毎日新聞の客員編集委員・玉木研二さんの今朝のコラム「火論」は興味深い内容でした。
玉木編集委員は東京国立博物館で開催されている特別展「縄文-1万年の美の鼓動」を観て語っています。
歴史学者・網野善彦さんは「日本社会の歴史」(岩波新書)でこの時代についてこう書いています。
「人間の生活がきびしい自然に圧倒されていたことは、平均寿命が30歳余ときわめて短いことが端的にあらわれているが、それだけに生命の貴重さは大きく、身体障害者がかなり長寿を保っている例もあることから見て、障害者や票委任に対する差別などもなかったと考えられる」
玉木編集委員は、この文章を引用した後、次のように書いています。
「タイムマシンあらば、国会議員が唱えた『生産性』うんぬんについて縄文の人々の意見を聞いてみたいものだ。首をかしげるばかりだろう。縄文から弥生時代へ。農耕による定住、占有の時代へと移ろいながら人間たちの間に階層が生じ、組織的に争い戦う時代へと変質する。」
人々は、組織的に争う時代に入っていったが、日本国憲法という英知を私たちは得ました。
日本国憲法は、国会議員には憲法擁護義務を課しています。
憲法で保障する個人の尊厳や基本的人権の尊重を理解しない国会議員の発言は、批判されて当然だと思います。
発言を行った議員の所属政党の幹部は「人生観」の問題として一蹴しました。
人類は争いの中にあっても、国際的な様々な文章で、「一人ひとりの人権を尊重する」ことの大切さを説いてきました。
これらの人類の到達を無視して、むき出しの争いの時代へ戻そうとする言葉の一つが「生産性」なのかも知れないと、今朝、玉木編集委員のコラムを読んで感じました。
先日も障害を持った方から「生産性」発言への怒りの言葉をお聞きしました。
改めて、「生産性」発言に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
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