先日、テレビドラマで夏樹静子さん原作の「Wの悲劇」を放映していました。
私たちの世代では、薬師丸ひろ子主演で映画化もされているようですが、それも見逃しており、ドラマに見入ってしまいました。
久しぶりにミステリーもいいなと思い、原作を昨夜読破しました。ドラマもよかったのですが、原作も緻密で最高でした。そして、今、「蒸発」を読んでいます。
「蒸発」の解説で作家の森村誠一さんが、「推理小説の面白さは謎の構成にある」「超常的な謎が極めて合理的に、まさに快刀乱麻を断つごとく解かれたとき、読者は芳醇な美酒に酔うような読後の快感をおぼえる」と書いています。「Wの悲劇」はまさにその通りでした。
そして「蒸発」も、「満席で飛び立ったジェット機内から、一人の女性が消えた」ところから始まり、今、私は謎の中です。これからどのように謎が解けていくのかとても楽しみです。
森村さんは、ミステリーの謎は、①犯人はだれか②犯行動機③犯行方法に大別されるとして、探偵小説は、①と③が主で、社会派推理小説は②が重視されると述べています。
「Wの悲劇」のWとは、悲劇の主役である和辻家のイニシャルであり、WomenのWを意味します。女性の悲劇をも描きだした作品でもある点で、社会派推理小説として楽しめます。
「蒸発」は、1972年に発表された作品です。今から38年前の作品です。私の小学生時代を思い起こしながら、時代背景も楽しみながら読んでいます。
夏樹作品にしばらく浸りたい今日この頃です。
全国の夏樹ファンの皆さん。お薦めの作品をご紹介ください。
今日から日本共産党第25回党大会が伊豆学習会館ではじまりました。
私は、第23回、24回大会の代議員として参加しました。今回は、補欠代議員でしたので、昨日の時点で、代議員の方が参加できないということになれば、急きょ伊豆に直行となっていましたが、幸い、山口県からの代議員は全員参加ということになったようです。
ですので、今日は、北南地区委員会の事務所でCS放送を聴視しました。
志位委員長の中央委員会報告の中で、「ルールある経済社会」に関する提起は大変参考になりました。
現在の不況は、「過剰生産恐慌」の様相。「大企業が利益を上げても国民の暮らしの向上に反映しない」のだと志位委員長は解明します。
「その原因は、労働者報酬が1992年の水準まで下がっているからだ」と志位さん。
「OECD加盟国(27ヶ国)で、この10年間で、労働者の報酬が下がっているのは日本だけ」だとも語りました。
「一方で、大企業を中心とした内部留保は、この10年間で200兆円から400兆円」と2倍に増えているとも語りました。
志位委員長は、「過度な内部留保こそ取り崩して雇用と中小企業支援にあてるべき」と訴えました。
OECDの別のデータでは、日本の貧困率は世界ワースト4であるとも志位さんは語りました。
世界屈指の日本の貧困打開のためには、「ルールある経済社会」にしていくことが重要です。
そのためには、行き過ぎた大企業の内部留保にメスを入れることです。
「国際競争力」が落ちると心配の方に、志位さんは語ります。
「EU諸国の大企業は、日本の1.5倍の社会保障への企業負担をしながら、国際競争に立ち向かっている」
「日本だけ、応分の負担をしないのはおかしい」と語りました。
その他、日米安保や様々な問題でも志位さんは根本的解明を行いました。詳しくは、日本共産党のホームページを参照してください。
私のブログの最初のページの「日本共産党中央委員会」をクリックしていただいたら、リンクしています。
皆さんのご意見、ご要望を大いにお寄せください。
引き続いて重松清を読んでいます。彼のエッセーも読んでみようと思って「オヤジの細道」を手にしました。
彼は、1963年生まれ、私より一つお兄さん。私は、「まだまだ、アラフォーだから」「45歳といってもまだまだ」などと「オヤジ」である自分を避けていました。
シゲマツさんは潔い。「『オレはまだ若いぞ!』だって?『オヤジはオヤジでも、オレはチョイ悪だから、一緒にしないでくれ』だって?」
「僕のコラムは、そんな『ただのオヤジ』のあなたに捧げたものなのです」とシゲマツさんはこのエッセーをスタートさせています。
同世代だけに、出てくる話題が懐かしく共感できるものばかりです。ヤザワさんが出てきたり、NSPが出てきたり、音楽の話題も共感します。
そして、シゲマツさんは、小学校6年生から高校卒業まで山口県に住んでいたというではありませんか。一層、共感が沸きます。
私には兄はいませんが、今後は、シゲマツさんを兄と慕い、徐々に来る「オヤジ現象」にも笑顔で乗り切っていこうと思います。
「オヤジ世代」の皆さん、シゲマツさんの文章を読んで、オヤジを謳歌しましょう。
今日は、成人式です。県内では、1万4717人が今年成人式を迎えられました。
私が成人したのは、25年前でした。合併前でしたので、楠町で成人式に臨みました。
当時、町役場に小中学校で同級生だったK君が勤めていたので、確かK君の推薦もあって、私が成人代表で「答辞」を行っていたことを思い出しました。
