木内一裕さんの小説「藁の盾」を読みました。
凶悪犯を福岡から東京まで護送する物語。
凶悪犯に殺された遺族に大会社のオーナーが。
凶悪犯を殺せば10億円の賞金が付くと言う広告が新聞に掲載されます。
10億円を稼ぐため、一般市民だけではなく警察官の中からも凶悪犯を狙う者が出てきます。
凶悪犯を守るSPに選ばれた警察官にも葛藤があります。
果たして、凶悪犯を東京まで送り届けることが出来るのか。一気に読ませます。
小説「藁の盾」は、三池崇史監督により映画になります。来年のゴールデンウイークに公開予定です。
小説には、新幹線や高速道路を護送するシーンが出てきますが、どのような映像になるのか楽しみです。
小説家の木内一裕さんは、元々、漫画家。代表作は「BE-BOP-HIGHSHCOOL」
映画監督としても、いくつかの作品を手掛けています。
今は、小説家として毎年一作のテンポで作品を発表しています。
今まで、触れたことがないとてもヘビーな作風ですが、「藁の盾」の中で、社会の深部を描く筆はとてもリアルです。
これを期に、木内作品にも触れていきたいと思います。
先日、映画「ツナグ」を観ました。
原作は、直木賞作家辻村深月さんが「吉川英治文学新人賞」を受賞した同名作品です。
一生に一度だけ死者との再開を叶えてくれるという「使者(ツナグ)」と依頼者の物語です。
原作に感動して満を持して映画館に向いました。
原作の良さが如何なく生かされた映画でした。
原作は、連作短編で、それぞれの物語が独立しています。それを一つの映画として上手くまとまっていました。
監督と脚本はテレビドラマ「JIN-仁-」や映画「ROOKIES-卒業-」などを手掛けてきた平川雄一朗監督です。
感動ドラマの達人といわれる平川監督にやられた一人です。嵐と御園の高校生の物語のところで涙しました。
「靖彦」は同世代の設定ですし、母に会うシーンは胸を打たれました。
日向キラリの無念さにやるせない気持ちになりました。
「ツナグ」を務める歩美役の松坂桃李さんの演技は堂々としていました。
松坂さんは、NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」で一躍有名となった役者さんですが、これからの活躍が期待されます。
歩美の祖母、アイ子役の樹木希林さんは存在感がありました。
樹木さんは、「ツナグ」という仕事を現実味を帯びたものとして演じていました。
「死者の言葉を聞くことで今を生きる勇気が湧いてくる」。観劇後にすっきりする映画でした。
「ツナグ」がいたら、私は、祖母に会おうか、父に会おうか考え中です。
現実に「ツナグ」はいませんが、時として、心の中で、祖母や父と対話している自分がいます。
それぞれが、死者と対話しながら今を生きています。死者とツナガッテ生きているのでしょう。
そんな事を考えさせる映画でした。
映画は心を洗ってくれます。映画はいいものですね。
6月県議会で、私は、国保問題を取り上げました。この中で、下関市で国民健康保険証も、短期保険証も、資格証明書も発行していない、いわゆる「未更新」が1650世帯あることが明らかになりました。
この質問の中で、私は、短期保険証や資格証明書の窓口留置が、県内でどれ位あるのか実態調査すべきと質しました。渡邉健康福祉部長は「短期保険証などの留保の状況について早急に調査する」と答えました。
本日、県内の短期保険証や資格証明書の窓口留置の状況調査の結果が、県のホームページで公開されました。
県内でこのような調査が行われたことは初めてのことです。
詳しくは、県ホームページ医務保険課の所をご参照ください。
まず、短期保険者証の留置が3ヶ月以上に及んだものが、8月1日時点で、186世帯(1.6%)、9月1日時点で、45世帯(0.4%)ありました。9月1日時点で、5ヶ月以上留置された世帯が40世帯ありました。
資格証明書の留置が3ヶ月以上に及んだものが、8月1日時点で、547世帯(10.9%)、9月1日時点で、483世帯(11.3%)ありました。
8月1日時点で、6ヶ月以上の留置が215世帯あり、9月1日時点で、6ヶ月以上の留置が206世帯ありました。
