福岡県の学校法人西南学院が創立100周年に当たり「平和宣言-西南学院の戦争責任・戦後責任の告白を踏まえて-」を発表したことが15日付しんぶん赤旗に特集されていました。
西南学院「平和宣言」は、戦前の歴史をこう悔いています。
「西南学院はイエス・キリストの福音に基づいて平和と人権を大切にする学校であるにもかかわらず、先のアジア・太平洋戦争ではこれに加担し、韓国(朝鮮)、中国などの諸外国の人々をはじめ多くの人々に多大な苦しみを与えてしまいました。また、その責任については、戦後の歩みの中においても公に表明してきませんでした。今、私たちは建学の精神を守ることができなかったことを神と隣人の前に告白し、キリストに忠実に歩んでこなかったことを心から謝罪し、悔い改めます。」
「先の戦時下を振り返ると、当時の軍国主義体制下、天皇皇后の『御真影』の『下賜』(下げ渡し)を願い出、その後、募金活動を行って、『御真影』を教育勅語を納めた『奉安殿』を建設し、式典においては、宮城遥拝(皇居に向かって最敬礼すること)、君が代斉唱、教育勅語の『奉読』などを導入しました。また、配属将校の圧力の下で、体育教育を『軍事教練』の場とし、学院の名で学生を出陣させ、彼らのいのちを死に至らしめ、他国の人々を殺すことを是認したのです。」
「戦後の歩みの中にあってもこのような罪責を告白し、これを公に問うことをしませんでした。戦争による自国の被害者の苦しみに共感できなかっただけでなく、天皇の名による侵略戦争によって傷つき、殺された人々への『加害責任』を心に刻み、民族や国境を越えて、戦争による負傷者や遺族たちの怒り、苦しみ、悲しみを受け止めることも十分にできていませんでした。」
宣言を取りまとめた西南学院大学神学部教授の松見俊さんはしんぶん赤旗のインタビューに「日本の戦争加害性人を明確にすることはとても大切ですし、どのような加害を行ったのかを知らなければだめだと思います。国家の枠を超えた被害者同士の連帯は戦争を阻止する力になると思います。」と語っています。
西南学院「平和宣言」は現在と未来についてこう語っています。
「自国本位の価値観を絶対視し、武力・暴力の行使によって人々の尊厳を抑圧するという過ちを二度と繰り返すことのないよう、セ何学院に学ぶ者たちや教職員が目をさまして行動し、国際社会の真の一員となり、「平和を実現する人々」の祝福の中に生きる者となるよう、今その志への決意をここに表明します。」
西南学院では、安保関連法廃止を求める「西南学院有志の会」が発足しました。松見教授は語ります。
「私たちは国益のためなら集団的自衛権を行使して、外国に戦争を仕掛けると公言する安倍政権の下で生きています。『有志の会』には教職員や学生、卒業生など132人が参加しました。(中略)安倍政権による国立大学への君が代・日の丸の強要は、戦前・戦中の『御真影』(天皇皇后の写真)や『宮城遥拝』(皇居に向かって最敬礼)を思い起こさせます。時代に迎合していては戦前と同じ過ちを繰り返すことになります。学院として『宣言』をまとめることは、大変な苦労でしたが、しっかりとしたものになったと考えています。」
私が門徒として参加している浄土真宗本願寺派など真宗10教団で結成された真宗教団連合は、8月2日、安倍晋三総理に「首相・閣僚による靖国神社公式参拝中止要請」を行いました。
要請文では「釈迦は、仏法に教え導かれるところ「国(こく)豊(ぶ)民安(みんあん)、兵戈(ひょうが)無用(むよう)」(国は豊かになり人びとは平穏に暮し、武器をとって争うこともなくなる)と説かれ、浄土真宗の宗祖親鸞聖人は『世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」と願われました。しかし、私たちは、その教えに背き、計り知れない惨禍を与えた戦争を『聖戦』と呼び、積極的に加担してきました。今、あらためて過去の過ちを深く懺悔するとともに、仏教者として、敵味方の区別なく、すべての戦争犠牲者の声を仏の願いとして聞き、それに報いるために有縁の方々ととも追悼法要などを通して、非核平和に向けた取り組みを進めております。」と述べています。
