技と比べて、ラグビー日本代表に海外出身選手が多い印象が確かにあります。

 「国境を越えたスクラム」は、まさにこの点に光を当てた作品です。

 山川さんは、この本のプロローグで、こう述べています。

 「私は、彼らを『助っ人外国人』とは見ていなかった。海外出身の彼らが日本代表として戦う姿は自然で、違和感がなかったからだ。日本人選手と海外出身選手が互いに尊重し、理解し合い、融和し、勝利を目指す。その過程で軋轢や衝突もあったかもしれない。けれども、試合で見るラグビー日本代表の姿は、調和のとれた一つのチームだった。外国人の受け入れが生んだひずみを見る機会が多かった私には、ラグビー日本代表こそが、日本社会が目指す一つの姿ではないかと思うようになっていたのである。2000年代後半に入り、在日コリアンや韓国を標的にしたヘイトスピーチが出現した。当初は異端な考えだと誰も相手にしなかったはずだ。しかしいつしか社会に認知されて、韓国との国交断絶や、外国人排除を公約に掲げる政党まで誕生した。人の尊厳を踏みにじるあまりに不寛容な言葉が社会に定着してしまった気味悪さを感じる。

 (日本人と外国人がラグビーを通して調和する姿が)「目指すべきダイバーシティの一つのモデルとして浮かび上がってきたのだと思う。」

 「日本代表としてプレーした外国出身選手の歩みを辿ってみたい。そんな気持ちが強まった要因の一つが、2018年12月に成立した『出入国管理及び難民認定法(入管法)及び法務省設置法の一部を改正する法律』である。日本は2019年4月から外国人労働者の受け入れをスタートした。政権は否定するが、事実上の移民政策であるのは誰の目にも明らかだ。私には、日本人がやりたがらない低賃金の仕事を外国人労働者に押しつけていく政策にしか見えない。今後、日本の姿は、間違いなく変わっていくはずだ。そのプロセスで、ボタンを掛け違えれば、新たな差別を生み出し、分断は広がっていくに違いない。受け入れはすでにはじまっている。これから来日する外国人も、日本代表となった海外出身選手も、日本と異なる文化や環境で生きてきた一人の人間に変わりはない。彼らはどのような経過で日本を代表するにいたったのか。日本を選んだ様々な理由があるはずだ。ラグビー日本代表のあり方に、これからの日本社会が進むべきヒントが隠されているのではないか。そんな直感めいた思いがよぎったのである。」

 昨日も、社会の不寛容さについて考えてきましたが、今日も、引用する本の中に「不寛容」という言葉が出てきました。

 不寛容を乗り越える社会のモデルをラグビー日本代表のあり方から見出そうとする著者の想いに納得しました。

 ラグビー日本代表のあり方に「目指すべきダイバーシティの一つのモデル」があるという著者の考えに共感を持ちます。

 他のスポーツの代表選考基準は知りませんがラグビーの国の代表の選出基準は次の三点だとあります。

 第一は、出生地がその国。

 第二は、両親、祖父母のうち一人がその国出身。

 第三は、その国で3年以上、継続して居住。または通算10年以上にわたり居住。

 2019年日本大会から第三の3年は5年に変更されたそうです。

 他のスポーツよりも、多様性を認め合うスポーツがラグビーであり、それが魅力なのかも知れません。

 この本を読み、益々、ラグビーが好きになりました。

 今日も、マイケルリーチキャプテンが率いるラグビー日本代表を応援したいと思います。

 ラグビー日本代表に対する皆さんの想いをお教え下さい。

 

 

 

