11日・18日合併号のしんぶん赤旗日曜版は、長生炭鉱水没事故犠牲者の遺骨収集の取組を次のように報じました。
「『アボジ(父)は日本の戦争の犠牲者だ』。7月、韓国から来日した遺族が語りました。海底炭鉱にいまなお眠る父親らの遺骨返還を切望します。戦時中の水没事故で183人が犠牲になった長生炭鉱(山口県宇部市)。戦後79年の今夏、遺骨を故郷に帰そうと日韓市民の連帯が始まりました。水没事故から82年。犠牲になった朝鮮人136人と日本人47人の遺骨は、いまだ海の底に放置されたままです。遺骨を発掘するには、炭鉱の地上の入り口=坑口を開ける必要があります。埋められた坑口を開けようと、スタート集会が宇部市床波の長生炭鉱追悼ひろばで開かれました(7月15日)。韓国から来日した遺族や高校生ら約60人を含め170人超が結集しました。井上洋子『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』(1991年結成)共同代表(74)は、参加者に呼びかけました。『日韓市民の連帯の力で坑口を開けようではありませんか』参加者は『そうだ!』と力強く呼応。犠牲者の尊厳回復に力を合わせます。集会後、坑口があるとされる場所の掃除も行いました。こうしたとりくみに『励まされた』と話すのは朴正一(パク・ジョンイル)さん(82)です。生後1カ月だった42年2月3日、父親の朴猛文(パク・メンムン)さんを水没事故で亡くしました。当時22歳だった父は、朝鮮で農作業中に突然連行されたといいます。事故2カ月前の41年12月、日本はアジア太平洋戦争に突入しました。エネルギー源の石炭増産が、国策として推し進められました。朴さんは『日本は自国が勝つために多くの朝鮮人を動員した。アボジ(父)は戦争の犠牲者だ』と話します。刻む会は93年から遺族を招いて追悼集会を開いてきました。朴さんはその年の集会に参列。海面に突き出る巨大なピーヤ(排気・排水筒)を初めて見て大きなショックを受けました。『アボジが亡くなったんだと実感した。この下にアボジがいるんだ、と』朴さんはこのとき、宇部市役所や韓国総領事館を訪問しました。しかし職員の否定的対応に失望。以後、参列をやめました。今年2月、余生を考え『父が生きた記憶をとどめておきたい』と31年ぶりに追悼集会に参列しました。改めてピーヤを見て『胸の痛みが増してくる』と語っていました。7日の来日は今年2度目となりました。高齢で持病がある朴さんにとって、渡航は『すごく難しい』こと。それでも高齢の遺族に代わり活動する日韓市民の姿に『感極まった。大満足で帰ります』と笑顔を見せました。前出の刻む会代表の井上さんは『直系のご遺族はお父さんを亡くされて本当に苦労された。そのみなさんが生きているうちに、なんとか発掘したい』と語ります。井上さんは、朴さんのつらく悲しい思いに心を寄せていいました。『朴さんがつらさを乗り越えていけるよう、私たちが朴さんを包んでいけたらいい』坑口のおおよその位置は刻む会の調査でわかっています。日本政府は『遺骨は海底にあり発掘は困難』とのべ、現地視察すらしていません。刻む会は遺族に残された時間はないとし、10月にもこう口を掘り起こす計画です。そのための工事費用など800万円をクラウドファンディングで集めています。動き出した活動に朴さんは大きな期待を寄せます。帰国前の記者会見(7月16日)でのべました。『坑口を開けて遺骨を発掘することは、遺族の当然の願いであり、喜びです』井上さんは『遺骨発掘に向けた世論をつくり、日韓両政府を動かしたい』と力を込めます。菅政権は2021年4月、戦時中の朝鮮人強制連行・強制労働について、その表現は『適切ではない』と閣議決定しました。歴史をわい曲・否定しました。『宇部市史通史編・下巻』(1993年発行)はこう記します。『(政府は39年)募集という名目の強制連行を開始した』『朝鮮人は・・・戦争遂行に欠かせない人的資源』日本は37年の日中戦争以後、兵力の動員で国内の労働力不足が深刻化しました。その不足を補うため、朝鮮人の日本『移入』を閣議決定しました。(39年)同史は長生炭鉱について『特に坑道が浅く、危険な海底炭鉱として知られ、日本人鉱夫から恐れられたため朝鮮人鉱夫が投入されることになった模様』『当時(朝鮮炭鉱)と蔑称された』と特記します。市内の炭鉱で起きた朝鮮人の労働争議をとりあげ、『戦時下の石炭増産対策と、非情な朝鮮人強制労働は密接・不可分の関係』だったと指摘します。長生炭鉱水没事故の犠牲者、金元達(キム・ウォンダル)さんが事故前、『必ず脱出する』と母に送った手紙には、強制連行の実態がつづられています。『囲いの中にある宿舎は、まるで捕虜収容所のようなところです。・・・体の具合が悪いからと言って、その日の仕事を拒否でもすると、動物以下の扱いを受け、暴力を振るわれ、食事もろくに貰えず、空腹で過ごす日々が多くあります』(刻む会証言・資料集3、2017年発行)遺骨返還や日本軍『慰安婦』問題に長年とりくんできた韓国の崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士は、歴史を否定する日本政府を批判します。『日韓両国が戦争被害者の人権を尊重することから平和は始まる。歴史を否定することは被害者の人権を無視する行為です』」
