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「火垂るの墓」と自己責任論

 昨日の朝日新聞の「文化・文芸」欄に「自己責任論『予言』した高畑監督」という記事が掲載されていました。

 「5日に亡くなったアニメ監督の高畑勲さんの代表作『火垂るの墓』。戦争の翻弄され、悲しい最期を迎える兄妹を描いた作品だが、主人公の行動に対して『自己責任』論のような見方が生まれている。」

 「死亡を受けて13日、日本テレビ系で『火垂るの墓』が放映された。ネット上には戦争のむごさを改めてかみしめる感想が並ぶ一方で、悲劇を招いたのは『自業自得』というような言葉も目立った。」

 「『我慢しろ、現実を見ろ、と冷淡な意見が多くて驚いた』と映画ライターの佐野亨さん(35)。戦争で理不尽な状況に追い込まれた。弱者であるはずの清太の問題点を強調する風潮が気になった。」

 高畑監督は、こうした批判を見越していたかのように1988年「アニメージュ」誌でのインタビューで次のように語っています。朝日新聞の記事を引用します。

 「監督は『心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせい』と語る。清太の行動は現代的で、戦争時の抑圧的な集団主義の社会から『反時代的な行為』で自らを解き放とうとしたと、観客が共感できると考えていたとうかがえる。一方で、こう続ける。『もし再び時代が逆転したとしたら、果たして私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むでしょうか。清太になるどころか。(親戚のおばさんである)未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします』」

 先に登場した映画ライターの佐野さんは、「戦時下の混乱のなか、自分が清太だったらどんな判断ができるのか。そういう想像力の欠如が弱者へのバッシングにつながり、全体主義をよみがえらせかねない。高畑監督はそこまで予見していたのでしょう。」とこの記事で語っています。

 原作を書いた野坂昭如さんは、中学校3年生のとき神戸で空襲に会い、親戚のところに身を寄せます。

 野坂さんの妹は栄養失調で亡くなります。

 野坂さんは当時をこう振り返っています。

 「1年4ヶ月の妹の、母となり父のくわりつとめることは、ぼくにできず、それはたしかに、蚊帳の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、汗疹と、虱で妹の肌はまだらに色どられ、膿で、水浴させたこともある」「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持ちが強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ、ぼくはあんなにやさしくはなかった」

 ポプラ社の野坂昭如著「火垂るの墓」のあとがきで野坂さんは次のように語っています。

 「戦争中、そして戦後、飢えて死ぬ人を何人も見た。戦争は嫌だ。戦争は決してしてはいけない。君たちに同じ思いをさせたくない。君たちが大人になる頃、戦争を経験したぼくたちはもういないだろう。この本を読んで、戦争を考えて下さい。戦争について、喋り合って下さい。喋り合うことが大事です。そして、ここで書かれなかった戦争の真実を、君たちの力で自分のものにしてください。」

 「火垂るの墓」の原作者である野坂昭如も亡くなり、アニメ監督の高畑勲さんも亡くなりました。

 戦争を経験した人たちから直接、戦争の話を聞く機会が少なくなってきます。

 「戦争の真実を君たちの力で自分のものにしてください」との野坂昭如さんのメッセージが胸に落ちました。

 高畑監督が述べた「未亡人以上に清太を指弾する」人たちと、戦争について「喋り合う」ことが必要だと思いました。

 「二度と戦争を繰り返さない」ために「喋り合う」ことが必要だと思います。

 映画「火垂るの墓」の清太に対する自己責任論が高まっています。

 皆さんはどうお考えですか。

 

 

 

