沖縄県出身の作家である池上永一さんの最新刊「ヒストリア」を読み始めました。
本の帯の文章を紹介します。
「第二次世界大戦の米軍の沖縄上陸作戦で家族をすべて失い、魂(マブイ)を落としてしまった知花煉。一時の成功を収めるも米軍のお尋ね者となり、ボリビアへと逃亡するが、そこも楽園ではなかった。移民たちに与えられた土地は未開拓で、伝染病で息絶える者もいた。沖縄からも忘れさられてしまう名か、数々の試練を乗り越え、自分を取り戻そうとする煉。一方、マブイであるもう一人の煉はチェ・ゲバラに出会い恋に落ちてしまう・・・。果たして煉の魂の行方は?著者が20年の構想を経て描破した最高傑作!」
私が読んでいるのは、煉が「第二次世界大戦の米軍の沖縄上陸作戦で家族をすべて失」う場面です。
この小説の冒頭、米軍の沖縄上陸作戦の状況が文学に昇華して見事に表現されています。
米軍の沖縄上陸作戦といっても三段階あったのですね。
まずは、空襲。鉄の雨が降る様子を池上さんはこう表現しています。
「空襲は回遊魚の産卵に似ていた。火薬を含んだ卵塊を抱えて空を泳ぐ魚の群れが一斉に産卵する。命を増やすか殺すかの違いはあるが、ある種の営みを感じさせる。」「
次に、軍艦からの艦砲射撃。
艦砲射撃の様子を池上さんはこう表現します。
「海が黒い緑に囲われたのを見た。数千の軍艦が堤防を作るように幾重にも島を囲んでいるではないか。」「艦砲射撃の勢いは弥増す。あの日見た光景の横倒しの世界だった。火が壁になって村をなぎ倒していく。回遊魚の産卵を彷彿とさせた空襲は、ほんの小手調べであった。アメリカ軍の本陣は海にいたのだ。途切れなく炸裂する砲弾は地鳴りになって大地を揺さぶり続けた。」
そして、戦車の上陸です。
池上さんはこう表現しています。
「艦隊は消えることもなく、無数の上陸艇を放って島を目指していた。彼らは上陸部隊を無傷のまま投入するために、今まで空襲と艦砲射撃を繰り返していただけだったのだ。」「浜に上陸してくるアメリカ兵たちこそ、戦争の主役であった。やすやすと浜に上陸したアメリカ軍は戦車部隊を投入し、無数の歩兵たちが砂浜を黒く染めていく様を茫然と眺めた。私は戦争は今から本番で、前座の賑やかしが終わったことだけと理解した。私はたった数日の戦争だけで壊れてしまったのに、これ以上どうやって自身を保っていたらいいのかわからなかった。」
対する日本兵に池上さんは手厳しい批判の筆を振るいます。
「戦況をより悪化させたのは日本軍のせいだ。どう見ても劣勢なのがわからないのだろうか。海から一万発の砲弾が飛んできたら、一発撃ち返すのが精一杯だ。やがて十万発に一発の反撃になり、百万発に一発になり、一千万発に一発と、負け戦を徒に長引かせている。降伏さえすればこの地獄は終わるのに、どこに勝機を見いだしているのかさっぱりわからない。」「世界中を敵に回したような数の軍艦を相手に降伏しない馬鹿がどこにいるのだろうか。子供でもわかる論理だ。否、獣でさえ数で劣勢と知るや尻尾を巻いて逃げていく。しかしそれでも戦争を続けるのが人間というものなのだ。もはや勝敗など関係なく、戦争を続けることが目的化していた。初期にあった国民の生命と財産を守るという大義名分はどこにもなく、ほとんどの人が財産を取り上げられ、命を差し出してまで戦争を続けさせられた。」
池上さんは、1970年生まれで戦争体験は当然ありませんが、沖縄県出身の作家として、『鉄の暴風』といわれる激しい戦闘が沖縄で展開された事実の描写は秀逸です。
県民の4名に一人が犠牲になり、地上は山の形が変わるほどに破壊された沖縄の想いをこの作品が具現化しています。
今日、沖縄戦は、本土決戦をひきのばすための『時間稼ぎの捨て石作戦』だったと言われています。
まさに「戦争を続けることが目的化」された沖縄戦だったことがこの作品でよく理解できました。
アメリカは再び沖縄周辺を「バトルフィールド」にしようとしていると言われています。
池上文学で沖縄戦の実情を追体験したいと思います。
600ページを超す大作「ヒストリア」を最後まで読みたいと思います。
ひとえに「戦争を終わらせる」ために。
池上永一ファンの皆さんお勧めの作品をお教え下さい。
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