私は、2013年2月県議会で、ニホンザルの管理計画を設けるよう求め、当時の環境生活部長が「検討課題」と答えました。
そして、2014年11月に公表された「第11次鳥獣保護管理事業計画(骨子案)」に「ニホンザルによる農作物被害が急激に増加していることから、第二種特定鳥獣管理計画の策定を検討する」ことが明記されました。
2015年11月県議会で、私は、ニホンザルの管理計画をいつ策定するのかと質問し、半田環境生活部長は「詳細な生息状況調査や専門家等への意見聴取を行った後、来年度末を目途に策定したい」と答えました。
そして、この程、「第二種特定鳥獣(ニホンザル)管理計画(骨子案)」が公表され、パブリックコメントが行われています。
ニホンザルの管理計画は、県ホームページトップページのパブリックコメントのバナーをクリックしていただけると一番上に掲載されています。
この文書は、県庁情報公開コーナーや各地方県民相談室及び山口県税事務所防府分室、各農林事務所、県庁環境生活部自然保護課でも閲覧できます。
パブリックコメントの募集期間は、今月5日(金)必着となっています。
意見の提出先は、山口県環境生活部自然保護課 自然・野生生物保護班までとなっています。
詳しくは、県ホームページを見ていただくか、自然保護課083-933-3050
山口県の農業生産物へのニホンザルの被害額は全国トップクラスです。
私が議会で追及した結果、中国四国地方で初めてのニホンザル管理計画が策定されようとしています。
県民の意見が反映されたよりよい計画になるよう、一人でも多くのご意見をパブリックコメントとしてお寄せいただきますようお願いいたします。
ニホンザルの被害が私のふるさと、宇部市北部で大きく広がっています。県内の山間部でも同様の状況です。
ニホンザルを始め、鳥獣被害に対する皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
中路啓太さんの近著「ロンドン狂瀾」を読んでいます。
中路さんの作品は、戦国時代を中心にしたものが多かったのですが、初めての昭和史を扱った作品です。
単行本で570ページに及ぶ大作です。
1930年に行われたロンドン海軍軍縮会議に臨む若槻礼次郎全権団長と雑賀潤外務省情報部長の姿が活写された作品です。
列強に負けるなと正義をかざす軍部との軋轢の中で、雑賀部長は、日本をどのように守るのか、今、80ページ当たりを読んでいるところですが、ページをめくる手が止まりません。
「外交は武器を使わない戦争だ」
「『正義は我らにあったが、国は滅んだ』では元も子もないだろう」
この作品でも中路さんの熱い言葉が散りばめられています。
精密で熱い中路さんの作品に今回も魅了されながら読み進めています。
戦争法が成立した日本という今の時代だからこそ、戦前の昭和史を学び直す時だと思います。
この本は、昭和史を学ぶ良書です。
さあ、若槻氏が全県団長を受ける下りを読み進めましょう。
読書は人生を豊かにしてくれます。
昨日、長生炭坑水没事故74周年犠牲者追悼集会が宇部市内で行われました。
主催は、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(以下刻む会)です。
私は、刻む会の運営委員として初めて迎える追悼集会となり、集会の運営スタッフを務めました。
第一部の追悼式は、11時から水没事故現場付近に設置されている追悼ひろばで行われました。
今年の集会には、韓国仏教宗団協議会から約60人の僧侶が来られました。
韓国仏教宗団協議会会長であり、大韓仏教曹渓宗の慈総務院長は、「御霊よ! あなた方の子孫として韓国仏教代表団は、傷ついた名誉を回復し、歴史の真実を伝えるために、そして、深い傷を完全に治すために、さらに邁進します。個人の犠牲が人類の教訓として残り(伝えられ)、二度とこのような悲劇が繰り返されないように、全ての生き物が安穏で平和な生活を享受できますように、宗教者としての責務を果たしてまいります。」と挨拶しました。
韓国仏教宗団協議会の慈会長による追慕の辞
韓国仏教宗団協議会の僧侶は、薦度祭を行いました。薦度祭の中では、二人の僧侶の舞儀式も披露されました。
韓国仏教宗団協議会の僧侶2人による舞儀式
僧侶を含め、約170名が、犠牲者の冥福を祈りました。
二部では、強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会共同代表(以下遺骨奉還委員会)で浄土真宗本願寺派一乗寺の殿平善彦住職を講師とする講演会が行われました。
遺骨奉還について報告する殿平委員会共同代表
強制労働の犠牲者になった、韓国出身者の遺骨115体を韓国に奉還する取り組みが、昨年9月北海道を出発しました。
殿平さんは、遺骨奉還委員会の共同代表として、韓国までの3500キロの道のりを詳細に話されました。
北海道を出発した遺骨は、東京、大阪、広島を経由して、下関市の光明寺での追悼会を経て、関釜フェリーで釜山港に到着しました。
9月19日、ソウル市庁前広場で行われた葬儀には、約1000人の参拝者が集いました。
カトリック、プロテスタント、円仏教、韓国仏教、日本仏教による追悼が行われ、ソウル市長が挨拶を行いました。
115体の遺骨は、玻州市ソウル市立墓地に納骨されました。
殿平さんは「私たちは政府や企業に代わって遺骨を届けたのではない。政府や企業は、むしろこの度の遺骨奉還を契機にして改めて自らの責任を自覚していただきたい。政府や企業には法的な責任が発生する。政府企業の責任ある対応なしに遺骨問題の根本的な解決はあり得ない。」と述べました。
