広島に原爆が投下されて72年となる昨日、歴史上初めて核兵器を違法なものとした核兵器禁止条約が7月に採決されて最初の原水爆禁止2017年世界大会・広島「ヒロシマデー集会」が広島市内で開かれました。
広島・長崎を二度と繰り返さないと訴える人たち
日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳代表委員は、唯一の被爆国である日本が核保有国などと並んで条約に背を向けるのは許されないと批判し「ヒバクシャ国際署名を広げ、核保有国と核の傘のもとにある国の安全保障政策を変え、核兵器禁止条約に署名させよう」と呼びかけました。
被爆者あいさつを行う田中熙巳被団協代表委員
禁止条約採決に力を尽くしたオーストリアのマルチン・クリューガー外務省軍縮軍備不拡散局次長は、核保有国が条約に参加しない段階でも、大多数の国が核兵器のない世界を目指すという協力なシグナルを発する積極的効果を持つとし、「すべての国家、市民社会との対話を引き続き求めていきます」と述べました。
オーストリアのクリューガー外務省局次長
広島・岡山の新日本婦人の会の人たちが大商さまざまな折り鶴を持って壇上いっぱいに並ぶなか、田中熙巳代表委員、オーストリアのクリューガー外務省軍縮軍備管理不拡散局次長の首に折り鶴のレイがかけられると、2千人の歓声に包まれました。
田中さんとクリューガーさんの首に折り鶴のレイ
日本共産党の志位和夫委員長は、連帯あいさつを行いました。
日本共産党の志位和夫委員長が連帯の挨拶行う
志位委員長は、「国連会議」での核兵器禁止条約の採決によって、「私たちの運動が『新しい段階』に入った」と指摘。「核兵器禁止から核兵器廃絶へと、人類の歴史をさらに前に進めるために、力を合わせて頑張りましょう」と訴えました。
「国連会議」に参加して強く実感したこととして、日本の原水爆禁止運動が会議成功の大きな貢献となったことを、被爆者が果たした多大な役割への感動を込めて強調。さらに、「『ヒバクシャ国際署名』の力を強く実感した」として、「署名を数億の規模で集め、核兵器にしがみつく勢力を包囲しましょう」と呼びかけました。
志位委員長は、同日朝に参加した広島市の平和記念式典であいさつした広島市長、広島市議会議長、県知事、国連事務総長(代理)の全員が核兵器禁止約に言及し、核兵器廃絶への決意を語った一方で、「ただひとり、この条約に一切ふれなかったのが、安倍首相です。この落差が際立ちました」と指摘。「122もの国が賛成して採決された条約を、あたかもなかったことのようにして扱うことは許されないし、そんなことが通用するわけがありません」と強く批判しました。
志位委員長は、「日本政府が、これまでの態度を改め、核兵器禁止条約への参加を真剣に検討することを強く求めます」と主張。「国民の手で、核兵器廃絶を求める世界の本流の先頭に立つ政府をつくろうではありませんか」「私たちの手で核兵器禁止条約にサインする政府をつくりましょう」と訴えると、参加者は大きな拍手で応えました。
自由党の小沢一郎代表、参議院会派「沖縄の風」の糸数慶子代表のメッセージも紹介されました。
最後に、すべての国から速やかに条約に参加し、核兵器廃絶を迫る世論を国内外に発展させようと「広島からのよびかけ」を参加者一同で採決しました。
私は、核兵器禁止条約が採決されて最初の歴史的な原水爆禁止世界大会に参加して世界の本流を実感しました。
志位委員長の「私たちの手で核兵器禁止条約にサインする政府を」の訴えを、今日から実践していきたいと決意を新たにしました。
昨日の中国新聞は、「米海兵隊岩国基地(岩国市)へ米軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機61機が移転する計画を巡り中国四国防衛局は、4日、岩国市や山口県に、第一陣となるE2D早期警戒機5機の移転開始時期を「6日ごろから」と伝えた。」「E2Dに続き、11月ごろと来年5月ころにFA18ホーネット戦闘攻撃機計48機が移る。同年1月ごろ、EA18グラウラー電子戦機6機とC2輸送機2機が配備される予定。」「広島原爆の日に移転が始まる可能性を含め、防衛局職員から説明を受けた各知事対からは反発の声が上がった。広島県は当日は飛行しないよう、同局に強く要請。湯崎英彦知事は『不安が増すことのないように国や米軍に対応を求めていく』と述べた。広島市の松井一実市長も『原爆死没者の霊に哀悼をささげ、世界恒久平和を祈念する被爆者や遺族たちの心情への配慮を求める』とのコメントを出した。廿日市市の真野勝弘市長は『広島にとって特別な日であり、大変遺憾』。大竹市の入山欣郎市長も『特別な日への配慮がない』と批判した。」
