1964年生まれの私の青春時代は、1980年代になります。
高校時代は、サッカー部に所属していましたが、サッカー部の仲間で、文化祭向けバンドを組んでいました。
2年生の時と3年生の時に演奏を披露しました。演奏と言っても、私は楽器は全く駄目で、専らボーカルでした。
オリジナルではなく、当時流行った曲のコピーでした。
コピーした曲は、甲斐バンド、ツイスト、柳ジョージなどでしたが、ハウンドドックもコピーしました。
ハウンドドックでコピーした曲は、「嵐の金曜日」。出だしで、ツインのギターがハモルところがカッコいいですよね。
私はボーカルでしたので、とてもキーの高い歌に苦労しました。
20代の頃までは、高校の文化祭での演奏を録音したテープが残っていてよく聴いていました。
鳥が首を絞められたような声だったことを想い出し、今でも冷や汗が出ます。(太く高い声を出すというのは天性のものが必要ですよね。)
あれから、30年。時々、ハウンドドックが聴きたくなる時がやってくるのですが、数日前からそれがやってきました。
そして今、車の中で、数年前に出された「HOUND DOG ULTIMATE BEST」を聴いています。
昔、自分の好きな曲だけをカセットに録音して「マイベスト」としてまとめることが流行っていましたが、このベストアルバムは、まさに私にとってのマイベストです。
数曲、歌えないものもありますが、ほとんどが、青春時代に馴れ親しんだ曲ばかりです。
「嵐の金曜日」は当然、「涙のバースデー」「ff(フォルテシモ)」「ONLY LOVE」は今でも時々カラオケで歌う曲です。
久々に聴いて懐かしかったNo1は、「ラスト・シーン」です。20代の頃はよくカラオケで歌っていました。
最もお気に入りなのが、「AMBITIOUS」ですね。詞がいいですね。
ハウンドドックを懐かしんで、最近の情報をインターネットで調べてみると、グループとしては、休止状態のようですね。
「オメガ」というアルバムを作成して以降は、そのような状態のようですね。グループ活動の再開を望みます。
ボーカルの大友康平さん個人は、映画やドラマやバラエティー番組などでよく見かけますが、やはり歌手としての活躍を望みます。
東北出身の大友さんは、震災復興を応援する楽曲を発表するなどの活動もされているようですね。
その楽曲も入れた、大友さんの新しいオリジナルアルバムを今待望しています。
80年代、ハウンドドックに熱狂した40代の私たちのために、大友さんの今のメッセージを聴きたいと今心から想います。
8月議会は、来週から質問戦です。今、原稿書きの真っ最中です。今議会は、ハウンドドックのベストアルバムを聴き、シャウトしながら、乗り越えたいと思います。
県政に関わる皆さんの要望を引き続きお聞かせ下さい。
6月中旬に、災害ボランティアで、岩手県宮古市を訪れたことは報告しました。
特に、高さ10m、延長2.4キロの巨大堤防のあった田老地区の光景は、2ヶ月たった今も私の脳裏から離れません。
そして、文書などで、田老の文字を見ると思わず目を留めてしまいます。
田老地区で、なぜ、これだけ巨大な堤防が建設されたかと言うと、1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波の両方で甚大な被害を受けたからです。
巨大堤防の建設は、昭和33年から始まったそうです。
山下文男著「津波てんでんこ」という本を読みました。
本の題名になっている言葉は、明治三陸津波から生まれたそうです。取り分け田老地区での教訓から生まれた言葉だと言われています。
「津波てんでんこ」の意味を山下さんは、次のように書いています。
「凄まじいスピードと破壊力の塊である津波から逃れて助かるためには薄情なようであっても親でも子でも兄弟でも、人のことなどかまわずに、てんでばらばらに分、秒を争うようにして素早く、しかも急いで速く逃げなさい。」
志位委員長が行った日本共産党創立89周年記念講演でも田老地区のことが出てきました。
東京の大崎無産者診療所で看護婦として働いていた砂間秋子さんは、昭和の三陸津波の支援に、被害のひどかった田老地区に向います。
盛岡からは、官憲の眼を避けるため、100キロ離れた宮古まで徒歩で向かいます。そこから船で1時間半かけて、田老に向いました。
田老地区で診療を始めて3時間で砂間さんは、特高に逮捕されました。
命がけで、私たちの先輩たちは、被災者支援に向ったのです。
