議員日誌

「なぜ本を踏んではいけないのか」読書ノート②

 昨日に、引き続き、齋藤孝著「なぜ本を踏んではいけないのか」から印象に残ったところを引用したいと思います。

 齋藤さんは、本書の39ページで「『なぜ本を踏んではいけないのか』、それは権力者が支配している目の前の世界をたった一冊の本が変える力があるからである。恐るべし本の力である。だから本は踏めないし、逆に踏ませようと思う(燃やそうと思う)人もいるのである。」と書いています。

 権力者が本を踏ませようと思う(燃やそうと思う)例として、齋藤さんは、まず、秦の始皇帝による「焚書坑儒」について触れています。

 「医薬や農業などの書物以外の書物をすべて焼き捨てさせ(焚書)、始皇帝に批判的な儒者を生き埋めにする(坑儒)という、思想弾圧事件だった。儒者たちが政権批判をしているとして、民衆が知恵をつけるとやっかいな事態を招くとの理由から、本を燃やしただけでなく、唱えた者たちを根絶やしにしようとしたものである。」

 齋藤さんは、ナチス・ドイツにも次のように触れています。

 「ナチスに扇動された学生たちが広場に集まり、『享楽的、堕落的な作家たちをドイツから追放せよ』と叫びながら、ナチズムの思想に合わないとされた2万5000冊にのぼる『非ドイツ的な書物』が焼き払われた。それらの書物には、マルクスらの共産主義的な書物、『腐敗した外国の影響』としてアメリカ人作家ヘミングウェイの作品、ファシズム批判を支援したトーマス・マンの作品、ナチスのイデオロギーを非難したレマルタの『西部戦線異状なし』、ケストナー、ブレヒトなどの作品も含まれていた。自身の戯曲のなかで『焚書は序曲にすぎなかった。本を焼く者は、やがて人も焼くようになる』と書いた十九世紀の詩人ハイネの著作も焼き払われた。」

 齋藤さんの指摘は、忘れてはならない歴史的事実を明らかにするものです。

 さて、目を現在の政治に向けると、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」の問題が今日的に大きな課題になっています。

 その問題の一つに、参加者名簿があります。

 このことが、16日のしんぶん赤旗日刊紙に次のように書かれてあります。

 「内閣府は14日の野党合同ヒアリングで、招待者名簿を5月9日に廃棄したと明らかにしました。『桜を見る会』を国会で初めてただしたのは、5月13日の衆院決算行政監視委員会での日本共産党の宮本徹議員の質問です。その質問の準備のために宮本氏が内閣府に招待者が増加した理由や選考基準などの資料を要求したのが5月9日でした。同氏の資料請求当日に内閣府が『招待者名簿』を廃棄したことになります。」

 本は民主主義に置き換えます。

 齋藤さんの指摘の本の部分を民主主義に置き換えて考えるならば、安倍政権は、今、民主主義を燃やそうとしているのではないかと疑いたくなる状況です。

 国民主権の下で、政府の資料を破棄することは、国民の知る権利を閉ざす行為です。

 それは、安倍政権が、一つの資料が目の前の世界を変える力があることを知っているからかも知れません。

 安倍政権は、民主主義の前提である国民の知る権利を閉ざしてはなりません。

 齋藤さんの本のこの辺りのくだりを読みながらこのようなことを考えた今日この頃です。

 引き続き、齋藤さんの本から様々な問題を考えていきたいと思います。

 

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