NHKドラマ「夕凪の街 桜の国2018」を妻と一緒に観ました。
原作は、「この世界の片隅に」で有名なこうの史代さん。
8月6日付「しんぶん赤旗」日刊紙にこのドラマを紹介する記事が掲載されました。
このドラマの田中意澄制作統括は、「こうの先生の世界観は、ささやかな日常、被爆によるトラウマ、喜怒哀楽をていねいにすくい取って描いています。私たちとしては何年の何月何日に、誰が原爆投下したという歴史の一ページにしたくない。被爆地には、何十万人の人たちが生きて、生活していて、川栄さん(主人公・七波の伯母・平野皆実役)と同じ世代の人たちが恋をしたり、将来を悩んで生きていたんですから。核兵器の廃絶に目を向けてもらうためにも、平和へのメッセージとなればと思っています。」と述べています。
被爆した平野皆実を演じた川栄さんは、「戦争は、映像や、写真でしか知らない世界なので、どういう気持ちで日常生活を過ごしていたんだろうと悩んでいました。」と語っています。
皆実が、職場の同僚の男性から好きだと告白されて悩み苦しむシーンなど、川栄さんの演技は出色でした。
皆実の母=フジコを演じたキムラ緑子さんは、「70、80代の方が今まで語れなかったことを、後世のために一生懸命、伝えてくださっている。私たちがきっちり受け止める。それがこの作品を、努力してみんなで作り上げていくことなんだろうなと思いました」と語っています。
被爆者の方の平均年齢は、82歳を越えました。
私たち一人ひとりがしっかりと被爆の実情を後世に伝えていくことがこれからとても重要な問題になってきます。
その点で、この作品は、最良の作品だと思いました。
「夕凪の街 桜の国」を観て読んで、一番、印象に残るのは、
皆実が被爆10年後に亡くなる前に、つぶやくセリフです。
「嬉しい? 10年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」
数日前に読んだ「非暴力の人物伝」に取り上げられていたマハトマ・ガンディーが広島への原爆投下と事実を知って語った言葉を思い起こします。
「原子爆弾という恐怖の存在によって、世界に非暴力を実現させることはできません。」
核保有国が主張する「核抑止力論」を乗り越えて、一日も早く、核兵器のない世界がやってくることを願ってやみません。
日本政府が一日も早く、核兵器禁止条約にサインすることを願ってやみません。
「夕凪の街 桜の国2018」いいドラマでした。
実は、半月前に、このドラマの重要なスタッフの方とお話することがあり、思い入れがひとしおでした。
スタッフの皆さん、いいドラマをありがとうございました。
一人でも多くの皆さんにこのドラマを見ていただきたいと思います。
毎日新聞の客員編集委員・玉木研二さんの今朝のコラム「火論」は興味深い内容でした。
玉木編集委員は東京国立博物館で開催されている特別展「縄文-1万年の美の鼓動」を観て語っています。
歴史学者・網野善彦さんは「日本社会の歴史」(岩波新書)でこの時代についてこう書いています。
「人間の生活がきびしい自然に圧倒されていたことは、平均寿命が30歳余ときわめて短いことが端的にあらわれているが、それだけに生命の貴重さは大きく、身体障害者がかなり長寿を保っている例もあることから見て、障害者や票委任に対する差別などもなかったと考えられる」
玉木編集委員は、この文章を引用した後、次のように書いています。
「タイムマシンあらば、国会議員が唱えた『生産性』うんぬんについて縄文の人々の意見を聞いてみたいものだ。首をかしげるばかりだろう。縄文から弥生時代へ。農耕による定住、占有の時代へと移ろいながら人間たちの間に階層が生じ、組織的に争い戦う時代へと変質する。」
人々は、組織的に争う時代に入っていったが、日本国憲法という英知を私たちは得ました。
日本国憲法は、国会議員には憲法擁護義務を課しています。
憲法で保障する個人の尊厳や基本的人権の尊重を理解しない国会議員の発言は、批判されて当然だと思います。
発言を行った議員の所属政党の幹部は「人生観」の問題として一蹴しました。
人類は争いの中にあっても、国際的な様々な文章で、「一人ひとりの人権を尊重する」ことの大切さを説いてきました。
これらの人類の到達を無視して、むき出しの争いの時代へ戻そうとする言葉の一つが「生産性」なのかも知れないと、今朝、玉木編集委員のコラムを読んで感じました。
先日も障害を持った方から「生産性」発言への怒りの言葉をお聞きしました。
改めて、「生産性」発言に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
大月書店の「非暴力の人物伝」マハトマ・ガンディーに続いては、沖縄のガンディーと言われた阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんが紹介されています。
阿波根さんは、沖縄本島の北西にある伊江島で米軍からの土地取り上げに遭います。
米軍は、測量のお金を支払うためと言われた書類は、立ち退きを約束する書類でした。
