議員日誌

来年度の全国学力・学習状況調査について

 本日、県教育委員会から来年度の全国学力・学習状況調査の状況について説明を受けました。

 新年度から全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が抽出方式になります。事業仕分けで話題にもなりましたが、政府の新年度予算案では、抽出率30%となったようです。

 抽出からもれた市町村は希望すればテストが配布されることに対して混乱が起きています。

 1月20日の読売新聞には、山口県は、抽出校以外の自主参加を全市町が希望していると報道されました。

 この時点での調査では、全市町が自主参加を表明しているのは、山口他4県という状況でした。

 問題は、自主参加の場合の採点・集計等の費用です。県教委は、今日の私への説明に対しても「費用を出す考えはない」と明確に答えました。

 私が聞いている範囲では、市町教委で、自主参加のテストの採点・集計等の費用を出そうとしているのは、宇部市だけと言われています。

 そうなるとどうなるかと言えば、教職員負担による自校採点となります。

 この点を確認をしたところ、「先日開催された『学校教育課長等会議』などの場で『先生方に新たな負担を強いることがないように』と市町教委担当者に口頭で徹底している」と答えました。

 県教委担当者は「市町教委の職員が対応する方法もあるし、場合によっては、県教委職員が一部業務支援をする構えもある」とも答えました。

 私もPTA会長として学校に度々訪れていますが、先生方の多忙化は深刻です。先日、宇部市PTA連合会から市教委への要望にも指摘されてありました。

 ならば、市や県教委の職員が時間を割いて採点するのか。

 私は、そこまでして、全国学力テストに自主参加する必要があるのか甚だ疑問です。

 私は、11月県議会で、「希望利用方式」として、自治体負担を大きい時には、導入しないことも検討すべきと教育長に質問しました。

 教育長は、「市町教委と協議しながら、適切に対応してまいる」との答弁でした。

 自主参加の全国学力テストは、国として学校にテストを配布するまでしか財政的に負担をしないことが明らかになりました。

 このまま実施すれば、学校または、教育委員会職員の負担増になることが明らかになった訳ですから、今からでも自主参加方式は中止すべきと思います。

 現場での混乱は必至です。県民の皆さんは、それでも全ての学校で学力テストを実施すべきとお考えでしょうか。ご意見をお聞かせください。

 

第78回山口県党会議

 本日、第78回県党会議が行われました。県委員長は、新しく佐藤さんが選ばれました。

 私は、引き続き、県常任委員に選出されました。

 大会には、仁比参議院議員が冒頭出席しました。

 仁比氏は、今月4日の参議院決算委員会の様子を報告しました。

 「もうお金もない。もう生きられへんのやで」

 「そうか。あかんか。おまえと一緒やで」

 86歳の認知症の母親と、介護のために退職した50代の息子が心中を図るための言葉を仁比氏は声を詰まらせながら報告しました。

 京都地裁はこの事件について「裁かれているのは日本の介護制度や生活保護行政だ」と指摘しました。

 家族介護で離職する人や、介護を苦にした殺人・心中が2000年の介護保険制度発足後増加していることを仁比氏は国会で指摘しました。

 仁比氏は、介護保険の応益負担が高齢者の命を奪う状況にあることを委員会で明らかにしました。

 答弁に立った鳩山首相は、「応益負担」堅持の姿勢を崩しません。

 社会保障を軽視して福祉は買う物と考えた「構造改革」と変わらず、国民の生存権を保障する憲法25条と相いれません。

 私は、仁比氏の発言に励まされ、山口県で憲法25条を守るたたかいに奮闘しようと決意を新たにしました。

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   国会質問の様子を報告する仁比参議院議員

伊坂幸太郎×斎藤和義

 映画「ゴールドスランバー」でタッグを組んだ伊坂幸太郎さん(原作)と斎藤和義さん(音楽)の共著「絆のはなし」を読みました。

 伊坂さんは、会社勤めをしながら小説を書いていた時、斎藤さんの「幸福な朝食 退屈な夕食」という曲を聴いて、小説に専念する決心をしたと書いています。

 そして、小説家になった伊坂さんは、斎藤さんのために「アイネクライネ」という短編を書きました。斎藤さんは、この短編を元に「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」という曲を作りました。

