議員日誌

広岡浅子とその時代

 NHK連続テレビ小説「あさが来た」を妻とともに毎週楽しみに観ています。

 「あさが来た」のモデル、幕末生まれの女性実業家・「広岡浅子とその時代」が今日付のしんぶん赤旗「日曜版」で特集されていました。

 目を引いたのは、浅子が晩年、日本の軍国主義を批判していたという事実です。

 第一次世界大戦中には、浅子が「誤れる時代遅れの軍事主義に対して戦いを挑むべき時」とし「世界的人類の平和」を訴えていたとあります。

 浅子が創設者の一人である日本女子大学の吉良芳恵教授は、「ただこの時代の多くの例にもれず、彼女も国家という概念にしばられていました。『女性の教育が布告につながる』と考えていたのです。しかし、晩年、キリスト者になってからは、中国への侵略を批判するなど、国家の枠を超えた国際認識も持ち合わせていました。時代の制約の中でも、常に歩み続け、後世に種をまいた人だと思います。」と語っています。

 私は、昨年、前進座公演「如月の華」を観ました。

 明治に生まれ、大正時代を生きた九條武子の物語です。

 武子らは、1920年、京都女子大学の前身でる京都女子専門学校を設立します。

 浅子らが、日本初の女子の高等教育機関、日本女子大学校を設立したのは、1901年。

 日本女子大学設立の19年後に京都女子専門学校が設立されています。

 しんぶん赤旗に、「広岡浅子の生き方は、後に女性の地位向上などで活躍する女性たちに大きな影響を与えました。その舞台が静岡県・御殿場の浅子の別荘。晩年の1914年から毎年夏、若い女性たちを招き講習会を開きました。後に『赤毛のアン』などを翻訳した村岡花子はその一人です。」とあります。

 武子と白蓮が逢っていたことは分かっています。

 花子と白蓮の仲はドラマにもあった通りです。

 ならば、武子と浅子の接点はあったのでしょうか。

 詳しい皆さんお教え下さい。

 いずれにしても、女性の地位向上の礎を築いた広岡浅子さんの生き方には大いに励まされます。

 広岡さんの遺志を生かす現代にしたいと決意を新たにしました。

 明日からも「あさが来た」を見続けようと思います。いよいよ大学が成立されるようです。

 「あさが来た」の感想もお聞かせ下さい。

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