私は、6月議会で、山口県の福祉医療制度の拡充について質問しました。私は、この問題で、二つの前進を評価しました。一つは、65歳以上の重度障害者が後期高齢者医療制度に加入していなくても、福祉医療の対象にした問題です。二つ目は、知事がマニュフェストに父子家庭も福祉医療の対象にするとしたことです。
しかし、山口県は、とても子育て日本一を誇れる状況ではないことが、乳幼児医療費助成制度に現れています。一つは、全国での対象の広がりです。現在の山口県の乳幼児医療費助成制度の水準は、市町民税所得割136700円以下の世帯で、年齢は、小学校就学前までです。しかし、現在では、東京が入院・通院とも中学校卒業まで無料です。群馬、神奈川、愛知は、入院の場合、中学校卒業まで無料。小学生に助成をしているのは、入院で・通院の両方が、栃木、兵庫、徳島で。入院のみが、新潟、京都です。二つ目は、県内市町村での単独の助成拡大の動きです。所得制限をなくしている(年齢制限はある)のが、下関、山口、下松、美祢、周南です。岩国、周防大島、和木、上関が年齢を小学校卒業までに延長しています。
私は、この6月議会で、乳幼児医療費助成制度について所得制限の撤廃と対象年齢の拡大を主張しました。県の答弁は、「逐次制度の改善を図っているところであり、現在、これ以上の拡大は考えていない。」との答弁でした。
逐次制度の改善を図ったのは過去の話であり、この数年の全国や県内での制度拡充を山口県は直視すべきです。そして、人口減少全国先進県として、切迫感を持った対応が必要です。
子育て日本一の山口県へ更なる改革が必要です。そのチャンスが今度の県知事選挙です。山口県を本当に子育て日本一の県にしていきましょう。福江候補は、マニュフェストで、乳幼児医療費助成制度について「所得制限の緩和・撤廃するとともに、医科・歯科ともに小学校卒業まで対象年齢を拡充します。」と訴えています。
妊婦検診を10回まで無料にし乳幼児医療費助成制度を拡大するためんの財源は15億円です。地域高規格道路・宇部湾岸線は、1キロ190億円です。湾岸道路の100メートル分で、子育て日本一に近い施策は実行できます。
チャンスは目の前です。
今日は鍛えられました。
9:00~ 生活相談
10:30~ こぐま保育園運営委員会
14:00~ 福江としきさんを励ます会
16:00~ 校区球技大会の準備
18:30~ みんなの県政つくる会うべ役員会
めまぐるしく一日が過ぎていきました。
明日は、終日、校区球技大会の運営委員として行事の裏方として働きます。打ち上げにも参加すると約束しました。
明日も鍛えられます。それでは、皆様おやすみなさい。
県議会厚生委員会の県外視察で山梨県を訪れました。山梨県は「環境首都」を目指して様々な取組みが行われていました。その中心の施設が「山梨県環境科学研究所」でした。この研究所には研究部門と教育部門があります。
研究部門では、基礎研究、特定研究、委託研究などが行われていました。研究分野では、自然環境、環境健康、地域環境政策などの研究が行われていました。何と言っても富士山麓という圧倒的な自然の中で、旺盛な研究が県行政のもとで行われていました。私は、独立行政法人化などの組織改変の動きがあるのか質問しました。県の担当者は、一時期そのような検討も行なわれたが、今はなく、当面は、県立施設のままで事業を継続していくと答えました。
教育部門でも旺盛な活動が展開されていました。専門の教育部門のスタッフが6人も配置されており、開設時の平成9年の年間来館者数は34992人だったものを平成19年に46142人へと、10年間で、1万人以上伸ばしていました。そして、驚いたのは、施設の利用料は全て無料だということです。私は、有料化への動きはあるのかと質問しました。答えは、これからも無料を継続するという答えでした。
環境研究所を県が設置し、独立行政法人化にもせず、利用料無料を貫いている。その姿勢に感服しました。私は、秋吉台地下水系がラムサール条約の登録湿地になった時、老朽化した当時秋芳町が保有していた秋吉台科学博物館を県立施設として新築するよう質問しました。しかし、県は、その事を検討しませんでした。また、私は、6月県議会の厚生委員会で、地球温暖化対策として排出量の多い県内事業所に対し県独自の抑制策を求めるべきと指摘しました。しかし、県は、この点でも十分な検討を行っていないことが明らかになりました。このような事では、環境分野で「住みよさ日本一の山口県」とは言いがたい状況です。山口県はこの分野でも腰を入れた対策を行うべきであることを山梨県の視察で痛感しました。
本日、県議会厚生委員会の視察から帰ってきました。老人医療費の低さ日本一の長野県。環境首都を掲げる山梨県。それぞれ充実した視察となりました。
今日は、一人当たりの老人医療費全国最低という長野県の秘密を解明したいと思います。長野県は、一人当たりの老人医療費が全国最低です。また、男性の平均寿命の全国1位が長野県です。更に、平均在院日数の最低が長野県です。長野県は、長寿でピンピンコロリの県といえます。
長野県の視察は、佐久総合病院と長野県庁と、松本市で行いました。視察を通じて、なるほどと思う点がいくつかみつかりました。
長野県でなぜ、老人医療費が全国一番低いのか。その一つの要因は、佐久総合病院の若月俊一先生を代表とする地域医療の実践が戦後すぐから行われたことにあることを実感しました。佐久総合病院の理念は、「農民のために」から「農民とともに」に変更され、60年近く取り組まれてきました。昭和20年代から、病院に劇団部が結成されたり、病院祭が行なわれるなど、地域医療が大きく進められてきました。
その実践が、長野県全体に波及し、健康スクリーニング事業へと発展していきました。