 伊坂さんは、私より7歳年下。斎藤さんは私より2歳年下です。二人とも同世代のアーティストとして今後とも注目していきたと思います。

 斎藤さんとは、「ゴールデンスレンバー」からの縁ですが、同世代の歌手として共感するところ大です。

 そういうことで、今、車の中で、斎藤さんの最新アルバム「月が昇れば」を聴いています。

 斎藤さんの詞がいいですね。全ていいけれど、例えば、「ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー」がいい。

 「ぜんぜんたいした事じゃない ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー ましてや死ぬようなことじゃない 命取られるわけじゃない 真っ赤なハートは奪えない」

 曲もとてもかっこいいです。私は、高校時代文化際向けバンドをしていた経験しかありませんが、斎藤ロックはかっこいいです。

 45歳にして聞くべきアーティストに出会った感じです。

 音楽では斎藤和義さんを、作家では、伊坂幸太郎さんに今年はじっくり接していこうと思います。

 二人の作品には、時代へのメッセージが明確にあるところに惹かれますね。

映画「おとうと」

 山田洋次監督の映画「おとうと」を観ました。

 この映画を観て、最近、よく聴いている斎藤和義の「ジレンマ」という歌詞を思い出しました。

 「誰かと自分をくらべっこして 結局最後は虚しくなった 分かっちゃいるのに今日も よせばいいのに今日も」

 私自身も人と比較して虚しくなることがたまにあります。

 また、子どもが4人おりますが、「この子は出来て、この子は出来ない」と子どもを比較することがよくあります。

 比較するのは良くないと思いながら、数日たつとまた、比較している自分が居ます。

 映画は、おとうとに散々、悩まされた姉が最後は弟を許す物語です。

 社会通念では許されない弟の日常です。それを許す行為は、崇高です。許す行為の先に、真の自由や平等があるのだとも思わされました。

 この映画を観て、自分の未熟さを痛感させられました。少しでも自由に考え、人々を平等に見ることが出来る人間でありたいと考えさせられました。

 このように、日常から離れて、自分や社会を見つめ直す機会を作ってくれることも映画のすばらしさでもあると思います。

 今日は、山田監督に感謝する一日です。

 それにしても弟を演じた鶴瓶の演技は、圧巻で、他に代わる俳優が今はいないのではないかと思わされるものでした。

 そして、映画に出てくるドヤ街のホスピスに興味を抱きました。

 映画では、大阪にある「みどりのいえ」という設定でしたが、モデルは、東京にある(山谷)「きぼうのいえ」だそうです。

 ホームレスや日雇い労働者の方々の最期の看取りをしている施設が実際にあることをこの映画で知りました。

 私は、大学3年生の年末年始を大阪の釜ケ崎で過ごしました。ホームレスや日雇い労働者の方々が集まる通称「三角公園」と呼ばれる場所で正月を迎えました。

 公園にはステージがあってカラオケ大会も行われていました。私は飛び込みで参加して「兄弟船」だったか何かの演歌を歌ったことを思い出します。

 カウンターだけの居酒屋で、「自分は、朝鮮戦争で亡くなった人たちの遺体を処理する仕事をしていた」とか「原発の原子炉を作る仕事をしていた」とか話してくれる日雇い労働者の方々とお話したことを昨日のように思い出します。

