昨日の朝日新聞の「問う『共謀罪』学問の世界から」に哲学者の内田樹さんが登場していました。
内田さんは、「仏紙ルモンドが5月下旬、『共謀罪』法案について報道した。懸念を表明する国連の特別報告者に日本政府が抗議したことに触れ、『驚くべき反応である』『日本は国際法の順守をこれまで強く訴えてきていた』と非難した。安倍政権の支持率は落ちなくても、日本の国際社会の評価は下がりっぱなしだ。
日本政府が国連の特別報告者に抗議したケースは、「共謀罪」だけではなかったことが、昨日の毎日新聞電子版で書かれてあります。
共謀罪に関して、「国連のケナタッチ特別報告者が先月18日、『表現の自由を不当に制約する恐れがある』と懸念を示す書簡を公表。政府は即座に『直接説明する機会もなく一方的に発出した』と抗議した。」と報じています。
秘密保護法に関して、「同30日にはデービット・ケイ特別報告者が、世論の反発が強かった特定秘密保護法について『ジャーナリストを委縮させないよう法改正すべきだ』などと勧告する報告書を公表。これにも政府は『不正確な内容だ』とすぐに反論した。」と報じています。
慰安婦問題に関する日韓合意に関して「国連の拷問等禁止条約に基づく専門家委員会が、同12日に韓国政府に対して日韓合意見直しを勧告する報告書を出した際も、政府は合意の正当性を主張する見解を公表した。他国への勧告にまで反論するのは異例だ。安倍晋三首相は同27日、国連のグテレス事務総長との会談で日韓合意の重要性を説明。会談後に政府は『(グテレス氏が)賛意を示した』と発表したが、国連側は『合意の内容に言及していない』と否定して食い違いが生じ、国連との『溝』がかえって浮き彫りになった。」と報じています。
安倍政権は、国連の助言に、ことごとく反論ばかりを行い、「溝」を深めています。
安倍政権の暴走は、日本の国際社会の評価を下げています。
内田さんは、安部内閣の支持率は落ちていないと書かれていますが、調査によっては急落しているものもあります。
安倍政権の暴走は、日本の国内で評価を下げている現状ではないでしょうか。
内田さんが朝日新聞で指摘する「立憲主義を空洞化させ、独裁化をすすめる」安倍政権に批判の声を強めていきましょう。
当面、国連も「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と懸念を示す共謀罪法案を廃案に追い込んでいきましょう。
安倍政権に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日に引き続き、「死刑制度」について考えてみたいと思います。
今日紹介するのは、名古屋大学名誉教授であり、真宗大谷派9条の会共同代表世話人の平川宗信さんの「真宗と社会問題」の中の「念仏者の死刑制度への対応」という小論です。
平川さんの専門は「刑法学」であり、死刑問題の権威の一人と言っていい方です。
平川さんは「1987年に国連でいわゆる『死刑廃止条約』が成立してから廃止国が増加していて、現在では、世界の約7割の国が、法律上または事実上死刑を廃止しています。アジアでも、廃止国が徐々に増えてきています。お隣の韓国も、事実上の廃止国になっています。」と世界の状況を述べた上で、「日本では、人の命を奪う犯罪は、戦後一貫して減り続け、1990年代以降は低い水準で安定しています。しかし、死刑の執行は1990年後半から徐々に増加していますし、死刑の言渡しもここ数年著しく増えています。」と日本の現状を述べています。
犯罪(交通事故を除く)による死亡者数と殺人認知件数のデータがこの本に掲載されています。
1966年の犯罪による死亡者数は、3661名、殺人認知件数は2198件です。
2013年の犯罪による死亡者数は、819名、殺人認知件数は939件です。
この半世紀で、犯罪による死亡者数と殺人認知件数は3分の1以上減っています。
死刑執行数は、1980年代は15人。1990年代は、36人。2000年代は、46名と10年単位で見ると、90年代以降は確実に死刑執行数が増えています。
日本の現状は、世界の動きと逆行していると思います。
その上で、平川さんは日本の死刑問題をどう考えるか述べています。
「釈迦は、『法句経』の中で、『殺してはならない。人を殺させてはならない』と、不殺生戒を説いておられます。死刑は、国が殺す、国が刑務官に殺させる制度です。仏教徒が死刑を支持することは、この言葉に反するというほかはないと思います。」
「親鸞聖人は、阿弥陀が『願をおこしたもう本意、悪人成仏のためなれば』と説かれ、『悪人』が『もっとも往生の正因』だとする『悪人正因』を唱えておられます。また、承元の法難では、住蓮房・安楽房ら同朋・同行を死刑にされ、これを『猥りがわしく死罪に坐す』と厳しい言葉で批判しておられます。そのような親鸞聖人が、『悪人は死刑にしてもよい』と言われるとは思えません。」
