島根県立石見美術館で開催されている「開館10周年記念企画展 祈りの仏像」を見学してきました。
島根県立石見美術館の「祈りの仏像」展覧会
石見美術館では、2009年に「千年の祈り石見の仏像」という企画展が行われました。
石見では重要文化財の仏像はわずか1点のみでしたが、展覧会の予備調査でいくつも文化財級の仏像があることが分かり、34体の仏像を展示することが出来ました。
今回の展覧会に向けて、石見美術館では、石見全域のお寺にアンケートを実施し、調査を行いました。
その結果、奈良時代の仏像が1体平安・鎌倉時代の仏像が8体見つかるなど大きな成果が生まれました。
私は、県立美術館として、その地域の美術の歴史を発掘し展示するという、石見美術館が果たした役割を高く評価します。
山口県立美術館でも同様の取り組みが行われてきたと思いますが、今後とも石見美術館が果たしたような役割を発揮してほしいと思います。
今回の展示は、石見地域だけの仏像の展示にとどまらず、中国地方の仏像が多く展示されていました。
私が住む近くの宇部市厚東、厚東氏の菩提寺である東隆寺に所蔵してある鎌倉時代に造立された地蔵菩薩坐像も展示されていました。
また、江戸時代に諸国を巡り仏像を作り続けた木喰上人が中国地方で作った微笑仏が展示されていました。
山口県の極楽寺に所蔵されている仏像も多く展示されていました。
このような、近隣の仏像の歴史を掘り起こし展示するという島根県立石見美術館の果たした役割についても私は高く評価したいと思います。
仏教・仏像ビギナーの私の興味に叶う素晴らしい展覧会でした。
1000年~数百年の時を超えて多くの仏像と対面して多くのことを学びました。
そして、阿弥陀仏などを見るとやはり心の安らぎを感じることが出来ました。
島根県立石見美術館の方々のご努力に敬意を表したいと思います。
人生を豊かにするシルバーウィークの締めくくりとなりました。
11月16日(月)まで「祈りの仏像」の展覧会は行われています。
一人でも多くの方が見学されることを望みます。
堤幸彦監督の映画「天空の蜂」を観ました。
テーマ、迫力、配役などなど申し分ない映画でした。
一人でも多くの人々に見てほしい映画です。
堤幸彦監督はパンフレットで「日本国民を『沈黙する群衆』と看破していることに感嘆と共感を覚えました。」「集団の倫理を正しいと思い、自分なりに物事の善悪を考える指針がなくなってしまうことによって、利害の対立が生まれ、ひいては紛争や戦争にもつながっていくのではないかと。」
鴻上尚史さんは、パンフレットで「この問題作を映画化することを決断した松竹、出演した江口洋介さん、本木雅弘さんをはじめ仲間由紀恵さん、芸達者なたくさんの俳優さんの心意気も素晴らしい。映画にする意味のある作品が生まれたと思います。この映画が大ヒットすることを心から祈ります。」
私もこの作品を観て二人のご意見に賛同します。
そして、映画ラストの「天空の蜂」からのメッセージを3.11後の今だからしっかり受けとめたいと思います。
どんなメッセージだったかは、原作を読んでいただくか、実際に映画を観てお確かめ下さい。
この映画で、原発再稼働やひいては安保法制のことなどを考えるきっかけにしていただけいたらと思います。
この映画は、やはり映画館で観ていただきたいと思います。
手に汗握るとはこの映画のためにある言葉だと思います。
堤監督すばらしい映画をありがとうございました。
昨日、私が住む西ケ丘自治会の敬老会が行われ参加しました。
小学校5年の長女は、子ども会の出し物で歌を歌いました。
みんなで、西宇部小学校の校歌を歌いました。
私が挨拶をした内容は以下の通りです。
・・・
西ケ丘敬老会に今年もお招きいただきましてまことにありがとうございます。次期県議選に向けて相変わらず元気に活動しています。
今は、宇部市のPTA連合会会長と浄土真宗本願寺派山口教区宇部北組常光寺の責任役員として日々活動しています。
昨日、安保法が成立しました。