殿平さんは、「遺骨奉還を人が人を殺す社会から命を尊ぶ社会に転換していく契機としたい。この集会にも加害・被害両方の立場からの参加があるが、一同に介して話し合う意義は大きい。」と語りました。
私も浄土真宗本願寺派の門徒の一人として、殿平さんから「兵戈無用」の仏教の精神を深く学ぶことが出来ました。
私は、その後に行われた韓国の遺族の皆さんとの懇親会に参加し、遺族の皆さんとの交流を深めました。
先の敗戦から71年を迎え、水没事故から74周年が経過しました。
しかし、遺骨は海の中に遺されたままです。
遺骨を回収し、ご遺族にお返しするという大きな任務が、刻む会にあることがよくわかりました。
政府などの責任を問いながら、粘り強くこれからも運動を継続させていきたいと思いました。
「遺骨を遺族に返還する」という大きなライフワークをいただきました。
昨日は、私の人生の一つの転機となる一日でした。
まずは、74年前の悲劇を多くの方々に知っていただきたいと思います。
現地を見学したい方は私まで申し出ていただければ幸いです。
日本共産党宇部市議団と私は、昨年2月、JR西日本広島支社に出向いて、宇部市内の様々な要望を伝えました。
その中に、JR宇部駅の合併浄化槽を撤去し、駐輪場にしてほしいというものがありました。
JR担当者は「合併処理浄化槽撤去に向けて現在宇部市と協議をしている。来年度中には、撤去できるようにしたい。撤去後は、駐輪場用地として協力したい」と回答しました。
JR宇部駅は公共下水道が敷設され、合併浄化槽が不要となり、撤去し、駐輪場にしてほしいとの要望が地元から出されていました。
この程、宇部駅周辺に、「宇部駅浄化槽外不用建物撤去」工事を今月25日から来月18日まで行うという看板が設置されました。
私たちの要望を受けて、JR宇部駅の合併処理浄化槽の撤去工事が行われることになりました。
撤去工事が行われるJR宇部駅の合併浄化槽
撤去後は、駐輪場として整備されるように、引き続き要望してまいります。
JRに関する要望についても藤本までお寄せ下さい。
甘利昭経済再生担当大臣や秘書が千葉県の建設会社側から1200万円の許与を受けたとされる疑惑で、甘利氏は昨日、内閣府で会見し、自ら現金を受け取ったことを認めた上で、閣僚を辞任すると発表しました。
しかし、口利きは否定するなど疑惑は深まっており、さらなる真相解明と安倍首相の任命責任が問われます。
今朝のしんぶん赤旗日刊紙には、税理士で立正大学法学部客員教授の浦野広明さんがこの問題でコメントしています。
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甘利氏は記者会見で建設会社の総務担当者らと面会し、現金50万円を2回にわたって直接受け取ったことは認めました。そのうえで、一般的な政治資金であり、口利きの依頼や見返りではないと弁明しました。しかし、こうした場合、カネを渡した側がどのように認識していたかが重要です。甘利氏の弁明は言い逃れであり、賄賂性への疑いは晴れません。
秘書が受け取った500万円のうち、300万円については返そうとしたが返せず、使ってしまったと言う説明は、なんとかつじつまの合う筋書きを考えたのでしょうが、にわかに信じがたい印象です。
受け取ったカネを全部返還するともいっていますが、借金ではない以上、いったん受け取った不明朗なカネを返したからといって免罪されるものではありません。泥棒したカネを返しても罪は消えないのと同じです。
閣僚辞任は当然ですが、辞任で幕引きは許されません。安倍首相の任命責任はより重くなったというべきです。
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甘利大臣が辞任しました。皆さんは、この問題をどのようにお考えですか。お教え下さい。
中路啓太さんの「うつけの采配」を引き続き読んでいます。
この本は、戦国時代から徳川幕府が出来る辺りの毛利家の様子がよくわかる歴史小説です。
とりわけ岩国藩を治めることになった吉川氏の経緯がよくわかります。
毛利輝元を藩徳川勢の総大将として天下を取ろうとする安国寺恵瓊。
「毛利は決して天下を争ってはならない」との毛利元就や小早川隆景らの遺言を守り、毛利と徳川との全面対決を阻止しようとする吉川広家。
天下分け目の関ケ原に突入していきます。
歴史に「もし」はありません。
吉川広家という人物がいなかったら、長州を、毛利氏が治めることにはならなかったのかも知れません。
吉川家が岩国を治めることにならなかったかも知れません。
毛利家そのものがどうなっていたのか分かりません。
広家を支え続けた伊知介が、「お家が滅びようが、知ったことではない」と言い出す広家を叱咤します。
「この世のどこを探そうと、力不足でない者などござりましょうや。『俺には何もかも揃っておる』などと申す者に、この伊知介は行き合うたことはありませぬぞ。」
「力不足などというのは、卑怯者の言い訳に過ぎまぬわい」
当時、殿に対して部下がこのような叱咤ができたかどうか分かりませんが、この下りなどは歴史小説を読む醍醐味を感じました。
歴史小説を自分にあてはめて読み、いろいろな事を教えてくれます。
やみくもに聖戦を叫び、多くの人民の命を奪うことになるのか、人民を守る道を選ぶのか。
毛利広家の選択は、今日を生きる私たちにも多くのことを教えてくれます。
歴史を分かり易く、面白い物語として私に伝えてくれる中路啓太さんの筆致に感服しています。
中路さんすばらしい物語をありがとうございます。
読書は人生を豊かにしてくれるものですね。