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豪雨で被災した特別養護老人ホーム「阿北苑」を視察

 7月28日の豪雨災害で、濁流が施設を襲い、職員の努力によって、入所者の犠牲を出さなかった萩市田万川町の特別養護老人ホーム「阿北苑」を本日、視察しました。

 「阿北苑」は再開に向けて工事が進められていました。

 「阿北苑」を視察するのは、二度目です。1回目は、仁比参議院議員らと一緒に、発災二日目の7月30日でした。

 施設長さんから「入所者を簡易ベットに乗せ、職員が簡易ベットを抑えて、水がひくのを待った」の話は、今も私の脳裏から離れません。

 その後、入所者は、近隣の施設に避難したままです。

 私は、9月議会を迎えるにあたって、「阿北苑」の今が気になって、直接、お伺いすることにしました。

 私は、「阿北苑」が再開する上で、資金的に二つの困難があると感じ、今日、施設長さんに直接お聞きしました。

 第一は、施設再開に向けての経費についてです。

 施設の建物そのものの改修費用は、国が2分の1、県が4分の1補助する制度があります。

 県は、8月臨時議会の補正予算で必要額を計上しました。

 施設長さんは、「4分の1の施設負担はなかなか大変」とおしゃっていました。

 その上、備品のほとんどが水没し、使えません。必要な備品費は、全て施設で準備しなければなりません。

 施設内では、壁紙や床などの張り替え工事が着々と行われていました。

 業者の方が壁紙を張り替える作業をされていました。

 施設長さんは、「入所者の皆さんとこの場所で、正月が迎えられるように願っています」とおしゃいました。

 次の困難は、阿北苑の50名の指導員さんの給与です。

 入所者の方は、他の施設に避難されていますので、介護報酬は、避難されている施設に入ります。

 阿北苑の約半数の職員さんは、入所者が避難されている施設でお手伝いをされているそうです。

 施設長さんは「阿北苑の職員の給与は出ない」と嘆いておられました。

 「7月分までの報酬が阿北苑に遅れて入ってくるので、8月か9月までは大丈夫だが、再開するまでの間の人件費は、金融機関等から借りるしかない」と施設長さん。

 「全ての職員も欠けることなく、施設を再開したい」と施設長さんはおしゃっていました。

 建物補修の4分の1と備品費と人件費を阿北苑では、準備しなければなりません。大変なご苦労だと施設長さんのお話をお聞きして感じました。

 インターネットで調べていると、東日本大震災で被災した宮城県は、「介護サービス事業所・施設等復旧支援事業費補助金」が県単独事業で創設されていました。

 具体的には、被災事業者に事業再開に必要な「需要費、役務費、委託料、使用料及び賃借料(土地、建物に要する経費を除く)、備品購入費(備品設置に伴う工事請負費を含む。)」を補助する制度です。

