小学生にとっては、球技大会の夏が始まりました。それに応じて親である私たちも忙しい季節となりました。
今日は、恒例の「際波地区子ども会球技大会」が行われ、PTA会長として開会式に参加しました。
西宇部校区の球技大会は、7月12日ですが、大字際波の地域(西宇部小学校区全体と厚南校区の一部)の子ども会が集まって毎年、この時期に試合を行っています。
長男と次男は、ソフトボールに、三男は、ドッジボールに参加しました。ソフトボールは、西が丘・山の手チーム。惜しくも1回戦で敗退したようです。
コーチの方から「風太(長男)君は上手になったよ」と誉められ、私もうれしくなりました。コーチの方がたに感謝いたします。
ドッジボールは、西ヶ丘チームで参加しましたが、なんと2位だったそうです。
子どもにとっては、異年齢での交流が出来て、とても大切な機会です。子どものために親もがんばり時です。
左側のオレンジのゼッケンが西ヶ丘・山の手チーム
本日、精華学園高等学校の開校神事が行われ参加しました。
精華学園が開校したのは、旧吉部小学校の校舎です。私は、吉部小学校の卒業生です。
私は、吉部小学校に、昭和46年に入学し、昭和52年に卒業しました。今日、神事が行われたのは、小学校1年の教室だった場所でした。
中学校の統合で、吉部中学校の校舎が小学校の校舎になり、小学校の校舎は7年間使われないままでした。
今日から、旧吉部小学校、私たちが学んだ校舎に息吹が吹き込まれました。
また、精華学園は、通信制高校です。可能性を閉ざしてしまう多くの方々に、高校卒業資格を与える拠り所となる役割が期待されます。
懐かしさいっぱいの開校神事となりました。
旧吉部小学校が精華学園高校になりました。
本日、深山堤水利組合の末永組合長の案内で大野市議と一緒に、戸石川の現状を視察しました。
現場は、完成したばかりの真締川ダムの下流です。ダムには巨費が投じられましたが、わずかばかり下流に行くと、河川の護岸はあちこち崩落したままとなっていました。
護岸にどんぐりや白かしの巨木が生えていることろもありました。また、古い石橋が崩落したまま放置されているところもありました。
視察後、県宇部土木建築事務所に出向いて担当者に要望を伝えました。
まず、河川の崩落の改修については、「年次的に可能な範囲で出来るだけ対応したい」との回答でした。
次に、巨木の伐採については、「出来るだけ早く伐採できるようにしたい」との回答でした。
石橋崩落の現場の改修については、「現場を確認し、護岸の改修を出来るだけ早く行えるようにしたい」との回答でした。
厳しい予算の中ですが、前向きの回答であったと思います。その点では、関係者の方々に感謝申し上げます。
その一方で、山口県の河川行政が、ダムによる一点豪華主義から、河川全体の治水力を高める総合治水へと転換する必要があるのではないかと感じました。
小さな護岸の崩落個所が散在していました。
護岸に生えた白かしが大きく成長していました。
石橋の崩落箇所。わかりにくいですが橋脚が。
今日、わが西宇部小学校の第1回学校保健委員会が行われました。
この委員会の中で、栄養教諭の西村先生から「テレビを消して親子で楽しい食卓を!」というお話を聞きました。
その中で、現在の子ども達の食生活の特徴が話されました。
それを表現したのが、「にわとり症候群」です。
さまざまな「こ食」があるということです。
まず、孤食(一人きりで食事をすること)。次に、個食(家族それぞれが自分の好きなものを食べること)。
次に、固食(自分の好きなものしか食べないこと)。次に、小食(食欲がなく食べる量が少ないこと)。
次に、粉食(パンや麺類中心で粉を使った主食を好んで食べること)。次に濃食(調理済みの加工食品やマヨネーズ・ケチャップなどをかけて味を濃くしないと満足しない)。
最後に、コ食(コンビニ食)。
これら「こ食」をなぜ、にわとり症候群」と呼ぶのか。
孤食のコ。欠食のケ。個食のコ。固食のコ。
頭文字を繋げるとコケコッコで「にわとり症候群」と表現したのです。
わが西宇部小学校でも、子どもたちに「一人で食事をすることがありますか?」というアンケートを行ったことがあります。
その結果は、よくある1%、時々ある34%、ない64%です。つまり、西宇部小学校でも35%の子どもたちが孤食の経験があると答えているのです。
