月別アーカイブ:2022年1月

米軍岩国基地の港湾施設が陸自オスプレイの恒常的な陸揚げ場に

 28日、中国四国防衛局は、「陸上自衛隊木更津駐屯地に暫定配備予定のVー22オスプレイの岩国基地への陸揚げについて」県に次のような説明を行いました。
 〇米国時間2月6日の週以降に、陸自木更津駐屯地に暫定配備するオスプレイ2機の海上輸送を開始する。
 〇当該船舶は、2月中旬から下旬頃、岩国基地の港湾地区に到着し、陸揚げされる予定。
 〇今回の陸揚げについて、船舶輸送状態のオスプレイの保護処理の解除及び飛行のための準備を行うことができる米軍施設としては、日本では岩国基地が最適であり、理解いただきたい。
 〇今回の陸揚げに際し、船舶の乗員が岩国に上陸することはなく、船舶の乗員と荷下ろし要員とは接触することは想定されておらず、また、陸揚げ、機体の点検・整備及び試験飛行実施に関わる要員(米本土からの要員及び日本に駐留する米側要員)についても、岩国基地で定められている規則及び日米で取り決められているルールを遵守することにより、新型コロナウイルス感染症対策に万全を期する。
 〇新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、作業の実施時期につては未定であり、現時点ではオスプレイの木更津駐屯地への輸送時期は確定していない。
 〇輸送時期等の詳細については、状況の進展に応じ、改めて知らせる。
 国からの説明に対し、県は国へ次のような要請を口頭で行いました。
 〇陸揚げ作業や試験飛行等に当たっては、日米合同委員会合意を遵守した運用を行うとともに、安全対策に万全を期すなど、地域住民に与える影響を最小限とすること。
 〇国外からの輸送であることから、我が国の水際対策と整合的な在日米軍による出国前検査や入国時検査などの措置の厳格な実施や岩国基地において定められている規則等を遵守し、新型コロナウイルス感染拡大防止に万全を期すること。
 〇今後の陸揚げ予定について、決まり次第、日程や内容等の情報提供をすること。
 〇国内配備機の今後の陸揚げについて、岩国で実施しようとする場合においては、岩国である必要性について、あらかじめ十分な情報提供をすること。
 県からの口頭要請に対して国は、「要請のあった事項も踏まえ、日米間で連携を図りながら、引き続きしっかり対応してまいる。」と回答しました。
 陸上自衛隊木更津駐屯地には、Vー22オスプレイが17機、暫定配備される予定です。現在までに7機が暫定配備されています。内訳は、2020年7月に2機、2021年2月から5月に5機に配備されていますが、木更津駐屯地にこれまでに配備された全てのオスプレイが、米軍岩国基地の港湾地区に到着し、陸揚げされています。
 そして、今年2月に新たに2機です。合計、9機。国がオスプレイの陸揚げについて「日本では、岩国基地が最適」と言うように、このままでは、県が懸念するように「国内配備機の今後の陸揚げ(木更津駐屯地だけで今年2月分を除き、残り8機)について、岩国での実施」が通例になろうとしています。
 本ブログで再三紹介しているように、私は、2005年9月県議会で、「沖合移設は『機能代替』が原則。新たな岸壁への米艦船の接岸は、この原則を逸脱するため、容認できない」はずだと質したのに対し、当時の総務部理事は、国の見解を確認したところ「従来どおり燃料及び補給物資等の積み下ろしを行うためのもので、大型艦船停泊のために建設したものではない」という説明を受けたと答弁しました。
 オスプレイといいう自衛隊の国内配備機の数度に渡る陸揚げは、米軍岩国基地の沖合移設後に想定された「港湾施設は機能代替」が基本との範疇を大きく逸脱するものであることは明らかです。
 県は、三度目の陸自配備機(オスプレイ)を積んだ船舶の米軍岩国基地への入港を容認すべきではありません。

村岡知事は、平屋氏が過去後援会入会勧誘の事実を知り任命した

 昨日、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動うべ実行委員会は、宇部市内2カ所で、ちばまり県知事候補を囲む市民と野党の合同街宣を行いました。