「この国の不寛容の果てに」読書ノート①

 雨宮処凛編著「この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」を読んでいます。

 今日は、雨宮処凛さんが書いた序章「私自身の『内なる植松』との対話」について書きたいと思います。

 孫引きで恐縮ですが、この本の序章で雨宮さんは、「BuzzFeed Japan」に掲載された立命館大学の立岩真也教授の言葉を引用しています。

 「立岩教授は、相模原事件などについて、少子高齢化が叫ばれる時代、『命を選別しなければ国民の生活が立ちいかなくなるとする不安』が背景にあると指摘している。そうして相模原事件について、以下のように述べるのだ。『犯人の言っていることは突拍子もないと思われているかと言えば、今はおかしいと思われていないところがこの事件を忘れてはいけない理由です」「この男は社会や国家の未来を心配し、こういう形で障害者を活かすことを続ければ社会がもっと大変なことになる、だから社会を危機から救うのだというある種の正義感にかられてやったと言っています」「誰もそんなことはしないけれど、手前のところで(植松被告と同様のことを)思っている。植松被告はこれを真に受けて人を殺しましたが、素っ頓狂な信仰に過ぎないと言えない状況になっていることが、問題なのだと思います」「少子高齢化という言葉を小学生でも知っている今、より生産に励み、生産しないものは産まれてないようにしておかないと、この世の中はやっていけないらしいいというある種の常識が根っこにあって起きた事件だと思います」立岩氏は、こんな『常識』がLGBTには『生産性がない』と書いた杉田水脈議員や、『自業自得の人工透析患者を殺せ』と主張した長谷川豊氏など、政治を志す者にも共有されていることを指摘する。「彼女らは物心ついた時には既に少子高齢化という言葉が世の中にあり、バブル崩壊後に社会の中で失業者がたくさんいるという中で育った。世の中は放っておいたらもっと大変になるという空気の中に生き、それを前提にして政治家になろうとした人たちです』」

 雨宮さんは、立岩教授の言葉を引用した後で、このように書いています。

 「そんなふうに見ていくと、植松被告の奇妙な『普通さ』が浮かび上がる。あれほど異常な事件を起こしたというのに、どこかものすごく『普通』で『真面目』なのだ。」

 雨宮さんの「私自身の『内なる植松』との対話」という視点は、目から鱗が落ちる思いでした。

 この本の表題の「この国の不寛容の果てに」を乗り越えるにはどうしたらいいのか。

 雨宮さんは、6人の方々と対話をしています。

 対話の中身を読み進めていきたいと思います。

 もう20年位前だと思います。雨宮処凛さんを宇部市にお呼びして講演会を開いたことがあります。

 その時、私は、県議になりたてだった頃でした。雨宮さんも作家活動を始められたばかりの頃だったと思います。

 雨宮さんは、この20年間、社会の不条理に目を向け続け、発信してこられました。

 雨宮さんの論戦の到達を見るにつけ、これからも雨宮さんの文章からしっかり学んでいこうと改めて思いました。

 大学で、障害者福祉を学んだ私は、「やまゆり園事件」は衝撃でした。

 事件以降、「相模原事件」を考える本は、どうしても手に取ってしまいます。

 藤井克徳編著「わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想」は、私に最も影響を与えた本の数冊に入りました。

 「この国の不寛容の果てに」も大いに学ぶべき中身の詰まった本です。

 これからも「相模原事件」と私たちの時代をしっかり考え、この時代を乗り越えるためにはどうしたらいいのか、しっかり考えていきたいと思います。

 「相模原事件」を考えるため、皆さんのお勧めの本がありましたらお教え下さい。

 

秋吉台芸術村存続へ署名

 今朝の読売新聞は、県が管理の見直しを行う施設の一つとしている秋吉台芸術村について次のように報じています。

 「県が廃止または譲渡の方針を示している美祢市の秋吉台芸術村について、芸術村の元職員が17日、存続を求めて本格的な署名活動を始めた。12月末までをめどに署名用紙への記入を呼びかけ、来年1月に県に提出する予定だ。署名活動を展開するのは、元職員で今も芸術村でコンサートなどを企画する上原久生さん(70)(山口市)。この日は、山口市の市民活動支援センター『さぽらんて』に署名用紙と協力を呼びかけるビラを置いたり、交流がある文化団体の関係者らに用紙を発送したりした。署名活動はインターネットでも先に初めていて、17日時点で約380人の署名が集まっているという。上原さんは『芸術村を一度でも利用したことがある人は、施設のすばらしさを知っていると思う。存続を望む声の大きさを知事に伝えたいので、協力してほしい』と話している。芸術村は県などが総額78億円をかけて整備し、1998年にオープン。管理する県は歳出削減の一環で、廃止または美祢市が希望すれば譲渡する方針を固めている。」