戦前は、それぞれの宗教団体が戦争へと加担されていきました。
宗教団体がこれらの歴史を真摯に悔い改めることは極めて重要だと思います。
その意味で、西南学院「平和宣言」は二度と惨禍を繰り返さないとの決意に裏打ちされた秀逸なものだと思います。
西南学院「平和宣言」の最後の文章「『平和を実現する人々』の祝福の中に生きる者となる」に心を打たれました。
「平和の中で生きる」権利は、全ての国民に与えられたものです。
だからこそ、日本国憲法を守り、憲法が生きる社会を実現していきたいと思います。
終戦から71年目の夏に、未来を感じるすばらしい「平和宣言」を読むことができた喜びを感じています。
西南学院「平和宣言」を皆さんはどう感じておられますか。お教え下さい。
大学の同窓会に参加するために下関駅を久々に散策しました。
大きな本屋で、周木律さんの「不死症」を手に取り、昨日読み終えました。
西本願寺・前門・大谷光真さんの「人生は価値ある一瞬」の「老いも尊い」を引用しましょう。
「お釈迦さまがまだ出家する前で、インドのある小国の王子さまだったころの話です。城の門を出たときに出会った老人が、老衰するほかの老人を見て、自分もああなるのかと考え込んでは悩み、恥じ、嫌悪している姿を目にします。お釈迦さまは、自分もまた老いゆく身であり、老いるのを免れないのに、他人の老衰を見て同じように悩み、恥じ、嫌悪するであろうと考え、『老い』を人間なら誰もが持つ根本的な四つの苦しみ(四苦/生苦・老苦・病苦・死苦)の一つに挙げられました。」
人間は何千年前から、老衰に悩み、不死を求めて科学を進歩させてきたのでしょう。
小説の主人公の泉夏樹は、平成製薬で、不死を研究してきました。
実験は成功したかのように思えたが、菌を植えられた人々は食人鬼と化します。
最後の一ページまで目が離せないバイオミステリーでした。
社会的テーマが盛り込まれた秀作でした。
もう一度、大谷光真前門の本から「科学技術は万能か」の項の一文を引用します。
「多くの人は科学の進歩を是とし、生命科学の発達にも賛辞を贈るでしょうが、生命科学といえども、決して万能ではなく、利用する人間の煩悩まみれであるということを冷静に見極めるだけの知識と態度を持ち合わせたうえで、生命科学と向き合う必要があるように思います。」
小説のラストで、首相が泉が成功した不死の技術を渡せと説得するシーンがあります。
この下りは、まさに、大谷前門の言葉に真実があるように思えてなりません。
科学がどんなに進歩しても人間から4つの苦しみを無くすことは出来ないでしょう。
その事を、まず知る人間でありたいものです。
そんなことを考えさせてくれる周木律さんの「不死症」でした。
昨夜から周木律さんの「災厄」を読んでいます。この小説もバイオサスペンスに分類できるものだと思います。
最初からハラハラドキドキです。
今年の夏の終わりは、周木律さんの小説で締めたいと思います。
全国の周木律ファンの皆さん。皆さんのお勧め作品をお教え下さい。
5日の中国新聞は、「文部科学省が4日公開した2016年度の学校基本調査(速報値)で、中国地方5県の特別支援学校の在学者(5月1日時点)は計8526人で、前年度を134人(1.6%)上回り、過去最高を更新した。」と報じました。
特別支援学校の在学者は、幼稚部と小、中、高等部の合計で、鳥取県を除く4県で前年度より増加しました。
広島県では、前年度比81人(3.1%)増の2673人。岡山県は、前年度比44人(2.0%)増の2292人。山口県は、前年度比10人(0.6%)増の1779人。島根県は、前年度比10人(0.6%)増の978人。鳥取県は前年度比19人(2.3%)減の804人。
中国新聞は、「各県教委は、校舎の増築などの対応を迫られている。」と指摘しています。
