月別アーカイブ:2018年10月

花田町長インタビュー

 10月21日付しんぶん赤旗日曜版は、山口県萩市に計画されている「イージス・アショア」関連記事が3面にわたって報じられています。

 この中で、阿武町の花田町長のインタビューも掲載されています。

 私が感銘した部分を引用します。

 「国防は国の大義です。国の計画にとやかくいうつもりはありません。しかし、町民の信託を受けて町長に就任した私の大義は、町民の安心・安全の確保です。それを脅かすものを排除するのは町長の当然の責務です。国の政策と住民の要求が矛盾した場合、私は迷わず住民の側に立ちます。私がいますべきことは『イージス・アショアに来てほしくない』という住民の切実な思いをしっかりと受け止めることだと考えています。」

 「私たちは『開かれたまち』『選ばれるまち』を目標に、多くの人に移り住んでもらおうと努力しています。腸内の空き家を登録してもらって有効活用する『空き家バンク』や、若い人の交流事業にもとりくんできました。そのため、新しい人も増えています。町民も気軽に声をかけるなど自然に受け入れています。しかしイージス・アショアができると、テロの懸念なども出てきます。そうなると新しく町に転入してきた人を『もしかしたら』と疑いの目で見てしまう。新しい人に声もかけない。そんな空気がつくられてしまう恐れがあります。」

 花田町長の発言にうなずきながら本紙を読みました。

 しんぶん赤旗の月額は、823円です。一部、210円で販売しています。

 ご希望の方は、私に連絡を取っていただきますようお願いいたします。

 花田町長の英断を山口県民が支え、秋田県の方々とも連帯して、イージス・アショアの建設をストップさせましょう。

 イージス・アショアに対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

しんぶん赤旗主催の新人王に藤井七段

 しんぶん赤旗主催・将棋の第49期新人王戦で藤井聡太七段が初優勝を果たしました。

 小木曾陽司赤旗編集局長が立ち会い関西将棋会館で、結晶三番勝負第二局が昨日行われました。

 詳細を今朝のしんぶん赤旗日刊紙より引用します。

 「藤井七段の16歳2か月での新人王獲得は、第18期(1987年)の森内俊之九段(十八世名人)の17歳0か月の記録を331年ぶりに塗り替える快挙です。藤井七段は今年2月から5月の間に4段から7段へスピード昇段したため、16歳の若さながら規定により今回が最後の新人王戦出場でした。初出場だった前期はベスト8で敗退しましたが、今期は見事ラストチャンスを優勝に結び付けました。ストレートで三番勝負を制した藤井七段は「今回が最後のチャンスでしたので、優勝する形で卒業できたことはとてもうれくし思います」と喜びを語りました。」

 しんぶん赤旗は、しんぶん赤旗全国囲碁・将棋大会(赤旗名人戦)全国大会も主催しています。

 全国250カ所以上で地区大会が行われ、毎年およそ1万人が参加します。

 私は、9月に宇部市で行われた地区大会に参加して主催者挨拶を行いました。

 宇部市の大会には小学生も参加していました。

 第55回全国大会は、来月10日~11日に初めて、東京都渋谷区の日本共産党本部で開催されます。

 「赤旗名人」になると、将棋では、新人王戦に出場できる特典があります。

 第48期将棋新人王戦では、藤井聡太四段(当時)と第53期赤旗名人の横山大樹さんとの対戦が行われました。この対局で、藤井四段は、プロ入り15連勝の記録をつくりました。

 日本共産党は、この半世紀以上、将棋や囲碁の振興・発展のために力を尽くしてきました。

 囲碁・将棋の全国大会や予選に参加された皆さん、感想をお聞かせ下さい。

笠木透

 今朝のしんぶん赤旗「日刊紙」文化欄に私が敬愛する横井久美子さんの「詩人・歌手 笠木透を語る」という小論が掲載されました。

 笠木透さんが亡くなって4年となります。

 横井さんは、笠木さんについてこう語ります。

 「笠木さんは優れた詩人であり歌手であり、社会の不正義に対して『文化で闘おう』と、人々の心を動かし続けた稀有の人だった。抒情性と社会性が見事に融合した彼の歌は、人々の心に染みわたり、今でも多くの人に歌われています。」

