議員日誌

蜘蛛の糸

 西宇部小学校PTA主催で、「あおぞら読書会」が行われました。

 保護者の方々や先生方が子どもたちに絵本の読み聞かせをします。

 高学年の部では、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」が朗読されました。 

 思わず足を留めて私は最後まで読み聞かせに聞き入っていました。

 御釈迦様が犍陀多に垂らした蜘蛛の糸。

 犍陀多が蜘蛛の糸を登り始めると下の方には蟻の行列のように人々が蜘蛛の糸を登ってきます。

 犍陀多は大きな声を出して「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きます。

 すると蜘蛛の糸はぷつりと切れて、犍陀多は真っ逆さまに血の池の中へ。

 7月20日の本願寺新報には、本願寺派司教の内藤昭文さんにより「仏説無量寿経」の現代語訳が紹介されていました。

 「(世間の人々は)みな金銭のことで悩んでいる。それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変わりがなく、あれこれを嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかなときがないのである。」

 内藤司教は、ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカさんが先人の言葉を引用して「貧しい人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲望があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と述べたことを聞いて、この「大経」の部分が浮かんだと書いています。

 私は、犍陀多の姿を聞いて、内藤司教のエッセーがよく理解できました。

 その上で、内藤司教は、「どの時代であれ地域であれ、人間はみな『しあわせ』な生活を望み、その実現に向けて励んでいます。科学技術の進歩や市場経済・消費経済の発展で、物は豊かになり社会は便利になったのかもしれません。しかし、本当に『しあわせ』になったのでしょうか。」と問います。

 内藤司教は、「小欲知足(欲少なくして足ることを知ること)」が大切だと結論付けています。

 内藤司教は「環境問題など私たちが抱える社会問題は政治を担う人間の問題です。その根本的解決には、足ることを知らない欲望に支配され苦悩する自らの命の営みの姿を知ることが、今まさに必要不可欠です。」と書いています。

 犍陀多は蜘蛛の糸を独占しようとして転落してしまったのでしょう。

 かけがえのない蜘蛛の糸をみんなでシェアしようとする思いがあれば、このようなことは起きなかったのではないかと内藤司教のエッセーを読んで気づかされました。

 かけがえのない地球は、一握りの人々のものではありません。

 今日は、米国が広島に原爆を投下した惨禍から71年目の日です。

 広島での原爆死没者は30万3195人です。

 オバマ大統領は5月、現職大統領として初めて広島平和記念公園を訪れて原爆碑に献花し「核兵器なき世界を追求しなければならない」と演説しました。

 今日は、原爆投下の惨禍を繰り返さないための努力を誓う日にしたいと思います。

 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。あなたはどう解釈しますか。

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