明治、昭和、平成と、3回も甚大な津波被害を受けた田老地区。4度目を回避していくために万全な復興対策を望みます。
田老地区には、もう一度、行ってお手伝いしたいと思っています。
今日から、8月県議会が始まりました。
3・11の教訓を山口県に生かす点でも引き続き議論を行っていきたいと思います。
災害に強い県づくりに向けて皆さんのご意見を引き続きお寄せ下さい。
昨日夕方の大雨で、国道190号線藤曲交差点付近と、宇部湾岸道路西中町インターチェンジ付近が相次いで冠水しました。
今日、宇部市の職員の方から昨日の藤曲交差点付近の豪雨の状況について説明を受けました。昨日、15:50~16:50までの間、1時間当たり40㎜の雨が降ったそうです。
結局、190号線のバイパスとしての宇部湾岸道路の下り線が利用できない、また、190号本線も両車線通行止めとなるなどで、宇部興産本社から西側は大渋滞したようです。
この状況を、今日の宇部日報の「緑風抄」で厳しく指摘されています。
「インター付近の道路構造上の問題なのか、周辺地域を含めた排水機能のトラブルが原因なのか分からないが、早急に究明し、対策を講じる必要がある。日常的な渋滞緩和の解消や、物流機能の拡充も大事だが、いざというときに市民の支えになるライフラインでなければ画竜点睛を欠く。想定外は禁句。概算事業費860億円のビックプロジェクトが、機能を最大限に発揮してくれることを願う。」
我が意を得たりです。
湾岸道路開通早々に通行できないトラブルを解明し、対策を県として、関係機関と連携しながらきちんと取っていくことが重要です。
この問題に関して、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
私は、西宇部校区人権教育推進委員を務めています。
18日に、原・黒石・厚南・西宇部校区の人権教育合同研修会が行われ参加しました。
講師は、現在、山口県立大学学長の江里健輔先生でした。
江里先生は、県立中央病院(現県立総合医療センター)の院長をされていました。
江里先生が院長時代、私は、県議会厚生委員会などでお世話になったことが想い起こされました。
江里先生は、「医療における人権を考える」をテーマに話をされました。
江里先生は、病者差別・人権侵害の歴史として①閉鎖病棟、隔離病棟②人体実験③薬害を挙げられました。
人体実験の内容として①九大事件②731細菌部隊を挙げられました。
731細菌部隊のことは、森村誠一さんの本などを数冊読み一定の知識はありましたが、九大事件については、十分な知識を持ち合わせていませんでした。
浅学を恥じ、熊井啓監督の映画「海と毒薬」を借りて先日観ました。
衝撃的な内容に私の目は映像に釘付けになりました。
九大事件はご存知の方も多いかと思いますが、概要を説明します。九大事件とは、戦争末期、アメリカ軍捕虜を九大医学部内で生体実験したとされる事件です。
先日、前衛9月号に掲載された一橋大学の吉田裕教授の「対米従属と戦争責任問題へのダブルスタンダードがもたらしたもの」と題する論文を読みました。
吉田教授は、戦争責任をめぐるダブルスタンダードを次のように説明します。
「対外的にはサンフランシスコ講和条約の第11条で東京裁判の判決を受諾するという形で最低限の戦争責任を認める一方で、国内的には、戦争責任をめぐる議論に関しては封印していくというものです。」
吉田教授は、最後に、「直接の体験と記憶とにもとづく歴史研究や歴史教育は、その基盤が大きくゆらぐ時代を迎えようとしているのです。そういうなかで、戦争を直接体験していない世代が、過去の戦争をどういう形で再認識していくのかが問われることになります。」「いま、サンフランシスコ体制を支えてきた歴史認識というものをあらためて検証し直す必要があると思います。」
私は、映画「海と毒薬」を観て、戦争中に、アジアだけでなく、アメリカに行った日本軍の行為を知る必要性を痛感しました。アジアのみならず、アメリカに対する戦争犯罪を日本は認めることを重要です。そのことを通じてこそ、アメリカが日本に行った原爆などの行為をしっかり批判できるのだと思いました。
戦後、68年。戦後世代の私たちは、もっと、もっと、あの戦争で何があったのかをとにかく知るべきだと痛感しました。
その一つ「九大事件」を教えていただいた江里先生に改めて感謝いたします。
遠藤周作さんの原作からも学びたいと思います。