 私は、学生時代に笠木透さんの歌と出会い、「あなたが夜明けをつげる子どもたち」「我が大地のうた」「私に人生といえるものがあるなら」など、何度も何度も仲間と歌いました。

 今、私の手元に、CDアルバム笠木透作品集Ⅱ「あなたが夜明けをつげる子どもたち」があります。

 その中に「Human Rights」という曲があります。

 「憲法があるから 人権があるのではありません 人権があるから憲法があるのです

  憲法があるから 人権があるのではありません 人間に生まれたから人権があるのです

  憲法がなくなれば 人権はなくなってしなうでしょう 国や権力者が人権を破るのです」

 短い歌詞ですが、笠木さんが亡くなられた今、笠木さんの遺志を感じます。 

 自民党改憲草案では、「個人の尊重」が「人」としての尊重に変わっています。

 弁護士の伊藤真さんは、自著で「『人』を家族や国家の『歯車』と考え、強い国づくりを支えるために役立ってもらう。歯車ですから、変に個性を発揮されてはうまく回りません。それが『個人』ではなく『人』とした理由でしょう。つまり、一人ひとり異なる個人の幸せを尊重する(個人主義)国づくりよりも、国家としての領土の保全や毛財政長を優先する(全体主義)国づくりが、この草案のめざすところのようです。

 笠木さんの詩にある「憲法がなくなれば、人権はなくなってしまうでしょう。」という時代にしてはなりません。

 笠木さんの遺志を引き継いで、憲法を守り活かす時だと決意を新たにしました。

 久しぶりに笠木さんのCDを聴こうと思いました。

 冒頭引用した横井久美子さんの小論に、笠木透さんのメモリアルCDブック「歌がなくては人間らしく生きてはいけない」が紹介されていました。私も是非、聞いて読んでみたいと思います。

 横井さんの「文化でたたかう」という言葉も胸に沁みました。

 私は、20年以上、川柳を作り続けてきました。「文化」の末端にいることを嬉しく思います。

 私も、川柳でたたかう決意を新たにしました。

 笠木透ファンの皆さん。皆さんの想いをお教え下さい。

  

天使のナイフ

 薬丸岳さん原作で、2015年WOWOWの連続ドラマとして放映されたドラマ「天使のナイフ」をDVDで観ました。

 原作は、薬丸岳さんのデビュー作であり、第51回江戸川乱歩賞を受賞した作品です。

 文庫版「天使のナイフ」の解説で高野和明さんは、次のように書いています。

 「この作品を読んでまず感銘を受けるのは、取り扱うテーマに対する、作者の徹底した真摯な姿勢である。凶悪犯罪を犯した少年をどのように処遇すればいいのか。少年法の高邁な理念は、徳に犯罪被害者の立場から見た場合、あまりに現実と乖離していないか。そもそも罪を犯した人間の贖罪や更生とはどういうことなのか。」

 この解説通り、この小説は、第一級のエンターテーメント作品なありながら、少年法について真正面から問う作品です。

 この作品を通して、薬丸岳さんが益々好きになりました。

 それでは、少年法について日本共産党はどう考えているのか。 

 2017年に行われた総選挙時の選挙政策を引用します。

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 2017総選挙/各分野の政策

 45、少年法
 少年法の適用年齢引き下げに反対します
 2017年10月

 政府・自民党が、少年法の適用年齢引き下げへの動きを強めています。自民党政務調査会は2015年9月17日、少年法の適用年齢を現行の「20歳未満」から「18歳未満」に引き下げることを内容とした「成年年齢に関する提言」を公表しました。18歳選挙権が実現したのにあわせて「国法上の統一性」「分かりやすさ」という口実をたて、突破を図ろうとしています。
 これを受けて、岩城光英法相(当時)の指示で法務省内に「勉強会」がつくられ、法改定に動き出しました。現在は、法制審議会に少年法・刑事法部会が立ち上げられ、そこで検討が進められています。
 しかし、いま少年法の適用年齢を引き下げることは、日本社会にとって弊害があまりに大きく、現行少年法が少年の更生に有効に機能していることに鑑みれば引き下げるべきではありません。日本弁護士連合会、刑事法研究者、全司法労働組合など、少年事件・少年非行にかかわっている関係者からも、適用年齢引き下げに対する強い反対・懸念の声があがっています。
 日本共産党は、下記の理由から、少年法の適用年齢引き下げに反対します。