国保法施行規則六条に「市町村は、世帯主に対し、被保険者証を交付しなければならない」とあります。下関市の「未更新」は、6条違反が明確ですが、短期保険証などを発行しながら、国保世帯に長期間に渡って保険証等を渡さない「留置」も、6条違反が明らかだと思います。
厚生労働省保険局国民健康保険課長通知(平成21年12月16日)は、窓口留置について「一定期間、これを窓口に留保することはやむを得ないが、留保が長期間に及ぶことは望ましくない」としています。
少なくとも3ヶ月以上も短期保険者証が渡らない世帯が県内に数百世帯の規模で存在していたことを深刻に受け止めなければなりません。特に、6ヶ月以上に渡って資格証が世帯主に渡っていなかった世帯が500世帯前後あった状況は一刻の猶予なく改善しなければなりません。
渡邉部長は、私の質問に、調査の結果を踏まえ「市町に対し、必要に応じて指導・助言を行っていく」と答えました。
今回の調査を踏まえ、少なくとも、3ヶ月以上も短期保険証等が世帯主に渡らないような状況が起きないような山口県となることを願っています。
その事を保障していくためにも、県として、最低、年1回は同様の調査を継続すべきであると思います。
国民健康保険の窓口留置問題について皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
本日、ルネサスリストラに対応するための関係機関の会議「雇用対策連携」会議が、宇部市と柳井市で行われました。
連携会議の中で、9月26日に締め切られたルネサス山口工場と柳井工場での「早期退職応募者」の状況が会社側から報告されました。
山口工場では、1219人の従業員の内、早期退職応募者は、716人(宇部市363人、山陽小野田市201人、山口市56人、下関市54人、美祢市27人、その他15人)でした。
柳井工場では、129人の従業員の内、早期退職応募者は、60人(柳井市25人、光市14人、田布施町7人、平生町7人、下松市3人、岩国市2人、その他2人)でした。
山口・柳井工場合計で、従業員1348人の内、早期退職応募者は、776人でした。早期退職応募者は、従業員の約58%にも及びます。
会社側は、退職時期は予定通り10月31日と説明しました。
ルネサスリストラで、今月末に776人が解雇されるというかつてない雇用の危機が県内で起こる事がいよいよ明らかになりました。
会社側は、「早期退職者が退職する11月以降も当面生産量を落とさない。そのために、今週から早期退職者に対して有期従業員としての再雇用の募集を行いたい。有期従業員としての再雇用者の確保状況を見ながら、グループ全体の支援や勤務体制の見直しを行いながら生産量を維持したい。」という趣旨の説明を行った模様です。
有期再雇用募集に応じても、従業員の労働条件は悪くなり、将来も見通せなくなることは明らかです。
ルネサスは、早期退職応募者が目標の1.5倍となったことを受けて、リストラ計画を見直し、最大限、正規のままでの雇用を継続すべきです。
今後の対応として、県としては、「9月県議会で増額補正した『雇用のセーフティーネット強化事業』を中心に、関係機関が連携して、離職者の再就職を積極的に支援する」としています。
具体的には、①求人開拓・求人確保要請②マッチング支援③委託訓練等の活用による職種④地元市における緊急雇用創出事業等による雇用の場の創出などの対策を講じるとしています。
私は、9月県議会で、山本知事が、ルネサス本社に出向き、「事業の継続と従業員の雇用維持」を求めるよう求めました。
半田部長は「今後新たな進展があれば、必要に応じて、知事による本社要請もあり得る」と答えました。
ブログで報告した通り、半田部長は、地域商工委員会の中で、「早期退職応募者の発表が『新たな進展』ではない」と早々否定しました。
山口県は、ルネサスの従業員が今月末に776名が職を追われる事態に対して、ルネサス本社に対して、今こそ「事業の継続と従業員の雇用維持」を要請する時です。
私は、ルネサス従業員の雇用と、新規学卒者の雇用と関連会社や地元中小企業の営業を守るために、山口県知事がルネサスへの本社要請を行うことを強く求めたいと思います。