 私は、9月県議会で、山口県が美祢市に秋吉台芸術村について「廃止か譲渡」の方針を伝えた事実を明らかにし、なぜ、踏み込んだ方針提起をしたのか質しました。

 県は、「現時点で、廃止を決めた施設はない」と答えました。

 私は、この署名に協力したいと思っています。

 署名が必要な方は、私にその旨をお伝え下さい。

 次回の11月県議会においてもこの問題を取り上げる予定です。

 秋吉台芸術村の存続を求める署名がスタートしました。

 皆さんは、秋吉台芸術村を始め、県有施設の見直し問題をどのようにお考えですか。

 ご意見をお聞かせ下さい。

河川氾濫 

 今日の中国新聞の社説は、台風19号に関連し、「河川氾濫」について次のように書いています。

 「千曲川では、約70㍍にわたって堤防が決壊した辺りは川幅が1キロほどあるが、すぐ下流は5分の1ほどの狭さ。水量が増えて下流に流れにくくなって、あふれる形で決壊した、という。ダムの緊急放流が絡んでいる可能性もある。今回は国などが管理する六つのダムで実施された。決壊を防ぐためやむを得なかったとの説明だが、西日本豪雨では愛媛県のダムが緊急放流した後、下流で犠牲者が出た。教訓として、有識者から提言されていた事前の水位調節は今回いずれも実施していなかった。下流にどんな影響を与えたのか検証する必要がある。」

 今回の災害で、検証すべき課題の一つを明確に指摘している中国新聞の今日の社説です。

 この指摘を今回の災害で十分に検証し、今後の減災対策に生かす必要があります。

 山口県にも十分に教訓を生かす必要があると感じました。

 河川の氾濫で多くの死者が生まれました。教訓について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

異論拒む姿勢 保守とは言えない

 14日の朝日新聞で、政治学者の中島岳志さんが韓国に対する批判が強まる、日本の「空気」について次のように述べています。

 「1980年代に日韓それぞれで起こった三つの要因を源流とする、新しいタイプの現象と見ています。一つは、20代から30代で戦争を体験し、戦時体制を毛嫌いしていた戦中派保守の言論人が論壇の一線から退いたことです。二つめは、82年に中曽根康弘氏が首相に就き、首相の靖国神社公式参拝、閣僚の日韓併合をめぐる失言などで日本政府の歴史認識が政治問題化しました。三つめは、87年以降の韓国の民主化です。ハンギョレ新聞のような進歩系メディアも生まれ、慰安婦問題の告発の舞台となります。ただこの三つが相まっても、まだ強い『嫌韓』には至りません。その後、韓国が経済成長で国力をつける一方、世界における日本の相対的地位が下がったこと、根底にはこうした変化があると思います。韓国の姿勢も『日本に言うべきことは言う』と変化してきました。隣国の韓国が自己主張を強める姿は一部の日本人にとって、自信喪失と相まって気に入らない。保守派、とくに年長の世代により表れていると思います。」

 「保守」のありようと言う視点で見て、この問題をどう考えるのかについて中島さんは次のように述べています。

 「18世紀の英国の政治家エドマンド・バークに従えば、保守思想は、人間の不完全であり、人間の理性は間違いやすいと考えます。自分と異なる主張にも耳を傾け、『なるほど』と思える異論とも合意形成を図ろうとする。これが保守政治の矜持です。」「『自分こそ正しい。韓国はおかしなことを言い続けている』と言う頑なな姿勢は、私は保守とは見えません。『日韓とも自分の思う(100%)をめざしている現状ではどうにもならない。膠着状態のときこそ解決の糸口を見だすため、多元的なチャンネルを使う策もめぐらす。これも保守政治家の要諦です。」

