大阪北部地震で女子児童が犠牲なるなどで危険なブロック塀の撤去が問題になる中、日本共産党の倉林明子参議院議員が7月3日、参議院厚生労働委員会で、児童福祉施設や保育所のブロック塀の解体・撤去について公費助成があるのか質しました。
加藤厚生労働大臣は、「今回の事故を受けて、各都道府県等に対して、各社会福祉施設等におけるブロック塀を含む耐震対策及び安全点検の状況を確認するとともに、その結果を踏まえて必要な安全対策を行うよう、これは周知を既にさせていただいたところでございます。ブロック塀の解体撤去ということでありますけれども、安全点検を行った結果、そのブロック塀の修繕を行う場合は、児童福祉施設等については次世代育成支援対策施設整備交付金、保育所については保育所等整備交付金が活用できるということでありますが、ご指摘の介護施設とか障害者施設については具体的にそういう仕組みがございませんので、我々としても実態をよく把握し、安全対策という観点からどういう対応ができるのか検討していきたいと考えています。」と答えました。
安全点検した結果、危険があうと分かったブロック塀を撤去し、新しい塀等を作る場合、児童福祉施設や保育所については国の補助金が活用できることが倉林議員の質問で明らかになりました。
関係者の皆さん、この制度をご活用いただければと思います。
詳しくは、各行政機関にお問い合わせください。
地震や水害が相次いでいます。
震災に強いまちづくりのために、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
しんぶん赤旗日曜版6月24日号に作家の下重暁子さんのインタビューが掲載されていました。
下重さんは、「今一番気になるのは憲法のゆくえ。改憲議論に危惧を抱いています」という質問にこう答えています。
「伝えたいのはとどのつまりは個、みな一人ひとりが持っているものを大事にし、個を確立するということです。私が憲法で一番好きな条文は、13条の「すべての国民は、個人として尊重される」という個人の尊重のところです。自民党の改憲草案(2012年)では『個人として』を『人として』に変えるといいます。『個人』はそれぞれ違う個性をもったかけがえのない人格のことです。『人』というのは大多数の人間一般の人のことでしょう。全く意味が違ってしまいます。大切な憲法9条も、個人の尊厳のためにあると思っています。陸軍将校だった父は画家志望だったのに、軍人の家の長男であることから陸軍幼年学校、士官学校に進むことを強要されました。何度も逃げ出しては、連れ戻されたといいます。戦後は公職追放となり、没落家族となりました。私は父との間に確執を抱えてきました。その父も戦争の犠牲者です。戦前のように国や家族に縛られるのでなく、個人として尊重されることが大切だと強く思います。」
格差と貧困の拡大の問題も、この二つの視点を変えて見ると全く違うように見えてきます。
先日、ある知人が、「優生保護法に基づく対応も必要だという人がいた」と話していました。
気が付いてみると、そんなはずじゃなかったとならないために、戦前の歴史などに学び、個人の尊厳を守る大切さを知りたいと思いました。
国家のために国民があるのではなく、国民のために国家があるという視点が私は最近大切だと思っています。
個人の尊厳を守る視点が民主主義のバロメーターだと思います。
個人の尊厳を二の次に置く政治は、要注意です。
知人の言葉が心に残っていた時、下重さんの言葉を読んで、改めて、個人の尊厳の重要性を再認識しました。
下重さんありがとうございました。
皆さん、個人の尊厳に対するお考えをお聞かせ下さい。
携帯電話の機種変更をして、20日になりますが、容量が大きくなったことを利用し、健康に関するアプリでストレッチを続けています。
今続けているのは、「3分間トレーニング」です。
3分間の間に、30秒づついくつかのストレッチを行うものです。
今は、一番簡単な運動を1セットだけ行っていますが、結構きついです。
アプリでは、カレンダー機能もあり、毎日、印がつくので休めません。
また、アプリの中のトレーナーに励まされて毎日続けることができます。
当面は、この運動を続けたいと思います。
早稲田大学の樋口満教授による「体力の正体は筋肉」という新書を読んでいます。
樋口教授は、「体力とは、作業や運動といった身体活動に要求される潜在的な能力、身体的活動能力」と定義し、「体力のうちで私がもっとも注目したのが、『筋力』と『全身持久力』です。」と述べています。
樋口教授は、「筋肉のうちでも特に下半身と体幹の筋肉をきたえれば間違いなく体力はつき、年齢を問わず『つまでも歩ける体』『いつまでも動ける体』をキープできるようになるでしょう。」と述べています。
樋口教授は、下半身と体幹の筋肉を鍛える方法として「ローイング」(ボートを漕ぐような運動)が効果があると書いています。
樋口教授は、「アンチ・エイジング」(抗・老化)ではなく「アクティブ・エイジング」(脱・老化)だと書いています。
「アクティブ・エイジング」は「脱・老化」という意味でしょうか。
私も50歳を過ぎ、少しづつ老化を感じる年齢になりました。
