議員日誌

「15歳の戦争」読書ノート①

 昨日のしんぶん赤旗日刊紙に鉄道ミステリー作家の西村京太郎さんがインタビューで登場されていました。

 インタビューの中で、西村さんの近著「15歳の戦争-陸軍幼年学校『最後の生徒』」が紹介されていました。

 早速、購入して、3分の2読みました。

 西村さんは、昭和20年4月から東京陸軍幼年学校に通います。

 終戦まで5カ月。陸軍幼年学校のまさに「最後の生徒」が西村さんでした。

 西村さんは、49期。48期と違いが二つあったと書いています。

 一つは、入学者が30名増えたこと。もう一つは、学費が免除され、逆に、月5円の給料が支給されたことです。

 給料が支給されたことについて西村さんは「本土決戦が近づいたので、私たちも、兵籍に入れられたということである。初年兵と同じになったので、給料として、5円が支給されたのだ。学生ではなく、兵士になったのである。」と書いています。

 西村さんは、学校が空襲に会い、及川という同級生が亡くなった経験を書いています。

 西村さんは、及川さんの死について「短刀を忘れて、生徒舎に飛び出してしまったのだ。気がついた及川は、短刀を取りに、炎上している生徒舎に引き返して、死んだ。その及川の行動を校長は絶賛した。『及川生徒は、死を覚悟して、天皇陛下から頂いた短刀を求めて燃えている生徒舎に引き返した。これは、名誉ある戦死である』だから及川は、靖国神社に祀られた。反対に、学校の外に逃げた生徒は、校長から叱責された。『学校の外まで逃げるのは、兵士が戦線を離脱するのと同じだ』と。今なら、校長は何というだろう?」と書いています。

 西村さんは、軍隊について「戦後、関東軍が、在満州の邦人を置いて、勝手に、後退してしまったことで、非難されたが、もともと、どこの国の軍隊も、国民を守るのが任務とは、考えていない。軍隊はそういうものである。」「日本の場合は、更に、『天皇の軍隊』という肩書がつく。本土決戦になったら、もっと厳しい戦いになっていただろう。『一億総特攻』みたいな簡単な問題ではなくである。その一つが、『本土決戦になったら盾になれ』である。B29の空襲で、私たちの東京陸軍幼年学校は、焼失してしまったが、本土決戦が、近づいてきたことは、感じていた。『本土決戦になったら、盾になって、天皇陛下をお守りするのだ』と思っていた。」と書いています。

 戦時の日本軍は、国民の盾になるのではなく、天皇の盾になれと教えられたと西村さんは書いています。

 安保法制=戦争法が強行成立して今日で、2年になります。日本が参戦国になる危険性が高まっています。

 70年前の戦争を繰り返してはなりません。

 戦争法廃止できる国会を作っていきましょう。

 そのために、総選挙勝利しましょう。

 私は、候補者として全力を尽くす決意です。

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