平川さんは、この小論を「すでに、世界の7割の国・地域において、死刑なしで問題なく社会が動いています。それらの国と比較しても犯罪情勢が極めて良好な日本で、それと同じことができないはずはありません。」と結んでいます。
私は、政治家として、念仏者の一人として死刑問題をしっかり考えていきたいと思います。
皆さんは死刑制度をどのようにお考えですか、お教え下さい。
久しぶりに東野圭吾さんの小説「虚ろな十字架」を読んでいます。
実は、我が家の長男が通っている大学が東野さんが卒業した大学です。
工学部というのも同じです。東野さんの大学の後輩が私の長男だということで、久しぶりに読みたいなと思い手に取りました。
この小説は、ストレートに「死刑」問題を問う作品です。
文庫本の裏表紙にあるこの本のストーリーを引用します。
「中原道正・小夜子夫妻は一人娘を殺害した犯人に死刑判決が出た後、離婚した。数年後、今度は小夜子が殺害されるが、すぐに犯人・町村が出頭する。中原は、死刑を望む小夜子の両親に相談に乗るうち、彼女が犯罪被害者遺族の立場から死刑廃止反対を訴えていたと知る。一方、町村の娘婿である仁科史也は、離婚して町村たちと縁を切るよう母親から迫られていた-。」
小夜子は、離婚後フリーライターとして、死刑廃止反対の立場で多くの記録を残していました。
その中に、小夜子の一人娘の犯人を弁護した平井弁護士を取材したものがありました。
平井弁護士は、小夜子の「執拗に死刑を望んだことについてどう思うか」の問いにこう答えています。
「家族を殺された人々が死刑を望まないケースなんて、私の記憶には殆どありません。弁護士としては、むしろそこからがスタートだと思っています。被告人は、断崖絶壁の端に立たされている。先はもうありません。だったら被告人のために、少しでも後ろに下がる道を模索するしかない。片足一歩でも下がれるスペースがありそうなら、何とかしてそこまで移動させたい。それが弁護だというものなのです。」
平井弁護士は、小夜子から死刑制度について聞かれこう答えています。
「冤罪で人を殺してしまうおそれがある、というのが死刑廃止論の中で一番強い意見だと思いますが、私の主張は少し違います。私が死刑に疑問を感じるのは、それでは何も解決しないと思うからです。Aという事件があり、犯人が死刑になった。Bという事件があり、こっちも死刑になった。事件は全く別物で、遺族の顔ぶれも違うのに、結論は死刑という一言で片づけられてしまいます。私は、それぞれの事件には、それぞれにふさわしい結末があるべきだと思うのです。」
中原は、直接、平井弁護士に会い、一人娘を殺した罪で死刑を受けた虻川について聞きます。
平井弁護士はこう語ります。
「虻川は氏名のことを刑罰だとは捉えなくなっていたのです。自分に与えられた運命だと思っていたのです。公判を通じて彼が見ていたものは、自分の運命の行方だけでした。だから他人のことはどうでもよかった。彼が上告を取り下げたのは、ようやく運命が決まったのだから、もうやり直しは面倒だということだったのです。死刑確定後も、私は手紙や面会などで虻川とやりとりを続けました。もう一度彼に自分の罪と向き合ってほしかったからです。しかし彼にとって事件はもう過去のことでした。彼の関心は、自らの運命にしか向いていなかった。」
平井弁護士は、中原に死刑が執行されて何か変わったか聞きました。
中原は「いいえ」と答えます。
平井弁護士は、「そうでしょうね。そして虻川も真の意味で反省には、といとう到達できないままだった。死刑判決は彼を変わらなくさせてしまったんです。」「死刑は無力です」と語ります。
この作品は、死刑について考える良質のルポルタージュのようです。
死刑廃止反対論だけのものや死刑廃止論だけのものはありますが、両方を語り、読者に考えさせるのが本作の意義だと思いました。
その上で、東野圭吾さんの思いが平井弁護士の言葉に託されていると私は思いました。
東野圭吾さんの作品に「天空の蜂」があります。本作は映画にもなり、私は、原作と映画を両方楽しみました。
この作品は原発問題を鋭く問うものです。
東野圭吾さんは、エンターテーメント小説の大家ですが、社会問題を正面から取り上げた作品も多くあります。
今度、ドラマ化される「片思い」はLGBTの問題をテーマにした作品です。
「虚ろな十字架」を読んだ後には「片思い」を読みたいと思っています。
そして、「ナミヤ雑貨店の奇跡」が映画化され秋にはロードショーされます。
東野圭吾さん作品の映像化も目白押しです。
長男の大学の先輩、東野圭吾さんからしばらく目が離せそうもありません。
皆さんは死刑制度についてどうお考えですか。
東野圭吾さんの作品に対するご意見もお聞かせ下さい。
岩国基地の空母艦載機部隊移駐の容認を岩国市及び山口県が判断しようとしています。