1945年8月6日にアメリカ軍が史上初めて原子爆弾を広島に投下し、14万人が亡くなりました。
このような日に、空母艦載機部隊の岩国移駐を強行する日米両政府に強く抗議したいと思います。
山口県は、空母艦載機部隊の移駐を容認しましたが、明確な県民への公約違反です。
日本共産党山口県議団の議会だより(2017年7月号)を参照しながら検証したいと思います。
山口県は、移駐問題の基本スタンスとして二つの点をあげています。
一つは、「これ以上の負担増は認められない」です。
県は、「国から『米軍再編について、これ以上の負担増をお願いする考えはない』との回答をもらった」と容認を決めました。
山口県は、県交付金の拡充を求め、国は大幅な拡充を約束しました。このことこそ、国も県も岩国基地の「負担増」を共通認識している証左ではないでしょうか。
そもそも所属機数が二倍になり、機種も最新型に更新されるのに基地機能強化にあたらないとすることこそ、欺瞞と言わなければなりません。
県の二つ目の基本スタンスは「普天間基地移設の見通しが立たないうちに空母艦載機の移駐のみを切り離して進めることは認められない」です。
県は、「国は、『普天間飛行場の辺野古への移転は、危険性を除去するための唯一の解決策』『昨年末の最高裁判決及び昨年3月の和解の趣旨に従い、建設事業を着実に進める』と回答した」として容認を決めました。
この点も繰り返し、本ブログに書いてきたところですが、沖縄県は、辺野古での国による工事強行の不法性を問う裁判を起こしており、辺野古での建設工事の先行きは不透明です。
また、普天間飛行場の返還の見通しも立っていません。
何よりも、山口県は、基地被害で苦しむ沖縄の苦しみに共感し、国いいなりに艦載機移駐を受け入れるのではなく、辺野古新基地建設に反対している沖縄県と連帯して対応すべきです。
普天間基地移設の見通しを山口県として独自に判断して、米軍再編はパッケージなのだから艦載機移駐のみを切り離して進めることには断固反対すべきです。
以上、県は、県民に示した「基本スタンス」を投げ捨てて、国いいなりで移駐を容認したと言えます。
今日から空母艦載機部隊移駐が始まります。改めて、移駐は強行すべきではないことを強く訴えたいと思います。
山口県や周辺市町は、受け入れを撤回すべきです。
国や米軍は移駐を中止すべきです。
空母艦載機部隊の移駐が今日から始まろうとしています。皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
2日、中国新聞は、「核兵器を禁じ、廃絶する条約の締結を全ての国に求める『ヒバクシャ国際署名』に、県内19市町のうち約6割の12市町の首長が、既に署名したか今後協力する方針でいることが、中国新聞の調べで分かった。」「既に署名したり、今後協力する意向を示したりした首長は、岩国、柳井、光、山口、美祢、長門の6市長と和木、周防大島など全6町長。」「長崎大学核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授(国際政治学)は『核兵器で住民の安全が守られるのか、よく考えるべきだ。自治体が住民に最大限の安全を提供するのは義務であり、さまざまな形で声を上げるのは当然だ』とした。」
このような県内市町首長の動きの中で、村岡知事の姿勢は看過できません。
7月14日の定例記者会見で、村岡知事は、中国新聞の記者からまず、核兵器禁止条約の採決に対する受け止めを問われ、次のように答えています。