 18歳、19歳を少年法適用から外すことは、少年の更生を妨げ、少年本人の利益に反するだけでなく、再犯(再非行)の危険を増大させ、社会の安定をそこなう
 現行少年法は、すべての事件を家庭裁判所に送致し(全件送致主義)、家裁や少年鑑別所における科学的な社会調査と資質鑑別の結果をふまえ、一人一人の少年に対する処遇を決定することとしています。年間の少年被疑者は約12万人で、うち18歳、19歳は約5万人、約4割を占めています。
 少年法の適用年齢が引き下げられれば、これだけの規模の若年者が少年司法手続から外れ、「成人扱い」となることになります。
 非行少年は、その多くが生育環境や資質・能力にハンディをかかえています。「大きくない事件でも、審判で親が『少年院に送ってくれ』といい、少年院に来る子もいる。家族関係に大きな葛藤を抱えている。18~19歳だからといって『自分でやりなさい』では、将来の更生を考えたら得策ではない。家族の問題はとても大きい」(元東北少年院長・真田安浩氏)といった切実な指摘が、現場からはあがっています。こうした少年たちが更生し、社会に適応して自立していくうえでは、刑事訴訟的判断だけでなく、“人間科学”に基づき、個々の少年の要保護性を審判する福祉的・教育的手続きと処遇が必要です。そして、現行少年法のもとでの全件送致主義は、そのための有効な仕組みです。
 しかし、少年法は2000年以降、少年審判への検察官関与制度の創設、重大事件を犯した少年を原則として検察官送致とする「原則逆送」(※)の創設、警察調査の導入、少年院送致年齢の引き下げなど、4度にわたる改悪が繰り返され、刑事訴訟化が進行してきました。このもとで、少年法の本来の理念である「少年の健全育成」や「成長発達権の保障」よりも、社会の処罰感情・応報感情を満足させることが優先される傾向が強まってきています。
 「少年だからといって甘やかすな。罪を犯した者は厳しく罰する方がいい」という意見も少なからずありますが、「少年法は少年を甘やかすもの」というのは、大きな誤解です。少年事件の多くを占めるのは、「万引き」「自転車泥棒」「ケンカによる傷害」「交通違反・過失運転致死」などです。それらが「成人並み」に扱われれば、被害金額の多寡や示談の成否などが酌量され、不起訴処分や略式命令による罰金刑によって終了するか、せいぜい執行猶予付きとなります。少年法適用年齢の引き下げは、実際は、罪を犯した18歳、19歳を「厳しく罰する」どころか、むしろ反省と再犯防止・立ち直りに向けた十分な処遇を行わないまま放置することとなってしまうのです。ここで更生のチャンスを逃したばかりに、あとあとの大きな犯罪を防げなかったということにも、なりかねないのです。
 また、「ぐ犯」(将来罪を犯すおそれがある少年。少年法では、①保護者の正当な監督に服しない性癖がある、②正当の理由がなく家庭に寄り附かない、③犯罪性のある人若しくは不道徳な人と交際し、又はいかがわしい場所に出入する、④自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖がある、の4点をあげている)での少年院送致によって、しっかりとした指導を受け立ち直りの契機となる場合が多いのですが、これが成人扱いになれば、18歳、19歳の少年は放置されることになります。とくに女子少年の場合は、このことで犯罪者や犯罪被害者になる懸念が強いのです。
※検察官への「原則逆送」は、16歳以上の少年が故意の犯罪行為で被害者を死亡させた場合で、裁判員裁判の対象にもなっている。逆送の割合は少年事件全体の0.6%、18歳、19歳では1.3%(2013年)。