私は、県議会議員時代、何度も空母艦載機部隊移駐問題の質問を行ってきました。
その際、歴代知事は「普天間基地移設の見通しが立たないうちに、空母艦載機の移駐のみを切り離して進めることはできない」と答弁してきました。
この見解は、歴代岩国市長も踏襲してきた基地問題の基本的スタンスです。
しかし、福田市長は、5月に沖縄・辺野古などを訪問した上で、住民説明会などで「5月の現地視察や国の説明、現地での工事などを見て、普天間の見通しは立ったといえる」と説明しています。
5月31日に甍れた岩国市議会全員協議会で日本共産党の大西明子団長は「沖縄県は7月にも、政府が進める辺野古埋め立て工事の差し止めを求める訴訟と仮処分を起こすことにしており、普天間問題は何一つ解決していない」と指摘しました。
沖縄県の翁長知事は、7日、県庁で記者会見を行い、沖縄県防衛局が名護市辺野古の新基地建設で県の岩礁破砕許可を得ずに工事を進めていることに対して、国を相手に工事の差し止め訴訟を起こす方針を発表しました。20日開会予定の県議会定例会に訴訟を起こす議案を提出し、7月14日の最終本会議で可決されれば、準備が出来次第、早めに提訴する方針です。また、同時に工事を停止させる仮処分の申し立ても行います。
沖縄防衛局は、辺野古新基地建設を進めるにあたり、仲井真前知事から岩礁破砕許可を得ていましたが、今年3月末で期限が切れました。ところが、県の許可を得ないまま以降工事を続け、さらに漁業権に関する従来の国の見解を変更して、県の許可が必要ないかのようにしています。
昨年まで続いた辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる訴訟に続き、新基地をめぐる法廷闘争は第二幕を迎えます。
岩国市議会全員協議会での大西団長の質問に対して福田岩国市長は「7月提訴の報道は知っており、動向は注視したい。しかし、埋め立ては最高裁で判決で決着し、現に工事も着工しており、見通しだ立ったとの判断は変わらない」と答えました。
この福田市長の答弁は、国言いなりの姿勢に終始したもので、岩国市民の立場に立ち、これまでの姿勢を堅持し、真摯に沖縄県の動向を見る姿勢は皆無といえるものです。
住民の痛みが分からない市長はその資質が厳しく問われます。
大規模な海底の破壊を伴う工事の場合、事業者は漁業法などに基づく漁業調整規則に沿って、県知事から岩礁破砕許可を得る必要があります。歴代政権もそうした見解を取ってきました。
とkろおが、安部政権は、今年3月、突然、「許可は不要」との見解を変えました。県が再三、許可手続きを行うよう行政指導を行ってきたにもかかわらず、これを無視し続けています。
護岸工事をはじめとした辺野古埋め立ては違法工事であり、県による提訴は当然です。
山口県と岩国市は「普天間基地の移設の見通しが立つ前の空母艦載機部隊の先行移駐は認められない」との見解を堅持するならば、沖縄県が行う辺野古の米軍新基地建設に伴う工事の差し止め訴訟と仮処分申請の動向を見守るべきです。
その上で、この裁判が決着がつくまで、当面、艦載機部隊の受け入れは拒否すべきです。
来月から艦載機部隊移駐を認めるなど到底許されるものではありません。
空母艦載機部隊移駐問題に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
昨日に続いて、元龍谷大学学長の上山大峻著「金子みすゞがうたう心のふるさと」の感想を書きたいと思います。
金子みすゞの代表作の一つに「私と小鳥と鈴と」があります。
「私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を早くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。」
「仏説阿弥陀経」に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光、微妙香潔」(青い色のものは青い光を放ち、黄色い色のものは黄色の光を放ち、赤い色のものは赤い色を放ち、白い色のものは白い光を放っている。それがまことに美しい)という言葉があります。
上山さんは、「仏説阿弥陀経」を引用した後で「私たちは、自分と違った姿・形をしたものや違った考え方をするものを嫌います。嫌うだけでなく排除しようとします。そして同じものに作り変えようとします。しかし、違っていても、皆それぞれに大切な命とかけがえのない個性をもっているのです。私の存在が許されているように、違った人の存在も大切なものなのです。世界にはいろいろの人々がいて、いろいろの違った文化をつくっています。そのなかには私の好みに反するものがあるかもしれません。しかし、その人びとの立場に立てば、それぞれがすばらしく、大切なものなのです。」と述べています。