西村先生は、「家族の笑顔が一番のおかず」と話を結ばれました。
西宇部小学校で、孤食が少しでも減るように、社会と地域が変わるように頑張りたいと思います。
同時に、我が家でも、団らんの食事が増えるように努力したいと思いました。
本日、山口県腎友会(吉村隆理事長)、山口県社会保障推進協議会(磯野有秀代表幹事)、山口県保険医協会(高橋泰昭会長)の3団体合同で、福祉医療費助成制度の一部負担金導入反対の要請行動が行われ、私は、全ての行動に参加しました。
これら団体は、2月県議会に、それぞれが一部負担金導入の反対を求める請願署名を提出してます。その3団体が揃って、要請行動を行うことは初めてで画期的なことだと思います。
まず、知事には、「福祉医療制度への一部負担金導入をやめ、早期に元に戻すこと」を求める要請を行いました。
対応した藤井厚政課長は、「要望は知事に伝える」としながら「給付と負担のバランスを考え、持続可能な制度維持の観点から一部負担金を導入した」とする従来の答弁を繰り返しました。
私は、「県が一部負担金を導入したことによる国保国庫負担減額の緩和される金額はいくらか」質しました。担当者は、「担当課に伝える。担当する医務保険課から回答させる」と答えました。
私は、「この緩和分を福祉医療費助成制度の市町還元分に充てることは最低限の県の責務だ」と質しました。
藤井厚政課長らに、一部負担金をなくせと訴える
次に、山口県市長会・町村会に出向き「山口県に対して、従来の福祉医療費助成制度に戻すよう要請」してほしいと求めました。
これに対して、宮田山口県市町総合事務局長は「6月に、県制度並みにした自治体だけに制度を適用するという問題点など、福祉医療費助成制度に対する知事が示したセーフティネッの問題で市長会として知事に申し入れを行った」ことを明らかにしました。
宮田総合事務局長に要望書を提出する参加者
最後に、県議会に対して「福祉医療費助成制度に関わる請願の可決を求める要望」を行いました。請願を提出した団体代表は、6月議会での可決を強く求めました。
議会事務局長に要請文を渡す参加者
要請行動には、日本共産党から私と久米議員、社民党から佐々木議員、民主党から西嶋議員が参加しました。
要請行動に参加した団体参加者は、「福祉医療費助成制度の一部負担金を無くすために、引き続き、共同行動を続けていこう」と話し会いました。
今日は、太平洋戦争末期の悲惨な沖縄戦の犠牲者の冥福を祈る「沖縄慰霊の日」です。
最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁にある平和祈念公園で、沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われました。
仲井真知事、麻生首相があいさつを行いましたが、私の心に響いたのは、小学校6年生、比屋根憲太君の「平和のいのり」という詩でした。
明日の朝刊には原文が掲載されるかと思いますが、私がラジオで聞いた範囲で内容をお伝えします。
憲太君のおばあさんは、姉を沖縄戦で亡くしました。自らが負傷したので、防空壕から出て水場に行こうとしていた時に、防空壕が爆破され、姉は帰らぬ人になったそうです。
お姉さんの遺品は何もなく、おばあさんは、今でもお姉さんの墓石を抱いて泣いておられるそうです。
憲太君は、「沖縄のきれいな空に涙は似合わない」と言います。
憲太君は、車いす生活になった「祖母の祈りを引き継ぐ」と語ります。
憲太君は、「戦争のない平和な国を引き継ぐ」と語りました。私は、涙が滲んできました。
今日の赤旗新聞は、日米地位協定上も日本に負担義務のない在日米軍思いやり予算の内、1979年度から始まった基地建設費が、08年度までの30年間で2兆283億円に達すると報道しています。
その大半は沖縄に集中しています。岩国基地にも3515億円が支出されています。基地別では、岩国基地が最高となっています。
憲太君のおばあさんの涙を繰り返さない決意の日といたしましょう。
戦争のない平和な国を後世に引き継ぐために、基地のない平和な沖縄、岩国、日本をつくっていきましょう。
私は、この立場で、6月議会に臨んでいきたいと思います。