先日、紹介した映画「骨を掘る男」のパンフレットで、新城郁夫琉球大学教授が「死(者)は、誰かにみとられ、悼まれなければ、死(者)とはならないのではないか。」と述べています。
記事の中で、宇部市史通史編が指摘するように「朝鮮人は、戦争遂行に欠かせない人的資源」として朝鮮半島から「強制連行」されたのです。
長生炭鉱水没事故の被害者は、戦争による犠牲者です。朝鮮人の方の遺骨も、日本人の方の遺骨も、日本政府の責任で収集すべきです。
沖縄戦犠牲者の遺骨を収集する具志堅隆松さんなどの努力により、政府は、2016年「戦没者の遺骨収集の促進に関する法律」が制定され、未だに収集されていない遺骨収集に集中的に取り組むことが決められました。
私は、この夏、酒井聡平著「硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ」を読みました。
厚生労働省は、硫黄島の遺骨収集の概ね年4回行っています。
兵士ではないから、朝鮮半島出身者だから、遺骨は収集しないということにはならないと思います。
記事にあるように、日韓の市民が連帯して、この秋、長生炭鉱の坑口を掘削するために、クラウドファンデングを立ち上げるなどの努力が始まっています。
私は、長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の運営委員の一人として、遺骨が遺族に戻され、犠牲者、悼まれる状況になるよう、賛同する日韓の市民の皆さんと一緒に運動に取り組んでいきたいと思います。
今日は、今から、刻む会の運営委員会に参加します。
長生炭鉱の坑口を開ける運動に関心のある皆さん、藤本にお声がけください。
奥間勝也監督の映画「骨を掘る男」を観ました。
この映画は、沖縄戦の戦没者の遺骨収集を40年続けてきた具志堅隆松さんの姿を追うドキュメンタリーです。
映画批評の三浦哲哉さんは、映画のパンフレットに「奥間監督は次のように自問する『会ったことがない者の死を悼むことができるのか』。」「この問いへ回答を与えるため取材調査が一直線に進むのではなく、開かれた複数のアプローチへと分岐していく」と述べ、アプローチは次の4つだとしています。
第一に、血縁を辿っていくアプローチ。奥間監督の大叔母である國吉正子さんも沖縄戦の戦没者です。奥間監督は、正子さんを辿っていきます。
第二に、沖縄戦の映像アーカイブへの沈潜。専修大学教員の森啓補さんは、この辺りを映画のパンフレットに次のように語っています。
森さんは沖縄戦に関する現存する歴史資料の多くが、米軍により記録された資料群であることに対して、「具志堅さんの実践は、死者の側から、沖縄戦を捉えるための資料発掘実践として位置づけられる」と述べています。
第三に、「遺骨土砂問題」の提示。この辺りを奥間監督は、映画のパンフレットに次のように書いています。
「正直、『またか・・・』と思った。沖縄で暮らす、あるいは沖縄を表現するということは、米軍基地をはじめとするポリティカルイシューが好むとも好まずとも否応なしに入り込むということだ」
その上で、奥間監督は「結果的には具志堅さんの抗議活動を撮影したことは、多くの人が同じ目的のたけに集まり行動するという点において、後の平和の礎を読み上げる行為と共振した」と述べています。
第四に、平和祈念公園に立ち並ぶ「平和の礎」に刻まれた戦没者24万人の名前を呼ぶプロジェクト。
三浦さんは、その上で遺骨や映像について次のように述べています。
「遺骨や映像は、死者を想うための物質的な手がかりであり、それなしには想うことが可能にならない、きわめて重要な依代であることが、そのとき理解された」
戦争を体験した私の父母の世代が90代前後になった今、奥間監督の「会ったことがない者の死を悼むことができるか」の問いは、私たち世代以降に突き付けられた命題でもあると思います。
そして、具志堅さんが最後に語るメッセージ「戦没者に対する最大の慰霊は、二度と戦争を起こさせないことだと思っています」を私たちが引き継いでいかなければならないと思います。
なぜ戦争してはいけないのかを考える上で、沖縄、広島、長崎で、どのような悲劇があったのかを、学ぶ必要があります。
学ぶ教材の一つが、私は、映画「骨を掘る男」だと思います。