上山さんは、その上で、「戦争中、日本は自らを『大和民族』と称して他の民族を蔑視しました。ナチスドイツがユダヤ民族を抹殺しようとしたのもその民族差別からでした。みすゞさんの『私と小鳥と鈴と』が詠まれたころは、日本がすでに戦時体制に入り、全体主義が支配していたころです。国民の皆が『お国のため』に統一されなければならなかった時代です。『それぞれが違っていいのだ」などととても言えないころです。そんな時、みすゞさんは『みんなちがって、みんないい』と言ったのです。驚くべき勇気です。みすゞさんの詩集が世間に出ず、埋もれていたことが幸いしました。もし、そうでなければ軍部によって抹殺されていたでしょう。みすゞさん自身、はたしてそんな危険性を意識していたかどうかはわかりませんが、彼女の詩には時の権力におもねらない強さを感じます。そしてその強さを支えていたのは仏教の思想であったと思うのです。」と書いています。
治安維持法によって虐殺された小林多喜二と金子みすゞは、1903年(明治36年)の同い年です。
みすゞが雑誌に投稿を始めたのが、1922年(大正12年)の20才の頃です。
多喜二が小樽高等商業学校に入学して「小樽高商校友会雑誌の編集委員になったのが、20才の頃です。
みすゞが亡くなったのが1930年(昭和5年)。この年に小林多喜二は「蟹工船」で不敬罪の追起訴を受けます。
みすゞが亡くなって3年後の1933年(昭和8年)に小林多喜二は築地署特高警察に逮捕あれ、拷問の末亡くなります。
私の歴史と重ねると、私の父の母(私の祖母)は、1904年(明治37年)生まれでした。金子みすゞらと同じ世代です。
父は、1931年(昭和6年)生まれ。まさに戦時体制に入り、全体主義が支配していた頃です。
こう考えると、全体主義が跋扈していた時代はそんなに昔ではないのです。
戦争法が強行され、共謀罪が強行されようとしていますが、全体主義を復活させてはなりません。
「みんなちがって、みんないい」と言えない社会を繰り返してはなりません。
安倍首相に、今日は、郷土の詩人・金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」を読み直していただきたいと思います。
そして、安倍首相には、当面、共謀罪の強行はしないよう切にお願いしたいと思います。
上山さんの本を読んで心から金子みすゞの詩が好きになりました。
あなたは、金子みすゞのどの詩がお好きですか。お教え下さい。
上山大峻さんの「金子みすゞがうたう心のふるさと」を読みました。
上山さんは、龍谷大学学長を経て、現在、長門市・乗泉寺の住職をされています。
上山さんは、本書の意図を「僧侶(浄土真宗)として、また、同じ地域に育ったものとして、できるだけ彼女の心に近づいてみたいと思うのです。」と書いています。
金子みすゞの有名な詩に「大漁」があります。
「大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の大漁だ。
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。」
上山さんは、「どんなものの命でも、同じ重さだ」ということをこの詩は教えているとしています。
その上で、上山さんは、「ブッダのことば」の次の言葉を引用します。
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
上山さんは、「この教えは、単に命の重さ(価値)が同じだということだけでなく、他のものも自分と同じように命を大切に思っているという自他の共感から、だから『他を害してはならない』と、もう一歩進められたものです。」と解説しています。
そして、上山さんは、「鰮の命と人間の命が同じだとうこと、鰮も仲間の死を悲しんでいるだろうという思いが起きるのは、あたり前のことだったのです。でも、人間だけが偉いのだ、他の命は人間に奉仕して当然なのだと驕ってきた私たちにとっては、このことが忘れられてしまって、いつのまにか大きな驚きになっていたのです。」と語っています。
上山さんは、金子みすゞさんの詩が産まれた背景には、お寺の多い仙崎の育まれたブッダの思想があったのではないかと語ります。
ブッダの「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」は念仏者9条の会を支える大きな柱となる言葉です。
国政を私物化して暴走を加速させている安倍総理に、故郷が生んだ詩人「金子みすゞ」の「大漁」の詩を今、送りたいと思います。
自分や自分の周りの者のためいは、他は奉仕して当然なのだと安倍首相は驕っています。
安倍首相に今、「大漁」を読んで感じていただきたいと思います。
金子みすゞについて、皆さんの感想をお聞かせ下さい。