ちばまり知事候補を囲む市民と野党の街宣

 日本共産党を代表して私は、県庁ぐるみの公選法違反問題について訴えました。

 私が訴えた内容は以下の通りです。

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 小松前副知事が自民党の林外相の後援会入会を部下に勧誘したとして罰金刑を受け辞職して、平屋副知事が就任しました。
 平屋副知事が就任後の記者会見で、過去の選挙で候補者の後援会入会の勧誘に関与していたことを認めました。
 日本共産党は、村岡知事に対して、①平屋氏が過去の選挙で後援会勧誘を行っていたことを知ったのはいつか、②平屋氏が、関与を認めた今、副知事人事を再考しないのかどうか明らかにすることを要請し、昨日、回答が県人事課長から寄せられました。
 回答は、①「知事は、副知事任命前に、平屋氏から『過去、上司から依頼を受けて後援会の入会申込書の配布等を行ったことはある』と聞いている」とし②「平屋氏本人も認識の甘さを猛省し、しっかり再発防止に取り組んでいく旨、副知事就任時に述べている。副知事人事を再考する考えはない。」という内容でした。
 平屋氏は、上司から頼まれたとは言え、部下へ地位を利用して後援会入会を勧誘したのなら、小松副知事が受けた罪と同等の問題が疑われます。知事は、その事を知って平屋氏を任命したことは、小松前副知事が公選法の地位利用で罰金刑を受けて辞職した問題の重さへの認識があまりに甘いと言えます。
 小松前副知事の辞職で、この問題の幕引きは許されません。ちば知事の誕生で、自民党県政を転換し、県庁ぐるみ選挙の実態を解明していきましょう。日本共産党はちば知事誕生のため残り1週間力を尽くします。

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 引き続き、県庁ぐるみの公選法違反事件の真相解明に力を尽くしていきます。

 県知事選挙は、今日がラストサンデーです。

 午前中、私は、「誰ひとり取り残さず、みんなの声をいかす山口。」届出団体カーの弁士として乗車します。

 県知事選挙でちままりさんのご支援をお願いいたします。

保健所が直接実施する濃厚接触者等の検査をリスクの高いものに絞る方針へ転換

 26日、「山口県新型コロナウイルス感染症対策本部」第35回本部員会議を開催しました。
 この中で、県の申請に応じて、国が、県内全域をまん延防止等重点措置区域に適用したことが報告されました。
 これを受けて、①飲食店等への営業時間短縮要請②PCR検査等の体制確保が行われることが報告されました。
 飲食店等への営業時間短縮要請については、先日、報告した通りです。
 PCR検査等の体制確保については、感染の不安のある方(無症状)への対応が拡充されます。
 県内19市町に窓口を設置している集中PCR検査は、1日あたりの検査能力を現行の1000件から3000件に拡充されます。
 薬局等での検査体制を現行の10カ所から17カ所に拡充されます。
 県内19市町の重症化リスクの高い社会福祉施設等向けの検査が、行われるようになります。
 対象は、入所系の高齢者・障害者施設等です。
 尚、通所系(デイ・サービスや保育園等)等は、感染拡大の恐れがあると保健所長が判断した場合に検査が実施されます。
 回数は、2週間に1回です。
 これら無症状者の方へのPCR検査等の体制拡充については評価したいと思います。
 慎重な検討が必要だと思うのは、第34回本部員会議で示された「濃厚接触者等の調査及び検査」に関してです。
 従前は、濃厚接触者を含め接触者を広く対象として、保健所が直接調査を実施し、検査は、保健所が全件直接実施していました。
 変更後は、濃厚接触者は、「同居者」及び「マスクなしで15分以上、1㍍以内で接触したことが明らかな者」となりました。
 調査方法について、クラスター化のリスクの高い施設関係者等については、引き続き、保健所が直接調査するが、保健所から依頼を受けた職場や学校等の管理者は、濃厚接触者名簿を作成し、保健所に報告することになります。
 検査方法としては、同居家族やクラスター化のリスクの高い施設関係者等については、保健所が直接実施しますが、上記以外の者は、検査キットの送付により対応することになります。
 26日のしんぶん赤旗は、神奈川県内の病院で感染症対応に追われている看護師のAさんのインタビューと神奈川県の検査体制の状況を次のように報じています。
 「神奈川県の場合、無料検査の結果が陽性だったときは『改めて医療機関を受診してください』としています。問題は、陽性者が医療機関を受診しないと、診断した医師が書く『新型コロナウイルス感染症発生届』を出してもらえないことです。『発生届』は、無料検査をしているPCRセンターや薬局で出すことはできません。医療機関への受診で陽性が確認された場合は、『発生届』が最寄りの保健所に提出されます。保健所は、感染者へ電話で連絡。症状や濃厚接触者などの聞き取り調査が始まります。Aさんは、無料PCR検査の判定が陽性でも医療機関に診てもらえず『発生届』を出してもらえない『発生届難民』が生まれていると指摘します。医療機関にかかれない陽性者がずっと行政から支援を受けられず、取り残されたままの事態になっているといいます。」
 県の担当者に問い合わせたところ、山口県は、濃厚接触者等の方が検査キッドの送付による方法で検査をした場合でも行政検査として保健所が関与しているので、神奈川県のように医療機関に「発生届」を発行してもらう体制ではないとのことでした。
 山口県では、引き続き「陽性放置」という状況が生まれないように状況を見守っていきたいと思います。
 1月13日、村岡知事は、新型コロナウイルスの陽性者の内、軽症と無症状者及び濃厚接触者は自宅待機を基本とするように方針を転換すると記者会見で発言しました。
 私は、「県は希望する患者と濃厚接触者の隔離先を責任もって確保すべき」とブログや議会報告に書きました。
 山口県内で「陽性放置」や「自宅放置」という状況が起きないように引き続き、状況を見守っていきたいと思います。
 第6波への対応と同時に、第7波以降を見据えて、療養・宿泊施設の更なる確保と保健所機能の拡充を図る必要があると感じます。
 県が、濃厚接触者の検査について保健所が直接実施するケースを限定する方針を示しました。
 この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