具志堅さんの遺骨を掘る姿と4つのアプローチの広がり、どのアプローチも必見です。
79回目の終戦祈念日を迎え、一人でも多くの皆さんに奥間勝也監督の映画「骨を掘る男」を観ていただきたいと思います。私の今年の夏休み最大のご褒美となりました。
今日は、79回目の終戦記念日です。
私は、みふじ美智子衆院山口1区予定候補と一緒にフジグランうべ前で街頭宣伝を行いました。
終戦記念日にみふじ衆院山口1区予定候補と一緒に街頭宣伝を行いました。
私が、訴えた趣旨は次の通りです。
・・・
県議会議員の藤本かずのりです。日本がアジア・太平洋戦争に敗北した1945年8月15日からきょうで79年です。戦争がもたらした無数の悲劇を見つめ直し、平和への方策を考える日にしましょう。
私の祖母の妹、石川みちえは、満州で終戦を迎えしました。彼女は、身ごもっていました。終戦の年に帰国できず、極寒の満州で出産します。産後の肥立ちが悪く、生まれた女の子は、命を落とします。
みちえは、小さな亡骸を極寒の満州の土に埋めようとしますが、凍土は硬く亡骸を埋めることができなかったことを戦後も悔やんでいました。彼女は、短歌を趣味としていました。生前の句にこのようなものがあります。
おくり火に亡き夫偲び大陸へ埋きし吾子の齢数ふ
私は、昨日、奥間勝也監督の映画「骨を掘る男」を観ました。沖縄戦戦没者を追悼するために建立された「平和の礎」に刻銘されている方は24万人で、沖縄県民が14万人です。映画は、沖縄戦戦没者の遺骨を40年掘り続けている具志堅隆松さんの姿を追います。
具志堅さんが映画の最後にこう言います。「戦没者に対する最大の慰霊は、二度と戦争を起こさせないことです。」
岸田政権が昨日、政権を投げ出す決意を明らかにしました。岸田さんは、政権を投げ出す前に、憲法に自衛隊を明記する9条の明文改憲を打ち出し、次期政権に引きつかせようとしています。一片の閣議決定で、憲法解釈を変え、米軍に従って自衛隊が海外で戦争する道を開き、9条を空洞化させてきました。ついに9条の制限を正面突破し、堂々と戦争できる国にすることは許されません。
いま、政治が行うべきは、戦争の準備ではなく平和の準備です。日本共産党は、外交による安全保障に徹する立場から東アジア平和構想を提案しています。総選挙で、自民党政治を終わらせましょう。
8月11日付、中国新聞は、書評で細田昌志著「力道山未亡人」を取り上げました。解説は、プロレス評論家の小佐野景浩さんです。
「今年はプロレスがNHKと日本テレビの2局で初めてテレビ放映されて70年、力道山生誕100年(さまざまな説があるが本書によると1924年生まれ)に当たる。今や力道山と接したことがある人間はほとんどいない。力道山門下生の選手は、82歳になった今も現役のグレート小鹿だけになってしまった。そうした中で、日本航空の客室乗務員から21歳で妻になった敬子氏が語る、夫として、プロレスラーとしての力道山の姿は貴重である。結婚からわずか半年後に『未亡人』となり、日本プロレスなど5つの会社を引き継いで約8億円の借金を背負った人生は実にドラマチックだ。だが、本書は敬子氏の半生を描くだけでなく、日本のプロレス史の表と裏をたどりながら激動の昭和史の実像にも迫っている。プロレスという未知のスポーツエンターテイメントを戦後復興のシンボルに仕立て上げた力道山。ビジネスマンの才覚を発揮する一方、政財界や裏社会との関係も深かった。たてえば、当時の自民党副総裁の大野伴睦は日本プロレスコミッショナーとして、興行を担う各地のやくざににらみを利かせた。プロレスと裏社会のつながりは避けて通れない歴史なのだ。プロレスの話題で注目したのは、力道山はなぜアントニオ猪木を付き人として手元に置き、ジャイアント馬場を早くから売り出したのかという点。『エリート』の馬場に対し、『雑草』とされる猪木だが、力道山は猪木を寵愛し、スターに育て上げようとしていたのだ。75年12月の『力道山十三回忌追善大試合』に際し、力道山が猪木を破門した件についてはさまざまな見解があるが、著者の丹念な取材に基づく推察も興味深い。その25年後、引退していた猪木は、敬子氏に力道山の追悼イベントへの出場を依頼される。戦いたい相手を問われ、ある女優の名前を挙げたエピソードは心が和んだ。」
私は、この夏の出張中に、「力道山未亡人」を一気に読みました。結婚後わずか半年で未亡人となり、約8億円の借金を背負った百田敬子さんは、22歳でした。波乱の人生を見事に本書は描きだしています。
プロレスの草創期に、自民党の大物政治家が深く関与していたことも興味深く読みました。
力道山の関連本として、私が今まで読んだ本の中でNO1は、増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」です。
