議員日誌

「処置」という名の殺害

 吉田裕著「日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実」を引き続き読んでいます。

 吉田さんは、アジア・太平洋戦争における日本軍兵士の死亡について「形式上は戦死か戦病死に区分させられているものの、実態上はまったく異なる死のありようとして、非常に数が多いのは、日本軍自身による自国軍兵士の殺害である。その一つは、『処置』などと呼ばれた負傷兵の殺害である。」と書いています。

 1935年、日本政府は、「戦地軍隊における傷者及病者の状態改善に関する1929年7月27日の『ジュネーブ』条約」を公布しました。

 ジュネーブ条約は、戦地における負傷兵は「国籍の如何を問わず」、人道的に処遇しその治療にあたらなければならないとを定めた条約であり、その第一条には、退却に際して、負傷兵を前線から後送することができない場合には、衛生要因をつけて、その場に残置し敵の保護にゆだねることができると定められています。

 負傷兵が捕虜になることを認める条文です。

 しかし、日本軍は、兵士が捕虜になることを事実上禁じませんでした。

 この方針を決定的にしたのが、1941年に東条英機陸軍大臣が示達した「戦陣訓」でした。

 戦陣訓は「生きて虜囚の辱めを受けず」と捕虜になることを事実上、禁じています。

 同年12月に陸軍航空総監部が作成した「空中勤務者の嗜」には「敵地上空において、ひとたび飛行不能に陥り友軍戦線内に帰還の見込みなき時は、(中略)潔く飛行機と運命を共にすべし。いやしくも生に執着して不覚を取り、あるいは皇国軍人の面目を忘れて虜囚の辱めを受くるが如きこと断じてあるべからず」と明記されています。

 吉田さんは、ガダルカナル作戦に関する田辺参謀次長の報告電から、次のように書いています。

 「七割の兵士が戦死・戦病死(その多くは餓死)し、三割の兵士が生存しているが、その身動きのできない負傷兵は昇汞錠(強い毒性を持つ殺菌剤)で自殺させた上で、単独歩行が可能な者だけを撤退させる方針である。対外的には赤十字条約に批准しながら、国内的には残置を認めないという典型的なダブルスタンダードである。」

 「戦陣訓」の「生きて俘囚の辱めを受けず」の言葉が多くの死者を生んだことは、纐纈厚先生やその他の方先生方の講演でもお聞きしました。

 吉田さんの本で、戦陣訓の具体的現れを深く知ることができました。

 吉田さんが、赤旗日曜版のインタビューで述べた「日本軍の極端な人命軽視の体質」の究極が、「日本軍自身による自国兵士の殺害」だったのではないかと思います。

 引き続き、吉田さんの本から「アジア・太平洋戦争の現実」を学んでいきたいと思います。

 この本を読まれた皆さん、感想をお聞かせ下さい。

 

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