 特別養護老人ホームなら650万円を基準額として補助するものです。

 同様の制度が、福島県にもあるようです。

 施設が蒙った被害は、地震でも豪雨でも同じだと感じました。

 私は、今日の視察を通じて、県独自に阿北苑を更に支援する方策を検討する必要があると痛感しました。

 皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

稲刈りが終わりました。

 台風18号は、関西以東で猛威をふるっているようです。

 被害に遭われた皆さんにお見舞い申し上げます。

 さて、我が家では、今日は、実家の残りの稲刈りを行いました。

   今日も小学3年生の娘が撮影してくれました。

 強風の中での作業でしたが、昼過ぎに稲刈りを終えることができました。

 今日は、二人の姉と、妻と我が家の小学生二人と母が協力しての作業でした。

 家の下の小さな田は、10時過ぎに作業を終えました。

 最後の家の前の田は、ここ数年、水はけが悪くなっています。

 水はけのいい場所からコンバインで刈っていき、小学生と姉たちは、水はけの悪い所を手で刈ります。

 最後に、手で刈った稲をコンバインに。

 稲が上手くカットされないという故障は、後半、度々ありましたが、12時半過ぎて、作業を終えました。

 水はけが悪い家の前の田です。作業を終えました。

 急いで、姉と子どもが籾をライスセンター(籾すり所)に運びます。

 午後1時に、みんなで食事。

 家族一緒の労働をした後は、話もはずみます。一種の連帯感が生まれます。

 今年の稲刈りも順調ではありませんでしたが、終わったことを喜んでいます。

 さあ、明日からは、9月議会に向けて、調査と原稿書きの毎日です。

 引き続き、皆さんのご要望をお聞かせ下さい。

西ヶ丘自治会敬老会

 今日は、私が住む地元自治体、西ヶ丘自治会の敬老会が行われました。

 小学校3年の三男が手紙の朗読と手品を披露しました。

   西ケ丘自治会の敬老会で手品を披露する三男

 息子の成長を感じる敬老会でもありました。

 長寿が喜べる社会にしていくために力を尽くしたいと思います。

 下記は、私のあいさつの要旨です。

・・・・

 西ヶ丘の敬老会に今年も参加させていただいてありがとうございます。私は、旧楠町の吉部出身で、昭和12年生まれ、75才になる母がおります。昨日は、親孝行をしました。それは、稲刈りです。今年は、日照りも強かったのですが、雨も強く、稲が倒れてしまい、刈るのに時間がかかり、全部刈り終えることは出来ませんでした、天気次第ですが、明日、残りを刈る予定です。子どもにとっては、孝行できる親がいつまでも元気であってほしいと願うものです。西ヶ丘の皆さんも益々元気で暮らしていただいきたいと思います。
 さて、最近、トヨタ方式の研究者である山田日登志さんの「なぜ『ふるさと製造業』は強いのか」という本を読みました。山田さんは、「ダレの会社ともわからぬ資金の魂が、人を使い捨てる企業」を「資本製造業」と呼び、地域とともにどっしり構えるオーナー企業を「ふるさと製造業」と呼ぶとして、「ふるさと製造業」を育成することが、将来を守ってくれると述べています。
 最近、宇部市でも、ルネサスが大変なリストラを行いました。山口県も楠町も企業誘致する時には、巨額のお金を出しましたが、今日の状況です。
 宇部市の実情を見ても、「ふるさと製造業」の育成こそが重要だと痛感します。
 この本の中に、良寛さんエピソードが出ています。良寛さんは、新潟で地震の被害に遭った友人に、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」と書いた手紙が残っています。
 私利を求めず、自然に抗わず(あらがわず)、自然の恵みに感謝して、子どもともににこやかに遊んで生きた良寛さんの生き方に、ふるさとがあると山田さんは述べています。
 「足るを知る生き方」を先輩たちから学び、この社会が、皆さんにとっても、子どもたちにとっても、あたたかいふるさとのようになるために、私も微力を尽くしてまいりたいと思います。
 本日の参加者の皆さん方の益々のご健康を祈念して私のあいさつを終わりますありがとうございました。

実家で稲刈りをしました。

 来週の月曜日の予定を台風襲来などを予測して、急遽、今日に前倒しして、実家の稲刈りをしました。

 小三の娘が撮影してくれました。娘もよく手伝いました。

 一番大きな田を朝9時から刈りはじめました。田の南側は、稲が倒れています。その部分は、湿気が強いのか、稲を最後にカットする部分が詰まってしまいます。

 午後になって、詰まる頻度がひどくなり、JAの整備士の方に来ていただきました。

 ゴッドハンドのように、ある部分を調整しただけで、トラブルは解消されました。

 整備士の方が帰られると、また、詰まりはじめてしまい、少々手こずりましたが、6時頃にようやく、一番大きな田を刈り終えることができました。

 

朝9時から夕方6時までかかってようやく刈り終わりました。

 月曜日に残りの田を刈ります。だめなら火曜日。火曜日がだめならどうしましょうか。来週中に時間を確保しなければなりません。

 農業は、天候と機械の調子に左右されるものだということを痛感します。

 今日は、小学6年と3年生の子どももよく手伝ってくれました。

 稲刈りが終わるまで気が抜けません。

 農家の皆さん、収穫の具合はいかがですか。収穫が終わるまで頑張りましょう。

春日山庁舎(旧図書館)を視察

 昨日視察をした、山口県文書館。

 文書館の50万点の蔵書文書の内、約4万点を収蔵しているのが、春日山庁舎(旧図書館)です。

 今日は、春日山庁舎を視察しました。

 春日山庁舎は、昭和3年に築造され、84年の歴史を刻んでいます。

 図書館として昭和48年まで使われてきました。

 現在は、工業技術センターなどに使われていますが、残りは、文書館の書庫として使われています。

 書庫を視察しました。主に1950年以降の行政文書が保管されていました。

 保管環境は、とても好いものとは言えません。

 まず、春日山庁舎の書庫もほぼ一杯の状況でした。

 次に、耐震性のない建物で、万が一の時が心配です。

 次に、古い建物で空調や除湿などの設備がありません。

 ただ、文書を収納しているだけのスペースで、文書を大切に保管できる環境ではありません。

 今日、春日山庁舎の保管状況を視察して、改めて、文書館に新しい書庫が必要であることを痛感しました。

 文書館をはじめとする文化・教育施設に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

山口県文書館を視察しました。

 今日は、山口県文書館を視察しました。

 文書館は、昭和34年4月に日本で初めての公立文書館として発足しました。

 設立した背景の第一は、昭和27年に旧萩藩主毛利家から藩政に関する「毛利家文庫」約5万点の史料が県に寄託されたことがあります。

 昭和48年には、県立図書館と併設する形で、現在の場所に、文書館が新築移転しました。

 現時点で、50万点強の文書・記録類を保存・保管し、閲覧に供しています。

 資料は主に、①藩政文書、②行政文書、③行政資料、④諸家文書、⑤特設文庫に分類されています。

 収蔵文書の閲覧は、昨年度24071件となっています。

 その他、専門研究員による研究の成果を紀要にして発表したり、普及・啓発行事を集中的に開催するなどしています。

 私も一部参加しましたが、今年6月には、「山口県災害記」という行事が行われました。関連行事全体で1105名を超える参加者がありました。

 その他古文書講座(初心者・中級者・上級者・教員対象)が行われ、定員を超える応募があり賑わっています。

 次に書庫内を視察しました。

 地下1階には、主に古文書が、地下2階には、主に行政文書が保管されていましたが、これ以上収納できないという状況でした。

文書館の書庫には所せましと資料が収納されていました

 担当者の方は、40年前に建設された書庫なので、除湿機能が不十分であることと、地下の書庫ということで、浸水被害が心配だと話をされました。

 この他、図書館内の旧視聴覚センター内に、稠密書架が設置されたり、春日山庁舎に、約2万点の資料が保管されています。

 今後とも、行政文書や行政資料、諸家文書は増えていきます。春日山庁舎は、戦前の建物で、老朽化が著しい状況です。

 私は、新しい書庫を確保することは喫緊の課題だと感じたし、近い将来に、山口県文書館の移転新築を行うべきだと感じました。

 近代文書館のパイオニアである山口県文書館を山口県のかけがえのない財産として守り育てていきたいと思いました。

 山口県文書館を始めとする文化教育施設について皆さんのご意見をお待ちしています。