18歳、19歳を少年法適用の対象外とすれば、それを口実に少年犯罪の防止と少年の更生にとりくむ体制が大幅に弱体化されかねない
 この間、少年犯罪は少子化を上回る規模で減少しています。凶悪犯罪も、昭和30年代半ばに殺人や殺人未遂で検挙された少年は400人台でしたが、近年は40~50人と減少しています。「凶悪な少年犯罪が増えている。だから厳罰化が必要だ」という意見は、多分に印象によるものであり、客観的根拠はありません。
 もちろん、だからといって、「少年犯罪は深刻な問題ではない」ということにはなりません。少年犯罪をとりまく環境は、貧困と格差の広がり、それにともなう家庭・地域の脆弱化、いじめや虐待の深刻化などから、困難さを増しているのも事実です。「人を殺してみたかった」という動機で、「優秀」とされていた高校生や大学生が突然殺人を犯すといった「不可解」な少年事件も起きています。
 こうしたもとでは、犯罪・非行の外形的な事実だけではわからない、一人一人の成育歴・成育環境や親の監護力などの事情を調べ、少年本人の更生と将来の犯罪予防に役立てることが、いよいよ重要となっています。
 そのときに、少年法の適用年齢を引き下げたら、どうなるでしょうか。“重大な犯罪の芽を小さなうちにつむ”機会が大きく失われるばかりでなく、事件の背景を調査し、再犯や似たような犯罪の発生を抑止し、少年の更生を支える体制・機能が、ますます弱体化しかねません。
 すでに、この間の4度にわたる少年法改悪で、少年審判の刑事裁判化と厳罰化がすすめられてきましたが、こうした中でも、少年法ではすべての保護事件について家裁調査官の科学的調査に基づくケースワークが行われ少年の立ち直りに向けた援助が行われています。子どもの育つ環境がいっそう困難なものになっているいま、少
年法の理念と、それを支える体制は、決してこれ以上後退・弱体化させてはならず、むしろ充実させることが必要です。

年齢制限は、それぞれの制度や法の目的、社会環境などによって異なる基準があってしかるべきであり、「選挙権が18歳になったのにそろえる」というだけの理由で、少年法の適用年齢を引き下げるべきではない
 自民党は適用年齢引き下げの理由として「国法の統一性や分かりやすさ」をあげていますが、この論理はすでに破たんしています。選挙権は18歳以上に引き下げられましたが、同じ参政権に属する被選挙権は、現行の衆院25歳以上、参院30歳以上のままです。飲酒・喫煙については当初「18歳以上」に揃えようとしましたが、党内外から強い反対意見が出て立ち消えとなりました。
 さらに、少年法自体についても、自民党の提言でも「罪を犯した者の社会復帰や再犯防止といった刑事政策的観点からは、満18歳以上満20歳未満の者に対する少年法の保護処分の果たしている機能にはなお大きなものがある」とその意義を認め、「若年者のうち要保護性が認められる者に対しては保護処分に相当する措置の適用ができるような制度の在り方を検討すべき」としています。実現性も定かでない「分かりにくい」制度を、提示せざるを得なくなっているのです。
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 この問題では、日本弁護士連合会が、会長とともに、47都道府県・52の弁護士会すべてで反対の声明を出しています。すべての弁護士会が反対声明を出すというのは異例のことです。現場の弁護士が、この間の相次ぐ少年法改悪によって少年法の理念がゆらぎ、激しい矛盾を引き起こしていることに、強い危機感を持っていることの反映です。
 幅広い学者・研究者、家庭裁判所の調査官をはじめ、少年事件・少年非行に日常的に携わっている現場の専門家の方々も、こぞって年齢引き下げに反対を表明しています。法相の「勉強会」でも、ほとんどの有識者から反対の声が出されています。
 こうした世論と運動に、日本共産党も連帯し、適用年齢の引き下げに反対して、たたかいます。

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 少年法の年齢引き下げに日弁連会長をはじめ、全国の全ての弁護士会が反対声明を出しているというのは重大です。