私は、うべ憲法共同センター事務局長として、安保法案を考えるために二人の方の学習会を企画しました。一人は、防衛官僚で内閣参謀まで務めた柳澤協二さんです。柳澤さんは、2004年の自衛隊のイラク派兵の陣頭指揮を執った方です。あの時でさえ宿営地のコンテナにロケット弾が被弾したそうです。しかし、自衛隊は一発の弾も戦死者も出さずに任務を終えることができました。自衛隊が当時活動していたのは、ファルージャという非戦闘地域でした。今度は、自衛隊は、戦闘地域で武器弾薬を輸送する任務を行います。柳澤さんは、自衛隊員の犠牲者を出してはならないとの思いで、安保法は廃案の立場で講演活動を続けておられます。
もう一人は、6月の参議院憲法審査会で安保法案は違憲だと述べた3人の憲法学者の一人の慶應義塾大学の小林節さんです。
小林さんは改憲論者で、自民党の憲法改正草案作成にも関与された方です。小林さんは「1億人の国民を救うために3千人の兵隊が戦死しても誤差の範囲と平気で話し合っていたものです」と当時を語っています。しかし、「娘が生まれ、命の大切さを実感しました。可能な限り戦争を避けるようにしなければならいと思うようになりました。」と安保法廃案のために講演活動を続けておられます。
二人に共通するのは、「命の重み」を考え、安保法廃案を訴えておられることです。
最後に、金閣寺、銀閣寺の住職の有馬頼底さんのお話をします。ブッタがなぜ出家したのか。ブッダはインドの王子でした。父王の命で戦争に行く。しかし、殺りくを繰り返す、戦争に疑問を持ち、出家して、悟りを開きました。有馬さんは、戦争の否定が仏教の原点だと話されます。そして憲法9条は仏教の精神に通じると話されます。
皆さんのご健康と今日の平和が続くことを願い私の挨拶とします。
・・・
平和であってこその長寿社会です。
今日は、敬老の日です。人生を重ねてきた高齢者の方々に心から感謝しお祝いを申し上げます。
そして、高齢者を冷たく扱う国を転換していくために、力を尽くしたいと決意を新たにしています。
「敬老の日」に対する皆さんの思いをお教え下さい。
先日、日本共産党中央委員会の宗教委員会の平静丸さんとお話しする機会がありました。
平さんは、浄土真宗大谷派(東本願寺)の住職を務めた経験もおありで、浄土真宗の総代としてよちよち歩きの私にとって興味深いお話をお聞きすることができました。
その中で、和田竜著「村上海賊の娘」の話が出ました。
ここ数日、「村上海賊の娘」を読み直し、本願寺の歴史を知る上でも大変興味深い本だということが分かりました。
時は戦国時代、本願寺は山科から大阪(石山)に移ります。現在の大阪城周辺です。
天下統一に挑む織田信長と本願寺の顕如宗主が行った合戦が「石山合戦」です。
信長から兵糧攻めに合う本願寺に物資を送ろうとした毛利家を海上で支えたのが村上海賊。
小説は、信長と毛利・村上連合が難波の海で戦った木津川合戦が描かれています。
村上海賊の娘「景」がかっこいいです。
当時は醜女と描かれているが、現代のモデルのような容姿です。
映画化されれば、誰が演じるのかと考えてしまいます。
話を本願寺に戻しますと本願寺は、その後、紀伊鷺森に移ります。
信長が本能寺で倒れ、秀吉は、本願寺と友好関係を保ちます。
本願寺は、大阪天満を経て、京都の現在地に寺基を移転させます。
(この辺りは、『浄土真宗必携 み教えと歩む』を参照しています。)
本願寺は、常に時の政府から弾圧されながら、民衆と深く結びつきながら活動を継続させてきたことが分かります。
この連休は、「村上海賊の娘」を読み、本願寺とともに信長、毛利、村上の歴史を学びたいと思います。
瀬戸内海の歴史を知ることが山口県の歴史を知ることにもなります。
平さん「村上海賊の娘」をご紹介いただきありがとうございます。
「村上海賊の娘」は2014年本屋大賞受賞作。
さすがに読ませます。
本書や和田竜ファンの皆さん。感想をお聞かせ下さい。
本願寺
「生活と健康を守る新聞」(9月13日付)に、厚生労働省が昨年4月1日現在でまとめた「乳幼児等医療費に対する援助の都道府県の実施状況」を基にした表が掲載されていました。
全国全ての都道府県で子どもの医療費助成制度が実施されています。
通院の場合の対象年齢が、就学前までが、33自治体。就学前以上が14自治体です。
入院の場合の対象年齢が、就学前までが23自治体。就学前以上が、24自治体となっています。
また、中学生以上を対象にしている自治体が、通院では6、入院では、21ある実態も明らかになっています。
山口県は通院、入院とも対象年齢は、就学前までです。