山口県教委は、14、15年にプレハブを1棟づつ増設した。中国新聞の取材に山口県教委特別支援教育推進室は「校舎の増設が望ましいが費用が多額。当面はプレハブなど暫定的な対応でしのぐ」と答えています。
先日、県立宇部総合支援学校の横を通るとプレハブ校舎が数棟新設されていました。
私は過去の県議会で、特別支援教育の拡充を指摘し、長門や美祢地域で分校が設置されるなどの前進を生むこともできました。
山口県教委の特別支援教育へとこれまでの取り組むは一定評価しつつ、現在足りない教室は、暫定的にプレハブではなく恒常的な校舎が建設されることを要望します。
皆さん、特別支援教育でご意見があればお教え下さい。
参議院選挙が終わったとたん安倍晋三政権が介護第改悪の動きを加速させています。
8月から特別養護老人ホームなどに入所している利用者で新たな負担が増える人たちが生まれています。
障害年金や遺族年金を受給している人の食費と居住費の軽減策が縮小されたためです。
特養や老人保健施設などの利用者の食費と居住費は、2000年の介護保険発足時は保険給付の対象でした。05年の制度改悪で保険給付から除外されましたが、国民の批判の高まりをうけて、低所得者には軽減策(補足給付)をとることにしたものです。
この軽減策の縮小を14年成立の「医療・介護総合法」にもとづき実行しているのが安倍政権です。
最初の負担増は昨年8月から。夫婦の片方が特養などに入って世帯を分離した場合、それまでは入所した人のみ低所得(住民税非課税)なら軽減対象になりました。ところが、今度は配偶者も低所得基準を満たさなければ受けられなくなりました。単身で1000万円超の預貯金がある定収入の人なども軽減の対象外にされました。これと同時に、一定以上の収入がある人の介護サービス利用料負担を1割から2割へ引き上げる改悪まで行われました。
軽減策がなくなると一日の食費が3倍にはね上がる人もいます。
これらの結果、月の利用料負担が8万5千円から13万円以上になるなど過酷な状況も生じています。
「認知症の人と家族の会」の影響アンケートには、生々しい弊害が浮き彫りになっています。
要介護5の妻が特養ホームに入所する60大の男性は月7万5千円の負担増になりました。
その方は「年金収入だけでは月1.5万円足らなくなる。仕方なく今年中に施設を退所させて在宅介護に切り替えるつもり」と語っています。
安倍政権は、昨年4月、要支援1と同2の訪問・通所介護の「保険給付外し」や特養入所要件を原則要介護3以上に厳格化した上、介護の質を支える介護報酬も過去最大規模で引き下げました。さあに要介護1と同2の新たな「保険外し」に向けて議論をすすめています。
「介護離職ゼロ」どころか、介護保険制度の基盤を揺るがす改悪をおしつける安倍政権の暴走を認めることはできません。
介護大改悪に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
7月22日発行の岩国新聞「万華鏡」に興味深い記事が掲載されていました。
「▼月刊誌『選択』や『週刊金曜日』などに取り上げられていた『畑原県議が絡む大型公共工事について』の、山口県警の捜査資料といわれるものを当紙も入手した。資料は平成25年12月~平成26年5月までのもので60枚の資料の中には、県幹部や野党県議からの情報をはじめ捜査対象者や協力者、黒幕K氏の名前や利用していた店の名前などが書かれている。市民の代表である首長や議員などが、警察の捜査対象者になること自体が問題で『全体の奉仕者』と資格があるのか疑問である。さて、『志』ある政治家であれば、批判を甘んじて受け、そして反省するものであるが、中には『逆切れ』して、当紙の広告スポンサーに対し、圧力をかけてくる『政治屋』がいるようだ。許されざる犯罪である。▼一部の建設業者が政治権力者と癒着して利益をむさぼることは世の常といわれるが、市民の目の届かぬところで現在でもこの事態が続いているようだ。市内のG社やN社、T社などは代表的な建設業者であるが、いざ市長選や県議選挙になると物心両面で候補者を支えている。『政治屋』と組んで自社の利益を追求する、一部建設業者に対する市民の目は厳しいものになるだろう。また、安倍政権下の地元山口県で、『法の番人』の不正がまかり通るようでは、安倍政権そのものが疑われることになり、法治国家の根幹まで揺るがすことになる。」