「力道山未亡人」と「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で、力道山像とプロレス草創期を学びました。
10日付、しんぶん赤旗日刊紙は、気象庁が初めて発令された、南海トラフ「巨大地震注意」と原発について次のように報じました。
「8日に発生した日向灘を震源とする地震で、気象庁が初めて発表した南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)。対象地域には4原発7基(運転終了を除く)が立地していますが、原子力規制庁などは、臨時情報による運転停止を想定していません。専門家や地元住民から運転継続に懸念の声があがっています。地震発生時に運転中だったのは九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)2号機。同1号機と四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)3号機は的検査で停止中、4基は再稼働前です。気象庁の臨時情報には『巨大地震注意』のほか、より大きい地震が発生した場合の『巨大地震警戒』がありますが、規制庁は、いずれの場合も、原子力事業者に対して防災体制の確認などの注意喚起はするが、運転停止の指示などは想定していないといいます。九電と四電は『南海トラフ地震を考慮した耐震設計をしている』『設定値以上の揺れで運転を停止する』などと説明。臨時情報に対して特別な対応はとらないとしています。立石雅昭・新潟大学名誉教授(地質学)は、臨時情報が出たら運転中の原発は即時停止すべいきだと主張。とくに伊方原発については、南海トラフ巨大地震時の揺れの想定が県の防災計画と乖離しているのではないかと指摘し、『基準地震動を見直し、対策をとらない限り、そのまま停止させておくか廃炉にすべきだ」と話します。川内原発建設反対連絡協議会の鳥原良子会長は8日、地元自治体の議会との意見交換会で、原発事故の防災訓練や避難計画の問題点を指摘したばかりでした。いつ地震がおきてもおかしくないもとで20年の運転期間延長に反対してきた島原さん。『臨時情報が出た際に特別な対応をとらないのはおかしい』と話しました。」
南海トラフ地震の影響が及ぶエリアに上関町があります。このような場所に、上関原発も中間貯蔵施設も作るべきではありません。
この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。
昨日、山口県保険医協会定期総会があり、私は来賓として参加し、挨拶をさせていただきました。
写真は、記念講演会の様子です。講師は、全国保険医団体連合会会長の竹田智雄先生です。
山口県保険医総会と記念講演
私が、挨拶した要旨は以下の通りです。
・・・
山口県保険医協会第53回の定期総会にお招きいただきありがとうございます。宇部市選出・日本共産党県議会議員の藤本かずのりです。
私は、皆様方の活動で一番共感しているのが、子どもの医療費助成制度の拡充です。毎年、会報で、全県の状況が掲載されます。5月の会報には、県内全市町で、「義務教育終了」まで対象が拡大されたことが報じられています。
このような中、厚生労働省は、6月26日、国保「保険者努力支援制度市町村分について」という通知を出し、子どもの医療費で外来医療費を無償化せず自己負担を設けている保険者には、50点を、窓口での負担が必要な制度に、令和6年度に変更する自治体に20点を加点するというのです。
各保険者の評価採点表提出の締め切りは、8月2日となっています。私が、県医務保険課に照会したところ、萩市は未就学児を窓口負担なしとし、小学生以上を窓口負担ありにしていますが、50点獲得のためには、「年齢に関わらず」窓口負担をとっていることが要件となり、萩市は50点獲得できません。ですから、県内市町国保保険者で、50点獲得した自治体はなく、20点獲得のために、子どもの医療費窓口負担を取るように変更する事業者はなかったとのことです。
国は、400億円を全国の保険者に、点数×被保険者数により、按分する保険者努力支援制度に、子どもの医療費窓口負担を取ることに加点することは間違いです。
厚労省は、審議会に示した資料で、窓口負担がある保険者の自治体で受診抑制が起こる確率が高いことを示しています。
子どもの命と健康を保持するために、子どもの医療費窓口負担は取らず全ての自治体が現物支給となるようすべきです。また、県制度が窓口負担をなくし、対象年齢を中学まで広げるよう力を尽くします。
・・・
日本共産党県委員会は、8月22日・23日で政府交渉を行います。
この中で、子どもの医療費の窓口負担導入を推奨する「保険者努力支援制度」についても項目に上げています。
この問題に対する皆さんのご意見をお聞かせください。