くねくね体操

 先日、人権学習会の講師を務めたある医師が、趣味は「アンチエイジングの情報を集めること」のおしゃっていました。

 私も全く同様です。

 先日、コンビニに並べられていた「くねくね体操」の本がどうしても忘れられなくて、とある書店で購入して数日前から実践しています。

 著者は徳島大学名誉教授の荒木秀夫さん。

 本書の趣旨は、脳た筋肉、脳と内臓、脳と手足をつないでいる「神経」を刺激し、「思ったように体を動かす」ための体操を行うものです。

 2012年にNHKの番組で、子どもの運動オンチを克服するために「くねくね体操」を紹介したら、パーキンソン病の方から電話で問い合わせがあったそうです。

 この方が「くねくね体操」を実践したら歩行器に頼らず自力で前に進むことが出来たそうです。

 荒木先生は、それから、全年齢に向けて「くねくね体操」を普及しているそうです。

 私たちの少し下の年齢だったら、子どもの運動会で久しぶりに走ったら、カーブで転んでケガをすることがあります。

 私たちの少し上の年齢だったら、健康な人でも段差の変化に対応できずに、転んでケガをすることがあります。

 このような体のバランスを保つには、全身の神経に刺激を与えることが必要だということです。

 体操は、①くの字体操②Sの字体操③キラキラ体操④寝返り立ち⑦クロール体操です。

 丸5年、毎朝、スロージョギングを続けています。ここ数日、くねくね体操を実践して走ると、少しづつ体が軽くなってきたことを実感します。

 くねくね体操をこれから実践していきたいと思います。

 気候が暖かくなりました。皆さんのアンチエイジング法・健康法をお教え下さい。

 

米軍岩国基地滑走路時間外運用も 

 19日の山口新聞は、「在日米軍再編による米海兵軍空母艦載機部隊の厚木基地(神奈川県)から岩国基地への移駐完了を受け、防衛省中国史国防衛局は18日、九州沖・太平洋上の空母で実施される空母艦載機資格取得訓練(CQ)のが概要を岩国市に伝えた。」「岩国市役所で福田市長と会談した赤瀬正洋・同防衛局長はCQについて、艦載機のパイロットが洋上の空母に実際に着艦することで着艦資格を取得する試験、硫黄島での陸上着艦訓練(FCLP)後10日以内に開始する決まりになっていると説明。岩国移駐後は、厚木基地を拠点に4日程度、房総沖の空母で実施していた。『空母に格納されるものを除き、岩国基地に帰投する』とし、岩国基地への最終着陸時刻は『午前11時ごろまでを計画しているが、越えて帰投する場合もあり、滑走路の時間外運用の可能性がある』と述べた。」「岩国日米協議会の確認事項では滑走路運用時間は午前6時半~午後11時とする。」「激しいジェット戦闘機騒音が予想されるFCLPの事前集中訓練に関し、市長は『岩国で実施しないよう要望しているがが行われるのか』と聞いたのに対し、防衛局長は『厚木基地ではFCLP前、通常訓練の一環として行われた。岩国基地でも引き続き、行われると承知している』と近く、実施される見込みとした。」などと報じました。

 山口県も岩国市も空母艦載機移駐に対して基本姿勢として「今以上の機能強化は容認できない」としてきました。具体的には、今以上の住民の生活環境の悪化は認められないという意味だと行政は説明してきました。

 実際に、空母艦載機部隊移駐に伴い戦闘機が倍増すると騒音も増大しています。その上、岩国日米合協議会で確認されてきた午後11時過ぎにも戦闘機が飛行することもあると防衛局は岩国市に説明しました。

 山口県も岩国市も空母艦載機部隊移駐に対して基本姿勢として「NLPの実施は容認できない」としてきました。

 しかし、FCLPの事前集中訓練は、岩国基地で行うと防衛局は岩国市に説明しました。

 これらが、「今以上の機能強化」にあたり、住民の生活環境を悪化させるものであることは明らかです。

 実際に空母艦載機部隊が移駐してくると、県と市が住民に約束してきたことは守られないということが明らかになりました。

 福田岩国市長は、防衛局の説明に対し「情報提供があったことは、住民の不安軽減の一助になる」と応えたと山口新聞が報じていますが、情報提供の中身は、「今以上の機能強化」を行うものであり、「断じて認められない」と応じるべきだったと私は感じます。