 政府・自民党は、少年法の適用年齢引き下げを行うべきではありません。 

 皆さんは、少年法の年齢引き下げをどうお考えですか。お教え下さい。

「45」の寄稿「差別的」

 今朝の毎日新聞は、月刊誌「新潮45」の特集が性的少数者(LGBTなど)に差別的だと反発をうけ休刊が決まった問題で、新潮社が発行する文芸誌「新潮」11月号が「45」を批判する異例の文章を掲載したと次のように報じました。

 「矢野優編集長名による編集後記で、『45』の寄稿のどの部分が『差別的』であったのかなどについて見解を示した。同社の象徴ともいえる老舗文芸誌としての立ち位置を明確に表した形だ。これまで同社は佐藤隆信社長の声明や伊藤幸人・広報担当役員の取材対応の中で、『45』の特集のどの部分が問題なのかを明示しなかった。今回は、文芸評論家の小川栄太郎氏によるLGBTと痴漢を対比して痴漢の苦しみが深いという寄稿の一部を明記し『蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない差別的表現だ』と踏み込んだ。さらに『想像力と差別は根底でつながり、想像力が生み出す文芸には差別や反差別の芽が常に存在している』『文芸と差別の問題を小誌は考えていきたい』とした。」

 文芸誌「新潮」矢野編集長による「45」の差別部分を明確に提示しての「編集後記」に私は、真摯な姿勢を感じます。

 事の発端は、自民党の杉田水脈衆議院議員が、「45」にLGDBのカップルは「生産性がない」などとした暴言を寄稿したことにあります。

 

 13日に行った第5回日本共産党中央委員会総会で、志位委員長は、杉田議員の発言について「LGBTの人たちへの偏見をあおる重大な差別発言であるとともに、憲法に保障された個人の尊厳を冒涜する人権侵害の発言であります。にもかかわらず、当人からの反省の言葉は一言もなく、安倍首相は『まだ若いから』と不問に付す許しがたい態度をとっています。」と述べました。

 一連の問題について、新潮社は前述したように真摯な姿勢を示し始めていますが、志位委員長が指摘するように、発言を行った議員及びの所属政党である自民党は、何が差別発言であったのかなど、具体的な言及を行っていません。

 安倍政権は、憲法で保障された個人の尊厳を守る政権なのかが問われています。

 そのスタートは、杉田議員の発言について、しっかり国民に説明することです。

 私は、宇部市の人権教育推進委員として、西宇部校区人権教育推進委員協議会会長として、この問題に大いに関心を持っています。

 改めて、杉田議員の発言を皆さんはどうお考えですかお教え下さい。

 

「マイ・スタンダード」読書ノート①

 クレイジーケンバンドのリーダーである横山剣の著書「マイ・スタンダード」を読んでいます。

 冒頭に次のようなくだりがあります。

 「私は飽きっぽい。でも、日々、移ろいゆく自分の感受性にまっすく向き合っていたいから、そんな自分の欠点を呪うことはない。過去でもなく、未来でもなく、今、この瞬間、瞬間にスパークする。これがおれのおれたるMy Standardなのだ。」

 この言葉は、自分にとても当てはまると思いました。

 私もとても飽きっぽい性格です。

 でりながら、この道を四半世紀続けてこれたのは、「この瞬間、瞬間にスパーク」してきたからかも知れません。

 辞めたいとか思う間のない四半世紀でした。

 好奇心を忘れずに生きてこれたことに感謝します。

 横山剣さんのスタンダードに共感します。

 物語は、16歳、17歳の頃から始まります。

 剣さんは、高校に入学しますが、中退します。

 「はちゃめちゃ」ではあったけれど、「作曲家」になりたいという夢を持ち続けた剣さん。

 好きな事を持ち続けたことが今の剣さんを支えていると思いました。

 私も好きな道をこれからもしっかり歩んでいこうと、この本に励まされました。

 11月1日、防府市公会堂で実際の横山剣さんにお会いできることを楽しみにしながら、この本を読み進めたいと思います。

 車の中では、最新アルバム「GOING TO A GO-GO」をヘビーローテーションで聴いています。

 横山剣さん及びクレイジーケンバンドファンの皆さん、想いをお聞かせ下さい。