昨日、早朝、米軍岩国基地所属機が危険な曲芸飛行を実施

 今朝のしんぶん赤旗日刊紙は、米軍岩国基地所属機が基地上空で曲芸飛行を行ったと次のように報じました。
 「米軍岩国基地(山口県岩国市)所属の戦闘機1機が27日早朝、基地上空で約10分間の曲芸飛行を計2回、行いました。市によると、米軍からの事前の連絡はなし。市民の安全と安心を脅かす危険な飛行が強行され、市街地は爆音が相次ぎました。午前8時すぎ、米海兵隊の最新鋭ステルス戦闘機F35B1機が離陸するのを、記者が滑走路のそばで確認。離陸直後から垂直に急上昇、急下降、急旋回などを繰り返し、海面近くを抵抗飛行するなど広島湾を縦横に飛びました。着陸するまでの約10分間、基地の近くでは通常、見ることのない危険な飛行訓練の内容とルートで飛びました。基地上空を旋回するため、騒音は途絶えませんでした。市内の記者の自宅でも午前7時半から約10分間、上空に響き続ける騒音を聞き、庭から1機の機影が見えました。F35Bが同じように曲芸飛行し、いったん着陸して給油後、同8時すぎに再び曲芸飛行したものと思われます。5月の連休に基地を一般公開するイベントでの航空ショーと前日の予行以外の曲芸飛行は異例です。市基地対策課によると、JR岩国駅近くの騒音測定器が記録した騒音(70デシベル以上、5秒以上)は、曲芸飛行が始まった午前7時半と同8時すぎからのいずれも約10分間で計29件。最大値は89・4デシベルでした。担当者は『問い合わせや苦情を受け、基地に照会しているが、まだ回答を得られていない』としています。市内の『住民投票を力にする会』の松田一志代表は『間違えば事故になりかねない曲芸飛行がされたと聞き、初めてのことで驚いている。米軍に訓練内容などを説明するよう市に求めている』と話しています。」
 市や県に事前通告することもなく、危険な曲芸飛行が行われたことは重大です。私も県に、この問題で基地にどのような対応を行い、基地はどう答えたのか、状況を確認したいと思います。
 岩国市民や県民は、新型コロナ感染症の影響で外出を自粛している状況です。
 岩国基地内でも連日、多くの陽性患者が生まれている状況です。
 岩国基地において、最大級の新型コロナ第六派の最中、不要不急の危険な曲芸訓練は、自粛すべきです。
 岩国基地で、昨日、早朝、危険な曲芸飛行が行われました。この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
 