 対話こそ、アジアの平和を築く道です。

 保守思想こそ、「自分と異なる主張にも耳を傾ける」。この中島さんの指摘を胸に刻む時です。

 「反韓」「嫌韓」の書籍が書店に陳列される時代です。皆さんは、この状況をどうお考えですか。

 

 

台風19号と緊急放流

 台風19号は12日夜から13日未明にかけて、東海、関東、東北地方を縦断して太平洋に抜けました。

 この台風により、50名以上の死者が出ました。この災害で亡くなられた方々に、お悔やみを申し上げると同時に、行方不明の方の早期発見を願います。また、負傷された方や避難生活を送られている被災者の方々にお見舞いを申し上げます。

 さて、この台風で、21の河川が決壊しました。また、6つのダムで緊急放流が行われました。

 この緊急放流について、14日の毎日新聞は、次のように報じています。

 「12日夜から13日未明、貯水の限界が見込まれた際に流入量とほぼ同量を下流に流す異常洪水時防災操作(緊急放流)が関東や東北のダム計6か所で実施された。12日夜にニュースなどで緊急放流が予告されると、ツイッターなどで不安の声も出た。国土交通省によると緊急放流は、水沼ダム(茨城)▽美和ダム(長野)▽山城ダム(神奈川)▽塩原ダム(栃木)▽高柴ダム(福島)▽竜神ダム(茨城)-で、12日午後8時50分~13日午前0時35分に行われた。夜間に実施された点について、国交省の担当者は『この水位になったら実施するという取り決めがあり、結果的に夜間になった』と説明する。このうち、神奈川県が管理する城山ダムでは、まず12日午後0時40分ごろから約1時間かけ、『午後5時ごろ緊急放流を実施する』との見通しを流域自治体などに伝えた。ただ雨量が予測より少なく、いったん見送った。その後に水位が上昇し、午後8時35分ごろに改めて『午後10時から実施する』と伝えた。ところが雨量の増加が予測を上回り、同9時20~25分に『10時を待たずに放流する』と予告。実際に放流したのは直後の同9時半、通知は9時25~35分だった。県の担当者は『急激に予測を超える流入がありバタバタになってしまった』と振り返る。」

 読売新聞は、14日付けで緊急放流についてこう書いています。

 「西日本豪雨や今回の台風では、流域を浸水から守るためのダムが大雨に持ちこたえることができず、緊急放流にも踏み切らざるを得なかった。国土交通省幹部は13日、『豪雨の激甚化に整備のスピードが追い付いてない』と語った。

 朝日新聞は、14日付けで、緊急放流を次のように報じました。

 「ダムの貯水量が急増して決壊するのを防ぐための緊急放流も、5県6か所で実施された。昨年7月の西日本豪雨の際の6府県8ダムに続き、一度の大雨で実施される規模としては異例の多さだった。国交省の中堅幹部は『予想量を超える水量がダムに流れ込んだ』と分析する。

 山口県では、今後、河川の決壊を防ぐ河川改修工事を急ぐ問題や、緊急放流を可能な限り防ぐダムの管理体制をどのように構築していくのかなど、台風19号から学ぶ課題は多いと思います。

 県内でも大きな被害が発生した、昨年の7月豪雨をしっかり検証していくために、決算特別委員会では、防災対策を一つの大きなテーマとしていかなくていけないと感じています。

 決算特別委員会や次の12月定例会で、防災問題をしっかり議論していきたいと思います。

 台風19号から学ぶべき教訓を皆さんはどう感じておられますか。ご意見をお聞かせ下さい。