「核兵器を廃絶して、世界の恒久平和を実現するというのは、唯一の被爆国であります、わが国はもとより、これは世界人類共通の喫緊の課題であるというふうに思っていますので、今回、その条約が一定の国の中で、採択されたというのことでありますけれども、政府として、そこには入っていないということなんですが、この政府の対応については、核兵器のない世界を目指していくと、そういうわが国の基本的な立場、考え方があるわけですけれども、これに向けてどういうふうに取り組んでいくのか、進め方とか、その目標にどうやって到達していくのかということについては、政府としてのやり方についての考え方があります。これは政府の中で、熟議を重ねて、総合的に判断されたものだと思っていますので、いずれにしても、政府が目指す核兵器のない世界の実現に向けては、政府の中でしっかりと議論をして、それに向かって進んでいただきたいと思っています。」
8月6日号のしんぶん赤旗「日曜版」で田上長崎市長は核兵器禁止条約の採決と日本政府の姿勢について次のように述べています。
「核兵器を法的に禁止することは被爆地の長年の願いでした。核兵器禁止条約は世界の122カ国、国連加盟国の6割以上の国が賛成して採択されました。核兵器禁止を規範にしようという国際社会の意思が示されたととらえています。被爆国・日本の政府が参加しなかったことには深い落胆を覚えます。政府は、核兵器保有国と非核兵器保有国との橋渡しを自任してきました。今こそ、その役割を果たし、条約を意義あるものにしてほしい。条約を批准し、核兵器禁止が世界のルールになるよう力を尽くすべきです。」
山口県は、広島県、長崎県に続いて被爆者の方が多い県です。
核兵器禁止条約を評価し、政府へ批准を求めることができない村岡知事は、県内の被爆者の声を無視するのと同様の態度だと言えます。
更に、中国新聞の記者が、村岡知事に、ヒバクシャ国際署名について質問しています。村岡知事は、次のように答えています。
「その署名の話ですけれども、その中に条約の締結について求める内容が含まれているというふうに承知しております。国として条約についてスタンツに関わってくるところが含まれておりますので、国として核のない世界に向けて、どういうふうにやっていくのか、これは国としての考え方があるのでしょうから、その中でしっかり進めていただきたいと思っております。私としては、国の動向を注視していきたいと思っておりますし、そういった立場から、署名について、現時点では考えていないです。」
一方、田上長崎市長は、しんぶん赤旗「日曜版」の中でヒバクシャ署名についてこう語っています。
「国連で核兵器禁止条約が採択された現在は、国家レベルで核兵器禁止を規範にしようと決めた段階だと思います。これから市民社会の方もこれが私たちの望む規範ですということを示していく必要があります。8月に長崎で開かれる平和市長会議の総会は、そういう場の一つです。ヒバクシャ国際署名などで、さらにいろんな人たちや団体が次々に声をあげることは非常に大事です。それが本当の意味で核兵器禁止を世界の規範にする過程です。」
村岡知事は、核兵器廃絶は望むが、国に条約批准を求めないし、各国に条約の締結を求めるヒバクシャ署名に協力しない姿勢です。
田上市長の「核兵器禁止を世界の規範」にするために、市民の側から「望む規範」を示そう、その一つがヒバクシャ国際署名だと評価する姿勢に村岡知事は学ぶべきです。
村岡知事は、最近、自民党員となられたと報道されています。
基地問題でも原発問題でも、そして核兵器禁止条約への対応も、「安倍政権いいなり県政」と言わなければなりません。
安倍政権への「忖度県政」と言わなければなりません。
冒頭の中国新聞の記事で中村長崎大准教授が「自治体が住民に最大限の安全を提供するのは義務である」と述べています。
村岡知事は、基地問題でも原発問題でも核兵器禁止条約やヒバクシャ国際署名の態度でも「住民に最大限の安全を提供する義務」を放棄しようとしている県政を推進していると私は思えてなりません。
村岡県知事が一日も早く、県内の市町首長の努力に学び、「ヒバクシャ国際署名」に強力することを強く望みます。
私が住む、久保田宇部市長もヒバクシャ国際署名に協力していないようです。
県内全ての市町首長がヒバクシャ国際署名に協力するよう強く望みます。
「核兵器禁止条約」及び「ヒバクシャ国際署名」に関する皆さんのご意見をお聞かせください。
私は、明日、原水禁世界大会広島大会に参加する予定です。