この対象年齢を市町村独自に拡大している自治体が県内で、16自治体中12あります。
宇部市、周防大島町、和木町、上関町、阿武町が対象年齢を中学卒業(宇部市は一部負担あり)までとしています。
光市では、入院を高校卒業まで対象としています。
全国の状況や県内の状況から山口県の対象年齢が就学前というのはあまりにも低水準であることは明らかです。
私は、今年の2月県議会で子どもの医療費助成制度を中学卒業までの対象年齢拡大などを求めて質問しました。
県健康福祉部長は「全国的にも遜色ないことから、現行水準を維持することが基本と考えている」と答えました。
山口県の少子化は他県に比べて猛スピードで進行しています。
また、特に入院の対象年齢は、全国的にも遜色がないとは言い難い状況です。
よって現行水準を維持するとの基本を見直す時にきていると私は考えます。
安心して子どもを産み育てられる山口県の実現に向けて子どもの医療費助成の拡充は喫緊の課題だと私は考えます。
皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
私の車には、数年前から「無事カエル」の文字とともにかえるのイラストが描かれた子ども見守りネットワークのマグネットシートが貼られています。
先日、子どもたちが私の車を見て「ど根性ガエルの車だ」と言いました。
そうです。今、日本テレビ系で、実写版の「ど根性ガエル」放映されているからです。
明日が最終回ですが。
「県政をかえる、県政へかえる」をキャッチフレーズに活動している私としては、「ど根性ガエル」はチェックしておこうと思い立ちました。
現在、書店で手に入る「ど根性ガエル」集英社文庫(コミック版)の1・2巻と角川SSCムック「ど根性ガエルDVDブック」を見ています。
「ど根性ガエル」の漫画の掲載が始まったのが、1970年、アニメが始まったのが1972年です。
DVDを観て、自分も小学生の時代「ど根性ガエル」を観ていたことを思い出しました。
漫画は、初めて触れましたが、当時のナンセンスが笑いに浸っています。
原作誕生45年の「ど根性ガエル」はとにかく、私を小学生の時代に戻してくれます。
ゴリライモも五郎も学帽をかぶっています。
おまけにゴリライモは下駄を履いています。
DVDブックには、原作者の吉沢やすみさんのインタビューが掲載されています。
「モデルにしたのは山田洋次監督や森崎東監督が撮っていた松竹の喜劇映画です。」
山田洋次監督の初期の喜劇作品を観ている私は、なるほどと思いました。
DVDブックのイントロダクションに「平面ガエルのピョン吉と中学2年生の主人公・ひろしとの葛藤と友情。ひろしとヒロインの京子ちゃんの恋愛模様と、そこに絡んでくる転校生のくに子ちゃんとの関係。番長のゴリライモとひろしの意地のぶつかり合い。ひろしと五郎の上下関係。大人のキャラクターに目を転じると、美人教師ヨシコ先生をめぐる同僚教師の南先生と宝ずしの梅さんの三角関係などのラブコメ的要素、教師生活25年の町田先生に代表される、どこか滑稽でありながらも、大人の悲哀を感じさせる要素・・・。ここに挙げきれないキャラクターたちのあふれるヒューマニズム、そして根幹にある『ど根性』、実にバラエティに富んだストーリーが描かれています。」とありますが、そのことを実感しました。
1970年の始めは、戦後25年、民主主義が花開いた時代といえます。自由で伸びやかな時代に私は子ども時代を過ごしていたことが分かりました。
1970年を起点にするならば、ひろしは、そのまま成長していれば還暦を迎える年代です。
私も50歳となりましたが、1970年代を伸び伸び闊歩したひろしにこの作品によって大いに励まされている自分に気づかされます。
そして、今を生きる「ど根性」をひろしから受け取る自分にも気づかされます。
ひろし先輩、私は、今、「ど根性」を出して、再び日本が戦争の惨禍に巻き込まれない社会にしていくために頑張っています。
これからも「ど根性ガエル」の精神で物事に体当たりしていきたいと思います。
これからの人生、「ど根性ガエル」を読んで、観て、大いに笑い、歩んでいこうと思います。
ひろし先輩「ど根性」をありがとうございます。
当面は、明日の実写版の最終回を楽しみにしている今日です。
「ど根性ガエル」ファンの皆さん、感想をお聞かせ下さい。