その時の成人式の祝いでいただいたアルバムに「答辞」を貼っていたことも思い出し、本棚を探し、アルバムと答辞が見つかりました。
少し長いですが、その「答辞」をご披露します。
「答辞
本日は、町長さんをはじめ来賓の方々のご臨席を仰ぎ、こんなに盛大に成人式を挙行していただき、その上成人となった我々に数々の激励のお言葉をたまわり、真にありがとうございました。
我々はこれから成人として次代を背負っていくわけですが、これを期に、あらゆる困難を打開していく信条となるべきものをみつけだし、二十一世紀を創造する主体者となっていきたいと思います。
本日は、本当にありがとうございました。
昭和60年1月3日 成人者代表 藤本一規」
父に相談しながら書いたことを思い起こします。背伸びした文章ですが、今、読み返して気持ちが引き締まります。
成人の時の気持ちを大切にして、2度目の成人を過ぎましたので、今度は、3回目の成人、よりよき60歳を目指して歩んでいこうと思います。
成人式を迎えられた皆さん。
困難を打開していく信条を持って、21世紀を創造する主体者となるべく力を尽くしてください。おめでとうございます。
先日、ラジオから中島みゆきさんの「帰省」という歌が流れていました。
私は、中島みゆきさんのファンを自称していましたが、ここ5年位でしたので、この歌は初めて聴きました。
心に染み入る名曲です。やっぱり中島みゆきはすばらしいと実感しました。
特に次の詞がいいですね。
「機械たちを相手に言葉は要らない
決まりきった身振りで街は流れてゆく
人は多くなるほど 物に見えてくる
ころんだ人をよけて 交差点を渡る
けれど年に2回 8月と1月
人は振り向いて足をとめる 故郷からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる」
昨日のブログで紹介した、小池参議院議員と作家の重松清さんとの対談で、重松さんがこう語っています。
「人は誰かとつながっていなきゃだめなんだと思います」
重松清さんは、「働く人の貧困と孤立のゆくえ」というNHKの番組を通じて派遣村に通い派遣労働者だった青年と語った経験を語りました。
私は、大学時代に学んだ「労働の疎外」という言葉を思い出しました。
日本福祉大学の大木教授の「現代の労働と生活」を本棚から引っ張り出しました。
大木先生は、労働の疎外とは「人間に特有のもっとも人間的な行為であるはずの労働が、人間とはほんらい縁もゆかりもない、動物的な行動に変えられてしまうこと」
と定義しています。
今、働くルールが破壊され、労働の疎外が進行しているのではないでしょうか。
釣りバカ日誌の浜ちゃんに憧れるのも、職場で労働の疎外が広がっているからではないでしょうか。
人間らしく働けるルールを確立していくことは急務です。
そんなことを中島みゆみさんの「帰省」を聴いて、そして、重松さんの対談を読んで感じました。
1月10日付けのしんぶん赤旗日曜版で参議院議員の小池あきらさんと作家の重松清さんの対談が掲載されていました。
重松清さんは私の大好きな作家の一人です。彼の作品の中では「定年ゴジラ」に泣かされました。
急に彼の作品を読みたくなり、「くちぶえ番長」を読み始めました。
ツヨシが小学校の頃を思い出す作品です。ツヨシが4年生の時、クラスにマコトが転入して再び転校していくまでの物語です。
私は、小規模校だったので、転校生は少なかったのですが、思い出はあります。
私の転校生の思い出はT君のことです。
T君は小学校2年生の時に私たちの学校から転出していきました。T君のお父さんが農作業中の事故で亡くなられたことが転出の理由だったと記憶しています。
T君とは、幼稚園1年と小学校1年の2年間だけの繋がりですが、様々な思いでがあります。
T君は背が高く、声が高い子どもでした。どちらかと言うといじめられっこに属していたのかも知れません。
冬に雪が降って雪合戦になった時、T君はいつも標的になっていたように思います。
幼稚園の時に、冬は、弁当を保温機に入れていました。ある日、その機械が壊れて、みんなの弁当が食べられなくなりました。
T君が戸を開けた時に、機械がボンと音を立てて壊れました。機械が壊れたのはT君のせいだとT君は責められました。
今でもT君の小学校1年生の頃の顔を思い浮かべます。そして、T君が責められている姿を思い浮かべます。
私は、T君が可哀そうだと思いながら、責める側には付かなかったけれど、守る側にも付かなかったように思います。
そして、45歳になったT君はどこで何をしているのだろうと思います。
そうそう、大学生の時に、私がT君の思い出を詞にして、先輩が曲をつけて一つの作品が出来たことを思いだしました。
「ひょうろりとした体に 不似合いの高い声」こんな書き出しでした。
これも懐かしい思い出です。
重松清さんの「くちぶえ番長」は、誰もが通過した小学生の時代に、皆さんを連れ戻してくれる名著です。
心がキュンとして暖かくなる作品です。今年は少し、重松清さんの作品も少しづつ読んでいきたいと思いました。