「核兵器禁止条約」採決の世界の息吹を感じてきたいと思います。
NHKラジオの沖縄放送局から放送されている全国公開の番組を聴いていました。
その中で、ひめゆる部隊のことをロック調で歌っている曲が流れました。
その曲が数日頭の中を廻っていて、数日後に、その曲は、モンゴル800の「himeyuri~ひめゆりの歌~」という楽曲だということが分かりました。
そして、先日、近くの「ブックオフ」のCDコーナーでモンゴル800を探すと、何と「ピーポーピーポー」という彼らの7枚目のアルバムが一枚だけありました。このアルバムの1曲目は、「himeyuri~ひめゆりの歌~」でした。
ここ数日、移動の車の中で、このアルバムを聴きまくっています。
モンゴル800の曲は、「小さな恋のうた」「あなたに」など子どもたちも大好きで、2013年に出たベストアルバム「祝ベスト」を聴いていました。
しかし、このアルバム「ピーポーピーポー」を聴いて、一気に「モンゴル800」にしかない強烈なメッセージに打ちのめされてしまいました。
沖縄から平和を発信していこうという覚悟に溢れたアルバムが「ピーポーピーポー」です。
まずは、私の耳から離れなかった「himeyuri~ひめゆりの詩~」です。
「平和と呼ぶには遠く 歴史にするのは早く 記憶に残せない深い傷を 慰めるすべはないものか」
「青空の下 友は逝った 鉄の雨に打たれて 忘れるなひめゆりの詩を」
私は、この曲を聴いただけで、モンゴル800の虜になりました。
「MONSTER GOVERNMENT」は強烈です。
「守られぬ公約 破られる条約 Oh 民主主義こそブルース」
「突き上げろ空に拳 突き立てろ中指 Oh 平和上等 PEACE!!」
「Beach」も最高です。
「平々凡々な暮らし 平和で平穏な暮らしを 戦闘機が飛ばない空を 眺めていたいだけさ」
「だって誰も見た事がないんでしょう。だから創造するんでしょう。基地の無い平和な沖縄を 眺めて見たいだけさ」
このアルバムに出会った今日から、私はモンゴル800のファンを公言したいと思います。
11月下旬に、上の姉の次女が結婚式を挙げます。それも沖縄で。
家族みんなで11月下旬に沖縄に行くことを楽しみにしています。
11月までにモンゴル800をじっくり聞いて沖縄についてしっかり考えていきたいと思います。
書棚から池上永一さんの「テンペスト」を出してきて、読み始めました。
仲間由紀恵さん主演のドラマも借りてきました。
11月までに沖縄の歴史や文化を少しづつ学びたいと思います。
そして、とにもかくにもモンゴル800をじっくり聞きたいと思います。
モンゴル800ファンの皆さん、お勧めの楽曲をお教え下さい。
昨日、厚南会館で、「第39回原・黒石・厚南・西宇部校区人権教育合同研修会」が行われました。「優しさの心って何?」と題して元萩市教育長・金谷天満宮宮司の陽信孝(みなみのぶたか)さんにご講演いただきました。
私は、当番校区=西宇部校区人権教育推進委員協議会会長として主催者挨拶などを行いました。
陽さんは、1991年の4月27日、親友でもある山本内科胃腸科の山本貞久壽さんから「胃がん」であることを通告されます。当時、陽さんは、萩市大島中学校校長でした。校長職を休職して胃がん摘出手術に挑みます。
陽さんの妻、八重子さんは、元音楽の教師。陽さんが胃がん宣告を受けた時「おとうさんが死ぬ、おとうさんが死ぬ」といいながら家の中をおろおろ歩き泣き叫びます。
八重子さんは、若年性アルツハイマーを発病しました。
陽さんは三度のガン手術から生還しますが、八重子さんの病状は改善の兆しが見えません。
陽さんは、自らの病と闘いながら、八重子さんを介護する四千日の軌跡を描いた「八重子のハミング」という本を上梓され、2005年、小学館から出版されました。
そして、2016年、「八重子のハミング」が佐々部清監督によって映画化され全国上映されました。
陽さんは、若年性アルツハイマーについて「今の事は殆ど分からなくなり、過去のことも昔の事から徐々に忘れてくる。学習させてはならない。自由にさせなければならない病だ。」と語りました。
三人の娘さんたちは、八重子さんの症状が進むことに戸惑いは隠せません。長崎で暮らす娘さんは久しぶりに自宅に帰り「お母さん」と八重子さんに声をかけると八重子さんは娘さんを認識できなくなっていました。娘さんは玄関先で泣き叫びます。