 9日の参院決算委員会で、仁比参議院議員が、米海兵隊が作成した岩国基地の「航空運用マニュアル」に米空母艦載機部隊が同基地の滑走路を利用して空母着艦訓練(FCLP)を具体化する詳細な記載があることを明らかにしました。

 国は、県や市に対して、「岩国市でFCLPは行わない」と説明してきました。

 安倍首相は、仁比議員の質問に、岩国でFCLPを「基本的に実施することはないと考えている」と述べましたが、政府の見解に反するマニュアルは撤回させ、岩国基地でFCLPの訓練は行わないことを日米で明確に確認すべきです。

 空母艦載機部隊の岩国基地移駐に伴い、「基地機能が強化」され住民の生活環境が悪化しており、今後、更に悪化することが懸念されます。

 この問題を皆さんはどうお考えですか。ご意見をお聞かせ下さい。

介護軽度者向け事業所撤退 宇部市で昨年度28か所

 13日のしんぶん赤旗日刊紙「おはようニュース問答」は「介護軽度者向け事業 事業所撤退続く」問題を取り上げていました。

 介護保険から切り離された軽度者向けサービスの総合事業で、1708市町村のうち約4割の676市町村で事業所が撤退する意向を示しています。

 総合事業は、安倍政権が介護保険改悪で、要支援1、2の人を介護保険の対象から外すため導入した事業です。要介護1、2の人の訪問介護と通所介護を保険給付から切り離して、自治体が運営する事業に2015年4月から移行しました。

 総合事業を請け負ってきた事業所は、今年4月以降も総合事業のサービス提供を続けるためには再指定を受けることが必要です。しかし、事業所は収入が減って経営が苦しくなってきて、再指定を申請せず、総合事業を廃止した事業所が出てきました。

 厚生労働省は、事業所が撤退したので、他の事業所でサービスが受けられるように調整した利用者が610人いたことを明らかにしました。

 宇部市で要支援者への総合事業を行うサービス事業所が、昨年9月現在で、訪問型サービス73か所、通所型サービス139か所あります。昨年4月から利用者は増加する中で、訪問型サービスが11か所減り、通所型サービスが17か所減少しました。

 多くの事業者は、主な収入源の介護報酬の引き下げが続いて厳しい経営を強いられていて、事業所の経営努力にも限界がきて、総合事業から撤退せざるをえない状況です。

 人材確保が困難なため、事業所の継続が困難になったところもあるようですが、これも、介護報酬が低いことが原因だと考えられます。

 軽度者が安心して介護サービスを利用できるようにしてこそ、要介護状態になることを予防するうえで大切なことです。

 政府が軽度者の介護保険を外し、利用者と事業者に重い負担を負わせたことは重大です。

 介護保険から軽度者を外す政策は見直すべきです。また、介護報酬の増額など介護政策の大転換が必要です。

 介護保険制度に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

 

「国体論 菊と星条旗」読書ノート①

 白井聡さんの「国体論 菊と星条旗」を読んでいます。

 15日の毎日新聞の書評に本書についてこう書かれてありました。

 「戦前と戦後の平行性の対比から日本の『国体』を論じた。戦前の国体とは天皇制を指す。『これに対して、戦後の国体とは、米国へ従属する構造のことです』」

 白井さんは、毎日新聞のインタビューで「昭和天皇は、マッカーサーの考えに従い、米国を、社会主義の好意から『国体を』=天皇制を守る『征夷大将軍』とした。確かに天皇制は残ったが、国体は、米国が日本の上に君臨する構造に変更された。つまり、天皇制は、実際の主権者を見せない目隠しとなった」「米国に経済的、軍事的に従属する国はいくつもある。ただし、従属が自己目的化した国は、日本だけです」と述べています。

 白井さんは、本書の中で「諸外国のメディアで『トランプ大統領にへつらう日本の安倍晋三』がしきりに取り上げられる一方、日本の国内世論では『米大統領と上手くやている日本の首相』のイメージが流通してしまうさまは、あまりにも対照的である」と書いています。今行われている日米首脳会議の様相も全くその通りだと感じました。

