議員日誌

岩手県宮古市田老地区を想う

 6月中旬に、災害ボランティアで、岩手県宮古市を訪れたことは報告しました。

 特に、高さ10m、延長2.4キロの巨大堤防のあった田老地区の光景は、2ヶ月たった今も私の脳裏から離れません。

 そして、文書などで、田老の文字を見ると思わず目を留めてしまいます。

 田老地区で、なぜ、これだけ巨大な堤防が建設されたかと言うと、1896年の明治三陸津波、1933年の昭和三陸津波の両方で甚大な被害を受けたからです。

 巨大堤防の建設は、昭和33年から始まったそうです。

 山下文男著「津波てんでんこ」という本を読みました。

 本の題名になっている言葉は、明治三陸津波から生まれたそうです。取り分け田老地区での教訓から生まれた言葉だと言われています。

 「津波てんでんこ」の意味を山下さんは、次のように書いています。

 「凄まじいスピードと破壊力の塊である津波から逃れて助かるためには薄情なようであっても親でも子でも兄弟でも、人のことなどかまわずに、てんでばらばらに分、秒を争うようにして素早く、しかも急いで速く逃げなさい。」

 志位委員長が行った日本共産党創立89周年記念講演でも田老地区のことが出てきました。

 東京の大崎無産者診療所で看護婦として働いていた砂間秋子さんは、昭和の三陸津波の支援に、被害のひどかった田老地区に向います。

 盛岡からは、官憲の眼を避けるため、100キロ離れた宮古まで徒歩で向かいます。そこから船で1時間半かけて、田老に向いました。

 田老地区で診療を始めて3時間で砂間さんは、特高に逮捕されました。

 命がけで、私たちの先輩たちは、被災者支援に向ったのです。

 明治、昭和、平成と、3回も甚大な津波被害を受けた田老地区。4度目を回避していくために万全な復興対策を望みます。

 田老地区には、もう一度、行ってお手伝いしたいと思っています。

 今日から、8月県議会が始まりました。

 3・11の教訓を山口県に生かす点でも引き続き議論を行っていきたいと思います。

 災害に強い県づくりに向けて皆さんのご意見を引き続きお寄せ下さい。

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