みすゞの詩は、平和の象徴

 今日も、100分de名著「金子みすゞ詩集」。松本侑子さんによるテキストから、引用したいと思います。
 西条八十が選者を務める雑誌「童話」。松本さんが全75冊に掲載された入選作品を一覧表にして次のように書いています。
 「表を作って気づいた点は、入選者の大半が男性で、女性の常連はみすゞ一人だったことです。そもそも入選者は限られている、みすゞの他は、他に二冊の詩集を出す島田忠夫、東北と北海道で詩を書き続けた片平庸人、戦後も児童文学者として活躍する佐藤よしみ(義美)の名前が目出ちます。選者の八十がつけた順位を見ると、みすゞの詩が初めて載った大正12年夏から大正13年の前半まで、忠夫とみすゞは抜きつ抜かれつの接戦です。二人の詩風はまったく異なるものの、実力は拮抗しています。」
 雑誌「童話」で入選を競い合い、二冊の詩集を発行した島田忠夫が戦中どうなったか、松本さんは次のように書いています。
 「『童話』でみすゞと親しかった投稿仲間を調べると、田舎の閑寂な情景をしみじみ描いた島田忠夫は、昭和18年の第二詩集では、別人のように激烈な軍国詩を書いています。たとえば、北太平洋のアッツ島で玉砕した日本兵を勇壮な神と讃える『島の神々』などです。忠夫は疎開して、詩作と画業に専念しますが、そのために近隣から不審者、スパイと疑われ、警察が連行。自白を迫られて拷問を受け、心身衰弱となり、昭和20年8月、終戦直前に41歳で死亡します。」
 松本さんは、戦中の世相とみすゞの詩について次のように書いています。
 「子どもが竹槍をかまえ、敵兵に見立てた藁人形を突き刺す訓練をするとき、みすゞの詩『お魚』にある『海の魚はかわいそう』といった、小さな魚の死さえ悼む繊細な心は、軟弱とされました。国家総動員法のもと、挙国一致で戦うとき、みすゞの詩『私と小鳥と鈴と』にある『みんなちがって、みんないい』といった子ども一人一人の個性、異なる考えも否定されます。」
 松本さんは、テキストの最後に、みすゞの「このみち」という詩を紹介しています。
 

 このみち
   金子みすゞ

 このみちのさきには、
 大きな森があろうよ。
 ひとりぼっちの榎よ、
 このみちをゆこうよ。

 このみちのさきには、
 大きな海があろうよ。
 蓮池のかえろよ、
 このみちをゆこうよ。

 このみちのさきには、
 大きな都があろうよ、
 さびしそうな案山子よ、
 このみちを行こうよ。

 このみちのさきには、
 なにかなにかあろうよ。
 みんなでみんなで行こうよ、
 このみちをゆこうよ。
 ※詩中の「かえろ」は「蛙」です。
 
 松本さんはこの詩についてこう書いています。
 「私たちが生きていく人生という道の先に、何があるのか、誰にもわかりません。けれど、この道の先には、大きな森が、大きな都が、すばらしい何かがあろう。今は一人ぼっちでも、この道の先には、仲間がいる、広い世界がある、明るい未来があると信じて、みんなで歩いて行こう・・・。」
 松本さんの解説を読んで、みすゞの「このみち」という詩が私の生きる糧となる作品になりました。
 みすゞの詩は平和の象徴だと感じます。みすゞの詩の中の繊細な心が軟弱とされる社会、みすゞの詩の中の一人一人の個性、異なる考えが否定される社会が到来しないよう願います。
 繊細な心や一人一人の個性や、異なる考えが大切にされる社会の実現を願う一人として、これからも郷土の詩人「金子みすゞ」の詩を学んでいきたいと思います。
 「金子みすゞ」の詩を理解する上で、松本侑子さんの「100分de名著 金子みすゞ詩集」は最良のテキストだと痛感しました。
 このテキストを一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。
 そして、一人でも多くの方に、来週月曜日が最終回(第四回)となる松本侑子さん講師によるEテレ100分de名著「金子みすゞ詩集」を視聴していただきたいと思います。
 松本侑子さんの著作からも学んでいきたいと思います。
 松本ファンの皆さんお勧めの作品をお教え下さい。