海上自衛隊岩国航空基地にも保管されていた
放射性廃棄物6.5キロ
基地協議会の照会に防衛省が回答
米軍佐世保基地内に米軍の低レベル放射性廃棄物が保管されていることが明らかになったのに続いて、自衛隊岩国基地など四ヶ所と、米軍厚木基地の合計五ヶ所に新たに保管されていることが判明しました。
藤本県議は、八日、県担当者に、岩国基地での事実関係を国に照会し、必要な対応を行うよう口頭で求めました。
その結果、県と関係市で作る山口県基地関係県市町連絡協議会が、外務省と防衛省に事実関係を照会し、十一日までに回答があったと藤本県議に報告が行われました。
防衛省から「海上自衛隊岩国航空基地においては、福島第一原発事故に伴う物資輸送で飛行したヘリコプター数機の除染に使用したウエス(雑巾)六・五キログラムについて、放射性廃棄物用に設定した保管場所において、ビニール袋に密閉したうえで、さらに鉄製の容器に入れ二重に密封し保管している」「放射性廃棄物は、全て東京電力が引き取り処分するものとして現在協議中である」と回答がありました。
西宇部小学校通学路の市道草刈り完了
西宇部小学校の通学路になっている市道西宇部小学校線周辺の草刈りを夏休み中に行ってほしいという要望が出されました。藤本県議は、その要望を宇部市の担当課に伝え、先日、草刈りが行われました。西宇部小学校PTAでは、二〇日に「親子環境整備作業」を行う予定です。環境衛生連合会の方々が、岩瀬田堤周辺の環境整備を行っていただくことになっています。
西宇部小学校周辺の市道の草刈りが完了
山口県で健康・省エネ住宅を
七日、NPO法人シックハウスを考える会、健康・省エネ住宅を推進する国民会議主催の学習会がセミナーパークで行われ藤本県議が参加しました。最初に、健康・省エネ住宅を推進する国民会議の上原議長が講演を行いました。上原議長は、二〇〇〇年にシックハウスを考える会を発足させ、二〇〇三年に、建築基準法改正を実現した経験を報告しました。高知県では、今年六月に、「こうち健康・省エネ住宅推進協議会」が設立されたことが報告されました。協議会の顧問には、尾崎高知県知事が就任しています。
次に、慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科伊香賀教授が、高知県梼原町で実践されている健康維持増進住宅の取組みを紹介しました。
伊香賀教授は、梼原町で建設されている地元の木材を使った断熱住宅が、住民の健康を守り、地域産業を振興している様子を語りました。
一気
山陽小野田市在住の浅田桃江さんが、九四歳で亡くなられました。 桃江さんは、生前、小野田生活と健康を守る会の事務局長として社会保障を守る運動に熱心に取り組まれました。 「偲ぶ会」では、県内各地から多くの方々が集まり、桃江さんを偲びました▼桃江さんが、元気に様々な場で発言されていた事を昨日のように思い出します。桃江さんの話は、まず、具体的でした。そしてユーモアがありました。私はまず、桃江さんの演説から多くのことを学んでいたんだということを今更ながら感じています▼生活と健康を守る会のスローガンは「一人はみんなのため、みんなは一人のため」です。桃江さんの人生は、ただひたすら、みんなのために尽くされた人生ではなかったかと思います。桃江さんと同じ道を歩む一人として桃江さんの人生をこれらも学び続けていきたいと思います。
昨夜からの大雨で、今朝からの行事が相次いで中止となりました。
一つは、厚南中学校の環境整備作業です。参加出来ませんが、軽四トラックと草刈り機をお貸しする予定でしたが、中止となりました。
もう一つは、宇部湾岸道路の西中町インターから藤曲インターまでの開通式が中止となりました。
今日、長男が剣道の段位試験に参加するため、宇部市武道館まで送っていっていると、190号線の藤曲交差点南側が冠水して通行止めになっていました。
今朝の藤曲交差点。南側が通行止めになりました。
私がこの付近を通り過ぎた時は、8時30分過ぎでしたが、この事も、宇部湾岸道路の開通式が中止された理由の一つだと納得しました。
宇部湾岸道路は、4キロで860億円。県内トップの豪華な道路です。
私は、県内で屈指の渋滞スポットである藤曲交差点が豪雨で通行できない事態を回避していくための対策こそ県として国や市と連携して取りべきだということを痛感しました。
昨夜からの豪雨で皆さんの周りに被害は発生していないでしょうか。