その上で、9月議会で増額補正した「雇用のセーフティネット強化事業」を中心に関係機関との連携を強化し離職者に対する万全の支援を強く求めたいと思います。
今日、「障がい者(児)の福祉をすすめる会」(米原ろしゅう会長)の日帰り旅行に、小2の娘と一緒に参加しました。
「すすめる会」には、私が大学を卒業して、宇部に帰ってきてすぐに入会しました。
入会をして25年を越えています。可能な限り、行事に参加するようにしています。
行事に参加するといつも「原点」に立ち返れる思いがします。
米原会長は、79才になられたそうですが、とても元気で、いつも学ばされます。
宇部市役所を10時に出発、車4台に20人が分乗して、下関市の住之江キッチンに向いました。
宇部市役所を車4台で午前10時に出発しました
おいしいバイキングをお腹いっぱいに食べて、大満足で、参加者一同笑顔です。
住之江キッチンのバイキングに舌鼓を打った参加者
隣接している住吉神社を参拝し、大楠まで散策しました。
住吉神社の奥にある御神木の楠の大木
昼食後は、唐戸市場で散策。
連休最終日の昼過ぎ、活況の唐戸市場
大道芸を娘と一緒に観ることが出来ました。
若いパフォーマーの演技に娘とともに魅了されました
映画「あなたへ」で高倉健のロケがあったのは、唐戸市場の海岸から、関門大橋を見上げたここからではないでしょうか。
映画「あなたへ」の下関ロケはここで行われたのでは
新鮮な魚が今夜の我が家の食卓に並びました。
娘は、車いすの方の介助を体験しました。
車いすの方の自動車への乗車の手伝いをする娘(手前)
いい経験が出来たのではないかと思います。
食事をしながら、障がい者の方々から様々なご意見を聞くことが出来て私にとっても大変勉強になりました。
障がい者を取り巻く問題に対して、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
今日も妻と一緒に、昔ばなし大学山口第4回の二日目に出席しました。
今日は、「土地言葉による語り」という時限があり、3人の方が「語り」をされました。
一人は、木下順二さんの作品を九州弁で、一人は、三省堂日本昔話百選から関西弁で、もう一人は、山口弁で「ぶす」という話を語られました。
「ぶす」という話は、「ばかむすこ」が「だんご」を買ってこいと言われたが、「だんご」が覚えられず、「どっこいしょ」になったりする話です。
確か落語にも同じような話があるように思います。大きな声での朗読でとても面白く聞きました。
この物語の出典は、山口県小学校教育研究会国語部会編の「山口のむかし話」です。
「ぶす」は、新南陽地域に伝わっている話のようです。
「山口のむかし話」は、我が家に私が子どもの頃からある本です。
父の字で「昭和48年11月28日購入す」とあります。
私が、9歳の頃、我が家の末っ子の娘と同じ頃に父が購入したことになります。
小学校の教師をしていた父は、この本を執筆した先生の中には知り合いが多いという話をしてくれた事を思い出します。
以前、本ブログで紹介したこともありますが、この本の中に、「えんこう岩」という話があります。
この話は我が家に代々伝わっている話です。
いたずらをしない誓いとして、石に河童の手形を掘らせたという話ですが、河童の手形と言い伝えられている「えんこう岩」が私の子どもの頃までは、実際に残っていました。
この石が、災害や父の没後、どこを探してありません。
数年前に、この石を「えんこう岩」にしようと、私が、近くの河原で取ってきた石を実家の庭の隅に置きました。
小澤先生は、「自分の今しゃべっている言葉で、昔ばなしを語ってください」と強調されました。
私も我が家に残る「えんこう岩」を自分の言葉で語れるようになればと思います。
「山口のむかし話」は、初版以降、2度改定され、新しい本が出版されているようです。
山口にもすばらしい昔ばなしが多数残っていることに誇りを感じた今日の講座でした。
「山口のむかし話」を残す活動に参加出来たらと思います。
皆さんの身近な昔ばなしをお教え下さい。