3日、宇部市内で、「長生炭鉱水没事故82周年犠牲者追悼集会」が宇部市内で行われました。
私は、主催者の「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の運営委員の一人として追悼式の運営にあたりました。
韓国遺族会の皆さんが、犠牲者追悼碑の前で手を合わせておられます。
追悼式の様子を4日、中国新聞は次のように報じました。
「戦時中に宇部市の長生炭鉱で発生した水没事故から82年となった3日、同市床波の長生炭鉱追悼ひろばで追悼集会があった。同市の市民団体『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』の主催で、韓国から訪れた遺族5人のほか市民や国会議員たち約130人が参列。いまだに海底に残されたままの犠牲者183人を悼んだ。1942年2月3日、長生炭鉱の陸上部の坑口から約1キロの坑道で浸水が発生。作業員を残したまま坑口は閉められた。犠牲者の7割強の136人が朝鮮人だった。坑口は現在も閉じたままで、国による遺骨発掘の調査は一度も行われていない。追悼集会では黙とう後、同会の井上洋子共同代表(73)が『坑口を目指して必死に走った犠牲者に対し、まずは坑口を開けることが道義的責任。今年中に開ける決意です』とあいさつ。韓国遺族会の楊玄会長(76)は『年に1度、私はここで涙を流す。一日も早く犠牲者の遺骨を母国に返してほしい』と日本政府に求めた。日韓の中高生13人も参列し『あたたかいかぞくのもとへ』と書いたメッセージカードを掲げた。中高生が全犠牲者の名前を読み上げる中、参列者は追悼ひろばにある碑に花をささげた。遺族たちは追悼ひろば近くの浜辺も訪れ、『ピーヤ』と呼ばれる坑道の排気・排水筒跡に向けて海に献花した。31年ぶりに韓国・仁川から参列した林正一さん(82)は、生後1か月で当時21歳の父朴猛文さんを失った。高齢のため今回が最後の参列とし『父を失い、当時22歳の母と口では言えないほどの貧しい生活を送った。悲しくて、魂だけでも父に会いたい』と唇をかんだ。」
私も刻む会の運営委員の一人として、遺族に一日も早く遺骨が返還されるよう運動を継続させていきたいと思います。
長生炭鉱の問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。
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