その上、米軍は、ブルドーザーで伊江島の人たちの畑や家をつぶしていきます。
阿波根さんたちは、米軍と交渉する上での決まりを1954年10月に決めました。
(伊江島陳情規定)
1、怒ったり悪口を言ったりしないこと。うそや偽りを言わないこと。
1、米軍と話をするときは、何も持たないで、すわって話すこと。
1、耳より上に手をあげないこと。
1、大きな声を出さず、静かに話す。
1、人道、道徳、宗教の精神と態度で接し、道理を通してうったえること。
阿波根さんたちは、1967年、伊江島の米軍演習場の入り口に「団結道場」を建設しました。
道場の壁には、「米軍に次ぐ 土地を返せ ここは私たちの国 私たちの村 私たちの土地だ(中略)剣をとるものは剣にて亡ぶ(聖書)基地を持つ国は基地にて亡ぶ(歴史)」と書かれてあります。
阿波根さんの章の後半にこう書かれてあります。
「いま沖縄では、米軍基地に反対するたたかいがつづいています。名護市の東側の海岸、辺野古に新しい基地を作ることが決まった1999年から、反対のすわりこみがつづけられているのです。沖縄の人ばかりでなく、日本全国から、海外からも平和を願う人びとが集まってきて、暴力をふるわれても暴力で返さず、暴力的なことばもつつしむという、非暴力のたたかいを守っています。その精神は、昌鴻たちがかかげた、伊江島の陳情規定を受けついでいるのです。」
辺野古への新基地建設の是非を問う県民投票条例の制定を求める署名運動は、10万1千人分寄せられ圧倒的な成功をかちとりました。
翁長知事は、7月27日、「埋め立て承認撤回」の手続きに入ることを表明し、新基地建設は許さない断固とした決意を示しました。
安倍政権は、8月17日に辺野古に土砂を投入することを県に通知していますが、8月11日に、県民は、土砂投入を許さない県民集会を計画しています。
昌鴻さんが生きておられたら、8月11日の集会成功のために奔走されているところでしょう。
今こそ、伊江島の団結道場の掲げられている言葉「基地を持つ国は基地にて亡ぶ」を思い起こしましょう。
安倍政権は、辺野古への土砂投入を強行すべきではありません。
昌鴻さんの遺志を受け継ぐ沖縄県民と連帯して、辺野古新基地建設をゆるさないたたかいを高めていきたいと思います。
今度、沖縄県に行く機会があったんなら、昌鴻さんらが設立された反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を見学したいと思います。
阿波根昌鴻さんから更に学んでいきたいと思います。
皆さんは沖縄の現状をどうお感じですか。ご意見をお聞かせ下さい。
大月書店から児童書としてシリーズ「非暴力の人物伝」が刊行されました。
日本ペンクラブ会長の吉岡忍さんが、「刊行によせて」でこう書いています。
「人間の歴史をふり返ってみると、大きな武力や権力、あるいはお金の力を持った国や集団が領土や資源をもとめて戦争をはじめたり、他国の他の集団から利益をしぼり取ったり、文化や宗教や性別のちがいを理由に差別したり、ということが少なくありませんでした。もしきみたちが、そんな時代に生きていたら、と考えてみてください。戦争で攻め込まれたり、持っているものをうばわれたり、差別されたりする側にいたとすれば、その力こぶや腕力でたちむかえますか。でも、そういう時代を生き抜いてきた人たちがいます。この人たちは、自分のなかにある力を、腕力や暴力ではなく、知識や知恵としてたくわえ、信念や信条として語り、やさしさや友情や愛や、ときにはユーモアとして広めていきました。この行動は時代をこえ、国境をこえて広がっていきました。こうした非暴力の活動こそが、理不尽な支配を終わらせ、人びとの心にしみついた、にくしみや偏見をときほぐし、ことばによっておたがいを説得し、理解しあう民主主義への道を一歩一歩ふみかためてきたのでした。非暴力-それは世界を大きく変えた力でした。いったいそれはどんな力なのか、どういう人たちが切り開いてきたのでしょうか。」
このシリーズでは、マハトマ・ガンディー、阿波根昌鴻、チャップリン、ハブロ・ピカソ、田中正造、ワンガリ・マータイ、キング牧師、ネルソン・マンデラ、平塚らいてう、萱野茂が取り上げられています。
刊行は来春まで続きますが、今から楽しみです。
ガンディーは、イギリスからインドの独立を「非暴力と不服従」で実現した人物です。
アムリットサルイギリス兵によるインド人への大虐殺が行われた時、ガンディーは「仲間や身内を殺されて、開いてをやつざきにしてやりたいという気持ちはわかります。しかし、敵をゆるすことは、敵を罰するより、ずっと気高い行為だということを、どうか忘れないでおしい」
ガンディーは「力は、腕力からではなく、不屈の意思から生まれます」と述べています。
ガンディーは、第二次世界大戦がはじまり、1942年、「すべての日本人に」と題する文書をインドの新聞に寄稿しました。
「わたしは、あなたがた日本人が中国に加えている攻撃を極度にきらっていることを、はっきり申し上げておかなければなりません。」
