議員日誌

この子らを世の光に

 19日に朝日新聞文化欄に「障害者福祉の父」と言われた糸賀一雄さんの特集が組まれていました。

 「今年7月、相模原市の障害者施設『津久井やまゆり園』で入所者19人が命を奪われた事件のあと、『この子らを世の光に』のフレーズがネット上で拡散された。その由来を知る者も知らない者も、この言葉にすがった。加害者の『障害者なんかいなくなればいい』という極端な発想に対抗するよすがとして。糸賀が54歳で早世してから半世紀近くが経つが、この言葉は社会の中で生き続けている。だがそれは、糸賀の理想とした社会がいまだに実現されていないことの裏返しでもあるのだろう。」

 私は、日本福祉大学で3・4年生の時、障害者福祉のゼミナールで学んでいました。

 担当教官の大泉溥先生の著書「障害者の生活と教育」に、糸賀一雄さんのことがこう書かれてあります。

 「障害者の問題を単なる政治告発や体制批判のための手段に利用する態度をさっぱりと否定して、日本の国民と社会の発展を全体的に実践的に推進していく思想へと深化させていく。『この子らに世の光を!』ではなく、『この子らを世の光に!』だと糸賀一雄が言うとき、こられ一連のとりくみを通して彼の生命をかけて体得した『福祉の思想』(1968)が何であったのかを私たちは知るのである。それは、発達の科学的研究にうらうちされた障害者問題の実践的解決が日本の未来をきりひらく指針となるということに他ならない。とすれば、その創造的実践展開のなかで生み出された『発達保障』理論にはとくに注目すべきだろう。」

 大泉先生は、糸賀一雄さんは、「発達保障」理論の父ではないかと指摘しています。

 私が、1987年8月3日に、第21回全国障害者問題研究会に行った時に購入した「発達保障の探求」という本に、埼玉大学教授(当時)の清水寛さんのサインが記されています。「発達保障は、人類の新しい世紀を拓く」。

 糸賀一雄さんは植えた「この子らを世の光に」との理論は、その後の研究者や実践家によって、「発達保障」論に発展し、人類の未来を拓く理論へと発展していることをこの度、実感しました。

 その上で、大泉先生が本の中で取り上げている糸賀一雄さんの「福祉の思想」を見てみます。

 「知恵おくれの低能児のことなどなにひとつ考えてみなかった社会に、呼びかけ働きかけ、この子らの立派な生き方を示すことによって、社会の人々にこの子らのことを考えさせるようにしたとするならば、それは、たいへんな大事業なのである。それは政治的、暴力的な革命ではない。しかし、もっとも理解しにくい精神薄弱の問題を、自分自身の問題として連帯的に真剣に取り上げるような社会が形成されたとすれば、それは社会全体の内面的な変化であり、進歩であり、むしろ教育的革命と呼んでよいのかも知れないほどの大改革である。」

 糸賀さんが「この子らを世の光に」と言うバックボーンに一つとしてアメリカのケネディ大統領の言葉がありました。

 「大統領精神薄弱委員会の席上、ケネディ大統領は次のように演説をした。『身体障害者、精神病者その他の病気にたいする治療や対策は長足の進歩を示したにもかかわらず、われわれは精神薄弱問題のために国家的な集中的調査研究を行うことをあまりにも後まわしにしてきた。この誤りも是正しなければならない。心身障害者に深い関心をもつように、叡智と人間性は命令する。-われわれがこれら薄倖の人びとに関心を寄せるのは、単なる政治の指標のためではないし、また国家に利益や人的資源の保護のためでもない。それはアメリカの未来を拓く鍵だからである。」

 50年以上までにケネディ大統領は、障害者問題への対応は「アメリカの未来を拓く鍵である」と言いました。

 日本では、知的障害者施設を創設した糸賀一雄さんが「この子らを世の光に」と言いました。

 糸賀一雄さんのことを考えながら、私は30年前の学生時代に立ち返ることが出来ました。

 ケネディ大統領や糸賀さんが求めた社会へいまの日本を近づけていくことが私の人生をかけての仕事であることに改めて気づかされました。

 「この子らを世の光に」みなさんはこの言葉をどう受け止められますでしょうか。ご意見をお聞かせ下さい。

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