8月4日、平瀬ダムの定礎式が行われました。
私は、平瀬ダムの入札を巡る問題を過去の議会で指摘しました。
私が質問した前後の岩国市を中心とした大型公共事業の問題が複数の雑誌で取り上げられ、当時の山口県警の捜査資料といわれるものが一部マスコミに流れていることがこの記事から分かります。
「安倍政権下の地元山口県で、『法の番人』の不正がまかり通るようでは、安倍政権そのものが疑われることになり、法治国家の根幹まで揺るがすことになる。」とする岩国新聞の指摘は、傾聴する価値が十分あると私は感じました。
いずれにしても、この問題は、きっちり解決していかなければなりません。
岩国市を中心とした大型公共事業に関わる問題について、ご意見や情報のある方は、私にもご連絡下さい。
昨日は、日本福祉大学山口県地域同窓生の集いに参加しました。
同窓生の集いでは、日本福祉大学福祉経営学部明星智美准教授が「日本の福祉を築いたお坊さん ~日福マインドを受け継いで~」と題して講演を行いました。
明星准教授は、私の2学年後輩にあたり、ヤジエセツルメントというサークルも一緒でした。
妻と明星さんは同級で、3人で旧交を温めることもできました。
日本福祉大学を創立したのは、鈴木修学さんという日蓮宗のお坊さんです。
鈴木修学さんは、戦前からハンセン病療養所の運営や犯罪少年の更生事業に携わってきました。
戦後、法音寺を開山し、知的障害児施設の運営に取り組みます。
1950年、東京に日本社会事業短期大学(現在の日本社会福祉事業大学)が、大阪に大阪社会事業短期大学(現在の大阪府立大学人間社会学部)が開設されました。
鈴木修学さんが中心になって、1953年に、日本福祉大学の前身である中部社会事業大学が開設されました。
1953年、鈴木修学さんは、「社会の革新と進歩のために挺身する志の人をこの大学を中心として排出させたいのであります。」「自己保身栄達のみに汲々たる気風ではなく人類愛の精神に燃えて立ち上がる学風が本大学満ち溢れたいものであります。」とする建学の精神を発表しました。
鈴木修学さんは、釈迦の「如我等無異」(我が如く等しくして異なることなからしめん)という言葉を大切に福祉と教育に携わってこられました。
2003年、日本福祉大学は学校法人日本福祉大学になりますが、それ以前は、学校法人法音寺学園でした。
私が在学した1980年代は当然学校法人法音寺学園という名称でした。
明星さんの話しを聞いて、鈴木修学さんというパイオニアがあっての大学であることを知りました。
又、仏教を学ぶ一人として、(我が如く等しくして異なることなからしめん)という言葉が心に響きました。
日福マイインドという点では、1963年の開校10周年の際に制定された教育標語の存在を知りました。
「万人の福祉のために真実と慈愛と献身を」。今にも生きるいい言葉です。
明星さんから「科学とヒューマニズム」「熱い心と 冷たい頭と たくましい腕」という言葉が日福マインドの一つとの話に懐かしさを覚えました。
この二つの言葉は、大学時代サークルの先輩たちから繰り返し聞いたものでした。
明星さんという親しみのある方から日本福祉大学創設の歴史と日福マインドを学び、リフレッシュできた喜びを感じました。
懇親会では同窓会の先輩や後輩の皆さんから多くの刺激を受けることが出来ました。
これからも日福マインドを持って、日々の活動に当たっていきたいと思いました。
「熱い心と 冷たい頭と たくましい腕」は私の座右の言葉としたいと思いました。
明星さん、同総会役員の皆さんありがとうございました。