1945年8月6日のアメリカによる広島への原爆投下のニュースに対し、ガンディーは次のように言いました。
「原子爆弾という恐怖の存在によって、世界に非暴力を実現させることはできません」
核兵器禁止条約は、核で他国を威嚇する行為も禁止しています。
そして、朝鮮半島で始まっている非核化の流れを世界に広げるべきです。
ガンディー1948年1月30日に暗殺されましたが、ガンディーが生きていたら、核兵器禁止条約を評価し、朝鮮半島の非核化の流れを評価したでしょう。
そして、ガンディーが今、「すべての日本人への手紙」を書いたならば、「唯一の被爆国政府として核兵器禁止条約にサインする」よう書いたでしょう。また、「朝鮮半島の非核化の流れを加速するために役割を発揮する」よう書いたでしょう。
更に、北朝鮮の脅威に対抗するとして、新たにミサイル基地を日本に二か所設置することについては、「やめるよう」書いたでしょう。
「非暴力」とは素晴らしい概念だと思います。
これからも、この言葉を大切にしながら、本シリーズに登場する人々から学んでいきたいと思います。
そして、ガンディーからも学んでいきたいと思います。
明石家さんまさん原作の「Jimmy」を読んでいます。
後にジミー大西となる大西秀明さんは、小学校低学年まで一言も言葉を話しませんでした。
子どもの頃からいじめられてばかりの大西少年でした。
高校卒業後、吉本興業に入った大西青年でしたが、ミスばかりの日々が続きます。
ある日、吉本の重役が、明石家さんまさんに、大西青年を吉本新喜劇に出演させたいと伝えます。
さんまさんは、「やめといた方がええ」とアドバイスしますが、大西青年の新喜劇出演が決まります。
やっぱり、大西青年は、舞台の上で大失敗。
吉本の重役は、大西青年に「お前はクビだ」と怒鳴ります。
さんまさんは、「そもそもあいつ出せと言うたん誰や?」と重役に切り返し「俺も吉本辞めたる」と言い返します。
その騒動をきっかえにして、大西青年は、ジミー大西として明石家さんまさんの付き人になります。
大西青年が吉本新喜劇で重大なミスを冒した時、明石家さんまさんは、大西青年にこのような声をかけます。
「今までの自分、笑い飛ばしてみ。そうしたらな、お前いじめてきた奴とか、からかってきた奴とか、全部見返えせんで!」
「笑えんことなんてな、この世にいくらでもあんねん!けどな、それ全部おもr
先日、NHKラジオでMisiaの番組を放映していました。
ゲストは明石家さんまさんと甲斐よしひろさん。
現在、明石家さんま企画・プロデュースでドラマ「Jimmy~アホみたいなホンマな話~」がネット配信されています。
その主題歌が甲斐バンドの「最後の夜汽車」。「最後の夜汽車」をMisiaさんが歌っているそうです。
番組内では、甲斐よしひろさんとMisiaさんが二人で歌いました。
Misiaさんの伸びる声と懐かしい甲斐さんの声が混じりあって、まさに鳥肌がたつほどの歌声でした。
そして、今、甲斐バンドの1979年に行われた武道館ライブのアルバムをレンタルしてきて聴いています。
私は、高校時代、文化祭に向けてバンドを組んでいて、ボーカルを担当していました。
2年生と3年生の時に、文化祭で歌いましたが、甲斐バンドの「翼あるもの」を3年生の時に歌いました。
その他、「安奈」「ポップコーンをほおばって」「HERO」そして「最後の夜汽車」どれも、私を10代後半の自分に連れていってくれる曲ばかりです。
甲斐よしひろさんもバリバリ活動されているようで、これからも応援していきたいと思います。
Misiaさんは素晴らしいボーカルであることは知っていましたが、真剣に楽曲を聴いたのは今回が初めてです。
感動しました。これからも注目していきたいと思います。
「最後の夜汽車」は、シングルカットされていないアルバムの中の1曲だったのですが、明石家さんまさんが、「この曲はいい」と広めて、あちこちでかかったそうです。
「白い月あかりの そお裏側で 僕はゆがんだ 顔を洗った 白い月あかりの その裏側で 涙のかけらを 洗い落とした」
明石家さんまさんの人生は、ジェットコースターのようなものだったと推察します。
さんまさんのそのような人生の中で、「ゆがんだ顔を洗った」「涙のかけらを洗い落した」夜があったなんて想像できませんが、私は、さんまさんはこの部分の歌詞に共感したのではないかと推察しています。
歌詞は、甲斐よしひろさん、甲斐バンドのヒット曲の歌詞は、ほとんどが甲斐よしひろさんの歌詞だったことを知りました。
作詞家としての甲斐さんは、素晴らしいと感じました。
さて、今、原作・明石家さんま「Jimmy」を読んでいます。
ジミー大西と明石家さんまとの関係が見事に描かれた作品です。
同時に、1980年代の時代が見事に描かれた作品でもあります。
80年代は、私の高校生から大学生の辺りの時代です。
まさに、私の青春時代がこの作品で描かれています。
「Jimmy」についての話は次回以降のブログで書いていきます。
甲斐バンド、そして、「最後の夜汽車」に関する皆さんの思い出をお聞かせ下さい。