老化は避けられませんが、少しでもアクティブにこれからを暮らせるように、少しづつ運動を継続したいと思います。
皆さんの運動法をお教え下さい。
昨日、日本共産党山口県委員会が主催する議員、予定候補の研修講座に参加しました。
藤本博一副委員長を講師に「綱領」を学びました。
この中で、国連憲章から日本国憲法への飛躍について学びました。
1945年6月に調印された国連憲章には、二度にわたる世界大戦の惨禍を踏まえて「武力による威嚇又は武力の行使」が厳しく禁止される中身となっています。
1946年11月に公布された日本国憲法は、第9条第1項で国連憲章を踏まえて「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄するとともに、第2項では、さらにすすんでいっさいの戦力の保持と交戦権の禁止を定めています。
志位和夫委員長は、自著「綱領教室」(第3巻)でこの点について次のように述べています。
「国連憲章がつくられた1945年6月と、日本国憲法がつくられた46年11月との間に、人類はある重大な出来事を体験しているのです。すなわち、国連憲章が決められた45年6月の時点では、人類はまだ原子爆弾を知りませんでした。そのひと月後の7月に、アメリカで人類初の核実験がおこなわれました。そして8月に広島、長崎に核兵器が投下され、20数万人の無辜の人びとが命を奪われ(同年末までの人数)、二つの美しい都市が一瞬にして廃墟と化し、言語を絶する犠牲をこうむりました。このようなこの世の地獄を、世界のどこでも二度と繰り返してはならないという強い思いが、憲法9条という宝を生みだした一つの重大な歴史的契機になったのではないかと思います。」
志位委員長は、その根拠の一つとして、1946年11月に当時の内閣が発行した「新憲法の解説」から、憲法第2章「戦争放棄」の意義についてのべた部分を引用しています。
「第2章 戦争の放棄 本章は新憲法の一大特色であり、再建日本の平和に対する熱望を、大胆率直に表明した理想主義の旗ともいふべきものである。一度び戦争が起これば、人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまふ。原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を終息させしめるかの重大段階に達したのであるが、識者は、まづ文明が戦争を抹殺しばければ、やがて戦争が戦争を抹殺するであらうと真剣に憂へてゐるのである。ここい於いて本章の有する重大な積極的意義を知るのである」
「原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を終息させしめるかの重大段階に達し」て70年以上の月日が経過しました。
「文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろう」状況が70年以上続いています。
しかし、国際社会は、昨年、核兵器禁止条約を成立させ、今年、米朝首脳会談を成功させ非核の朝鮮半島づくりが始まりました。
国際社会は、原子爆弾の脅威を乗り越えて戦争を終息させる方向に大きく動いています。
その理論的支柱の一つは、憲法9条だと思います。
原子爆弾などの兵器を行使した戦争が文明を抹殺する時代が到来を許してはなりません。
古くなったのは、憲法ではなく、自民党型政治ではなでしょうか。
憲法を生かした政治改革と国際社会での役割の発揮が今こそ求められていることを痛感しいます。
昨日は、大変、勉強になりました。ありがとうございました。
憲法9条の意義について皆さんはどうお考えですか。
ご意見をお聞かせ下さい。
6月28日、日本共産党の井上哲士議員は、参議院外交防衛委員会でイージス・アショアの問題を質問しました。
井上議員の質問から見えてきたのは、「イージス・アショア」はアメリカのためだということです。
井上議員が明らかにした第一は、イージス・アショアを配備は、アメリカの艦船を持ち場から離して別の場所へ投入するためであるという点です。
2016年アメリカ会計年度国防権限法には、日本でイージス・アショアを導入する意義について「相互運用性及び対空ミサイル防衛能力の統合を促進する大きな機会となり、戦力が増加する効果をもたらし、多目的の装備において必要とされる軍事体制における要件を潜在的に緩和することになりうる」と明記されています。
今年2月24日のアメリカ太平洋軍のハリス司令官が、下院の軍事委員会の公聴会で上記の意味を分かりやすく次のように述べています。
「アメリカ海軍や太平洋艦隊がBMDの任務において直面している負担の一部を軽減することになるだろう、艦船を持ち場から離して他の場所へ投入することができるだろう」
ハリス司令官は、他の場所とはどこかと問われ「南シナ海、インド洋、フィリピン海」と答えています。
井上議員は、「つまり、米海軍のこういう軽減に資するものだと。イージス・アショアの導入というのは日本の防衛のためだと、これ説明付かないんじゃないですか。」と質しました。