今の地域医療の到達を松本市で体感しました。それは、健康づくり推進員の取組みです。長野県では、ほとんどの市町村に、保健補導員が配置されています。松本市では、補導員を推進員とし、887名を配置していました。実に、100世帯に一人の配置です。この健康づくり推進員は、市民に検診を奨励していくことが目的であると同時に、まず、自らの健康のためにすすんで学習し実践するために配置されています。2年が任期ですが、30年近い取組みの中で、OBの推進員を含めると1万人を超える市民が、推進員を経験したことになるそうです。この広がりが、確実に、県民の健康を増進していることを実感しました。
決して医療を遠ざけるのではなく、医療を県民に近づけることによって県民の健康が高められ、医療費が削減されていることを学びました。
山口県は、住みよさ日本一を標榜していますが、それが空虚に思えました。やはり、標榜するからには、そのために何をしているのか、全国に誇れる地に足のついた実践を今からでも展開していくことが大切だと感じました。
明日は、環境日本一に取り組む山梨県での視察を報告します。
今日から木曜日まで、厚生委員会の県外視察です。行き先は長野県と山梨県。今日は、地域医療で有名な「佐久総合病院」に行きます。明日8日は、①志賀高原自然保護センター②長野広域連合・特別養護老人ホーム小布施荘③長野県庁で老人一人当たりの医療費が全国一低い理由をお尋ねします。9日は、①松本市議会で地域医療の取組みをお尋ねします。②サントリー白州蒸留所・天然水工場で、企業による環境保全の取組みをお聞きします。③環境省自然環境局生物多様性センター。最終日は、山梨県環境科学研究所を訪ねます。一日平均、2箇所視察の強行軍ですが、山口県で生かせる取組みをしっかり聞いてこようと思います。
ベットを無くしたり、医療費を高くしたり、高齢者を病院に行けなくすることで医療費を削減するのではなく、地域医療を充実して、高齢者が気軽に医療を受ける体制を構築して医療費を削減した取組みが、佐久総合病院や長野県や松本市などで聞けることが今回の視察で一番の楽しみです。
本ブログは、明日、明後日は更新できません。10日には、視察の報告などしっかりと更新したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
この間にも、皆さんの身近で起きた様々な出来事などお気軽にメールでお知らせください。
それでは、長野県・山梨県の視察に行ってまいります。
議会が終わって、少し時間が出来たので、映画「クライマーズハイ」を観に行ってきました。この映画は、1985年8月12日に発生した日航機墜落事故を扱ったものです。
事故というと、私自身が大学時代に遭遇した犀川バス転落事故を想起します。犀川バス転落事故が発生したのが、1985年の1月。日航機墜落事故が8月。改めて、二つの事故は、同じ年に起きたのだということを思い出しました。
二つ目に再認識したのは、主演した堤真一と私が同じ年だということです。彼は、「ALWAYS三丁目の夕日」で鈴木オートの社長を好演しています。同世代で、同時代を生きる俳優として彼から目を離せません。
物語は、日航機墜落事故が起きた地元新聞社で繰り広げられます。事故当日から数日間の新聞社内の動きを克明に追っています。同時に、現代を生きる主人公の葛藤を織り交ぜて描き出しています。
この映画で二度、涙しました。一度は、現地に足を運んだ堺雅人演じる佐山記者の現場雑感の記事です。この堺雅人もいい俳優ですね。私は、「新撰組」の山南敬助役で彼を知りましたが、穏やかな中に芯のある演技をする俳優さんだと思います。彼からも目が離せません。
この部分を横山秀夫の原作から引用します。
「若い自衛官は仁王立ちしていた。両手でしっかりと、小さな女の子を抱えていた。赤い、トンボの髪飾り。青い、水色のワンピース。小麦色の、細い右手が、だらりと垂れ下がっていた。自衛官は天を仰いだ。空はあんなに青いというのに。雲はぽっかり浮かんでいるというのに。鳥は囀り、風は悠々と尾根を渡っていくというのに。自衛官は地獄に目を落とした。そのどこかにあるはずの、女の子の左手を捜してあげねばならなかった―。」
原作者の横山秀夫は事故当時、実際に群馬県の地元紙の記者でした。この文章は、実際に現場に足を運んだ作家だから書けた文章ではないかと思います。それ程、迫力のある生きた文章です。
私は、いっぺんに23年前の1月に起きた犀川バス転落事故の当日の様子を思い出しました。大きな事故を経験したものとしての直感なのか、この文章は胸を打ちます。
私が泣いた二つ目は、主人公が息子に会いに行くシーンです。主人公と息子は確執があり、それを埋めようと、会いに行くシーンです。私は亡くなった父とのことを思い出しました。私も父とはぎこちなさがあり、そのまま、別れた想いがぬぐえないので、この場面に涙しました。そして、私自身が将来、息子たちといい関係が作れるだろうかという不安も脳裏をよぎりました。
映画は、自らの人生を重ねて観るから、人は映画に涙するのでしょうか。その意味で、我が人生を重ねるには絶好の映画でした。
やはり、原作がいいのでしょう。横山秀夫は、私が愛する作家の一人です。映像化作品は、「半落ち」「出口のない海」そして、「クライマーズハイ」と三作品目となりました。寡作の作家ですが、秀作揃いです。彼の作品はどれをとっても、理不尽な事に直面した人間の生きた声を丁寧に描き出されています。それは、作家自身の経験にも裏づけられたものなのでしょう。
明日から、県議会厚生委員会の県外視察に出発します。彼の最新刊「震度ゼロ」をカバンに詰めて行くことにします。