 白井さんは、「大日本帝国は、『天皇陛下の赤子たる臣民を愛してくれている』という命題に支えられ、その愛にこ応えること、そこには『陛下が決めた戦争』において喜んで死ぬことも含まれるーが臣民の義務であり名誉であり幸福であるとされた。かかる物語は、強力な国民動員装置として機能したと同時に、破滅的な戦局のもとでも何とか犠牲を少なくしようとする合理的な発想を吹き飛ばした。その果ての敗戦の結果、大日本帝国の天皇制は廃止された、はずだった。しかし、われわれがいま現実に目にしているのは、『天皇陛下の赤子』の相似形である『アメリカは日本を愛してくれている』という物語の亡霊と、その亡霊がなおも生者をとらえている異様な有様である。『国体』は、残骸と化しながら、それでも依然として国民の精神と生活を強く規定している。」と本書の趣旨を綴っています。

 その上で、白井さんは、「この構造は崩壊せざるを得ない」とし、戦前の国体の「形成・発展・崩壊」を論じ、戦後の国体の「形成・発展・崩壊」を論じています。

 白井さんは、「福島が日本を超える日」の中で、「この本は不条理なことが多すぎます。なぜこんな不条理なことばかりなんだと、不思議に思っている人が世の中にいっぱいいると思います。その本源的、本質的な理由に迫ろう」として、代表作の「永続敗戦論」を書いたと述べています。

 白井さんの「国体論 菊と星条旗」は、不条理の本源を究極まで突き詰めた力作だと感じました。

 本書の帯に、宗教学者の島薗進さんが「対米従属からこそ見える近代日本の深層がここに。」と本書について書いておられます。

 私は政治に携わる生活を四半世紀行ってきましたが、日本の政治の本質を詳らかにする良書だと思います。

 白井さんの本とじっくり格闘したいと思います。

 白井聡ファンの皆さん、既存の著作でも結構です。感想をお聞かせ下さい。

政権への忖度強いる放送法4条撤廃

 安倍政権は、放送番組が「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」などを定めた放送法4条を撤廃するなどの「放送制度改革」を検討しています。

 日本共産党の山下芳生参議院議員は、昨日の参議院総務委員会で、1946年4月30日の日本放送協会の高野岩三郎会長「の太平洋戦争中のように、もっぱら国会権力に駆使され、いわゆる国家目的のために利用されることは、厳にこれを慎み、権力に屈せず、ひたすら大衆のために奉仕するこおを確守すべき」という就任の挨拶を引用し「戦前の放送の痛苦の反省がほとばしっている。この出発点をわすれてはならない」と放送法改変を行うべきではないと主張しました。

 中島岳志さんの「保守と立憲」の「空気と忖度のポリティクス」に戦前を生きた編集者・池島信平さんの文章が引用されています。

 「当時(戦前)の言論の急変化に対して、私はいつでも自責と無力感をもたざるを得ないが、もしこの勢力が外部だけであったならば、われわれはもっと哲徳これに対して反撥できたであろう。しかし内部からくる、なんともいえない陰惨な暗い影に対しては、自分ではどうにもできず、ただやりきれなさのみ残って、これと正しく闘うということができなくなってしまったことを正直に告白しなければならない。」

 中島さんは、この章の最後に中で「常に自己を客体視し、忖度する内面に敏感になることである。そして、他社による忖度に直面した時、その力に屈しないことである。全体主義は、大衆の熱狂によって蔓延する。長いものに巻かれてはならない。迎合してはならない。」と書いています。

 放送法4条の撤廃は、「政権を批判せず、自分たちに都合のいい番組を流したい」という安倍政権の思惑が透けて見えます。

 政権への忖度を強いる全体主義の時代に放送を戻してはなりません。

 放送法4条を撤廃しようとする安倍政権を皆さんはどうお考えですか。