ジェンダーギャップで「みすゞの死」の要因を考える

 NHKEテレ100分de名著、今月は、「みすゞと雅輔」の著者である松本侑子さんが講師を務める「金子みすゞ詩集」がテーマです。
 山口県在住の私としては、「みすゞ」に関連するいくつかの本を読んできました。
 その中でも、みすゞの詩を保存し、矢崎節夫氏に渡したみすゞの弟である雅輔の人生を掘り下げ、改めてみすゞの詩の深さを著わした松本侑子さんの「みすゞと雅輔」は、とても感動した作品でした。
 松本さんが講師ならばと思い、県内の書店でテキストを探しましたが、山口県であること故に、どこにもありません。
 「注文しても増刷の計画はない」と言われ途方に暮れていましたが、「系列店に在庫がある」との書店に出会い、先日、ようやくテキストを手に取りました。
 松本さんの解説によって、「みすゞ」を取り巻く複雑な家庭環境が良く理解出来ました。
 私が、特に注目したのは、「みすゞの死」を時代背景から掘り下げられている点です。特にジェンダーギャップが激しい時代背景の中で「みすゞの死」が解明されている点に納得しました。
 みすゞは1930年(昭和5年)3月に命を絶ちます。
 みすゞは、手書きの詩集3冊を弟の雅輔と西条八十に送ったのは、1929年秋です。
 松本さんは「小さな詩集でも出してもらえたら・・・という密な願いではなかったでしょうか。(中略)しかし昭和4年秋に送った後、二人から詩集発行の返事はありませんでした。童謡ブームが去って出版社は採算が見込めなかったこと、そもそも女性童謡詩人の評価が低かったことも挙げられるでしょう。詩人の与田準一は『かつてわたしは、日本の創作童謡は、マザア・グウスならぬファザー・グウスだと書きました。童謡運動の代表詩人を始め、(中略)作者たちの多くの作品が、その父親期の所産となっているからです』と『日本童謡集』(岩波文庫)に書いています。つまり、当時、若い父親だった白秋、八十、雨情の本は出ても、母であるみすゞ、さらに同じように童謡詩を多数書いていた与謝野晶子の詩集も刊行されなかったのです。」
 昭和初期の時代は、女性は詩集が発行できないというジェンダーギャップがみすゞを死に向かわせた一要因だったと感じます。
 みすゞは、亡くなる直前に離婚します。みすゞからかけがえのない娘が奪われます。この辺りを松本さんは次のように書いています。
 「離婚後の敬一は、上京。雅輔日記によると、3月3日、敬一と雅輔は都内で会い、娘の療養について二時間、話し合います。戦前の民法では、子どもの親権は父親にのみありましたが、上山家では娘を引き取って療育したいと考えていました。しかし敬一は一人娘と別れることに同意せず、物別れに終わります。雅輔は、相手の言うことにも一理あると日記に書いています。妻から離縁を求め、一人娘もほしいとは身勝手だと敬一は考えていたのでしょう。そして元夫からみすゞに手紙が届き、3月10日に娘を引きとりに来ると書かれていました。その前夜の9日、上山文英堂に戻って暮らしていたみすゞは、娘を風呂にいれた後、睡眠薬を大量に摂取し、翌10日、他界しました。」
 娘を奪われることが、みすゞの死の直接の原因だったことが、この文章から顕著に読み取れます。
 「戦前の民法では、子どもの親権は父親にのみ」というのは、戦前の激しいジェンダーギャップです。
 母子で暮らすことが許されないというジェンダーギャップが、みすゞを死に追いやった一要因だったと感じます。
 更に、当時の時代状況について、松本さんは次のように書いています。
 「この年、昭和5年は、世界恐慌が日本に波及して大不況となり、厭世的な世相となり、自殺者が急増、1年で約1万4千人が命を絶ちます。」
 大不況と戦争に向かうという厭世的な世相がみすゞを死に追い詰めた遠因であったと感じました。
 再び、今、厭世的な世相が存在しているのではないでしょうか。
 パンデミックによる不況と雇用不安によりとりわけ女性の自殺者が増えています。
 みすゞが生きた時代のジェンダーギャップの多くは解消されていますが、未だに、多くのジェンダーギャップは解決されておらず、現在の女性を苦しませ続けています。
 ジャーナリストの伊藤詩織さんが山口敬之・元TBSワシントン支局長から性暴力を受けたととして1100万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が昨日、東京高裁でありました。中山孝雄裁判長に一審の東京地裁判決に続いて「元支局長が伊藤さんの同意がないのに行為に及んだ」と認定。治療関係費として2万円余りを増額した計約332万円の支払いを元支局長に命じました。この判決は、ジェンダー平等への追い風になるものだと感じます。
 「みすゞの死」の背景について、松本さんが書かれたテキストから学びながら、ジェンダーギャップが解消される社会の実現を願っていました。