前田哲政府参考人は、「北朝鮮が我が国を射程に収める数百発の弾道ミサイル、これは現在も保有しておりますし、奇襲的にミサイル攻撃を行う能力を有するという中で、国民の生命、財産を24時間365日切れ目なく守り抜く能力をこれ抜本的に向上させることが必要であるということでございます。」と従来の答弁を繰り返すばかりでした。
井上議員が明らかにした第二は、イージス・アショアの導入は、アメリカから高額装備品を積極的に購入するための一環だということです。
近年、アメリカ政府の有償軍事援助が急増しています。
防衛装備品の中央調達の契約相手別の契約高順位をみると、安倍政権発足時の2012年度、1位から順に、三菱重工、日本電気、川崎重工、そして米国政府となっています。ところが、2014年度から新しい防衛大綱が始まって、2015年度には、企業を抜いてアメリカ政府がトップになっています。最新の2017年度は1位のアメリカ政府が3807億円、2位の三菱重工が2457億円と、断トツでアメリカが巨額の受注を受けています。
小野寺大臣はアメリカ政府の有償軍事援助について「一般では調達できない機密性の高い装備品や米国でしか製造できない能力の高い装備品を調達できる点で、FMS(アメリカ政府の有償軍事援助)は我が国の防衛力を強化するために非常に重要なものと考えています。」と答弁しました。
イージス・アショアは、中期防にも防衛大綱にも盛り込まれていませんでした。
4月17~18日の日米首脳会談で、アメリカのトランプ大統領は「貿易赤字解消」の一環として、米国製武器の大量購入を要求しました。これに対して安倍首相は「厳しい安全保障環境に対応するため、今後とも米国装備品を購入することが重要」だと応じました。
どうして、イージス・アショアの導入が浮上し、政府は、設置に固執しているのでしょうか。
6月22日のBSフジの番組で飯島勲内閣官房参与は、イージス・アショアを導入することについて「トランプ(米大統領)に押しつけられて購入する状態だ。米国の国防産業がマイナスになるような妥協点は絶対にありえない」と述べています。
アメリカの「貿易赤字解消」の一環としてイージス・アショアの導入に固執していることは明らかではないでしょうか。
イージス・アショアはアメリカ政府のためである側面が明らかになってきました。
皆さんは、イージス・アショアについてどうお考えですか。
加計学園の獣医学部新設問題を巡り、「総理の意向があった」と記された文書の存在を証言した前文部科学政務次官・前川喜平さんの書作「面従腹背」を読んでいます。
この本から前川喜平さんという人物の沸き立つ気迫を感じることが出来ました。
「私が後輩である現役公務員に伝えたいのは、組織の論理に従って職務を遂行するときにおいても、自分が尊厳ある個人であること、思想、良心の自由を持つ個人であることを決して忘れてはならないとうことだ。組織人である前に一個人であれ、ということだ。自由な精神を持つ独立した人間であってほしい、ということだ。それは、組織人として行っている職務が、人間として正しい行動だと言えるかどうか、個人である自分が常に組織人である自分の姿をみつめているということでもある。これは公務員として仕事をしていく上では、確かな人権感覚を持つということにつながる。尊厳ある個人としての自覚をもっていれば、個人の尊厳が冒される事態を直ちに感得することができるはずだからだ。」
大企業のリコール隠しを題材にした映画「空飛ぶタイヤ」を観た直後にこの文章を読むと、公務員を民間企業に置き換えることが重要だということも分かります。
全ての社会人に当てはまる言葉だと思います。
その上で、公務員は特別だと前川さんは書いています。
「主権者としての意識を持つ公務員は、憲法が命じる公務員の在り方に忠実であろうとする。憲法15条の2項は『全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない』と定めている。権力を持つ者が一部の者の利益のためにその権力を使おうとするなら、それに抗おうとするのは、公務員として当然のことだと言わなければならない。また、憲法99条は、公務員は『この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』と定めている。憲法を制定した国民としての自覚を持つ公務員は、自ら進んで憲法の尊重、擁護に努めるであろう。」
前川さんは、その上で、集団的自衛権行使を認めた閣議決定は、憲法違反だと断じています。
2015年9月18日、安保法制の参議院可決の夜、前川さんは、どこで何をしていたのでしょうか。
「文科省を退庁後にそぼ降る中、シールズの若者たちに混じって『憲法守れ』『アベはやめろ』『集団的自衛権は要らない』と抗議の声を上げていた。私の中の『主権者』がどうしてもその夜にそれだけはやっておかなければ死んでしまうと呻いていたのである。」
前川さんの主権者としての呻きをしっかり私も受け止めたいと思います。
前川さんの生き方にしっかり学びたいと思います。
この本は多くの皆さんの読んでいただきたいです。
この本を読まれた皆さん感想をお聞かせ下さい。