 今日の不況で、日雇い労働者の方々の生活は大変な状況であることは安易に想像がつきます。それを支える仕事をされている方々に敬意を表します。

 ぜひ、ホスピスを見学してみたいと思いました。公的な援助も当然必要だと思いました。

 このような事実を知ったことに対しても、山田監督に感謝する一日です。

時実新子さんと私

 私は、「現代川柳」の創立会員です。「現代川柳」誌から「新子句とわたし」という題で執筆を依頼されました。

 以下内容をお伝えします。

 ・・・

 2004年6月6日、私は、第11回川柳大学全国大会に参加のために、神戸に向かっていました。時実新子学長(当時)は、この年、文業50年。学長の出身地、岡山市吉備路文学館で「新子その愛」と題する展覧会が行われていたのでした。私は、全国大会が始まる前の午前中に、吉備路文学館を訪れました。先生の句が並ぶ一角に、来館者の句を募集するコーナーがありました。私は、数句投句して、全国大会参加のために移動しました。
 全国大会の中で、文学館に投句した作品の表彰式がありました。私の句が入選しました。賞品は、文学館で展示された学長の句のパネルでした。そのパネルが今でも私の座右に置かれています。「今ぞ今 死は生きること 生きて死ぬこと」
 第11回全国大会から6年、学長没後2年。私は、この句に励まされて今まで元気で生きてきました。入選の順に機械的にパネルが贈呈されたので、学長から特別にこの句を送られたのではありませんが、他の句ではなくこの句が私の元にあることを今でも幸せに思います。この句に励まされて今日も生きていることを実感しています。
 私は、2002年に時実新子主宰「川柳大学」の会員になりました。その前の2001年7月から学長の個人ゼミの生徒となりました。以来、先生が体調を崩される07年2月まで、毎月、10句を学長に添削していただきました。学長からの朱の文字が今でも私の財産になっています。
 私は、2002年に自選100句の小さな句集を上梓しましたが、その時、学長からメッセージをいただきました。「藤本一規はどんな顔をして、この世のどんな場所にいるのかと思うことがある。思っているとぬくい風に包まれる。もしかすると私が生んだ末息子かもしれない。微笑がわいてくる。一度だけ聞いた。『イッキさん?』、いきなりイッキと呼ばれ少しとまどったが、『はい、イッキです』と答えた。その瞬間まで彼は『イッキ』ではなかったはずだ。カズノリとかカズキとかだったであろうに、ごちゃごちゃ言わぬところが気に入った。縁はたちまちにして結ばれ、彼は私の末息子になった。三十何歳かで山口県の県議をしているらしいが、そんなことはどうでもよろしい。川柳以外に用はない。」「一規さんは時実新子をどこかで知って川柳に入り、めぐりめぐって私の主宰する『川柳大学』にとびこみ、一気(イッキ)に新子を川柳の師に定めたというのだ。困ったな。いや困らない。こんなうれしいことはない。これらか困るのは一規のほうだろう。末っ子だから親との縁は短いよ。親は子をしごくよ。スモウ部屋だよ。それでもいいなら引きとろう。」
 学長のこの言葉は、私の宝物になっています。学長没後、私は作句意欲を大きく減退させて今日に至っています。学長の「困るのは一規のほうだろう」の通りの自分になっています。
 先日、田辺聖子の人生あまから川柳」を読みました。田辺さんは、川柳をこう絶賛しています。 「川柳のよさを、言挙げして下さい、といわれたら、私は、〈川柳あって、世は生きやすし〉といいたい」「さまざまな川柳を知り、親しむことで見晴らしよくなり、人生を渡りやすい、生きやすい、笑いやすい。神々の贈り物とでもいうべき、笑いとゆとりが生れ、人生の哄笑を誘う。それは人間賛歌の笑いである。私は佳き川柳に、人生でめぐりあえて、よかった、と思う」 田辺さんの励ましに答えて、作り手として精進したいと思いました。
 


 

県職員の駐車場有料化の動き

 山口県の職員の駐車場を有料化する動きがあることが明らかになりました。

 まず、県管財課が知事部局職員の駐車場を有料化するために、昨年10月下旬に労働組合に次の4点を提示しました。

 ①県有地等を専有している駐車場の有料化を実施したい

 ②対象は、県有地内の職員駐車場としたい

 ③使用料は、月額2000円としたい

 ④実施時期は平成22年4月1日からとしたい

 教育関係職員に対しては、今年1月15日に、知事部局職員に提示した内容とほぼ同じ内容の4点を県教育政策課が労働組合に提示しました。

 ちなみに、教育関係職員の駐車場を有料化しているのは、鳥取と高知県で、検討中が、福島・和歌山・岡山・福岡・佐賀・山口であると担当者は説明しました。

 昨日は、100億円の2階建ての橋を見学しました。行き過ぎた公共事業等を乱発して出来た借金のつけを県職員にこのような形で押しつけるのはいかがなものでしょうか。

 事業を見直す順番が違うのではないかと思います。

 県民の皆さんは、県有地内の県職員駐車場の有料化をどのようにお考えでしょうか。お教えください。