八重子さんが自分の排泄物を口にすることもありました。この事実も身近に暮らす家族には受け入れがたいものでした。
お孫さんたちも八重子さんの変化に戸惑います。お孫さんが学校に行こうとすると玄関に靴がありません。八重子さんが隠したのです。ある日、用事で外出していた陽さんにお孫さんから携帯電話がかかります。「廊下が洪水になっているよ」。八重子さんの尿で廊下が洪水に。そんなこともありました。
八重子さんの現実を受け入れて家族は戸惑いながらも協力しあいました。
八重子さんは、2002年12月11日に、お亡くなりになられました。
八重子さんの葬儀の様子を映したドキュメンタリー番組が会場で放映されました。
陽さんは、喪主の挨拶の最後に、八重子さんの遺影に向かって「やさしさの財産をありがとう」と八重子さんに最期の言葉を贈られました。
陽さんは、「親が子を殺す」「子が親を殺す」現代の人権が置かれた状況について、「相手の痛みが分かるよう、切れた糸をつなげていくことが大切ではないか」と話されました。
陽さんは、自分のように自宅で家族が介護したくても出来ない状況はあるとして、「仮に子どもさんが都会で働いていて、地方に両親がいる場合。子どもさんは税金を払いことで社会に奉仕しているのだから、地方で安心して老後が送れる福祉施策を構築しなければいけない」と話されました。
陽さんは、最後に、会場に皆さんに、「生きることは逃げない事」「優しさには限界がない」と話されました。
陽さんは、「妻の介護をしてきて私が強く心に感じるのは『優しさ』と『怒り』の限界についてだ。人間、怒りには限界はあっても、優しさには限界がないというだ。優しさは、後から後から湧き出てくる泉のごときもので、人間が持つ肉体すべてから醸し出されるものではないか」と話しを終えられました。
宇部市人権教育・啓発推進基本理念に「一人ひとりがかけがえのない尊い生命(いのち)の主体者であるという『人間尊重』を基本的な考え方とする必要があります」と書かれています。相手を尊い命だと思うためには、空いてに対して限りない優しさを持つことが大切です。陽さんの講演は、参加者にその事を気づかせるものだったと思います。
会場には、陽さんの話を一度聞きたいという方で溢れんばかりでした。暑い中、陽さんの講演に多くの皆さんにご参加いただき感謝しています。ありがとうございました。
私は、2013年(平成25年)の11月県議会で、医療的ケア児の処遇改善に関して次のような質問を行いました。
「医療的ケアが必要な子どもたちの校外活動の看護師の同伴についてであります。中国地方では、山口県だけが同伴を認めていません。子どもたちの学ぶ権利と親の負担軽減のために、看護師の同伴を山口県でも認めるべきですがお尋ねします。」
当時の田邉教育長は「本件では、医療的ケアが必要な児童生徒が安心・安全に学校生活を送ることができるよう、総合支援学校に看護師を配置し、校内での医療的ケアを実施しております。お尋ねの校外活動における看護師の同伴につきましては、学校とは異なる状況での医療的ケアの実施となりますことから、緊急時の連絡体制の確立や医療機関との連携のあり方など、安全確保の観点からの検討が必要であり、今後、校外活動への対応について研究してまいりたいと考えています。」と答えました。
その後、保護者の同伴が条件ではあるものの、市内の校外活動には、看護師が同伴できるようになりました。
そして、今年度から、保護者の同伴が条件ではあるものの、宿泊学習にも看護師が同伴できるようになりました。
児童生徒の学ぶ権利を保障していくために、現場の先生から私が要望をお聞きし、議会で取り上げて、その後、保護者同伴が前提であるとはいえ、校外活動や宿泊学習に看護師が同伴できる体制が確立したことを私はとても喜んでいます。
要求が前進した背景には、高教組・県教組の組合員さんのご努力や「障害児教育をすすめる会」の会員の方々の粘り強い運動があったことは明らかです。
私は、引き続き、医療的ケア児をはじめ障害児教育の処遇を改善するために奮闘する決意です。
障害児教育に関する皆さんのご意見やご要望をお聞かせ下さい。